前奏(終) そして、それはマリアの初恋
/マリア視点/
真意を再度問うかのように黒騎士様は口を開いた。
「お前の信念ここで問おう。再度問う。なぜお前は戦うのだ?」
張り詰めた空気が漂う。
一呼吸置き。
「これしか! これしか俺に生きる道はなかった! 妻も死んだ。娘も死んだ。ちっぽけな教義のおかげでな」
やはりそうだ。
グラッチェは、あの激動の時代を生き抜いた世代だ。
「何も、何も俺達を救ってくれなかった。誰も! どいつもこいつも! 俺達は巻き込まれただけなのに!」
「……」
「憎かった。憎い。そこの女のように何も苦労を知らないであろう、その女をぐちゃぐちゃにしてやりたい。クソみたいなこの世界を滅茶苦茶に……したいと!」
私は名指しされ身を怯ませる。
どれほどの苦悩があの男にあったのか想像する事しかできない。
「そ……うか」
黒騎士様の瞳に信念が宿ったように思う。
何かを決心したかのような。
「ハッ! 来いよ! そんなもんじゃないんだろう? ファントム!」
グラッチェは禍々しい憎しみの瞳を黒騎士に向けながら、今までにない魔力を右手に込め振りかぶる。
まずい。あれは即死するほどの魔力が籠っている。グラッチェも本気を出していなかった。
掠るだけで死ぬ死神の鎌だ。
「私には譲れぬ信念がある」
―――それは一体なんなのか―――
「誰もが幸せになる未来。……俺は! それがただ見たい!」
黒騎士様の放つその理想に私はハッとした。
「バカな事いってんじゃぁねぇ!」
グラッチェはそれをかき消すように咆哮した。
――――刹那。秒にも満たない世界で。
黒騎士様は五属性魔術を展開していた。
今まで手元になかったはずの武器をいつの間にか取り出していた。
四本の武器。
おそらく風属性魔法で空中に浮く長剣、盾、槍、斧。
それぞれ火、水、雷、地の魔術が付与されている。
「嘘でしょ……」
目を疑った。
今まで黒騎士ファントム様はアーツのみで戦っていたから魔素量は多いが魔術的素養はそこまでだと思っていた。
だが違う。
あの黒騎士様は近接戦闘のみならず、魔術適正もある。
しかも少なくとも5属性。
5属性……
世界に類を見ないほど多い。
そもそも魔術適正は万人に与えられるものではない。
魔力は万人に宿るが、満足に扱える者は多くない。
一つの魔術適正があれば魔術師として才能があると言われる世界。
二つ以上あれば天才だ。
それに術式の展開が早すぎる。
一体いつ展開したの?
通常は詠唱を行い肉体に宿る魔力オドから自然界に満ちるマナに魔力を伝播させる必要がある。
才人ならイメージでオドからマナへ魔力を伝播させ魔術を起動できる。
私も何とか火属性魔術のみ無詠唱で使えるが、それでもかなりの集中力が必要だ。
しかもあれは……
「全部中級以上の魔術……」
驚愕。
神業だと思った。
普通の魔術師が一生かかってモノにできる最大がようやく中級魔術と言われる。
神童と言われた私でもまだその領域に至っていない。
それを5つ。
絶句せざるを得ない。
一体どこの国の秘密兵器だ。少なくともこの国の者ではない。そんなものが居れば貴族の私に少なからず情報が入ってくる。
物語の中に出てくる英雄は全ての属性魔法を使えた。
それはフィクションだからありえないモノと思いながらも楽しんで鑑賞できた。
そんな人物と恋をする自分を想像したりした。
自分を主人公に英雄と恋に落ちる小説を書いた事もある。
だが、今目の前にその英雄が居る。
「本当に居たんだ……王子様」
それだけではない。
仮面の下から見え隠れする相貌は整っている。
年の頃は分からないが、案外若い。
30代、いや20代?
信じられない……いやもっと……。
「あ……」
美しい黒い瞳が仮面の奥に見えた。それが一度こちらを見てチラりと目が合った。胸の鼓動が早くなる。
頬に熱がこもるのを感じた。
美しい。余りにも美しい。
今までの人生で会ったどの殿方よりもかっこいい。
私は人生で初めて恋というものに落ちたのだろう。
目が離せなかった。呼吸をするのを忘れた。体を動かす事すらできなかった。
その絶技に。
その肢体に。
その信念に。
見惚れた。
あの方は「誰もが幸せになる未来が見たい」とおっしゃった。
力なき者がそれを語れば鼻で笑われるだろう。
美しい信念であるが『現実を見ろ』と。そんな事は理想論だと。
だが、あの御仁には一切の迷いがなかった。
そしてそれを成しえる説得力があった。
今、私は伝説に立ち会っているのかもしれない。
そして、その伝説に恋してしまったのだ。
今まで待ちわびた王子様に。
「全力で迎え撃ってやろう……」
漆黒の騎士ファントム様の体に纏わる魔力が臨界点を迎えていた。
「ハッ。行くぞ!」
グラッチェの血走る眼には負けるとわかっていても譲れぬ思いが見え隠れしている。
私はこの瞬間を生涯決して忘れないだろう。
「エクストラ…………バレット!」
虹色に輝く閃光。
そう表現するしかなかった。
「あ」
おとぎ話の中の英雄の聖なる力。
魔を打ち払う閃光。
教会のステンドグラスに描かれるかつて邪神と魔族を打ち払ったという伝説の極光。
私はまるで浄化されるようにその光景に感動を覚えた。
光の閃光の数々。
一瞬が何秒にも引き延ばされた世界。
闇を切り裂く光の刃。
展開された武器がグラッチェに牙を剥く。
空を切り裂く絶技。
グラッチェの放つ渾身の一撃は水属性を纏う盾により封殺され、その後2つの剣と斧の弾幕がグラッチェを襲い爆風の中に姿が消えた。
「な!」
エレアノールの恐怖の声が隣で響いた。
最後の一つ、雷を纏った槍がエレアノールに牙を剥いた。
永遠にも思えた攻防はあっけなく終わっていた。
「凄い……」
泡を吹いて倒れるエレアノール。
かろうじて虫の息であるグラッチェ。
漆黒の黒騎士ファントム様の圧勝であった。