夢の勿忘草(ワスレナグサ)
家紋 武範様の【夢幻企画】参加作品です。
目覚めた筈である。その証拠に自分の身体感覚は確かに有る。有るのだが、目覚めた実感は、無い。
したたかに飲み、酩酊しながら床に入った記憶は有る。だが目覚めた場所は草原の只中。おまけに夕闇である。
(……最後のチューハイが悪かったか? ……確か、ドラッグストアのオリジナルブランドだよな……あれ)
酒癖は決して悪くないのだが、頬に当たるちくちくとした下草の感触に、酔ったまま歩いて公園にでも来たのか、と少しだけ飲み過ぎた事を後悔した後、先ずは現状を把握しようと気持ちを入れ換えた。
幸いな事に衣服は身に付けている。上着も……何だこれ、見た事も無い革のチョッキ……か? ズボンに……ブーツ……ブーツ? 持ってないモノばかりだな。やはりスマホも持って無い。
顔に手を当ててみると、眼鏡は無かった。しかし、視野に不自由は無い。妙なものだなぁ、コンタクトレンズ無しで、この視力は有り得ないんだが……夢なら、有り得るが。
立ち上がって周囲を見回すと、夕闇に包まれた草原の周囲に人工物は見当たらない。一瞬、河川敷かと考えてみるが、それにしては広過ぎる。
とにかく歩いてみよう。高台か何か有れば遠くまで見通せる筈だ。そう思い立ち、草原の起伏を見ながら緩やかな斜面を登ってみる。運動不足の身体にはきつい行程だろうが、足取りは軽い。でも油断は禁物だ。筋肉痛で仕事を休むなんて……仕事? はて、何の仕事だったろうか……。
規則的に足を運びながら、頭の中で仕事について考えてみるが、ぽっかりと空いた記憶は甦らない。掌に視線を落としてみるが、何も思い浮かばない。
気付けば足を止めて考え込んでいたのだろう、何だか馬鹿馬鹿しくなり視線を前に移したが、唐突に人の気配を察して後ろに振り向いた。
「もう! 何でそんなにサッサと歩いちゃうんですか? 置いてかないでくださいよ……」
まるで地から湧き出したかのように現れた少女は、俺に向かってそう訴えると憤りを隠さぬままプンスカと肩を怒らせながら歩き始め、不意に足を止めると振り返り、
「……で、今まで何処に行ってらしたんです?」
と、こちらを窺うように尋ねてきた。金色の髪は癖っ毛であちこち跳ねているが、ふわふわと柔らかそうである。整った顔立ちは柔和そのものでこちらの警戒心を一切掻き立てず、突如現れた事も気にならない。この訳の判らない状況を説明する様子は一切無いが、まあ、こんな道連れが居るなら……悪くないか。
「何処……さあ、判らないんだが……」
しかし、こちらとて尋ねられても戸惑ってしまう。見知った標識も、いや電信柱やガードレールといった人工物さえ見当たらないんだから、正直に言うしかない。すると、彼女はやれやれと言いたげに眼を閉ざしてから溜め息を吐き、
「はあ、そうですか……ま、いずれ判る事ですから、今回は大目に見ましょう。さ、行きますよ」
そう告げるとずんずんと先に立ち速度を上げて歩き出した。
まだ話し足りないよと言いたかったが、草原の只中にぽつんと現れた銀色の小屋に向かって進んでいるようだったので、到着するまで黙って付いていく事にした。
その小屋はジュラルミン製なのか、表面に波状の凹凸が刻まれた四角い箱のように見え、良く似た小型の貸し倉庫を想起させられる。しかし、それよりも遥かに大きな長方形の小屋は、近付くとやはり扉のような閂が有り、近付いた彼女は手を伸ばして閂を暫くガチャガチャと揺らした後、小さな筒を宛がって動きを止めた瞬間、
「……あちっ!! ……あー、熱かった……」
慌てて叫びながら手を離すと、ヤケドを冷ます為に指先を振り回しながらこちらに振り返り、
「びっくりしました? これ、あんまり簡単に開かないんですよね」
そう言うと閂がガチャンと音を立てて落ち、軋む音を立てながらこちらに向かって扉が開く。近寄って彼女の脇に立ち中を覗き込むと、長く封じられ淀んだ空気が漂う中、倉庫の暗がりに何かが鎮座していた。
「……うん、大丈夫そう。たぶん動くと思うけど……」
そう呟きながら何かに近付く彼女の着衣が、肌に密着するタイプの革のスーツに似ているな、と思った瞬間、倉庫の中に低く唸るようなドスの効いた連続的な破裂音が炸裂した。
…… ぱ ど っ 、ば ば ば ば ば っ ! !
