嵐の前の
/マリア視点/
爆弾低気圧が近づいていると航海士は言っていた。
荒れた海原になればヘッジメイズ行きの便はしばらくなくなる。
運が良い事に私はそれよりも一足早く学園に辿り着く事ができた。
「なんとか辿り着けました」
胸を撫で下ろす。
湾港にてヘッジメイズの門を叩いた私は不審に思った。
そこは噂に聞く殺風景な光景とは真逆であったからだ。
孤島の外観が深緑で覆われていたのだ。
港まで伸びる蔦は来るものを拒むような雰囲気すら感じ取った。
「凄い密林ね。流石ヘッジメイズといったところかしら? パンフレットと随分と違うけど」
迷宮庭園は秘匿された学園を冠しているが、学園の敷地も入り組んでいる。
「どこにあるの?」
人外未踏の地と思わせる孤島には一切の人の足跡、生活の痕跡がない。
深い深緑に包まれ、どこからか野鳥の鳴き声が木霊していた。
目の前の野には藍色の花が一面埋め尽くし、高く聳え立つ木々。
海面にはマングローブ林。
本当にここで合ってるのだろうか?
船主曰く、どうやら島の外観が大きく変貌しているようなのだ。
「船主さん。ここで間違いないんですよね?」
「そのはずですが……」
頭を掻き、困惑した表情の船の主人は首を傾げていた。
「先日訪れた時とは全然違うんですが、ここで間違いないんです」
「は、はぁ」
ヘッジメイズへの送迎を担当した船主も自信なさげである。
「一応、学園の関係者と一時間ほどで待ち合わせの時間となっています。それまで」
と私は言い淀んだ。
「勿論ですよ。それまで待機しましょう。私も郵便の手渡しがありますからな」
船主は貨物の方に目をやり、快く首肯した。
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-- DAY 3 --
王国と交信の途絶えたらしいヘッジメイズは臨戦態勢下にあった。
樹海に支配された学園は臨時休校となり、学園生は寮から出る事が禁じられた。
間もなく、王国騎士団の調査が入るらしい。
カッコウの奴は先日、時を止める能力者:ゲイブレット戦を風音と共に攻略したようで、それ以来連絡がつかなくなったのだ。、
薄暗い室内。
スマホからテレビ番組が流れている。
『TDR自然保護団体の理事を務める森守さんは、世界で引き起こる砂漠化現象の解明に乗り出したとか』
『ばっちしっす! じゃんじゃん環境激変してるっす! 余裕っす! 今度は後輩から南国に招待、』
俺は携帯をぶん投げた。
ハァ、ハァと息切れしていた。
「見なかった事にしよう」
最近TDRという単語が怖くなってきたのだ。
恐怖症と言って差し支えないぐらいに……。
俺が種植えをしてから3日半経過した現在。
植物の成長曲線は自然科学同様、S字のようで比較的緩やかになったようだ。
孤島を覆う緑。
こいつらは俺の育毛剤であるケハエールをいつの間にか吸収していたようで、育毛ならぬ育生しやがったのだ。
指数関数的に、爆発的に増殖した緑の浸食率は、学園の敷地およそ170パーセントを支配した段階で成長が鈍化した。
学園を覆い尽くすだけに留まらず、海面にまで影響を及ぼした。
「俺が岸壁に貨物を隠していた場所が一番やべぇ場所になっている」
種が海に撒かれてしまったのだ。
貨物がどこかに行ってしまった。
俺が持ち込んだ大量のインチキ種子が漂流したのだ。
「ど、どうしよう……」
きっと色んなところで発芽しまくっているに違いない。
「やべぇよ。やべぇ……」
窓越しから、伐採作業に追われる教師陣の顔が見えた。
荒れた土地に佇んでいた学園は突如深緑に飲み込まれ、自然の猛威が襲い掛かり、学園関係者は顔面蒼白になり、悪態を吐きながら、緑と格闘していた。
学園の敷地深緑化事件と呼ばれたそれは大問題になっているのだ。
中には『神の奇跡』と涙する者も居たし、『悪魔の所業』と蔑視する者も居た。
俺はその光景をガタガタと震えながら物陰からひっそり見ていた。
恐ろしくなった俺は寮に逃げ込み、布団に包まり怯えていたのだ。
なぜなら犯人探しが始まっていたから。
「魔女狩りか……」
フィリスの奴は一昨日から失踪していた。
全生徒で伐採作業をしていた作業中。
アイツが俺の事を白い目で見ていたのが最後。
俺は冷や汗を掻きながら弁明しようと思ったが、学園から強制的に自室待機が命じられ、結局話すタイミングがなくなったのだ。
