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ランとの思い出

 平仮名でらん、と書くのか、片仮名でラン、と書くのか、漢字で蘭、と書くのか、明確に決めてはいなかった。


 けれども、生後1ヶ月で我が家にやってきたモルモットのことは「らん」と呼んでいた。ここでは分かりやすく、片仮名で表記する。




 確か、何も用事はなかった。遠出の帰り道、動物に癒されるためだったか、私達家族はペットショップに寄った。


 そこはでかい店ではなく、こじんまりとした、それとなく汚いような雰囲気のペットショップで、そこにランはいた。




 母は昔、モルモットを飼っていたそうだ。名前はランマルと言い、非常に可愛がってあげたという。それ以上の詳しいことは知らないが、ランマルのことが忘れられず、母は1匹のモルモットに目を惹かれていた。




 片手で収まってしまうサイズの、メスのモルモットだった。正確な誕生日は分かっていないが、およそ生後1ヶ月。白と茶と黒の模様で、毛並みはふわふわで、ぬいぐるみに近い。


 母は飼いたがっていた。私は、母が飼いたいのなら飼おう、と後押しをした。別に私は飼いたいと強く思ってた記憶はない。母がそうしたいたらすればいい、と、いつものように思っていつものように後押しをしただけだ。




 そしたら、それ程時間は要らずに飼うことが決まった。必要なものを買い揃え、ランは小さな段ボール箱に入れてもらい、私達家族は家に連れて帰った。名前は、ランマルから取って、ラン、と名付けた。




 家に帰ってきてから、ランは落ち着かない様子だった。当たり前だ。突然知らない場所に来て、知らない人間に見下ろされ、これで落ち着いていれられる動物がどこにいるというのか。人間でさえ無理だ。




 強引に抱っこをする母。それをすぐ側で見つめる私。弟は触りたがっていたが、触れずに断念した。2016年、10月のことだった。







 それから私達家族はランと少しずつ仲良くなっていく。餌を手で与えてみたり、母特有の強引さで抱っこを繰り返してみたり。


 案の定、一番最初に懐いたのは母だった。とはいえ、抱っこされる時には思い切り鳴くし、何されても大人しい程懐いた、ということは無い。




 それでも私も弟も、少しずつ仲良くなれた。父とはとある事情で別居しており、父のほうでもモルモットを飼い始めていた。そのモルモットの元へ、ランと母と弟は遊びに行くことがあった。


 私は一度だけ行ったことがあるが、ランと相手は鬼ごっこをしていた。時々カーテンをかじっていて、その時は慌てて止めにいった。気付けばそこら辺でトイレを済ませていた。皆困らされたが、心底嫌がってはいなかった。





 気付けば、ランは妊娠していた。軽くお腹が出ていることに気付き、太っているのかと何度か疑ったが、大きくなり続けるお腹を見て妊娠を確信した。


 ランは1歳を超えていた。人間では、高齢出産に当たると言われた。お腹の子が無事に産まれてくるか、母のラン共々亡くなってしまうか、二択だとも言われた。





 私と母は、日々重くなっていくお腹を見て不安になりながらも見守っていた。もしかしたら夜中に出産するかもしれないし、学校や仕事に行っている日中に出産するかもしれない。


 無事に産まれてくればそれで良いが、見てないうちに出産して、母子ともに死んでしまったら余りにも悲しい。できるなら見ていられる環境で出産してほしかった。


 それが負担になるかもしれなかったが、何かあれば何かしてあげられる場面で、と密かに願っていた。





 そしてある日の夜だった。すっかり大きくなったお腹を持つランは、鳴きだした。母も私も、ランが子どもを産むのだと分かった。苦しそうな鳴き声を、私は少し離れて聞いていた。


「出産する苦しみが分かるから聞いていて辛い」と母は言い、すぐ側でじっとランのことを見ていた。ランは高齢出産にも関わらず、5匹を産んでくれた。


 ただし、3匹は元気だったが2匹は死産だった。仕方ないと思う。皆が無事に産まれてくれれば、それに越したことはないが、母が元気で、子も3匹元気に産んでくれた。それだけで十分だと私は思った。





