俯けば、滲んだ世界
/小町視点/
意外な事に私はカイウンに買われなかった。
どうやら違う人物が私を落札したようだ。
カイウンはお気に入りの"ペット"を落札する際は周りに根回しをする男だ。
暗黙の了解として周りはそれに従うしかない。
なぜならカイウンは非常に危険な魔術師だから。
従わなかった者はその後壮絶な報復、拷問と死が待っていると噂されている。
そんな危険な魔術師に逆らう者は何も知らない新参者か蛮勇な大バカ者だ。
私はオークションの待機室にて私を落札した新参者のバカな主人が来るのを待つ。
恐らくカイウンにこの後、殺されるであろう長い付き合いにはならない人物。
それでも、新しく私の主人になるその人物の機嫌を損ねぬよう笑顔の練習をする。
奴隷は奴隷らしく下着のみだ。
私を買った者の事だ。
きっと男なのだろう。
そう考え下着を脱ぐことにした。
「大丈夫。大丈夫」
自分を鼓舞しているとその人物が来た。
「どーも。君…………てか、なんで裸なの?」
派手な真っ赤なスーツに顔半分を覆うようなサングラスをしたピエロのような男だ。
センスの欠片を感じない。
気持ちの悪い趣味だなと思った。
それに意外にも若いと思う。
いくつだろう? 20代……いやもしかしたら……
動揺を隠し、練習した綺麗なお辞儀をした。
「いえ、新しく私のご主人様になる方に私の全てを見てもらおうと」
二コりと練習を重ねた笑顔を作る。
「いや、そういうのいいから。早く服着なよ。風邪ひくよ」
予想外の回答だった。
え? なんなんだこの男。
その趣味の悪い男は、早く着ろと言わんばかりに派手なスーツのジャケットを私に渡してきた。
「お心遣いありがとうございます」
私はそのジャケットを秘部が隠れるように羽織る。
「どういたしまして」
ピエロはニコリと笑った。
「あの、私はこれから……」
と、声を発したのと被せるように男は信じられない事を言い放った。
「じゃあ。君は自由だ。好きに生きろ。以上。解散!」
男はそう言い放つと懐から私の買い取りの契約書と10年契約の隷属の首輪を取り出すと、その場で焼却した。
は? 何をやっているの?
今何をしたの?
今何が起こっているの?
「ちょ、ちょっと待ってください!?」
さっさと帰ろうとする男に声を掛けた。
「なに?」
心底不思議そうな顔をしてその男は振り向いた。
「冗談……ですよね?」
恐る恐る訊いてみる。
「んな訳ないじゃん。さっき言った通りだよ」
顔は見えない。
恐らく私とそう年齢の変わらない男は笑顔でそんな信じられない事を言った。
「あ、そっか。借金だったけ? 君の借金は俺が肩代わりしといたよ。全部完済済だ」
違う。そうじゃない。
「いえ、そういう訳ではなく。それもあるんですが」
「???」
私はこの男の"色"を盗み見た。
「……なにこれ……」
見たことない。
極彩色。
色と表現するには複雑すぎる様々な色が混じり合っている。
そして動物は見えない。
あるのは穴だ。
この男の真後ろには穴がある。それも黒い穴と表現するには稚拙なそれ。
奈落。
奈落の穴がこの男の後ろにある。
何もかも吸い込むような深淵としか表現できない。
その穴の周りを極彩色の何かが複雑に渦巻いている。
そんなイメージ。
こんな人間は初めてだ。
―――そもそも人間なの?―――
「? どうしたの? 急に黙っちゃって?」
男はそう不思議そうなトーン。
「い、いえ。私はこの後……どうすれば?」
「だから自由だって。家に帰って寝て明日学校にでも行けば?」
手をヒラヒラさせながらその得体の知れない男はそう軽口を叩いた。
ポンッと拳を手の平で叩くと、
「ああ、うん。なるほど。家の帰り道がわからないか。夜も遅いしね。うん。送って行こう」
はぁ?
