決戦⑤ Still In My Heart
――時分は夕暮れ――
街は青と赤のグラデーション。
雲一つない晴天の空。
空気は済み渡り一番星の輝きが良く見えた。
眼下に広がるのは。
学校帰りの学生。
手を繋いで帰る家族連れ。
満ち足りた顔をするサラリーマン達。
商店街からは活気のある喧噪。
子供の遊び声。
辺りからは香ばしい夕食の匂い。
ここにはささやかな日常があった。
そんな日常の中、光学迷彩よろしく靄に溶けながら電柱の頂きに佇む俺は小町の実家を見下ろしていた。
夕陽が作る闇の輪郭。
影に潜むカッコウが。
「これ差し入れです」
カッコウは手提げ袋を持参してきた。
「悪いな」
俺はそれを受け取り、中を覗く。
飲食物が詰め込まれているようだ。
「それよりもいいんですか? 定刻よりも随分過ぎていますが」
「邪魔出来るはずがないさ」
カッコウも俺と同じ視線の先に目をやると。
最後の晩餐を一家団欒で摂る姿。
俺の目線の先には小町が家族と共に食卓を囲んでいた。
「そうですか。日を改めましょうか?」
「いいや。今日やる。
これ以上長引かせる気はない。
現実で死者が出始めるかもしれん。
どれほど影響が拡大するか未知数だ。
ここが限界。だからやる。
この世界を確実に壊す」
「承知。では先に僕は僕の仕事を」
「ああ、そうそう。最後に」
俺はカッコウを呼び止めた。
「他に何か?」
「お前が言ってた、いち早くこの世界に来ていた」
「ユーグリットですね」
「そう。コイツを上手く誘導し振り飛車で使え。
アイツはまぁまぁ強いし。
ヴァニラ単騎相手でも遅れは取らない。
人足は多いに越したことはないしな」
「そこは抜かりなく。彼も闇に乗じるかと。
虎視眈々と機を伺っていましたからね。
今夜攻め入るとは通達してあります。
勿論天内くんの名は伏せています。
彼をヴァニラに認識させる誘導は既に準備段階です」
「ふむ。やはり仕事が早いな。では、予定通り今宵、子の刻。オペレーションを開始する。手筈通り頼んだ」
「ハッ」
傍にあったカッコウの気配が掻き消えた。
見下ろす先には笑顔の小町と両親の姿。
今宵、この世界を崩壊させる。
彼女もそれは承知の上だ。
仮に夢の世界であろうとも。
それが仮初の一時の夢であったとしても。
家族との今生の別れを邪魔するような事は出来なかった。
そんな無粋な真似出来ようはずもなかった。
「すまんな」
俺は虚空に向かい、言わなくてもいいそんな言葉を唱えた。
徐々に陽は傾きつつある。
少しずつ肌寒くなっていく。
そんな中、俺は小町をただ待つ事しか出来なかった。
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/小町視点/
「天内くんは今日はどうしたのかしら? いつもはこの時間に戻って来るのに」
「さぁね。きっとどこかで買い食いでもしてるんだよ。それよりも、」
気を紛らわすかのように。
私は母と最期の夕食を共に作り、共に食事を摂り、共に一家で食卓を囲んだ。
「話をしようよ」
他愛のない会話。
今日はどこに行ったのかだとか。
ご近所の井戸端会議の話だとか。
駅前に出来た新しい店が人気だとか。
そんな会話。
私は、ただどこにでもある日常を謳歌した。
例えそれが夢の一時であるとわかっていても。
私は最後の刻まで、この思い出を胸に刻もうと思ったのだ。
散々馬鹿話をして、後ろ髪引かれる思いで私は立ち上がり上着を羽織った。
「あら、どこか行くの?」
「うん。少しね。今日はもう帰って来ないかも」
「あら~」
母は小悪魔のように笑みを浮かべる。
「またあの男のとこか。気に入らねぇ」
父は不貞腐れていた。
「拗ねちゃってお父さん」
慰める母と子供のように拗ねる父。
「小町も子供じゃないものねぇ~」
私は少しだけ口角を上げた。
