余計な真似を……しに来たんだよ
/小町視点/
火花が散った。
辛うじて防がれる剣戟。
何度も繰り広げた光景。
私は何をしている。
この男は弱い。
剣の技量と身のこなしは大したものだが、それ以外がからっきしだ。
いや、そもそもこの男は今にも死にそうなのだ。
何より本気を出しているのかも不明。
違うな。もはや本来の実力を出せるほどの体力が残っていない。
死人相手に私はなぜ手を抜いている?
「その根性だけは認めてやる」
私はある種、不思議な敬服を持った。
何度目かの覚悟を決める。
「せめて楽に逝かせてやる!」
先輩に似たソイツは小馬鹿にしたように。
「出来る訳ねぇだろ。べろべろバー」
「黙れよ!」
私は最高速の一撃を脳天に向かって振り下ろした。
―――撃鉄―――
金属のかち合う音が鳴り響くと。
状況は鍔迫り合い。
刀身の先には幸せな日常を壊そうと企む邪魔者の笑みがあった。
「遅い遅い。結局はそんなもんか?」
安い挑発。心理戦にもなっていない。
目の前の男の表情はヘラヘラと笑みを浮かべている。
顔は血と汗で滲んでいた。
苦悶の表情を悟られぬように必死で偽りの笑みを作っているのだ。
「単なる子供のやせ我慢だ。くだらない!」
「へへ」
「さっきから、へらつきやがって」
我慢比べに付き合わされている。
イライラした。
かれこれ10分以上瀕死の敵にトドメを刺せずにいる。
鍔迫り合いは緊張を生む。
しかし、ほんの少しだけ私が右にズレれば大きなスキが相手に生まれる。
そこから敵の首元を狙えばいい。
それなのに……なぜ出来ない!?
出来るのにしたくない。
頭を振るい。
私は、男の血が滲む腹部を強化したつま先で思い切り抉るように蹴り飛ばした。
ヌメリと嫌な音が鳴った。
「ッ!?」
青年は声にならない吐息が漏れると後方に仰け反るように吹き飛ばされる。
「実力の差はわかったはずだ! もう! 諦めろ!」
魔力はない。
奴は回復も出来ていない。
私は戸惑っていた。
踏み込み痛烈な一撃を放てば終わる。
何度も殺せる瞬間はあった。
急所に一刀を振り下ろせば、それでジ・エンド。
目の前の男は所詮、口だけだった。
減らず口を叩く口先だけの語るにも値しない存在。
なのに。
なぜ、先輩の顔をしている。
なぜ、先輩の声音をしている。
なぜ、先輩の匂いがしている。
彼は諦めず震える脚で立ち上がった。
何度も見た。一体何回これを繰り返す?
なぜコイツからは攻撃してこない?
「あー悪い。ちょっと寝てたわ。で? なんだっけか?」
「ふざけた事を。どうして。どうして私を惑わす!
お前は何なんだよ! どうして邪魔をするんだよ!
なんで! どうして! まだ立つんだよ!
何なんだよ! ムカつくんだよ!
私達の幸せな日常になんの恨みがあるんだよ!
