愚者も過ぎれば賢者が如し
/3人称視点/
学園地下32階から50階。
そこには違法に占拠した巨大空間が広がっていた。
施設に入るには巨大な金属のゲートを潜る必要があった。
ゲートには黄色の背景に黒い三つ葉の形が描かれている。放射線警告マークである。
ゲートの先には様々な施設が併設する。
製品研究開発センター。医療研究センター
農業研究所。海洋研究所。宇宙研究所。
気象研究所。エネルギー研究センター。
環境研究所。バイオテクノロジー研究所
先端技術研究所。製薬研究所。
化学研究所。心理学研究所。
材料研究所。遺伝子研究所。
食品研究所……
数え上げればキリがないほどの多くの施設が存在している。
走り回る白衣を着た研究者。
資料を片手に唸る者。
頻繁にどこかに電話を掛ける者。
24時間、常時稼働する施設。
国家に対抗できる特務機関TDR。
そこに集う人材は超が付く優秀な者しかいない。
人類から抜擢された選りすぐりの頭脳集団。
そんな才人ですら、頭脳においては足元にも及ばないと思われている者が居た。
その者はこう呼ばれる。
賢者。
未来を見通す慧眼を所持する者。
人類史に残る叡智の持ち主。
盤上を支配する鬼神。
悪魔の頭脳。
呼び名は幾つもあった。
そこに集う才人は皆思う。
彼には頭脳戦において絶対に勝てないと。
そう囃し立てられた男。
その男……
彼(現在:彼女)は苦悩していた。
なぜなら、その凡人はこの場で最も頭の悪い人材だったからだ。
「それで、これからどうします?」
翡翠は天内に語り掛けた。
「お、おう。まぁ焦るな。俺には考えがある!」
「さ、流石です! 期待していますよ!」
後ろで控えるフランは同調するように。
「アマチさんは私を創り出した創造主ですからね。当然です」
翡翠はギョッとすると。
「そ、そうなのですか!?」
「おい。少し黙るんだフランくん」
「申し訳ございません」
「とんでもない事をさらっと聞いた気もしますが。
マスターならば不思議ではありませんね。
一体どれほどの叡智をお持ちなのか……
想像もつきません」
「翡翠。これはシークレットだぞ」
「は、はい!」
フランは俺の目の前にある資料を覗き込むと。
「あのぉ~。『当然!』と言った手前、お恥ずかしいのですが?」
翡翠はフランの率直な疑問に対して。
「どうされました?」
「今から何をするのか、見当もつきません。一体何をなされるんでしょう?」
翡翠は得意げな顔をすると。
「これから世界を変えるのです」
「ほえぇぇぇ~。せ、世界ですか……それは何とも大きいですね」
「そうです。マスターは世界の変革を望んでいます。
成そうとしている。その余りある頭脳によって」
「な、なんと!?」
「マスターは神の叡智を持つお方。
フランさん。よく見ていて下さい。
マスターは一手に千の意味を持たせるのです。
神の一手を見る事になるでしょう」
「ふむふむ。それは凄いです。本当に。
メモを取らねばなりませんね。後世に伝え残さねばいけませんからね」
「とてもいい考えですが、メモを取ったところで意味はないんです。常人では理解する事すらできません。いえ、この世の天才と呼ばれる者が束になろうとも、マスターの叡智の前では霞みます。足元にも及ばないのです」
天内は背後であまりにも意味不明な持ち上げ方をされて、目の前がグルグル周っていた。
(……そんな訳ねーだろ! お前らはアホか!)
翡翠は自信満々な表情を作ると。
「我々は見守る事。そして言われた事を粛々とこなす事しかできません。信じるのです。マスターは絶対なのです」
「そ、そうなんですね。信じていればいいんですね?」
「そうです。絶対という非現実的な単語は冗談でしか使われません。しかし、唯一この世で使っていい存在。それがマスターなのです」
「そ、そんな……凄い」
「絶対という言葉はマスターの為にあると確信しています。マスターは絶対です」
「す、凄いですね!!」
「そうなのです!」
『チッ』っと天内は心の中で舌打ちする。
(余計な事を言いやがって。
イエスマンを欲していたが、前言撤回。
イエスマンばかりを周りに置くのは馬鹿のやる事だ。
ツッコミが必要なのだ。
周りに疑義も意見も述べる奴が居ないといけない。
でないと、大変な事になってしまう。
イエスマンを置き過ぎれば、組織は崩壊する)
翡翠は顔を覗き込んでくると、同意を求めるように。
「ですよね?」
「お、おう……少し言い過ぎだがな。自重せよ」
「ご謙遜を!」
「そうです! そうです!」
天内は厳めしい顔を作った。
憔悴を悟られぬように。
彼は翡翠の顔を直視出来なかった。
(まず確認せねばならない。
いつも俺は天才俺とか豪語しているが、あれは冗談だ。
実は違う。悲しいかな。
とんでもない程の知恵遅れなのだ。
テストはカンニングしてたし。
魔術的センスとか戦闘的センスも、単に知ってるからなだけだ。
しかし俺は周囲……少なくとも目の前のアホ共から勘違いされている。
俺は頭が悪いのに、頭の良い奴だと思われている節がある)
翡翠とフランの眼は期待で目をを光らせていた。
天内は頭を押さえながら『ふぅ~』と大きく息を吐く。
「なんですか!? 指示を! 指示を下さい!」
涎を出したパブロフの犬のような表情の翡翠。
フランも興味津々な顔で。
「どうすればいいんですか!?」
天内は神妙な面持ちで。
「今までだってしてきた。わからないのか?」
翡翠はゴクリと生唾を飲む。
「な、なんでしょう?」
「英雄のプロデュース……」
(聖剣使いの事か?
あの優男は確かに成長した。
強力な技を習得した。
マスターが夏に居ない間にも時間操者も倒した。
夢魔界の事件を治めた事で評価もされた。
それもマスターが影から育成していた訳だが。
今回もあの優男を働かせる?)
翡翠は己の知能のなさを恥じながら訊き返した。
「プ……プロデュースですか?」
「既にピースは揃っている」
「ピース……?」
「風音。お前達。そしてマリアさん……つまりはそういう事」
(つまりはそういう事ですって? 一体どういう事なの!?)
天内は憂いを帯びた顔をしていた。
(これはきっと試されている。失望させてはいけない。カッコウ殿なら『なるほどそう言う事か』と言って1を聞き12を理解していた。私にそこまでの頭脳はない。しかしここまでヒントは出してくれている。カッコウ殿が居ない今、きっと期待しているのだ。私にマスターの背中を任せられるのかを。
目の前の賢者の頭脳を読み解くのよ私。
プロデュース……英雄の誕生……民衆を導く希望と道標。
勇者と聖剣にしか使えない特殊なスキル。
影から暗躍している我ら組織。
そしてマリアさん? なぜマリアさんが?
マリアさんは富豪だ。
アラゴン卿の総資産は兆単位だと聞く。
それに……今回のターゲットは貧者と呼ばれる怪人。
金融を操る魔物。
アレの弱点は確か資産を減らす事と言っていたはず。
最後にマスター……ファントムは敢えて負ける予定。
全ての点を結びつけると……)
沈黙であった。
カッコウと比肩する頭脳をもつ翡翠は熟考した後。
「……な、なるほど」
と一言呟いたのであった。