耳をふさぎたくなるような轟音から一転、次第に間隔が空くとどぅん、どんどんどんどん……と、まるで心臓が脈打つ緩やかさまで落ち着き、それがガソリンエンジンを搭載した乗り物が発する排気音だと理解した時、暗がりからゆっくりとその物体が姿を現した。
ぬらり、と艶かな光沢を帯びた外装の表面は黒一色。部分部分に猛禽類を彷彿とさせるカウリングが施された箇所以外は、無機質で武骨な機械部分が剥き出しだったが、錆や油汚れは一切見当たらない。大きなホイールとタイヤが目に付き、一見するとバイクに見えなくも無いが、狭い間隔で左右対称に二輪が並んで装着されていて、異質で車高の高い変形四輪なのだと判った。
「さ、乗ってください。それとも……やっぱり、私とじゃあ、嫌ですか?」
その背丈に似合わぬ高い乗車位置から声を掛けられ、ほんの少しだけ考えた後、幾つかの突起に手を掛け足場にし、何とかよじ登って彼女の後ろまで辿り着き、
「……嫌か、だって? そんな訳無いだろう」
そう告げてはみたものの、果たして彼女に抱き付いて乗るべきなのかと悩んでいると、ふわりと髪を舞わせながら振り向いた彼女は、
「そ、そうですか! あ、んと……すいません……興奮しちゃって、ごめんなさい……」
陽向の軽やかな芳香に似た匂いを髪から漂わせ、頬を赤らめてから前を向き、顔を伏せた。そんな姿がいじましく感じ、つい何も言わず後ろから優しく抱き締めて、
「こちらこそ、どうしていいか判らないから……色々と教えてほしいな」
と、囁いてみた。すると頭頂部からぴょこ、と茶色い耳が飛び出し、ふわわとうなじ辺りの毛が逆立った後、
「ふあわぁっ!? ここここちらこそよろしくですっ!!」
ピン、と背筋を真っ直ぐにしながら勢い良く振り向いたので、互いのこめかみを派手にぶつけ合い悶絶してしまった……。
その後、彼女の細い背中から身を離し、僅かに付き出した把手を握り締めると少しだけ残念そうな彼女が乗り物を発進させ、草原の緩やかな起伏を乗り越えながら走り出した。
排気量の大きなエンジン特有の、脈動に似たパルスを股の下に感じながら、草原を暫く走ると地面は締まった土へと変わり、更に進むと古びて荒れた舗装路に出た。
暫く走り続けると、前に廃墟が見えてきた。夢の中とはいえ、細かい質感といい現実感を帯びた崩壊度合だ。いや……果たしてこれは、本当に夢なのか?
「すっかり宵闇ですし、今夜はこの場所で野宿しましょう」
ライトの明かりを頼りに進んできたせいか、彼女の疲労が目に見えて感じられた。肌を撫でる風も冷たさを増してきたので、彼女の提案に俺は素直に応じたけれど……野宿? 廃墟の中はどうなっているのだろう。まさか……恐ろしい何かが潜んでいやしないだろうか。
崩れた廃墟、と言えば鉄筋が剥き出しになった建物を想像したが、内部は案外崩壊しておらず、僅かな埃が積もっているだけだった。
乗り物から肩に掛ける形のカバンを持ち出した彼女は、手に持った小さなライトを提げて入り口を覗き込み、暫く内側の様子を窺ってから振り向き、
「……先客は居ないみたいです。さ、中に行きましょう」
と促され、先客……? と少し気になったが、取り敢えず中へと進んだ。
……どうやら、まだ各所の設備は生きているようで、水道と電気は使えるみたいだ。少々驚いたが、廃墟と言っても人が住まなくなり手入れされなくなっただけか、埃が踏み散らされ定期的に人が出入りした形跡がある。先客とは、自分達以外が居る可能性を示す言葉なのだろう。
手袋のままテーブルの上を払い、埃を除けたそこに手荷物を広げ彼女が簡素な調理をする準備を始める。小さなライトの明かりを頼りに乾燥食材を小さく折り畳んだ容器に汲んだ水で戻し、その容器をそのまま登山用品で見たことのある折り畳み三脚に載せ、アルコール燃料のような白い塊に火を点ける。
小さな灯りが揺らめく中、ことことと容器の中で食材達が躍り、次第に湯気と共に食欲を誘う香りが立ち昇る。手袋を外した彼女の細く白い指先がチューブに入ったペースト状の茶色い液体を湯気の元に落とすと、それが調味料と肉が混ぜられた物らしくフワリと刺激的な匂いを発し、
「お待ちどう様。これを使って食べてくださいな」
言葉と共に食器とスプーン、そして軽く薄いクラッカーを手渡され、食器に盛られたスープを前に置いて彼女の分が盛り付けられるのを待ってから、
「……いただきます」
軽く手を合わせ、スープに口を付ける。塩と脂の風味と共に、野菜のほんのりとした甘味が感じられ、自分が思っていた以上に空腹だったことを思い知らされた。