なんだか微妙に会話が成り立たない。
「あ、あの」
「まぁまぁ。いいから。いいから。それより服は持ってるんだよね?」
「え、ええ」
「じゃあ、それ着たらこんな辛気臭いとことはおさらばだ」
「……それでは着替えて来ますね」
「オッケー。外で待ってるわ」
男は控え室からそう言って出ていった。
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「本当に……これで……終わったの?」
男に送られ自宅の前に立ち尽くした。
「それじゃあ。お疲れっした!」
まるでバイトでも終わったかのような口調。
私を落札したはずの男はタクシーから手を振っていた。
「あ、あの!」
私は男を呼び止めた。
止めざるをえなかった。
「運転手さん。待って下さい。どうしたの?」
「少しここでは……」
「運転手さん。少し待ってて下さい。すぐ済みますので」
男は運転手に丁寧に会釈すると外に出てきた。
タクシーから距離を取り、私はその男に伝えなければならない事がある。
この男は私に好きに生きろと言った。
だけどそんなのは束の間だ。
この男はこの後カイウンに殺される。
そして私はカイウンに買われる。
束の間の奇跡の時間だと思う。
だからそのお礼としてこの得体の知れない男にせめて忠告しておきたい。
「あの、ご主人様……」
「だから、主人じゃないって」
男は苦虫を嚙み潰したようなそんな顔だ。
よく見えないけど。
「それではなんと?」
「ああ。名前か。あ……じゃない。じゃあ、ファン……いや、トムって事で」
ふぁん?
トム?
絶対嘘じゃん。
何を言ってるんだこの人。
「……じゃあ、そのトム様」
「もう辞めて頂きたいなぁそのかしこまった呼び方」
頭をポリポリと掻きながら納得のいかなそうなトムを無視して続ける。
「あなたはきっとこの後狙われます。きっとひどい目に遭います。束の間の時間をありがとうございます。目的はさっぱりわかりませんが………訊きたい事も沢山ありますが………」
私はこの得体の知れない男トムに訊きたい事が沢山あった。
何が狙いなのかさっぱりわからない。
善人にしても回りくどすぎる。
まだこれは嘘でしたと陰険な笑みを浮かべて舞い戻ってきた方が納得がいく。
「せめてもの忠告をと、思いまして」
この男はこの後死ぬ。
そう思うと気分が少し重くなった。
「知ってるさ。ああ。よーく知ってるよ。なんなら君より知っている。カイウンね。あいつ。今から処しに……ぶっ飛ばしに行くから」
トムは今までと同じような、まるで軽口を叩くような、そんなトーンで嘯いた。
「え?」
信じられない事だった。
「今なんと!?」
何を言ってるんだ。大馬鹿なのか。
それでも目の前の男は続ける。
「なに。大丈夫さ。いずれ…………全て倒す。カイウンも裏に居る奴も、この世界に巣食う魑魅魍魎全て。必ず」
不敵な笑みのその男には絶対の自信があるように見えた。
何を言ってるのかよくわからない事もあるが、私には思いも及ばない事だろう。
「何を言って……」
私の想像より遥か彼方を見ているかのような。
「俺の夢の為」
夢? 今までの私とは無縁の言葉に。
「君は何か夢はあるか? なんでもいいよ。なければいずれ見つかるさ。俺はその夢の為に譲れぬものがある」
迷いのないその言葉。
本心だ。
きっと途轍もない夢なのだと思った。
「あれ? ないんだっけ夢?」
「…………」
私はその質問に答える事が出来なかった。
出来ようはずもない。
だって私の人生は閉ざされているはずだから。
「夢とか……生き甲斐? 見つけた方がいいよ」
「そ……そうですね」
そう精一杯返答するしか出来なかった。
トムは続ける。
「君は精々幸せに生きろ。まぁそんだけ」
トムはそんなごく普通の、それでもとても尊いそんな事をさも当然のように告げたのであった。
「ご武運を」
私からこれ以上何もいう事はできない。
この男がこの後生きるのか死ぬのかわからない。
でも不思議とこの人なら大丈夫そうだなと思えた。
「ありがとう。それじゃあ行ってくるわ。サクッと片付けてくるよ。もう君の前に現れる事はないだろう。カイウンも、そして無論この俺もね。それじゃあ」
別れを済ませタクシーに戻る、小さくなっていくその男の背中を見て私は深くお辞儀をした。
「ああ。最後に」
トムは立ち止まると。
「夢は見つけた方がいい。うん。生きる活力になる。見つかるといいね夢」
トムは後ろ手にひらひらと手を振って。
私の前から去った。
「上で待っている」
トムは1人そう呟やいたように聞こえた。
夢。
生き甲斐。
そうか。
そうだった。
そんな事考えた事も……いや忘れ去ってしまった事をこんな得体の知れない男に諭されるとは。
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「あり……が……とう」
きっと私はひどい顔をしているだろう。
俯くと、地面が滲んで見えないのだから。