 死産した2匹は近場に埋葬した。色はあまり覚えていないが、学校から帰ってきて見かけた1匹は、とても真っ黒だった気がする。


 そして元気な3匹は、お母さん譲りの白と茶と黒。1匹のオスは茶色の割合が多く、スダチと名付けた。1匹のメスは白い割合が多く、ユズと名付けた。1匹のメスは黒い割合が多く、ミカンと名付けた。


 産まれたては3匹みんなが手の中にすっぽり収まってしまうくらいの小ささだった。自由奔放に歩き回るお母さんのことを必死に追いかけて、なんとか乳を飲んで元気に育ってくれた。





 約1ヶ月ほど経って、茶の濃いオスは父に引き取られることになった。オスが居てはまた誰かが妊娠してしまう。経済的にもこれ以上モルモットを飼う余裕は無かったので、メスだけを我が家に残すことになった。




 スダチとの別れのとき、家族みな抱っこをして別れを告げた。短い期間であまり一緒にいられなかったとはいえ、涙もろい私は母にバレないように、スダチに別れを告げると泣いていた。大きくなれよ、元気になれよ、と口に出す度、溢れ出る涙を誤魔化して、父の元へ、母に連れて行ってもらった。




 ユズとミカンは、順調に育っていった。とにかくお母さんのことが大好きで、お母さんが歩き回れば後ろをぴったり着いていくし、家に入れば皆家に入ろうとしてランに怒られていた。家に3匹は少し狭かったようだ。




 ただ、ユズはミカンやランと比べてかなり臆病者で、とにかく運がないというか、怪我をしやすかった。足を引っ掛けて怪我をし、左目は白内障になってしまい、そして臆病のためか否か高いところに上ったり下りたりは滅多にしなかった。


 それでも今では、ご飯の音がすれば真っ先に家を出てくる食いしん坊の可愛い女の子になったものだ。





 私はモルモットとの日々を日記につけていたわけではない。可愛い仕草があれば動画を撮っておけば良かったと後悔して、寝ている姿や食べている姿を写真に収めて、母と一緒に体を洗ったり爪を切ったり、撫でようとして逃げられたり、抱っこしようとして物凄い勢いで家の中に逃げられたりしたことはとても記憶にある。



 しかし私は記憶力が壊滅的にない。昨晩の夕飯は即答できないし、今朝食べたものも即答できない。少し考えれば思い出せることはあるが、思い出せないこともある。


 それくらい私は記憶力がないので、たった一度きりの何かがあったとしても、私は今それを覚えてはいない。そして、こうして文章に綴っている間にも、何かの思い出が薄れていっている気がして恐ろしい。





 とにかく、ランとの思い出はそういうわけで目立って無い。母が時々散歩に連れていってくれて、草の中に埋もれているランの写真を貰ったときは思わずツイッターのアイコンにした。草の中に埋もれているランの姿は最高に可愛かった。写真を撮った母にも最高にナイスと言いたい。未だに言っていないが。



 後は何もない。大変申し訳ないが、本当にない。いつも家の中か上でぐでぇっと潰れていて(リラックスしているだけだ)皮だか肉だかが家の縁からはみ出して少し落ちていて、ご飯をむしゃむしゃとよく食べて「キャベツをくれ」と家の上で大鳴きして、水を飲んで顎下を濡らし、顎下と言えば、ランは顎下を撫でると上を向いてくれた。



 顎下を撫でられるのが好きだったのかはよく分からないが、私はそれに応えて顎下をよく撫でた。時々見せる気持ち良さそうな表情は覚えている。上を向いて目を細める。人間から見た感想なので、実際どう思っていたのかは分からない、が。




 ゲージの掃除をする時、ゲージの外に出してやると、ランを先頭にユズとミカンも、とにかく歩き回った。あちこち齧りやがって、母と私で全力で阻止した。そして歩き回って疲れると3匹仲良くぐでぇっと潰れた。