予想していた肉の存在感は無く、先程のペーストが魚か何かのダシと大豆調味料の混合物だと気付き、案外和食に近いのかもと次の一口へと進み、手にしたクラッカーを齧った。
「美味しいね、これ。上手じゃないか」
思わず口に出たお世辞に彼女は、乾物ばかりじゃ誰でも同じ味になりますよ、と答えながらも満更では無さそうで、クラッカーを噛み締めながらフフフと表情を綻ばせた。
サクサクと軽いクラッカーだけでは物足りないかと思ったが、スローペースで食べ進める彼女を見倣い、時間を掛けて食事を楽しむうちに案外満たされるものだ。まあ、隠す事を諦めた耳の動きを見ていて退屈しなかった、というのもあるが。
「うーん、さて……この食器、何処で洗えばいい?」
簡素な食事を終え、手に食器を持って立ち上がると彼女は、
「あ、お風呂有りますからそこで洗ってください。お湯も溜めてありますし……」
そう告げた後、こちらを見上げる目線のまま、
「嫌でなければ、その……一緒に、入りますか?」
当然のように誘ってきた。それに答えず、俺は黙って彼女の手を引いて立ち上がらせると、横抱きにして風呂へと向かった。
しがらみ、社会的立場、人間関係、先の見通し……ここには、そんなものは全て無い。
自分の下で身を横たえ、健気に従う彼女を見つめながら、この環境について考える。
通貨や対価、献身や干渉の無い世界。身を重ねながら彼女から聞き出した話は、正に夢の中のような非現実的な環境だった。
世界的な【何か】が起き、シェルターに避難した人々が再び現れた時、様々な手助けをする為に作り出されたのが彼女達だという。以前は複数で活動していたが、各々の担当する避難民へと分散していくうちに、バラバラになったらしい。
避難民達が生きる為に必要な物資の在処や知識を与え、エスコートを兼ね行動を共にする、人間に似た者。それが彼女だ。
「……それじゃ、こうして一緒に風呂に入るのも、その役目の一つなのかい?」
湯船の中、互いの身体を密着させたまま膝の上の彼女に意地悪な質問を投げ掛けると、何てつまらない事を聞くんだと言いたげに眉を寄せながら、
「はあ……私は自分がしたいから、してるだけです。どうせなら……楽しい方がいいと、思いません?」
そう答えた後、湯船の中で身を捻ると控え目な胸元を押し付けてきた。
……目が覚めて、深く眠り込んでいたと知ったのは、枕元のスマホの日付が丸一日経過していたからだ。休みの大半を寝て過ごしたなんて……風邪でもひいたのか?
ぐったりと疲れた身体で布団から抜け出そうとしたその時、掌に見慣れぬ錠剤を握り締めていたのに気付き、全てを思い出した。
【……時折、異なる次元からやって来る人が居ます。そうした人は二つの世界に縛られたまま、苦しむんです】
【……この薬は、そうした人を異なる次元から解放する……一種の仮死状態を作り出す薬……】
【……それを飲んでから、私の名前、勿忘草を思い出してください】
錠剤の確かな手応えと共に、マイオの真摯な眼差しが甦った。しかし、俺は飲まずに、仕事に向かう準備を始めた。
仕事場に到着し、慌ただしく時間が過ぎていった。食事に掛ける時間は五分、飲み込むように仕事を片付けながら咀嚼し、飲み下す。味になんて構っていられない。ただ、口を動かして……
……じゃあ、何の為に働いているんだ? 仕事をするのが、食事を捨てる理由だとか本末転倒なんじゃないか?
不意にもたげた思いが絡み付き、仕事の速度が一気に落ちた。気付けばノー残業デーなのに、時計は午後九時を過ぎていた。
無意識に指先で上着のポケットを探ると、硬い感触に当たり何時の間にか忍ばせていた錠剤を掴んでいた。
【……昨夜十時頃、会社員の……・……さんが社内の机にうつ伏せになっているのを巡回中の警備員に発見され、救急車で運ばれましたが搬送先の病院で死亡が確認されました】
【……その死因は薬物に依るものと思われ、警察は検死を進めながら薬物の特定を急ぎ、彼が何処で入手したかを調べている模様です。】
夢と言えば稲村某、学生時代に夢の中で【赤ん坊を抱いた女性】を見た事がありまして、その若い女性が抱いているのは自分の子供なんだ、と悟り消えないでくれ、と涙ながらに訴えながら目覚めた事があります。
無論、今の嫁には似ても似つかないし、赤ん坊も娘じゃなくて男児だった気がするんですが、夢なんてそんなもんです。
但し、辛く悲しい現実より、夢の方が魅力的だったら……それでも現実に固執するか、判りませんが。あ、今は大丈夫ですよ?
ではまた!!