水槽の脳
マホロに帰還した足でそのまま病室に忍び込んだ。
目の前にはすやすやと幸せそうに眠るヴァニラの姿があった。
「片棒を担いだ……と思われる奴も寝てるのか」
翡翠と雲雀が語るもう一つの課題。
俺の仲間達が眠っているのだ。
モリドールさんも、小町の奴も眠っている。
右腕たるカッコウすらも寝ているのだ。
状態異常:睡眠。
記憶改竄や洗脳に比べれば、決して強力な精神魔法ではない。
簡単に魔術破棄を行える代物のはず。
この昏睡は単なる睡眠ではない。
カッコウの眠る病室にて。
「これはただ寝ている訳ではない」
「そうなんですか?」
翡翠は俺に問いかけた。
「あーそういう事か……」
俺は納得した。
戦闘訓練以外にこの鏡には力があるという事になる。
「真実の鏡にはマスクデータが存在しているんだろうな」
「マスクデータ? とはなんです?」
「隠された力って意味かな」
「は、はぁ」
ゲームメガシュヴァにはマスクデータと呼ばれる隠しステータスや隠しデータが存在している。
魔法ならば五行に当たるモノが五常で振り分けられているし。
月と星の魔法ならば陰陽。
相克関係にないモノは天。
梵に関しては特殊すぎて魔法という分類か怪しいものまである。
「ふむ……やはりカラクリはこの中にあるのかもしれん」
俺は手鏡を手元で弄んだ。
「この手鏡の中の仮想領域。目を覚まさなくなった奴は何らかの要因、隠し要素によってログアウトが出来なくなった」
「ログアウト?」
「翡翠には伝えてなかったな。この真実の鏡の中は一個の世界になっている。仮想空間。今風に言えばメタバースってやつ」
「なぜそんな事を知ってるんです?」
「俺もこの鏡の世界に入った事があるから」
「な!? どうやって出てきたんですか!?」
「ログアウトした」
「それではまるでゲームみたいじゃないですか」
「そうだよ。その感覚で間違いない。
これは偽りの仮想世界に入り込む道具でしかない。
文字通り脳内に投影される仮想空間という名の夢の世界に入り込む入口の役割しかない。それだけの道具」
「では、そのログアウト……どうやってすればいいんですか? 方法は?」
「シンプルな話さ」
コマンドを叩けばいいと言っても通じないと思った。
こっちの世界で言うならば。
「メタ認知を持てばいけるはずなんだが……」
多分これが一番しっくりくる表現だが。
なぜ昏睡してる奴は目を覚まさない?
いや、自力で覚ませない?
「はい?」
ポカンとした表情を浮かべていた。
真実の鏡は哲学で語られる水槽の脳でしかないと思われる。
一個の世界を脳内で体験する道具でしかないはず。
非戦闘員である一般人が巻き込まれているのを考えると……
「夢と現実が入れ違いになっているとか?」
「てれこ?」
俺は俺自身に語るように翡翠に質問を投げかけた。
「例えば今この瞬間。俺と喋っているこの世界は夢の世界か、それとも現実か。どっちだと思う?」
「なにを突然」
「いいから」
「勿論現実ですよ。何を馬鹿な事を」
「では逆に、なぜ夢の中でないと言い切れる?」
「私は現に起きていますし、五感だって感じている。記憶だって混乱していません」
「いいや。それを結論付けるのは早計なのかもしれない。
仮に夢の世界で。
自我や意識を保ち、五感を感じ、記憶が混乱しない。
さらに、寝る食べる性交する排泄するなど。
睡眠、食欲、性欲、生理的欲求のようなもの。
人間の中枢機能が完全に再現されたらどうなる?」
「は? どういう」
意味なのか、と発そうと思ったであろう翡翠は口元に手を当て考え始めた。
「起きている状態と全く同じ状態が再現された場合、それは夢なのか現実なのか区別はつくかい?」
「それは……」
「あくまで推測の域を出ないが。これは水槽の脳なんだろうね。これを突破できる存在でないとログアウトできない……と思われる」
多分。あくまで推測。
正直わからないのだ。
「意味がよくわからないんですが……いや……まさか」
「察しが良いな。つまり何が言いたいのかというと。自力でログアウト……いや、言い方を換えよう。自力で起床は殆ど不可能に近いのかもしれない」
恐らく自力脱出が可能な人間は世界でも数人しか居ない
