大決壊まで5秒前
混濁する意識の中であった。
闇の中を彷徨い続ける。
まるでそこは奈落の底のようだな、というのが率直な感想だ。
死の世界の闇ではなく。
底なのだ。穴の奥。
深淵、深奥、最深部という表現が近い。
世界の廃棄物が堆積する穴の底。
混沌の中。
俺は崩壊する意識の中で垣間見た。
混沌の中には……統率者のように振舞う■■■■が居た……。
最後に視たのは、朽ち果て、寂れた5つの玉座。
4つは空席だ。しかし、一席だけ埋まっていた。
傲岸不遜に、脚を組み、肘掛けに肘を置き座る……■■■■■■■が居たんだ。
『まさか、ここは……』
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ゲームでは主人公は負ける事はない。
ゲームに限らず、古今東西の創作物で主人公が死ぬ事は滅多にない。
言い方を変えよう。
主人公が死ぬ可能性は非常に低い。
それは主人公だからだ。
ややメタ的な話になってしまうが、主人公は負けない。
主人公はどれほどのピンチに陥っても死なない。
創作者による盤外手が飛んで来る。
盤外手により窮地を脱するのだ。
ご都合主義とも揶揄されたりもするが、その盤外の一手は必須なのだ。
だって、それがなければ死ぬのだもの。
仮に死んだとしも最終話である。
ある種そんな固定観念が植え付けられている以上、プレイヤー諸君は物語の途中を安心して傍観する事が出来る。
主人公が死んでしまえば、その物語は違う者の話になってしまうから。
いや、結論を言うならば主人公が死ねば物語は終わる。
ではラスボスはどうなのか?
これは主人公と対をなす存在である。
言い方を変えるならば主人公の影だ。
負の側面なのか、正の側面なのか、陰なのか陽なのか。
どちらにせよ、真逆の存在が望ましい。
理念が同じであったとしても、駒として動く方向は真逆でなくては物語に摩擦は生まれない。
ラスボス、黒幕、フィクサー、この際呼び名は何でもいいが。
こいつらは物語の終局まで打倒する事は出来ない。
ラスボスも最後まで生き残る必要がある。
倒してしまえば物語は終わるから。
主人公が死んでも物語が終わるし、ラスボスが死んでも物語は終わる。
なので、主人公と同じく倒せても最終話である。
どちらが原因で、どちらが結果なのかは、この際どうでもいい。
卵が先か鶏が先か? みたいなもんだ。
主人公が居るから、ラスボスが居るのか。
ラスボスが居るから、主人公が居るのか。
という下らない事を考えていたんだが。
そろそろ微睡みともおさらばのようだ。
さっきから膀胱が破裂しそうなのだ。
睡魔も強いが、今は尿意の方が勝っている。
膀胱がヒリヒリしているのだ。
何とか根性で決壊を防いでいるが、そろそろ限界だ。
膀胱というダムが決壊寸前なのだ。
尿道の3センチ先まで用水路が開放されている。
大洪水間近である。
お前が優勝だ。尿意。
お漏らしをしてもいいが、流石に……
「起きるわボケェェェェ!」
強い意志を持って俺は宣言した。
身体中チューブだらけの俺は、無理矢理チューブを引き千切り、病室を勢い良く飛び出した。
裸足で院内を駆け回る。
鬼の形相を作り、慎重に、それでいて出来得る最高速度を出す。
ハァ。ハァ。と過呼吸になる。
「クッソ! こんなとこで! 死んでたまるか!」
冷静になれ! もう用水路の決壊まで1センチ手前。
時間がない。時間は有限。
大洪水を止めるんだ!
俺はノアになるぞ!
「ノアだったら、大洪水が起こっちまってる! クッソ!」
思考が支離滅裂になっていた。
あと、3秒後には決壊する。
息を呑んだ。
男子便所のマークが目の前に飛び込んでくると。
「視えた!」
トイレに入ろうとする1人の男と眼が合った。
男は目をギョッと見開くと。
「ん? なんだ貴様!? おい! 聞こえているのか!?」
「どかんかい! ボケェェェェ! 死に晒せやァァァァァ!」
雄叫びを上げ、中指を立てながら、風音パーティーの顧問を思い切り蹴り飛ばした。
/マリア視点/
頭に浮かぶのはあの人の事ばかり。
「天内さん。いずこに」
いつも座っている席には彼の姿はなかった。
ここ1週間以上。彼の安否を知る者は居なかった。
どこに行ってしまったのか……
寂しくて胸が張り裂けそうであった。
千秋さんも上の空で、ずっと元気がなかった。
穂村さんはずっと『嘘つき! 噓つき!』と怒っていた。
ボーっとしながら澄み渡る快晴の空を見上げた。
本日は夏季休暇に入る前の終業式であった。
Dクラスのチューターが、夏季休暇に入る前の諸々の挨拶を終えると意を決したように苦い顔を作る。
「え~。最後に非常に残念なお知らせがあります」
困ったようにチューターは頬を掻くと。
「皆さんのご学友の1人が新たな旅立ちと相成りました」
ざわざわとする室内。
ヒソヒソ話す者の声が耳に入って来た。
「遂に退学か。元気でなニクブ。お前の事は忘れないよ。一か月ぐらい」
「はぁ? お前こそ退学だろ? ネットにお前の画像出回ってたぞ。厄介撮り鉄ってな! さっさと臭い飯でも食って出直してこい!」
「え? マジで?」
「マジで。お前ヤバい事になってるぞ」
天内さんの友人。なぜあんな人達と仲が良いのだろう?
甚だ疑問であったが、きっと彼にしかわからない良い所があるのだろう。
彼は非常に心が広い方だ。
オホンとチューターが咳払いすると。
「静粛に。天内くん。彼は退学処分が決定しました。以上です。では皆さんも羽目を外し過ぎないように」
「「「え!?」」」
教室内の一様が驚愕の声を上げる。
「は?」
私は耳を疑う事しか出来なかった。
「どうなっているんですの?」