落日②
/カノン視点/
少しだけ夢を見た。
前回の敗北の記憶だった。
世界の終わりのほんの少し前の出来事だった。
世界は死に向かった。
世界の命運はたった数名の騎士の手に委ねられた。
ソレが世界に解き放たれれば、数日で世界は崩壊する。
そんな絶望が漂い始めていた。
選ばれし騎士の中にはアイツも居た。
いつもアイツは過酷な場面に顔を出す。
私はこの未来を諦めていた。
既に手遅れだと悟っていた。
だってそうだろう。
その騎士は他の騎士よりも矮小な力を持っているように見える。
だが、最も凶悪だ。
その騎士は。
大地を荒廃させる事は出来ない。
空を割く絶大な力は有さない。
死の水を生み出す事も、木々を枯れさせる事も出来ない。
ああ確かにそれは他の騎士よりも弱く見える。
しかし、それは人の心を支配する。
最も邪悪な力。
最も効率的に、人を根絶やしにする為に、計算された力。
赤子の首を絞める母親。
父親が愛する子の頭を割った。
恋人同士は共食いをする。
兄弟のような親友はお互いの腹を割いた。
親が子を、子が親を。
家族が家族を。
恋人が恋人を。
親友が親友を。
愛する者同士は殺し合いをした。
それでも……
それでもアイツの眼はいつも死んでいなかった。
「なんとかしてくるわ。なんとかしようぜ。なぁ! 風音」
アイツは今代の勇者という役割を与えられた男の肩を叩いていた。私を影から鼓舞してくれていたかのように、いつもの屈託のない笑みで緊張を和らげようとしていた。
私は彼のその姿を影から見つめていた。
見つめる事しか出来なかった。
負け戦だ。
この世界線では負ける。
死ぬ。死んでしまう。
私の直観がそう告げていた。
「……でも」
「大丈夫だって。確かに全員を救う事は出来ない。いや、出来なかった」
歯痒い思いをしているのはわかった。
彼は、ネイガーは以前ほどの力がない。
少なくともこの世界線では。
「だけど……ここで俺達が折れたら本当にゲームオーバーだ。だからやる。大丈夫だ。俺とお前ならなんとかなる。俺達は強い。だから立てよ。とりあえず飯でも」
彼の言葉を遮るように。
「人を殺さなければ……罪のない人々を殺さなければいけない。もううんざりだ。もう……僕には」
「やれるさ!」
「君のようにはなれないんだよ!」
今代の勇者は激昂した。
行き場のない怒りをアイツにぶつけるしかなかったのだろう。
「なんで平然としてるんだ!
もっと悩めよ。もっと落ち込めよ。
散々人を殺した癖に!
なんでそんな風に笑ってられるんだ!
飯? 食える訳ないだろ!
能天気な事ばっかり言いやがって。
どうせ何も考えてないんだろ!」
やめてくれ。
彼はネイガーの胸ぐらを掴むと続ける。
「何人も殺した。今日だって何人も殺した。この手で。
君だって信じられない数の人を殺している」
やめてやってくれ。
それはアイツが一番わかってる事なんだ。
「僕らは大量殺人鬼だ。
僕は覚えているぞ。
君が子供を殺している姿を。
君は狂っているんだよ!」
やめてやって……くれないか。
「そう……かもな」
今代の勇者は憔悴していた。
心が折れ始めていた。
アイツの手を振り払い、項垂れた。
「僕はただ平穏に暮らしたかっただけだ」
「……勝てばいい。俺とお前なら」
「だから! 出来ないよ!!」
「……」
「もういっそ……」
その言葉を言ってはいけない。
「君がやればいいじゃないか」
その言葉は呪いになる。
言ってはいけないんだ。
「君1人でやればいいじゃないか」
言ってしまった。
私はその言葉を吐いた男を否定できなかった。
わかるからだ。誰よりも理解出来るからだ。
だからこそ自己嫌悪に陥った。
結局彼は1人で行かねばならないのか、と落胆した。
「君の方がずっと強いんだ。僕は巻き込まれただけだ! 僕を巻き込むなよ! 僕は普通なんだよ! 君のように狂ってないんだ!」
ああ。なんと残酷な事を言っているのだろう。
それは、あんまりじゃないか。ここまで死に物狂いで戦ってきた者にあまりにも残酷な言葉じゃないか。
「僕は降りる。僕には無理だったんだ」
「……そうか」
未だ諦めていないアイツは何を思うのだろうか。
「君のような者が選ばれるべきだった。
僕は単なるどこにでも居る小僧さ。
もうやりたくないんだ。
もう殺したくないんだ。
僕はもう死ぬよ。死ななければいけない」
級友を殺さなければならなかった。
愛する者に手を挙げねば解決出来なかった。
仲間は散っていく。
得る物はない。屍の上を歩かねばならない失うだけの旅路。
命を刈る重圧だ。
わかる。私にはわかる。
人を殺して、殺し尽くして正気を保てなくなる。
当たり前の感情だ。
怖いのだ。
数多ある人生の。
数ある命の責任を背負うという事が。
勇者とはなんと陳腐な肩書だろう。
あれは呪われた役割だ。
嫌な役目を大衆から押しつけられた呪いの記号でしかない。
単に天から力を授かっただけの凡庸な精神の持ち主が選ばれただけ。それなのに周りから持て囃され祀り上げられる。そんな人間に呪いを飲み込む事が出来ない。
/// 場面は暗転した ///
その一撃は流星のようだった。
死に際に瞬く綺羅星のようであった。
「ウソだろ」
私の最愛の使い魔の身体が砕け散り始める。
魂が霧散していくかのような錯覚に陥る。
人々の願いで編まれた奇跡の灯火が消えようとしていた。
私の時代の人々が彼に託した希望の一助が創り出す奇跡の一手。
それは確かに呪いの渦に届いていた。
命を懸けた一撃。
肉体と魂そのものを純粋無垢なエネルギーに変換した最期の一撃。
切実な願い。
痛恨なる一撃。
それは確かに終末に届いていた。
「ここまでやるか。単なる亡霊……矮小なる魔物風情が。いや、まさか」
「まだだね。最期の、トドメの一手は俺じゃない。俺は捨て駒なんだぜ」
白皙に輝く閃光がネイガーの背後に控えていた。
「ハッ。見事だ。負けるか。この私が。異邦人、貴様には敬意と祝福を。最大級の呪いの刻印を以って、貴様を」
終末が言葉を紡ぐ前に今代の勇者の一撃がトドメを刺そうとしていた。
私はハッと目を覚ました。
「私が今度こそ。彼1人ではダメだから」