きっとどこにでもある家庭の風景なのだろう。
平凡で、それでいて何よりも輝かしい日常の景色。
ささやかな幸せがここにあった。
私が夢見た景色。
「じゃあ。いってくるね」
今生の別れ。もうこの日常を再び謳歌する事は出来ない。
それでも覚悟を決めた。
前に進むと。
過去に囚われるのではなく。
残酷だけど美しい現実に戻ろうと。
だって、現実には未来があるから。
この夢の世界には未来がないから。
ここは、停滞してしまった世界だから。
私は私の理想郷に別れを告げる。
決意したのだ。
それでも揺らぎそうになる。
自分の弱さをここで試されているかのようだ。
母は怪訝な顔すると。
「……いってらっしゃい」
と告げた。
廊下を抜ける。
歩みは遅い。
懐かしい匂い。懐かしい景色。
有り得ざるべき日常。
ここに居たら頭がおかしくなる。
決意したはずなのに、いとも容易く決意が揺らぎそうになる。
自分の弱さが腹立たしい。
私は見慣れた玄関を抜け、実家を出ると最後に実家の表札を撫でた。
「小町! ちょっと待って」
母が慌てて玄関から出て来たのだ。
「どうしたのお母さん」
「私はあんたのお母さんだからね。
だから……あんたが全てを言わなくてもわかっちゃった。
もう……行くのね」
「え?」
どういう……意味。
「そっか。うん。そうだよね。帰らなくちゃだよね。そっかぁ~。寂しくなっちゃうね。ここでずっと一緒に暮らしてくれると思ってた。だから私もお父さんも嬉しくて。でも、そうだよね。そっか。うん。大人になったね。お母さん応援してる。私は小町の味方だから」
母がそっと抱きしめてくれた。
「えっと」
「小町。気づいちゃったんだね」
「何を……」
「私が貴方の記憶の残滓でしかないって事」
有り得ざる奇跡は起こっていた。
「それでも私にとっては大事な娘だから。だから……背中を押さないといけないよね」
「……」
息が出来なかった。
頬を伝うナニカ。
ああ。なんて事だろう。
母は母だった。
これが夢だなんて思えないほど暖かい温もりが身体中に伝わって来る。
きっとこれが。
愛なのだろう。
「あそこに居る男の子、あっちの世界の天内くんでしょ?」
街路樹の先。
両手一杯に手提げ袋を持ちながら買い食いする青年。
黄昏ている先輩は犬に吠えられ挙動不審になっていた。
私の事を迎えに来た青年。
「……うん。そうだよ。ほら言った通りでしょ」
「そうね」
お互い顔を見て少しだけ笑った。
「小町。今、あの子と付き合ってるの?」
「いやいや。そんな訳ないじゃん!」
泣き笑いながら私は否定した。
母は抱擁を解くと。
「え!? 付き合ってないの!?」
びっくりする顔が目の前にあった。
「そもそも好きじゃないし……ウザイしデリカシーないし……」
「今さら、なぁ~に言ってんの。こっちの世界の天内くんを婚約者として連れてきて」
「え。それは、なんと言うか間違いというか。たまたまというか」
「たまたまな訳ないでしょ」
母は呆れ顔だ。
「何よ。その顔」
むくれて反論してみた。
「娘があんまりにも天邪鬼だからねぇ」
「あまのじゃくじゃないし!」
「じゃあ。ツンデレさんだ」
「ツンデレでもない!」
フフフと再度お互い顔を見合わせて笑った。
「私は本当のお母さんじゃないけど。一つアドバイス」
「なにさ」
「自分に嘘を吐くと後悔するよ。
好きな人にはちゃんと好きって言葉で伝えないとダメ。
言葉で伝えないとわかって貰えないもの」
「だから、その……好きじゃ……」
母は『はぁ』と、ため息を吐くと。
「……わざわざこんな魔境まで貴方を迎えに来たんだもの。きっと命懸けで来たわ」
そう。先輩は命懸けで私を迎えに来た。
それは事実だ。
「きっと素敵な子なんでしょうね。あんたが好きになる子ですものね。きっと……とても良い子よ」
「……いい所もあるよ。馬鹿だけど」