夜、何度かアイツの部屋を訪れたが、アイツは寮の自室に居なかったのだ。
「便所に行ってるタイミングだと思っていたが、そんなに何度もクソをしに行くタイミングに出くわすだろうか?」
口を封じる必要があるにも関わらず、アイツの顔が見当たらない。
俺が犯人だとバレてしまう前に、アイツを。
「消すしかねぇのに。いかんいかん。取り乱しているな。しかし、どこに行った? まさか。この孤島に居ないのか?」
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/3人称視点/
騎士団が騒がしく市中を駆け回っていた。
どこかと連絡を取りながら、目を光らせている。
「随分と騒がしくなっている」
「祈りの儀式を早めるとか言ってたよ」
「そうですか。何かが起きたという事でしょうか。随分と性急ですね。王国上層部が焦っているという事か……気象操作による人心掌握、その予定が崩れている可能性」
「焦っているのは間違いないね。何を引き起こそうとしているのか、より正確に情報収集が必要にゃ」
「ですね」
事態が急転し始めた事にハイタカとミミズクは困惑していた。
2人は小声で話しながら薄暗い路地に曲がり込んだ。
王国の巨大な街並みの外れ。
そこは貧困層の住まうスラム街であった。
中間地点に一般的な労働者階級が住まう商店街や住宅街。
河川を挟み、それらを遮断するかのように建てられた巨大な壁。
その向こう側には富裕層の住まう貴族街がある。
最後尾には、君主が住まう宮殿が鎮座していた。
この国の首都は大きく4ブロックに分けられていた。
ドブと吐しゃ物の匂いが立ち込めていた。
人間の饐えた臭いが立ち込める狭い路地。
ネズミが廃棄物を齧り漁る、蟲が壁を這いずり回っていた。
発疹の浮かぶ年齢不詳の娼婦が至る所で立ち、手招きをしている。
暗い窓の向こうからは嬌声や悲鳴、雄たけび、慟哭、すすり泣く声、様々な音が耳に入って来た。
「あの向こうでは何が起こってると思うん?」
「あまり、勘ぐると良い物は見られないでしょう。気を揉めば病みますよ。ここはそういう所でしょう。あまり想像したくない」
ハイタカとミミズクは目深にフードを被り早足で歩く。
以前は美しかっただろうエルフの少女や獣人の女性が路地の隅で油カエルのように腫れあがった顔と治療が困難なほどの梅毒特有の発疹を浮かべ、目を虚ろにさせながら血だまりの中で虫の息で横たわっている姿を幾人も見かけた。
中には既に腐乱している者や、事切れた者達も数多く居た。
「助けなくていいのかにゃ?」
「全てを救う事は不可能ですよ。彼女達は余命幾ばくもない。仮に生き長らえたとしても」
(彼らはもう心が……)
天内の作り出した奇跡の特効薬ならば救う事は出来るだろうとハイタカは思案するも頭を振るう。
しかし、数が足らない。
現状これを使用すれば、万が一に備えられなくなると。
見ず知らずの他人に施しを与えた所で、自身の首を絞める事になれば本末転倒だからと自分に言い聞かせた。
「でも……彼なら見捨てるかにゃ?」
ピタリと足を止めるハイタカは手のひらを震わせた。
「この国の騎士……否、病理は危険です。より確実に、より安全に撤退できる手段を残して置かねば、作戦は失敗どころか。死にますぞ」
「ハイタカ。それが本心なら、それでいいと思う。
正直な話。ワタシは彼らの事はどうでもいいんだ。
悪意でも善意でもなく、どの道全員は助けられないからね。
結局は摂理の話だから。
今のリソースで治療できるのは精々2,3人って事ぐらいわかってるにゃ。
だからこれは自己満足の世界になっちゃう。
その上で訊いてるんだ。いいのかい? 君は納得できるのかい? とね」
「卑怯な事を」
「人はどうしようもないくらいエゴなものさ。
理性でなく感情の話なんだよねぇ。
それが人を人足らしめている。
人は愚かだと、無意味だと、頭で理解しながらも。
そんなどうしようもないエゴを自分にも、他人にも押し付ける事がある。
理性だけで動く人間の方が稀なのさ」
「エゴですか。仕方ありませんな。ではそのエゴに従うとしましょうかね」
何かを納得したハイタカは頷いた。
すると湿った風が吹き抜けた。
ミミズクは猫耳をピクつかせると、曇天を見上げる。
「雨が降る……」
大きな低気圧が襲来しようとしていた。