数字の地獄
昔、上司に言われた事を思い出した。
「眠たい事言ってんじゃねーよ! 情にほだされてつまんねー商談取り付けてくんなよ!」
「いや。しかし、」
「口答えすんなよ! いや、あのさ。
ビジネスの世界に情とか持ち込まれてもね。
お前、頭悪いだろ? 競争社会は人情で食えるほど甘くないの。
君みたいな社会のなんたるかを知らない学生気分の抜けていない奴は気に食わないなぁ~。そろそろ大人になりなよ。■■くん。モノを言うのは数字。数字!
定量化した確固としたデータ。そして売り上げ。これが全てだからさぁ!」
日本は資本主義。
過当競争の社会では食うか食われるかの激しい戦いがある。
一筋縄ではいかない。
頑張っていても報われないし、褒められる事なんてない。
ああ。だから必死に働いた。
社会に入ると、厳しい世界が待っている。
頭でわかっていた。
けど甘かった。
学生時代なんていかにお遊びだったのか身に染みて理解した。
悪は居る。
勿論善も居る。
けど、ずっと世の中には魑魅魍魎ばかりだ。
どんなホラーゲームに出てくる恐ろしい化け物よりもずっと恐ろしい化け物に遭遇した。人の醜さを理解した。道理は通じない。理不尽ばかりだ。
メンツを保つ為につまらない嘘を吐く者。
私腹を肥やす為に他者を欺く者。
プライドだけは一丁前な者。
どいつもこいつもクソだ。
クソしか居ない。
この社会で求められるのは。
チームワークや協調性という名の綺麗事の下、組織の歯車として戦果を上げる事。
主体的に学び自己発信という名の綺麗事の下、他者を出し抜く事。
当事者意識を持って行動するという名の綺麗事の下、自分一人が生き残る事。
そんな事が何よりも正義だと学んだ。
歯を食いしばって耐え抜くしかない。
引いても地獄、進んでも地獄。
だったら少しでも前に進んで化け物に食い殺されないように自分も化け物になるしかない。
そうこうしていると。
時間は有限で思ったよりも早く通り過ぎた。
必死で働いても手元にあるのは僅かな金銭。
金は貯まる一方だ。使う暇なんてない。
それでも、とてもささやかな金額しか貯まっていない。
多分一生働いても億万長者にはなれない。
そんな仕組みがこの国にはある。
ルールを作っている奴らは、際限なく肥え。
馬車馬のように働く者はいつの間にか死んでいく。
何者かによって。
とても頭の良い奴らによって。
搾取するように、欺くように、意図してこの状況は作られている。
娯楽を与え、食事を与え、政治に無関心に煽動する構図。
まるで、古代ローマのパンとサーカスだ。
学んだのはそれだけだ。
もがいても這い上がる事なんて出来ない。
理解しても遅い。
社会の激流に飲み込まれ過ぎた。
弱音を言ってる暇なんかない。
休日は疲れて寝る。
平日は朝から晩まで馬車馬の如く働く。
ただそれの繰り返しを続けるしか……
生き残る術がこの社会にはないんだから。
「こんな事一生続けるのか?」
1万円札を握りしめた。
あまりにも下らない。
下らないが捨てる事は出来ない。
大事なモノだ。
この紙切れがなければ死んでしまう。
比喩でもなんでもなく、本当に死に直結する。
しかし、目の前にあるのは単なる紙だった。
日本ではこの紙切れを沢山集めた奴に価値があって、少ない奴は価値がない。
わかりやすい社会。
数字。本当に数字の社会だ。
目に視えるわかりやすい数字でしか判断しない社会。
―――地獄―――
数字の深淵。
「俺はこんなものに一生踊らされるのだろうか? こんな紙くずを集める為に、俺は一生嫌な事を続けて死んでいくんだろうか?」
時間だけが無為に過ぎていく。
心をすり減らして、単なる紙くずの為に命を削っている。
俺はアイツの言葉を反芻していた。
いいや。違う。
いいや。違うぞ。
ふと、立ち止まり高層ビルを見上げた。
「アンタは違うんじゃないのか?」
俺は上司に言われた言葉を虚空に向かい疑義を唱えた。
異を唱えたかったんだ。
資本主義社会で、仮にそれが正しかったとしても。
俺の中では違ったから。
だから声を大にして。
俺はお前らとは違うと、この社会に宣言したかったのだ。
・
・
・
「何をそんなに生き急いでいるのさ? まるで本当に時間がないように聞こえるんだけど」
「……そうかぁ?」
「そうだよ。とても焦っているように見える」
「そんな事ないさ。そんな訳ないじゃん」
「……そっか」
「ああ」
「いや! 違う!」
「?」
「君は! いつも時間を言い訳にしている!」
「……」
「時間がない。時間がない。そればっかりだ。
何がそんなに時間がないのか。
まるで無理矢理やりたい事を……
やるべき事を! やらなければならない事を!
無理に詰め込んでいるように見える。
無駄な事も……そして意味のある事も。
名一杯詰め込んでいるように見える」
そりゃあね。1年でやりたい事をしてる訳だし。
やりたい事と、やるべき事をするには人生は短いよな。
ホントに。
そんな本音を隠して。
「色んな事に挑戦したい年頃なのさ」
「ボクは元軍人だ! 君のような雰囲気を持った人間を何人も見てきた!」
千秋は俺の前に立ちふさがると。
「言葉では言い表せないけど……君のような雰囲気を纏った者は……必ず近いうちに消える!」
「消えるってなんだよ」
「それは……」
「なんだよ。突然突っかかってきて。もういいか?」
千秋は恐る恐る口を開くと。
「……死ぬって事さ」
「はぁ? 俺が死ぬわけないじゃん。物騒な事言うなよ」
妙に鋭いじゃねーか。コイツ名探偵か?
最後に大一番である地獄の門を閉じる必要があるしな。そこまでは絶対に死ぬ気はないけど。
「馬鹿話に付き合い切れないよ。やれやれ。三郎ラーメン奢ってやんねーぞ」
「じゃあ! 約束しろよ!」
俺は真剣な顔の千秋にびっくりした。
「なにをさ?」
「絶対に死なないって!」
「死なない。死なない。これで満足か?」
まぁ嘘だけどね。
それになんだコイツ?
情緒が不安定なんだけど。
「……う、うん」
「拍子抜けしたか? なんか千秋らしくないな? 飴ちゃんあげるから機嫌直せよ」
俺はポケットから取り出したアメを千秋の頭に置くと。
「そのぉ~生理か?」
と敢えてデリカシーのない事を訊いてみた。
「……」
沈黙であった。
頭を掻いた。気まずい感じになったからだ。
小町の野郎なら『デリカシーがない!』とか言ってぶん殴って来る展開なのに。
「約束は守ってよ。それでいいよ。
でも破ったら絶対に許さない」
「お、おう」
俺は千秋の雰囲気に少しだけ気圧された。




