前奏① マリア・ヨーゼフォン・レオノーラ・ギーゼラ・アラゴン
/マリア視点/
どうしてこうなったのか。
虚ろな眼で自身の愚かさの起源はどこだったのか考えた。
全ての衣服を剝ぎ取られ、首と両手に錠を付けられた私はどう映るのだろう。
きっとこの世で一番滑稽なのだろう。
私は現実逃避を……していた。
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貴族というのは選ばれた人間だ。
そして私は選ばれた存在だと信じて疑わなかった。
平民と貴族には見えない隔たりがある。
決して言葉には出さないが身分の格差というのはあると思う。
私にとっての転機とはいつか?
そんなものは絶世と言われたこの美しい美貌を授かり、最古の魔女の末裔であるという事実を持って生まれた瞬間だ。
多くの可能性が生まれた時から開かれていた。
あらゆる選択肢を選ぶことができる環境。
様々な殿方に求婚された。
生まれてから持っていないものなどないと思った。
私は全てを持って生まれてきたのだと、幼心ながら思っていた。
私は故郷のこの地で天稟の神童と謳われた。
生まれた時に行われた魔法の適正を測る検査。
そこでは魔力適正が2つだと判明した。
多くの者は魔法の適正資格すら持たない。
肉体を組成するエーテルには少なからずオドがある。
魔力を持っていても魔法が使えない者は多い。
体内に宿る魔力であるオド。
自然界に満ちる魔力マナ。
魔法に選ばれる適格者……適正者はその二つを自在に操れる者という事。
魔法が使えるという事は、世界に選ばれた存在。
世界に愛された存在。
万物に祝福を受けた存在。
私にはあった。
多くの人を導く勇敢な者に与えられるという"火の魔法"。
この世界の深淵に到達する者に与えられるという"月の魔法"。
この二つの資格が。
…………己惚れていたのかもしれない。
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私はいの一番に実家の屋敷の門を叩いた。
学園を休学し急いで実家に戻ってきた。
お母様の容態が芳しくない。
朝一番に戻ると床に臥せるお母様の顔は真っ青だった。
衰弱した顔には生気がなく殆どの魔力がなくなっていた。
かかりつけ医は原因不明との事。
この状態が続けばいずれ近い内に死んでしまう。
日に日に弱る母を見て気が気でなかった。
「お嬢様。体に障ります」
お母様に付き添い、私はこの数日寝ずにその姿をただ見つめるしかなかった。
もしかしたら今生の別れになるかもしれないからだ。
私は無力だ。こんな時に何もできない。自分はなんて無力なのだろう。
「ええ。ありがとう。少し休むわ」
「その方がいいでしょう」
「それにしても貴方?」
見知らぬ使用人。こんな顔の使用人は見覚えがない。
「はい。最近召し抱えさせて頂きました」
紳士的な振る舞いは訓練されている。文句はないはず。
「そう……」
私は使用人に簡単な食事を作らせ、自室に戻り天を仰いでいた。
溜息が出る。
色々な事を考えていた。
お母様が他界してしまえば、天涯孤独になってしまう。
孤独は嫌だ。
全てを手に生まれてきたと……そう思っていたのに。
心の中に渦巻く不快感を振り払うように瞼を閉じる。
瞼を閉じると強烈な眠気に襲われ、いつの間にか闇に誘われていた。
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口を押えられ、息苦しくて私は取り乱した。
何が起こっているの!?
気づくと衣服がはだけている。
私を乱暴しようとした!?
「んんん!?」
私は渾身の力を込めて馬乗りになる何者かを引きはがした。
「なぜ起き上がれる……」
何者かが予想外に私が目を開けた事に驚いたようであった。
寝込みを襲われ衣服を破られ犯されそうになっていたが、何とか振りほどき臨戦態勢を取れた。
咄嗟に距離を取りその何者かを視認した。
私を犯そうとしたその男は見知らぬ使用人だ。
ここ1年の間、実家の屋敷には知らない使用人が増えた。
見知っている使用人の殆どが解雇されており、長年我が家に尽くしてくれたアンデルセンも長い暇を取るよう厳命されていた。
帰省した際には既に屋敷に姿はなかった。
――――瞬間
驚くより先に拳が飛んできた。
「ハッ!?」
ダメ。避けきれない。
一瞬の出来事。
―――鈍痛―――
腹部に強烈な痛みと吐き気。
メリメリと嫌な異音が腹部から響く。
鈍痛が内蔵の奥から滲み出る。
近接戦の心得がない私は滅法肉弾戦に弱い。
「………ッッ!」
唇を噛みしめ、余りの痛さに気を失いそうになるも気合で何とか意識を保ち踏みとどまった。
深呼吸して目に焦点を合わせる。
この男。なかなかできる。私の目でも追いかける事が出来なかった。
一瞬で間合いを詰めるその技術は強力な魔術やアーツ取得者の動きだ。
何より構えから戦い慣れしてる事が窺い知れる。
何者なの? 少なくとも単なる使用人ではない。
私は反撃しようと、手の平に魔力を集めようとした。
が。
それを男は待ってはくれなかった。
平手打ちが私の頬をぶつ。
その衝撃で瞳の中に星が浮かんだ。
「……ァッ」
声にもならぬ声。
その衝撃は自室の隅まで私を吹き飛ばすのに十分だった。
何とかかろうじて意識を保てている。
口の中には鉄の味が広がっていた。
とても痛い。
顔を殴られたなんて……女性をここまで容赦なく殴るとは。
……それは今考える事じゃない。
キッと睨みつけ、魔力を練ろうとする。
「どういう事?」
驚愕。
魔力をうまく練れない。
練ろうと思うとヒューズが落ちるように魔力が停止する。
「毒…………」
絶望的状況という事を今はっきりと理解した。
額を汗が伝うのがわかった。
魔力生成の阻害を行う毒。医療現場でも使用される薬でもある。
知識としては知ってる“アステロイド”だ。
私は精一杯の睨みを向ける。それしか今この状況でできない。
「ほんと。あんたいい女だよな」
私の威嚇をあざ笑うかのように。
悪漢とも言える男はニタニタと笑いながら、半裸になった私の体を上から下に舐めるように見定めた。
「こんな事してただで済むとお思いで?」
この屋敷にはこの男以外にも使用人が居る。
今の物音でまもなく助けが来るはずだ。それまで時間稼ぎをすればいい。
「ク……ハッ」
男はそれを見透かすかのように噴き出した。
「何がおかしいの?」
腹の立つ顔だ。
「旦那。すみません。無力化はできませんでした」
男は虚空に向かい何者かに呟いた。
「いや、構わないさ。想定内だ」
聞き覚えのあるその声。
ぞろぞろと部屋に入ってくる見知らぬ使用人だった者達の一番最後尾にあの男の姿があった。
この屋敷を半ば乗っ取っているお母様の…………男。
「エレアノール卿……」
卑しい狐。
エレアノール・グレヴィレッチマン。
「貴方。一体」
自身の生唾を飲む音が頭蓋に響く。
最悪の状況を想像してしまう。
「お嬢様。そんな怖い顔しないで下さいよ。ソフィアお母様が心配されますよ。淑女たれと」
エレアノールはクツクツと馬鹿にしたように笑う。
辺りを見渡すといやらしく舌なめずりするその男どもの姿に背筋が凍る。
―――私は、どうなってしまうのか。