 時間が経つとまたランを皮切りに歩き出した。放っておけば何処へでも行っただろうが、流石に一定区間だけで部屋を歩きまわらせていた。




 わざと顔をドアップで写真に撮ることもあった。今までじっとしていたのに、シャッターボタンを押した瞬間にだけ動いてブレることも多々あった。冬には動物用ヒーターの上でリラックスしている様子があった。



 最近は、抱っこもあまり嫌がらなかった。多少鳴くが、抱っこすればすぐに大人しくなるし、撫でるのを止めるとこちらの顔を見て鼻を動かす。


 あまり撫ですぎると手を鼻で追いやられ、離せ離せと暴れ逃げ出すので、程々にしなければならない。何事もだ。






 2019年9月。ランが熱中症になってしまった。原因は事細かに話さないが、ぐったりしてしまい、すぐに倒れてしまうと母に言われた。


 私はその場にいることはできなかったが、なんとか持ち直してくれた。でも完全な回復には至らず、食欲は無くなり水も飲まなくなり、元気に歩くこともなくなった。母は、ランを病院に連れていった。




 お医者さんはとても親切で親しみやすい人だったらしい。そして「とても大切に飼われてるんですね」「人間を信頼しすぎてる」と言われたらしい。


 信頼しすぎてるというのは動物的にどうかと思うが、飼ってる人間からしたら非常に嬉しい褒め言葉だ。そして診断結果は、胃腸が弱っていた、とのこと。朝晩飲む薬を貰い、ランは少しだけ回復した。水飲んだり野菜を食べたりするようになった。




 このまま順調に回復することを母は勿論、私も祈っていた。また前のように大鳴きしたりぐでぇっと潰れたりキャベツを食べたりご飯を食べて水を飲んでゲージの外で走り回って、ってしてくれることを祈っていた。




 けれどランは、すぐに肺炎にかかってしまった。鳴いているような、でもいつもより静かで間隔が狭くて少し低い音。それに母は気付き、病院に連れていってくれた。


 お医者さんは、薬が肺に入ってしまったのだろうと言い、酷くなれば入院、とも言ったそう。ひとまずランは家に帰ってきて、ユズとミカンと隔離された。


 私は学校で、それを母から電話で聞き、帰ってみると確かに元気は無かった。みるからに弱っており、苦しそうな呼吸音も耳にできた。





 でも薬を貰った。これ以上酷くなれば入院とは言っても、これ以上酷くなることは考えなかったし、きっと薬で元気になると私は思っていた。



 あぁそういえば、この時には既に、ランの元気な鳴き声を、しばらく耳にしていなかったな。




 肺炎になってしまってからランは、元気になる様子はなかった。常に苦しそうな呼吸をし、学校行く前も帰ってきてからもバイトの前もバイト終わってからも、寝る前も起きた後も、ずっと苦しそうに呼吸をしていた。


 お腹の辺りを大きく動かし、必死に呼吸しようとしていた。私は、寝ている間に死んでしまうのじゃないかと脳裏をよぎって、寝ることを躊躇った。


 起きたとき、学校から帰ってきたとき、どんなに苦しそうでも生きていてくれることに非常に安堵した。






 2019年10月5日。家族で出かけた。朝から夕方まで出かけて、父とは途中で解散した。家に帰ってきて、私は真っ先にランの様子を見た。顔は見せてくれなかったけど、呼吸をしているのが確認できて安堵した。


 そして私がその場を離れた後、母はランの顔を見て驚いていた。白い目ヤニが右目を覆い尽くしていた。そっとティッシュで拭いてあげていた。痛そうだったが抵抗もなく目ヤニは拭き取られた。




 私は、現実逃避するかのように自室でスマホを弄った。ツイッターを開き、漫画を読み、ゲームをした。


 そうして1時間だか、2時間だか経ったとき、弟が「ママが呼んでいる」と呼びにきた。私が母の元へいくと、既に泣き腫らした目をしており、ランが死んでしまったのかと怖くなった。


 ところが、母に抱かれて撫でられているランを見ると動いていた。しかしその動きは普通ではなく、痙攣に近く思えた。呼吸がままならないのだろうと思う。とにかく苦しくて必死に息を吸って必死に息を吐いて少しでも楽になりたいのだろうと思う。


