第四話 新しい教科
我が家に宿敵が姿を現してから一月が経った。あれから私たち家族は家中の塵やいらない物などを全て処分し、冷蔵庫の中身の整理整頓なんかもして徹底的に奴らが棲めない環境を作っていった。
他にも、奴らには『一匹いたら一〇〇匹いると思え』という言い伝えがあるらしく、今回の騒動から専門の業者まで呼ぶ事に。結果は冷蔵庫と床の隙間、電子機器の内側、物置の中からもそいつらを発見。直ちに駆除をしてもらった。
◇◇◇
今日も今日とて勉強のお時間だ。本日の教科は今までやってきた英語の続き……ではなく、新しく算数というものに手をつけたいと思う。英語ばかりしていたせいで少し飽きが芽を出し始めたのが理由だとか、そういう訳では決してない。
ちなみにだけれど、算数というのは、この日本という国の小学校という教育機関に於ける教科の一つであり、広くでは日本のみならず、各国の初等教育の一分野も共に指すらしい。つまり、数という感覚的に用いていた概念を明確にして、損得勘定などの論理的思考を培うための勉学、その入口が算数という事だ。どういうものなのか言葉だけでは全く想像がつかないけれど、何事も挑戦という事で早速やってみよう。
それから一時間、事前に購入してもらっていた算数のドリルを解いていた私は、気でも狂ったのかと心配されてしまう程に高揚していた。何故かって? このドリルを進めるのが純粋に楽しいからだよ。
まずは始めに書いてあった説明などを読んでからの一問目『1+2=?』。確か、+という文字は足すと読み、加えるという意味があると書いてあった。つまり、この式は一に二を加えろと言っているのだろう。となると、この問題の答えは一より二つ大きい数、即ち『3』だ。そうして確認のため、答えの書かれている冊子の頁を捲って中を覗く。よかった、どうやら合っていたみたいだ。答えに至るまでの考え方も正しかったようで、この調子なら恙無く進めていけそうだ。
そうして、続く減法、二桁の加法減法、加法と減法の組み合わせなどなど。着々とドリルの問題を熟していき、今に至る。
私が今解いているこのドリルだが、実は小学一年生の範囲までしか掲載されていない。だから、後一時間と少しも経てば全ての問題を解き切ってしまいそうなのだ。まあ、今日一日でいいリフレッシュにもなったし、またしばらくは英語に取り組む形でもいいかも。けど、またすぐに算数をしたくなると思うし、数年後のためにも定期的に学んでおきたいし、小学校の範囲の分は全部買っておいてもらおうかな。その先はまた今度考えよう。
そして、勉強を始めてから約二時間が経過。無事、算数ドリルを一冊解き終えた。小学一年生の範囲で大体二時間となると、学年が上がるに連れて今後はもっと難しくなると思うし、さらに時間が掛かると予想される。今日が初めてで慣れてなかったというのもあるのかも知れないけれど、慣れたからといって筆記速度が向上するのかと問われれば口を噤んでしまう。多少は変わるだろうけれど、まあその程度。しかし、それと同時に、通常一年で修学するはずの範囲をたった数時間で自分のものにできると考えれば、そこまで悪い事でもなさそうにも思える。私、結構記憶力には自信があるからね。それに、基本は気分転換としてドリルを進めるという事も考慮して、これからは週に一度程の頻度で進めていければいいかな。よし、これからも頑張るぞー、おー!
◇◇◇
「ん……っ」
初めて算数に手を出してから二週間後、私は丁度、英語のドリルの八冊目と算数のドリルの四冊目を終わらせたところだった。
算数の物と一緒に買ってもらった英語のドリルだけれど、家庭教師が来る時は基本的にリスニングや発音の練習が主となっている。だから、こうして先生が来ていない時にぼちぼちと進めて単語の綴りや文法を学んでいる、という訳だ。日本語との違いが大きいけれど、まだ日本語という言語に染まり切っていないからか、現在のところは問題なく頭に入ってきているし、会話も然程難しくは感じていない。
それと、私が買ってもらったドリルは一冊で一学年で学ぶ分の範囲が掲載されているのだが、つい先日、全ての問題を解き終わって中身ももう暗記した英語のドリルが六冊を超えてしまい、そのまま中学校の範囲へと突入してしまった。
どうという訳でもないけれど、七冊目は小学校の範囲のまとめや復習といったものだけで、無意味とは言わないけれど、やっぱりやり甲斐というものが感じられない。そんな中での今回学んだ新しい単語、文法は退屈凌ぎには丁度よかった。そのせいか、算数のドリルが一冊あたり二時間と少し掛かるのに対し、先程にやった八冊目の英語のドリルは一時間程度で終わらせてしまった。このペースだと英語が続けられる時間も短くなっていくと思うから、また新たに気分転換を兼ねられる教科を探したいな。
という訳で、今日は予めあるものを用意してきた。それは、英語と算数以外の五つの教科が書かれたルーレット。これを回して英語の代わりにこれから学んでいく教科を決めるのだ。国語、社会、理科などなど。ドリルでは小中の範囲までしかやらないから、理科で言えば生物基礎や化学基礎といった、高校の範囲以降の問題集などの購入はまだ見送らせてもらうけれど。まずは知識の基盤を固めておかないとだからね。じゃあ、早速そのルーレットを回していく事とする。
