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便所で用を足していた。
「あれ。俺何してたんだっけ。ああ。トイレタイムをしていたんだっけか?」
最近物忘れが酷くて何をしていたのか、自分が何者なのかを、ふと忘れてしまう事がある。
チートを使う毎に、記憶が摩耗していく。
自分の限界を超えた力量を出す度に壊れていく感覚があった。
最初は些細な事から忘却し始めた。
昨日の飯は何を食ったんだっけ? から始まり、自分の名前、最近はつい先ほどまでやっていた事を忘れてしまう。意識してないと、記憶の泉が手の平から零れ落ちていく不思議な感覚である。
手を洗い、財布の中身を確認する。
「まずはこれだよなぁ」
金があるのか。それが重要だ。
学生証に映る俺は、イヤホンを付けながら不敵な笑みを浮かべていた。
「俺はまだ大丈夫だ」
男子寮を出ると、秋風が頬を撫でた。
空は澄み渡り清々しい気分にさせた。
大きく伸びをすると、背骨がバキバキと鳴る。
「天内、おせぇな。行くぞ。ガリノの野郎がうるさいからな」
「わりぃわりぃ。アイツおすすめの男の娘メイド喫茶インモラルで待ち合わせだろ? 全く楽しみだぜ」
「美少女を超える美少女が居るとの事だ……男だけど」
「だが……」
俺は否定を挟みつつ溜めに溜めた。
「「それがいい!!」」
俺とニクブは顔を合わせ、お互いに意思疎通を果たした。
「一周回ると男の娘が至上となるもんだ」
「ニクブ。お前は良い事言うな。男の娘という時流を逃す訳にはいかんからな!」
そんないつもの馬鹿話をしながら、俺とニクブで学園を練り歩く。
すると風音パーティー御一行が遠くの方で垣間見えた。
美少女を侍らせる彼は紛れもなく主人公。
彼の下には既にヒロインが仲間として集結している。
ニクブは恨めしそうな顔をしながら。
「風音の野郎がちょうどあそこにいるじゃねーか。無理矢理引っ張って来るか」
「うむ。アイツもそろそろ美少女ハーレムに不満だろう。新しい価値観を植え付けてやらんと、男の娘の素晴らしさを教授してやるか」
「行くぞ! 天内」
俺とニクブは風音に向かって走り出した。
俺は学園の入学式当日に転生を果たした。
ゲームのシナリオ通り学園の男子寮に入り、ニクブとガリノと仲間となった。
俺はこいつらと共にパーティーを組んだのだ。
そして早々に風音と合流し、悪友Aとして彼らを傍で見守って来た。
俺は時間を節約しながら修行もした。
時間の猶予はなかったが、敵は秋から冬にかけてしか現れない。
その間俺は独りで修行し続けた。
イベントでは主人公に花を持たせ、未熟な部分は縁の下の力持ちとして俺は活躍した。
計画は上手く動いているはずだ。
俺は夏に大きく進化した。
そこそこ戦えるようになった俺は、できるだけ単独でこの世界の攻略に精を出した。
まだ一人もマニアクスは倒せていないが。それでも十分であると言える。
確信がある。勝てると。
「勝てるはずだ」
それでも……全てを救う事な出来ない。
それを悟っていた。
わかりきった事だ。
当初の目標であった大団円のエンディング……これは不可能だ。
救う事が出来ないヒロインが居ると。
ヒロインの2人。
物語の開始時点でバッドエンドが約束された2人。
マリアはカイゼルマグスの幼体と相成っていた。
対処が可能な内に殺害するしかない。
あれを顕現させれば、太刀打ちできなくなってしまう。
だから切り捨てる事にした。
風音の切り札である聖剣を破壊する役目を持った穂村小町。
彼女を救済できると、いや、できたと思っていた。
結局、彼女の蛮行を止める事は出来ず、聖剣はまんまと破壊された。
既に引き返せないほど精神汚染を受けていた彼女は自害した。
最善の結末を辿る為に、既にヒロイン2人はこの世から消えた。
失敗した……要は無理なのだ。
二兎を追う者は一兎をも得ずってやつ。
結局全てのルートを同時攻略など土台無理だと。
傲慢なのだ。全部手に入れる事など不可能だ。
何かを得るには代償が必要だ。
だからこの世界の人々を救うという大義にシフトした。
大を救うために小を切り捨てる作業。
大義を見失ってはいけない。
結果として多くの命が救われる。
最も合理的で最短距離のルートを歩むために仕方のない事だ。
そう自分に言い聞かせた。
だから俺は見知らぬモブ達を見捨てた。
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対峙するのは狂気。
狂気の化身が天に浮いていた。
俺と風音の2人を見下ろすように終末の騎士が嗤っている。
奴の権能の真骨頂は精神支配、精神汚染、精神錯乱にある。
魔法も精神魔法特化型。
ヒロイン勢は既に脱落している。
否、ヒロイン勢に手を掛けたのは俺達だ。
全員敵となり俺達の前に立ちはだかったから。
「ッ!」
舌打ちする事しか出来ない。
「レベル上げが足らなかったか……それとも」
勝利のピースが欠けていたのかもしれない。
どこで見誤った!?
辺りは血みどろ。多くの民が目を血走らせ踊り狂っていた。
殺して殺して殺し尽くす。
同族同士の共食い。
人間の悪性、狂気を最大限までに引き出した凄惨な景色。
人間が最も野蛮な生命であると実感してしまうほどに。
騎士達は断末魔に叫ぶ無辜の民を弾圧する。
いいや違う……皆殺しにする光景。
「地獄か」
この世界は破滅に向かい始める。
その序章が幕開けようとしていた。
風音ボソリと。
「あれが、元凶」
「ああ。あれを解き放てば……この世界は終わりだ。ここで何としてでも打つぞ」
四騎士は目の前の狂乱者を入れて残り3騎。
今にして痛感した。
足らなかった。力が、と。
この場を切り抜ける手段。
あるにはある。
俺の全身全霊を賭けて狂乱者を限界まで削る。
引き換えは俺の"死"だろう。
それでもアイツを倒すには一歩及ばない。
俺は肩をすくめた。
「風音。あとは任せてもいいか?」
しばしの沈黙の後。
全てを悟ったのか、彼は一言だけ頷くと。
「……そうか」
「話が早くて助かる。アイツらもまだ死んではいない。まだ助かる。狂気の騎士を倒せばな」
瀕死の重傷を負うシステリッサや南朋に目をやり、宙に浮かぶ狂乱者を見上げた。
「本当かい!?」
「俺を信じろ。だから……トドメを頼んだぞ」
俺は友の肩を小突くと。
―――臨界点突破―――
脳みそが漂白されていく。
意識が崩壊していく。
俺は自分の命を全て魔力という純粋無垢なエネルギーに変換した。
「……武運を祈る」
隣の誰だったか優男は俺の方を向くと、そう語り掛けた。
「任せとけ。まぁ見とけよ。宵越しの銭は持たない主義でな。なに、ここで使い切って帰るさ」
魔法という概念の弾丸を込める。
己の持ちうる全てをここに懸ける。
必殺の自滅技。
生命の源を弾丸に込めた。
それでも足らない。
だから、こいつに託す事にしたんだ。