ある物語の終わり
―――ある物語の終わり―――
/カノン視点/
途方もないほど過酷な旅が終わりを告げようとしていた。
余りにも長すぎた苦難の旅路。
暗闇に閉ざされた世界に日光が戻って来ていた。
雲間から光が差すと荒涼とした大地に突風が吹いた。
それはまるで自然が鳴らす祝福の福音。
頭上には紺碧に彩られた空が広がっている。
気持ちのいい風だった。
髪飾りが解けるのを感じる。
「カノンにこれを見せたかったんだよ」
目の前には、くたびれた騎士の後ろ姿。
表情を窺い知る事は出来ない。
「な……にが?」
そう疑問を投げかけようと思った時であった。
ボロボロの彼の先。
視線の先に広がる光景に私は言葉を失った。
「どうだ? 嘘じゃなかっただろ?」
いつだったか、彼の語った花畑の話。
瞳に映るのは色とりどりの花々。
「凄い……」
荒れ果てたはずの大地に生命の息吹が戻りつつあった。
地平線の先まで広がる緑の大地。
彼が持つ不思議な種が芽吹いたのだ。
そこは既に死の大地ではなかった。
生命の力強さすら感じる。
「俺からみんなへの最後のプレゼント」
「全く……ホントに君って奴は」
なんてキザな奴なんだ。
そういう所は好ましい。
私は一体どんな顔をしているだろうか。
きっと笑顔なのだろう。
私はいつも通り彼の傍に近づき肩を並べた。
お互いが生命が戻りつつある大地を眺める。
「どうやら俺の役目はここで終わりみたいだ」
私は目を疑った。
彼の身体は光体に包まれている。
彼の身体が霞のように霧散し始めていた。
「嘘だろ。早すぎる」
「ここが俺の終着か……ああ。十分だ。十分すぎる。及第点だが悪くない結末だな。この結末は間違いじゃない」
「なに1人でカッコつけてるんだよ! 行くなよ! 行かないでよ!」
「悪いな。最後に一杯ぐらいしようと思っていたんだが」
「ああ! しよう! 何度でも。いつまでも語り合おう。みんなと一緒に。君を紹介しなきゃいけない。君が居たからなのに!」
それでも彼の崩壊は止まらない。
足先は徐々に透明になっていく。
「だから! なんでなんだよ! 待って……待ってよ……」
やってはいけないと頭ではわかっているのに、本能で召喚式を組み立て直そうとする。
しかし何度やっても魔術は不発した。魔力を練っても壊れるのだ。
まるで世界がそれをさせまいとしているかのようであった。
「本当にな。全く随分現金な話だよ。余韻すらも味わせてくれん」
彼は肩を竦めた。
根絶者を退けたのは、ほんのついさっき。
この世界は未来を繋ぐ事が出来た。
故に契約が切れたのだろう。
彼にこの時代の居場所はないと、世界がそう告げているかのようであった。
しかし、彼は満面の笑み。
とても満足した顔をしている。
「……そうだな」
何も言えないじゃないか。
そんな顔をされたら。
練り上げた召喚式を破棄した。
意味がないと悟ってしまった。
私は聞こえぬぐらいか細い声で。
「散々辛い部分を任せて、任せっきりで、誰にも知られず……ひっそり行くなんてズルいよ」
「本当に良い風だ」
彼は私の言葉が聞こえていないようであった。
「ああ。本当にな」
頬を撫でる心地良いそよ風。
「さて、最後にこれを言わなければならないだろう。カノン。この戦いは君達の勝利だ。おめでとう」
彼は手を叩き勝利を祝福してくれた。
押し黙る事しか出来ない。
言いたい事は沢山ある。
一緒にしたい事だってある。
話したい事も……伝えたい事だって沢山あった。
あと1年。
いや、一か月。
贅沢は言わない、一日だっていい。
引き留めたい気持ちが胸をつっかえてくる。
唇を噛みしめた。
戻るべき場所に戻る。
引き留めるのは無粋だ。
なによりそんな事は出来ないと悟ってしまった。
彼の役目は終わったのだから。
「あーあ。清々した」
「なんだよ。酷いなぁ」
胸に去来する気持ちを必死に押しとどめた。
本来有り得ざる時間に生きる彼と私。
時空という絶対的な隔たり。
だから精一杯嘘を吐く。
彼が消える瞬間までいつも通りの振る舞いを徹する事にした。
彼には笑顔で元居る世界に戻って欲しいから。
「こんな変な奴とお別れできるなんて肩の荷が下りた気分だよ。奇人だしね君は」
「良く言われてるわそれ」
彼はいつも通り愛想笑いをしていた。
「なんだよ。それ」
「てか、さっきは『行くなよ!』って言ってたじゃん」
「……これから私たちには沢山の仕事があるんだよ! バーカ」
「なんだ……と!?」
「勝手に色んな事しでかしやがって。君は何もせず逃げるから、行くなよって言ってたわけ。色々取り返しのつかない事だってあるんだぞ! 全部私のせいにしやがって!」
ウソだ。彼はずっと勘違いしてるが陰で沢山の問題を解決してきた。
「あ……すまん」
「勝手にマグノリアに変な薬をばら撒いた責任! これだってそうだ。ここを勝手に草原に変えやがって! 自然破壊だぞ!」
「え? マジで? やっぱまずかったのか? ちょっと粋な感じにしたかったんだけど……すまん。マジで。なんとかしといて」
「……しょうがないから許す!」
「恩に着る!」
「私は心が広いからな!」
「流石っす。カノンの旦那!」
そんないつも通りの会話。
ほんの数分、そんな他愛のない会話を繰り広げた。
そして本当に別離の時がやってくる。
「行くんだね?」
「ああ。じゃあな。後は任せた。そこそこ楽しかったよ」
「なんだよ。そこそこって」
私はいつも通り彼の肩を叩くと空振りした。
彼の身体は既に消えていた。
「な~んだ。結局告白出来なかったじゃん……」
彼が佇んでいた場所。
そこには既に誰も居ない。
虚空。
まるで全てが夢幻だったかのような。
「本当に……ふざけた奴……だった……な」
無理矢理口角を引き上げた。
ネイガーと……いや、傑と別れを告げた。
最後の最後で聞いた本当の名。
きっと私は酷い顔をしているだろう。
全く。困った奴だよ。自分って奴は。
最初は単なる大バカ者が来たと思った。
嫌いだった。
大嫌いだった。
腹が立って仕方なかった。
いつまでも愚かな事しかしない奴だと。
間違いなくハズレを引かされたと。
「最初は思ってたんだけどなぁ」
だが、そんな気持ちは過去の物。
彼は間違いなく奇跡だった。
「君に出逢えた事は、どれほどの金銀財宝よりも価値があった。ありがとう。傑」