お前は! 一体何をしに来たんだよ!!」
彼は口をゆっくり動かして。
「余計な真似を……しに来たんだよ」
まただ。
また笑みを浮かべている。
頭が割れそうに痛かった。
先輩の顔をした何者か。
変人。奇人。
何度でも。何度でも立ち上がる。
これではまるで私が嬲り殺すのを楽しんでいるようではないか。
「消えろ!!」
私は彼の間合いに入ると顔面を思い切り蹴り上げた。
またも数メートル先まで吹き飛ばされる。
「……」
沈黙。
今度は呻き声すら上げなくなった。
地に伏せる光景。
地に伏せても直ぐに、何度も、何度でもゾンビのように立ち上がって来た。
だが、今回は違った。
先輩の姿をした青年はもう立ち上がる事が出来なくなっていた。
膝を付き、息切れを起こす青年は剣を地面に突き刺し、まるで杖で身体を支えるように項垂れていた。血だまりが足元に広がっている。
ようやく終わりのようだ。
ああ。やっとこの胸糞悪い死闘が終わろうとしている。
私はゆっくりと近づき刀剣を首元に這わせた。
「私の勝ちだ」
勝利宣言を告げると青年は独り語り出す。
「狙いも悪くはない。筋もいい。動きも機敏だ」
「な、にを」
頭が割れるように痛い。
「的確に急所を狙う一撃。傷口を、弱点を狙うのは基本戦術。ああ。いいね。素晴らしい。出来てるじゃないか」
「何を! 言ってるん……ですか!」
頭が痛くて仕方がない。
「随分見ない内にやるようになった。ああ。全く。
感謝の素振りが効いてきたな。どうだ? 意味があったろ?」
―――こんな事したくない!―――
頭の中の自分が必死に訴えている。
頭の中がぐちゃぐちゃで頭が割れそうに痛いのだ。
「さっきから何を言ってるんだよ!!」
咆哮して、頭の中の矛盾をかき消す。
震えていた。私の手は震えているのだ。
私はどうしてトドメを刺せない?
ほんの一振りで終わりだ。
なのにどうして……一体何度こんな事を考えているんだ私は!
「採点結果は70点。慈悲を見せる優しさが欠点だな。
喧嘩はどっちが先に非情になるかで決まるんだぜ。
とはいえ……お前の勝ちだ。
自称弟子……いや、弟子1号」
口元だけ垣間見えた。
死の間際にあっても、まだ微笑んでいる。
迷いを振り切った。
目元が発熱するのを感じる。
この眼を以って。
このカタチを視る眼を以って。
「斬る!」
思い切り、刀を振りかざす。
―――沈黙―――
荒涼とした突風が吹いた。
出来なかった。
「あ」
頭の中に稲妻が走ったような気がした。
何かが壊れるような感覚。
ああ。そうだ。
こんな馬鹿、世界に2人と居ない。
この人は間違いなく。
そうか。そうだった。
今、思い出した。
どうして忘れていたんだろう。
この人は本物の先輩なんだ。
「こんなになるまで……馬鹿じゃないの」
「ああ。よく知ってる」
こんなになるまで私の洗脳が解かれるまで耐え忍んだ。
彼は必死に目を覚まさない私の猛攻を耐え忍んでいた。
だったら私も目覚めなければならない。
「私の夢はここで終わりだ」
家族。
父と母と好きな人とみんなで何でもない日常の中で暮らすという夢はここで終わりを告げる。
信じたくなかっただけなんだと思う。
幻想に目を奪われていた。
幻想の中で目を瞑っていた。
幻想の中で溺れていた。
心の中に切なさが蔓延った。
とても良い夢だった。
決して醒めたくないと思えるほどに。
でも、本当は。
現実は、私の家族は全員故人だった。
目頭が熱くなった。
少しだけ、ほんの少しだけ空を仰いだ。
まるで現実のようだ。でも違うと直感でわかった。
この世界には歪なカタチしかない。歪なカタチが天を覆っている。
「貴方は……本当に先輩なんですね?」
「ああ。そうだよ」
何でもない事のように即答した。
「無茶ばっかりしやがって」
「なに。気にすんな。弟子の稽古に付き合っただけだ」
言葉より先に身体が動いた。
「……責任取って下さい。本当に」
私は聞こえぬように小さく呟くと傷だらけの先輩を抱きしめた。
私を探しに来ただろう先輩は力なく項垂れたままだ。
「沢山訊きたい事があります。その前にもう一度訊いてもいいですか? 何を……しようとしてるんですか?」
虫の息の先輩は虚ろな眼で笑みを浮かべながら。
「余計な事をしようと思ってな」
「……先輩はそればっかりですね」
「まぁね。小町、久しぶりに会えて嬉しいよ」
「ええ。ええ。ええ」
私は何度も頷いた。
何度も頷いて彼を抱きしめた。




