運命の旅路③
/カノン視点/
橙色の火の光が揺らめいていた。
窓の外からは仲間達の喧噪が響く。
束の間の暇を思い思い取っているのだろう。
間もなく死地に入る。
これが最後にのんびりできる時間なのかもしれない。
本日は久々に野営でなく宿屋にて休息をとる事が出来た。
仲間たちの騒ぎ声。
そんな心地よい音色を聞きながら私は目の前に座るネイガーに語り掛けた。
彼の語る、彼が歩んできた不思議な話の続きを。
「で? 今度はどんな生業をしていた話だ? 前は農家だったよな。その前は錬金工房、その前は」
ネイガーは色んな事をしている。
様々な勤めをこなしてきたようなのだ。
彼の博識さの起点はこういう所なのかもしれない。
「海を花畑にした話でもするか。俺はこの前、海も荒地も全部緑地に変えた。
あれはやばかったね。なんせ学園が崩壊したし。くそぉ~。思い出したくもない。あれは、」
頭を抱えたネイガーは冷や汗を掻き始めた。
ネイガーが原因で海原を花園に変容させたという何とも信じ難い話。
だが、きっと本当なのだろう。この男が語る全ては嘘のような真。
「ん? ちょっと待て。以前、荒野を緑地に変えたのはお前じゃないだろうな?」
「な、な、な、な……何の話だ!?」
ネイガーは挙動不審になると思い切り飛び上がった。
はい。こいつで確定。
こいつが犯人でした。
いや……違うな。その逆だ。
「落ち着けよネイガー。私は何も言うまい。お前が独断で事件を起こしている事を」
からかうように嫌味っぽく呟いてみた。
「おい! ふざけんなよ。俺は悪くないんだ。だって、仕方ないだろ!
おい! 名探偵カノン。お前。
冷や汗や表情で犯人を特定するメンタリズムは推理小説ではご法度なんだぞ!」
「またわけのわからん事を」
やれやれ。また勝手に白状し始めたぞ。
いつも無辜の民を救っているコイツの仕業の話を。
前はなんだっけか?
そうだ。マグノリアの復興があったな。
あらゆる瘴気や病を振り払う『けはえーる』なる奇跡のポーションをばら撒いたのもコイツだった。『毛根の死んでいるおっさんが貴族だった……』など意味不明な戯言を呻いていた。
なにがなにやら。
追求すればコイツはボロを出すだろうが、ここは敢えて追及すまい。
マグノリアはコイツの功績で多くの民の命が救われたのだから。
「俺はもう何も語らん。語る気をやめた」
「ごめんごめん。聞かせてくれ」
ネイガーの歩んだ不思議な旅路を聞くのは私の楽しみの一つだった。
ネイガーを部屋に呼び出し、散々笑って、驚いて、とても気持ちよく胸がすいた気分になった。
だから今日はよく眠れると思った。
「そろそろ寝るよ」
「そうか。じゃあ、また明日な」
ネイガーは席を立つと、彼の私物である幾つかの画材や手帳、本を片付け始める。
「いや……」
ネイガーに『待ってくれ』と口から出そうになった。
目を伏せ、静かに言葉を飲み込んだ。
「なんでもない」
ネイガーが自室から出て行くのを見送ると、私は床に着いた。
目を瞑ると、鼓動の音が良く響く。
瞼の裏には過去の出来事が走馬灯のように駆け巡っていた。
楽しい事もあった。悲しい事もあった。辛い事も、目を背けたくなる現実が……そこにはあった。
あれは……私が最初に斬り殺した者。
その男と目が合った。
絶望、怨嗟、憎悪の眼。
私に斬られ、死の間際に『自分は救われなかった』と、そんな風に訴えるような眼だ。
身体の震えが止まらない。
多くの者を殺した。
殺して、殺して、殺し尽くした。
何度も殺し合いを繰り広げた。
何度も死地を駆け抜けた。
殺さねば殺される。
殺し合いに勝たねば生き残れない現実があった。
最初の1人を殺した時から私は何かを吹っ切った。
仕方がないじゃないか、と。
それはこの世界の為という大義もあったかもしれない。
私は、私の愛する花と空と大地と人が消えゆく世界を見たくなかっただけなんだ。
私にしか出来ないと、だから私は覚悟を決めた。