「ルーレット開始っと」
お母さんに借りた携帯の画面を指先でぽちっと優しくタップする。すれば、画面に映し出されていた円盤が時計回りに回り始め、抽選を開始した。どぅるるるというドラムロールが空気を伝い、耳許で囁く。優しいようでいて確かに鼓膜を震わせているそれは、一〇秒もすればシンバルの甲高い響きと共にさっぱりと途切れた。回転していた円盤はそれに伴ってその勢いを弱め、いつしか完全に静止してしまう。中央の赤い針が示すその先、そこには理科という二文字が何を言うでもなくうっそりと佇んでいた。英語の代わりに学ぶ教科は理科に決定されたのだ。
ルーレットに追加する前に小中学校にて学ぶ教科について少し調べてみたのだが、どうやら理科というのは、主に学校教育上での自然界の事物や現象といったものを学ぶ科目についてを指すらしい。つまり、この世界の絶対のルールを探究し、それを発見、技術として確立、体系化し、私たちの生活に組み込んでいく、その前段階として未来を担う者たちが学ぶのが、この理科という教科なのだろう。義務教育の期間に学ぶという事は、社会常識を育むためという意味もありそうだ。というより、将来科学関係者に就く人がどれだけいるのかと考えると、そちらの側面の方が強いと言えるだろう。
私はまだ将来の事なんてこれっぽっちも決めてはいないけれど、だからこそ、色々な知識を自分の中に留めて、色々な技術を自分のものにしてから選択したい。できるだけ自分の可能性というものに期待して生を謳歌したいし、楽しくなければこの世界に生を受けた意味なんてものは見出せない。私は、私の生きる意味、その答えをただ真っ直ぐに、実直に、追い掛け続けて生きていたい。
まだ産まれてから三ヶ月半程度しか物を知らない赤子だけれど、そんな私の決めた人生の道筋はこうだ。だから、生きていてよかったって、誰かと笑い合えるように。山あり谷ありだったけど、やっぱり楽しかったって、産まれてきてよかったって、ありがとうって、誰かに感謝を伝えられるように。そうして、一欠片の悔いすらも残さないで終わりを迎えられるように、私は自分にできる事にただ全力で向き合っていきたい。この先の道にどんな出来事があったって、それだけは変わらず心に仕舞っておきたい。それが、私である、私であったという、ただ一つの証明だから。
だから、私はこうして、今からでも勉学に励むのだ。普通だったらまだ口も利けないただの緑児。けれど、私はもう会話だって読み書きだってできて、二つの言語をほとんど同じだけのレベルで扱えている。ただの赤ちゃんじゃないんだ。そう産まれたからには、私はやるべき事をしっかりとやり、この、他にはない才を余す事なく使って、他の誰かに貢献する義務があるのだ。その人がただの凡人かも知れなくても、秀でた才能を有した逸材かも知れなくても、それが例え、凶悪な犯罪者であったとしても、私は誰かのためになれるような人間にならなくてはならないのだと、そう考えている。
情けは人のためならず。そんな諺があるように、それは別に誰かのためにしよう、してあげようとか、そういう訳じゃない。私がこう産まれたからにはしなくてはいけないという、ただそれだけの事だ。その時になって真に私はやりたいと思っているかも知れないし、本当はやりたくはないのかも知れない。けれど、そんなのは関係ないのだ。私に課されただけの、ただの宿命なのだから。
ぐ〜。さて、もう少し勉強しようかな、と意気込みを入れようとしたところで、広いリビングのその中心、低い椅子に腰掛けていた私の奥底から、悪魔の鳴き声にも似たそんな響きが現在の時刻を報せようと鐘を鳴らす。それに釣られて時計を一瞥。時刻は只今一二と二〇、お昼の時間だ。とても長い時間頭を使った上、お父さんやお母さんと違って私は夜までにはちゃんと寝ていて夜食なんてもの口にしないから、こうして正常な時間にお腹が空く。それが悪いという訳ではないけれど、私のやる気が無駄になってしまったのはなんだか癪だ。
「お母さ〜ん」
「はいはい。さっちゃん頑張ってたものね」
私の後ろでソファに腰掛け、寛ぎながらテレビを眺める母に呼び掛ける。すると、彼女は私の頭をよしよしと優しげに撫でては、軽々と私を持ち上げてキッチン近くの高い椅子へと座らせた。
生後四ヶ月弱の私だが、実は既に離乳食というものに手をつけている。ミルクの味に耐えられずにお母さんに別の物がいいと駄々を捏ねたところ、離乳食と呼ばれるものの一つを与えられた。味はまちまちだが粉ミルクよりかはましだという事で、つい一週間程前から食べ始める事となったのだ。
お父さんがいつもお母さんの作った料理をおいしそうに食べるので、私も早く成長してお母さんの料理を食べるのを夢に見ている。本当に羨ましいと妬むくらいにはおいしそうに食べるのだ、あの人は。
除菌シートで手なんかを拭かれ、ご飯と共にスプーンが目の前に置かれる。さて、今日のご飯はなんだろうな。
修正 2022/04/03
誤字修正
修正 2022/05/26
文章の一部修正
修正 2022/10/29
誤字修正
修正 2023/11/19
本文の大幅修正
修正 2025/03/12
誤字修正