母は柔和な笑みを浮かべながら。
「彼の影もとても愉快だものね。あっちの世界の天内くんもあんな性格なのかしら?」
「そうなんだよ! うるさいんだよ! いっつも馬鹿しかしないんだよアイツ! 馬鹿で! 間抜けで! 鈍感で! それに。それに!」
私は先輩の悪口と愚痴を、思い付く限り喋って聞かせた。
一体どんな表情で喋っていたのだろうか見当もつかない。
母はそんな言葉を笑顔で頷きながら聞いてくれた。
ひとしきり、愚痴を言い終わると。
「な~んだ。やっぱり正解ね。
彼は小町を笑顔にしてくれる。
うん。間違いない。
彼ならあんたを安心して任せられるわ。
そうよね。お父さん?」
「え?」
振り返ると、いつの間にか父が傍に立っていた。
「まぁ。認めてやらん事はない」
「なに勝手に!」
「あいつに。あの馬鹿息子に伝えておけ。小町を悲しませたらこの俺が絶対に許さんとな」
「だから勝手に……」
「母さん……そろそろ」
父は母の肩にそっと手を置くと。
「そうね」
2人は少しだけ切なそうに微笑んでいた。
「小町。名残惜しいが……」
「待たせ過ぎたね。天内くんに謝っておいて頂戴」
父は少しだけ寂しそうであったが。
「俺はお前を応援してる。
誰がなんと言おうと父さんと母さんはお前の幸せを願っている。
どこまででも行って来い!」
そう。もう行かなければいけないのだ。
それなのに、私は心の奥底でここに居たいと思ってしまった。
決意したはずなのに。
この暖かな陽だまりに留まっていたいと感じてしまっていた。
彼らは背中を押してくれている。
だから、こう言わなければいけない。
「うん。行ってくる!」
父は私の瞳を見つめると。
「最後に……一ついいか?」
「うん。どうしたの?」
「楽しかったか?」
「…………うん。とっても」
「そうか。だったらお父さん冥利に尽きるか。生前何もしてやれなかったからな」
「そんな事無いよ。ありがとう……ありがとうお母さん。お父さん。さよ、」
母は、言葉を被せるように。
「さよならは要らないわ。私達はあんたの記憶の影。本物じゃないもの」
「そんな事無いよ! 貴方達は私のお父さんとお母さんだった」
さよならは言わない。
だから代わりに。
「ありがとう……ござい……ました」
頭を下げた。短いようで長かった夢の旅の終わり。
夢の果て。生前言う事が出来なかった感謝の言葉で締め括る。
「私達は貴方を応援する事しか出来ない。さぁ気張んなさいよ!」
母によろつくほどの勢いで思いっきり背中を叩かれた。
「小町。もう振り返っちゃダメ!」
「俺達の役目はここまでだからな! また会える事を楽しみにしてる」
母と父の言葉を背中に投げ掛けられた。
立ち止まりそうになった。
振り返りたかった。
名残惜しかった。
それでも、重い歩をゆっくりと進める。
私は実家に背を向け歩き出す。
先輩と目が合った。
私は振り返る事無く彼の下に駆け出した。
「お待たせしました。行きましょう先輩。未来を取り戻しに」
先輩は私の顔を見ると、ハッとした顔をする。
「……もう。いいのか?」
「ええ。もう充分です。約束の時間より遅れちゃいましたね。ごめんなさい」
「気にするな。そんなに待ってないさ」
ウソツキ……。
「……そうですか。最後に一つだけ願いが叶いました。私、感謝の言葉を告げる事が出来ましたよ」
「そうか。良かったな」
「ええ。本当に」
彼は上着を脱ぐと。
「少し肌寒いからな。とりあえず着とけ」
ぶっきらぼうに上着を渡してきた。
「なんで。別に寒くなんか」
「なんでもだよ。あと、まぁ。5分ぐらいなら胸を貸してやってもいいぞ」
なんだよコイツ。
イケメンみたいな気の遣い方しやがって。
はぁ……なんだよ。
私……コイツの事好きじゃん。
ホント。馬鹿みたい。
「……はい。ではお言葉に甘えて」