 体はビクンビクンと跳ね上がり、その度に苦しそうな呻き声が聞こえ、母は「苦しいね」と声をかけながら体をゆっくり撫でていた。




 私は少し撫でてから、後撫でるのは母に任せ、隣でじっとランの様子を見ていた。苦しそうに呼吸をしながら、跳ね上がっていた体は時間が経つと様子を変えた。


 何度か捻るように体を起こして倒れるようになった。

 うずくまるように震えるようになった。

 呻き声が一層酷くなって、母のお腹の上で全身を伸ばした。

 白い目ヤニが左目を一瞬にして覆ったのを見た。

 母はティッシュでそれを優しく拭った。

 ランは何度も苦しそうに呻いて、体を震わせ、それからゆっくりと呼吸を小さくしていった。

 大きかった呼吸音は聞こえなくなり、跳ね上がらせていた体はピクリとも動かなくなった。



 ランは、そうして亡くなった。



 2019年10月5日の18時40分頃。明確な時間は見ていないので分からない。ランの体勢をそのままに母は撫で、少しすると私に抱かせてくれた。


 持ち上げるとき、ランは動かなかった。腕の中に収めたとき、ランは動かなかった。どこを撫でてもランは動かなかった。


 顎下を撫でても、顔を上にはむけてはくれない。お腹辺りを撫でても嫌がる素振りを見せない。突然顔の横を撫でても驚く反応はしない。私が動いても、ランはもう、私に目を向けてはくれない。




 当たり前だと分かっていた。ランは亡くなった。目の前で見ていた。動かないのなんて当たり前だけど、でも、私が鼻をかむのに手を動かすと、ランが驚いて動いたような感覚が腕の中にあった。こっちを見上げて「何してるの」と問いてくるような動きがあったような気がした。それなのにランはずっと体制を変えてはいなかった。




 信じられなかったし信じたくなかった。頭では亡くなってしまったことはわかってる。でも、少しずつ冷えていく体を認められなかった。ティッシュに伸ばした手を戻す度に体温が下がっていくのが認められなかった。


 私は全身を撫で、座ったままランに覆いかぶさるようにランの体を包んだ。冷えていく体がどうしても認められなくて、とにかく温めたくて、温めたらまた動いてくれそうな気がして、どうしようもなかった。





 母共々号泣し、ランは箱に入れてあげた。その時にはすっかり体は固くなっていた。目の周りは濡れてカピカピの毛並みで。初めて触った耳の後ろは思ったよりも深くて。モルモットのオシッコの匂いがずっとしていた。





 私はそんな状況で、これを書くことを決めた。公開はするが、これは誰にあてるわけでもない。記憶力のない私が、ランのことを覚えておくために綴った文章だ。ランと過ごした日々の1割だって書けてなんかいないけど、ほんの僅かでもランのことを覚えていられるように、私はこうして文章を書いた。




 きっとこの文章は恐ろしく拙い。そしてきっと、矛盾した言葉やおかしな表現がそこら中に散らばっている。それでも私はいい。気持ちが落ち着いたら多少手直しはするが、これ以上ランのことを忘れる前に、最後に触った温もりと、感覚を忘れる前に、私はこうして文章を綴る。







 ゲージの中が、2匹だけになってしまった。3匹のときは狭そうだったのに、今ではなんだか広そうだよ。



 できるなら、もっと長生きしてほしかった、けど。もう苦しまなくていいんだ、良かった、と同時に思う。



 今では、何をしても私に目を向けてはくれないし、何をしても反応して動いてはくれない。数日経てばきっと慣れてしまうようなことも、今はどうしようもなく辛くて、悲しくて、寂しい。




 どうか、安らかに眠ってほしい。天国でまた元気に走り回ってほしい。たくさん食べてたくさん飲んで、大声で鳴いてほしい。もうランのそんな姿を見ることはできないけれど、私の願い。




 ラン。今まで、母親として、ペットとして、家族として、一緒にいてくれてありがとう。信用してくれてありがとう。最期に苦しい思いをさせてごめんね。もう苦しまなくていいから、ゆっくり眠ってください。


 お疲れさま、おやすみなさい。大好きだよ。

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