ただ、私の目の前で誰かが悲しんでいる姿を見たくなかっただけなんだ。
それでも癒えない傷は増えていく。
身体に刻まれる傷ではない。
心に刻まれる烙印のようなモノが増えていく気がした。
1人の男を殺した。
2人の女を殺した。
3人の子供を殺した。
救えぬ村があった。
救えぬ都市もあった。
あと一歩のところで救えたはずの仲間が目の前で散っていった。
覚悟は決めた。前に進むと。
多くの者から希望を託され受け取ってきた。
殺した者の為に、死んでいった者の為に、倒れていった者達の為に、自分は最後まで立ち続けなければならない。
私は前に進み大事を成さねばならないと。
それはある種、呪いであるのはわかっていた。
ただ本当は。
恐怖と罪悪感に突き動かされる罪人である自分の姿しかなかったのかもしれない。
ある時。
これは己の業と多くの者の業を慰める巡礼の旅なのだろうと。
そう思うようになった。
運命に導かれた旅路の目的。
それはきっと……
人の罪業を献花し、赦しを乞う旅。
私は……本当は……英雄にも勇者にもなりたくなかった。
夢見るなら。
叶うのなら……
私は片田舎で単なる村娘として一生を過ごしてみたかった。
戦乱の世に生まれたくなどなかった。
ネイガーの居る豊かな時代。
豊かな国。
優しい笑顔に囲まれた世界で生を授かりたかった。
少しだけ恨めしく思う。
そして何より、私は彼と共に生きてみたかったと。
普通に出会い、同じ学び舎で学び、共に笑い合ってみたかった。
今の仲間達も誇らしい仲間だ。
それでも、そんな夢を夢想してしまう。
彼はいずれ居なくなる。
この戦いに勝とうが負けようが彼は消えてしまうだろう。
元の世界に戻らねばならない。
元居た場所に戻らねばならない。
奇跡は既に起こっている。
暗闇に輝く、か細い一条の光を手繰り寄せたあの時から。
「また、うまく眠れなかったな……」
小さく独り言を呟くと、私の自室で読書をしているネイガーの後ろ姿があった。
「出ていったんじゃないのか?」
先程彼は自室から退出したはずだ。
「ん? まぁ忘れ物があってな。外は騒がしくてな。ここが静かでいい。そんな事よりも、最近寝てないんだろう? カノンは安心して寝てろ。俺はカノンが寝るまでここで作業してるから……」
「あ、ああ」
安心した。
先程までの陰鬱な心の騒めきが収まったような気がした。
彼が傍に居る。それだけで心が満たされた。
目を薄く開けると、どうやら本を読みながら絵を描いているようであった。
その後ろ姿は父と重なった。
昔。私がまだ子供の頃。
お化けを怖がり眠れなくなった夜の事だ。
父は私が眠るまでずっと手を繋いでいてくれた。
それからしばらくの間、私が眠るまで父は起きていた。
「ネイガー」
「……まだ起きてたのか?」
「一つ頼みがある」
「ん?」
「私の手をとってくれないか?」
「なんで?」
「よく眠れるんだ」
「……嫌だよ。絵が描けなくなっちまう」
「……頼む」
外から聞こえる喧噪のみが部屋に鳴り響く。
少しの間を置いて。
「……はぁ……」
頭を掻きながら席を立つと私の傍まで来て手を握った。
「仕方ねぇな」
「ありがとう」
彼は私が不調なのを知っていた。
気に掛けてくれていた。
私の心の在り様を見抜いていた。
苦しんでいるのを知っていたのだ。
だからいつも励ましに来てくれていた。
呼び出したら断らずいつも来てくれた。
馬鹿話をして気を紛らわしてくれた。
未来の話をして鼓舞してくれた。
それは彼なりの不器用な優しさだ。
再び目を瞑る。
ネイガーの暖かな温もりが伝わってきた。
無骨な手だ。ボロボロの手の平。
指なんか酷使しすぎて変形してしまっている。
皮膚は固くなり爪は割れ、赤黒く変色してしまった痛々しい手。
醜い手の平に見えるかもしれない。
それでも、とても優しい手の平だ。
なんと心地よいのだろう。
ああ。
そうか。
今気づいた。
なんて簡単な事だったんだろう。
私はネイガーが好きなんだ。