明日をくれた君
/ボルカー視点/
私は早足で空港のターミナルをくぐり抜けた。
虚空に向かい投げかける。
「すぐに帰国する。計画の大幅な修正が必要だ」
『意外だな。お前が動揺とは珍しい』
「この秘匿回線も傍受される可能性がある。詳細は本国で。皇帝への煽動と着手している開戦への計画は一時停止した方が良さそうだ。それだけだ」
言うべき事だけ告げ、回線を切った。
私は、神の如く盤上を支配する何者かを恐れていた。
魔人を上回る智者の存在の影を感じ取った。
呟くワードすらも注意せねばならない。
どこで監視されているのか、どこまでが敵の術中なのか不明なのだ。
私は嫌な予感が頭を過り、その予感は見事的中していた。
この国に連れて来た帝国の暗部、幾人かのCOR配下の者の暗殺が確認された。
隠密に活動していた者達。
全員偽魔人。
最低限の実力は担保されていたはずだ。
隠密故、こちらからの連絡は最低限にしていた。
しかし、それが仇となった。
こちらから確認を取った結果、既に隠密は何者かに消されていた。
「ッ」
苛立ちから舌打ちした。
警戒せねばならない。
本国に着くまで油断は出来ない。
後手に回るのは癪であるが。
「いいだろう。今回のゲーム。その一手はお前に譲ってやろう」
何者かわからぬ影に主導権を握られているが、ここで引くのも一手だ。
再びマホロの地を踏むのは秋になるだろう。
4つの魔法学園がこの地で集結するまで待たねばならん。
それまでに帝国が周辺諸国と開戦していたと外部に漏れれば、来賓としてこの地を踏むのは困難になる。
情報統制や情報封鎖、情報偽装、フェイクニュースの流布。
これらは出来ると思っていたが、それは慢心かもしれない。
視えぬ影は想像を絶する叡智を持っている可能性がある。
慎重にならねばならない。
聖剣所持者は判明した。
聖女の所在も判明した。
最後に恐るべき智者が陰に潜んでいるのも確信した。
「それまで勝負は預けて置いてやる」
私は虚空に向かい悪態を吐いた。
地獄の穴、奈落の魑魅魍魎共を地獄の門から解き放つ機会を逃す訳にはいかない。
時間は有限なのだから。
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/3人称視点/
天内の与り知らぬ所で、一つの戦争が引き起こされないという決断が水面下で下された。
深読みし過ぎたマニアクスの1人により『待った』が掛かったのだ。
本来なら天内の知識でも知らぬ、情報統制が敷かれ多くの虐殺が影で行われるはずだった。
彼が勝手に行った事前攻略と彼が結成し知らぬ間に暴走したTDRの者達によって、世界の命運が大きく舵を取った。
明日が大きく変わった瞬間でもあった。
天内傑はある日を境に消失した。
考査戦に現れなかった彼の不戦敗が決定した。
忽然と姿を消した彼の足取りを辿る者達は結局彼を見つける事は叶わなかった。
時間だけが無情にも過ぎ、中間考査という一大イベントが幕を閉じようとしていた。
本日決勝戦が行われ、生徒会長ヴァニラの優勝という結末を迎えたのだ。
学園はこのお祭りが終わると一斉に夏季休暇に入る。
本日は後夜祭であった。
考査という緊張の糸が切れた生徒達。
様々な者が束の間の休息を満喫しようと意気揚々としていた。
この考査戦で名を上げた者達は、多くの取り巻きに囲まれチヤホヤされていた。
「もう1週間。どこ行ったんだよ」
そんな光景を傍目に千秋はソワソワしていた。
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―――時は少し遡る―――
私の名は西園寺光照。
西園寺医大の御曹司にして、次期医学学会会長の席を約束された存在。
西園寺医大の若き教授。
それが私だ!
生まれながらにして私は全てを手に入れていた。
頭脳明晰、容姿端麗、快刀乱麻。
世界最高峰の手術手技を持つ私を『神の手』と称す者は多い。
なんと言っても私の外科技術は世界一だという自負もある。
私に治せぬ患者など居ない。
外科、内科、精神科、なんでもござれである。
死に瀕した人間を延命、蘇生する事など、私にとって些事である。
老人を若者の如く健康状態に戻す事も可能。
どれほどの毒や呪いに侵されていても治癒も可能。
腕や脚が欠損していようとも再生可能だ。
「そう! 私が優秀すぎるから! 天才すぎるから! 優秀すぎるが故に」
私は37歳独身である。
優秀すぎるオスは、有象無象のメスに恐れられるのだ。
自分が劣った者であると、身に染みて感じ取るのだろう。
故に優秀すぎる私にメスは寄ってこない。
お見合いなどという古き慣習も父上に提案されているが、その全ては先方から断りが入れられるのだ。
「全く、私は何と罪作りな存在なのか」
自嘲してしまった。
私は世界中を飛び回り、多くのVIPの患者を診てきた。
明日を切り拓いてきた私。
最近は多くの戦禍をギリギリで回避してきた。
運が良かった。
災難な事にテンダール山脈爆破事件やヴィニャン諸島グール氾濫事件といった世界規模の事件に巻き込まれていたのだ。
巷で噂される魔人エネなる者。
ファントムと名乗った英雄に命を救われたのだ。
あの英雄が居なければ、多くの民は死に、そして私もここには居なかっただろう。
私はあの者の勇姿を目に焼き付けた。
どれほど世間に酷評されていようとも、私が真実を知っている。
己の為でなく、他者の為に自身が出来得る役割をこなす事。
それが何とも尊いと感じたのだ。
それまでの自分の在り方を内省し、私は分け隔てなく己が力を振るうと誓ったのだ。
「ただ美しかった」
その美しさに当てられた。
「ならばこそ……なのだ」
本日は我が母校であるオノゴロの地にて来賓として訪れていた。
世界中のVIP。
そんな彼らの不測の疾患に対応するという、なんとも私らしい仕事を請け負う為にだ。
「私に治せぬ患者はおらぬからな」
そんな私の下に、ある男が緊急搬送されてきたのだ。
以前の私なら見知らぬ一般人の治療などしなかった。
だが、今は違う。私は私の眼が見える範囲で、手の届く範囲で救える命があるのならば、助けようと、そう決心したのだ。
私に明日をくれた者が居たように、私も誰かの明日を繋ぎたいと思ったのだ。
路上の隅で蹲っていたこの男。
どうやら道端で死んでいたらしい。
死んでいたという表現は私の前では瀕死という意味に置き換わる訳だが。
「随分とひどいな。もう死んでるじゃないか……本来はな」
出血が激しく、刺殺された箇所は腐り始めている。
多くの呪詛や毒が込められた鋭利なモノで刺された痕跡。
本来なら死亡だ。助けようがない。
脈拍は止まり、死後硬直が始まっている。
「私でなければ蘇生は困難だろう。君は非常に運がいい」
その顔に見覚えがあった。
私と同じ匂いを放つような、そんな気がした。
剣術の天才が目の前に居たのだ。
「では、蘇生を開始する」