俺はホラー世界で暴れ回って簡単に出てこれた。
この世界そのものにメタ認知を持つ俺は勿論いつでも脱出できるのだろう。
「ブレイクスルー的な強力な耐性持ちはその限りではないが」
幾人か無理矢理ログアウトできるだろう存在は居るには居る。
ヴァニラや風音もその中に含まれるはずだ。
故にヴァニラが黙って就寝しているのが謎な部分ではあるが。
意図的に出てこない可能性……
頭を振った。
「とはいえだ。翡翠よ。解決方法はあると思われる」
「あるんですか!?」
「まぁ落ち着け。所詮は低級マジックアイテム。解決策がない訳がない。その為にこの真実の鏡に潜り込む必要がある」
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・
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翌日であった。
部活の朝練や勉強の為、本来出入りが激しい学園は閑散としていた。
秋の始業式が延長される旨が掲示板に書かれていた。
「小町ちゃんが眠ったままなんだ!」
どこからか情報を掴んだ千秋が俺に詰め寄って来た。
「モリドールさんもです。一体、なにが起こってるんですの?」
「在校生でも昏睡状態になっている人が多いらしいよ」
「私も先程知りました。原因不明の病気が流行っているらしいですね」
「呪いの類か何かなのかもしれない」
「陰謀かもしれませんね」
千秋とマリアの奴が2人して狼狽していた。
「う~ん」
そんな二人に囲まれ俺は悩んでいた。
この2人を呼んだのは俺だ。
こいつらを真実の鏡の中に連れていくのかどうかを一晩悩んでいた。
影のパーティーである翡翠や雲雀は今回連れていかない。
戦力として申し分ないが、彼らは現実にて、やって欲しい事がある。
リリス攻略の為に動いて貰いたい。
ならば、夢の世界に連れて行くには最低限の戦力を揃えたい。
白羽の矢を立てるならばこの2人……
あそこは未界域となっている可能性がある。
危険はある。全員取り込まれてしまう危険性は大いにある。
カッコウすらも取り込まれたままだ。
しかし。もし、もしだ。
俺があの中でゲームオーバーになれば、モリドールさんと小町どころか。
今、昏睡している人は、近い将来そのまま衰弱死してしまうだろう。
正直、未来が視えない。
俺の知らない不測の事態。
後手に回りすぎている。
俺一人でなんとか出来ないかもしれない。
過信は禁物だ。
故に悩んでいるのだ。
昨夜一瞬だけ潜った所感としてはやはりホラー世界観であった。
廃墟と霧に包まれた世界。
だが、霧の向こう側に街が見えた。
トウキョウの輪郭を垣間見た。
名付けるなら。
「夢魔界都市トウキョウ」
俺はふと口を滑らした。
「「???」」
2人は俺の顔を見つめていた。
「何か知ってるんですね?」
「いつも通りの隠し事。あるんだね。心当たりが」
以前、こいつらは仲間である云々でちょっとした争いになった。
仲間なのだから1人で考え込むな的な事を言われた。
俺の弱点は誰にも頼らない事だとも。
ここで隠しても不義理なのかもしれない。
故に。
「……俺に命を……預けてくれるのか否か、」
と、濁しながら言葉を選んでいると。
「勿論です」
「当たり前だろ」
全てを語らずともこの2人はそう言うだろうと推測していた。
「千秋さんはちょっと厄介なクレーマーですがれっきとした仲間です。勿論穂村さんも」
「マリアの奴は嘘つきだけど、モリドールさんも小町ちゃんも大事だよ」
ならば。
「心当たりは……ある」
「何が起きてるのか知ってると、そういう事でいいんですね?」
「そうだね」
千秋の奴は。
「詳しく聞かせて貰おうじゃないか」
俺は頷くと。
自分のこめかみを人差し指で小突き。
「初めに。俺はこの中で共に戦ってくれる奴を欲している。話はそれからだ」
「頭の中かい?」
「ああ」
天内パーティーで出撃開始を決意をした。
ほぼ初の天内パーティーとしての戦い。
それを決意したのだ。
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