JKとフォールディングナイフ
まさか、同年代の女子高生に押し倒される日が来るとは思わなかった。
学校の教室に赤い西日が差し込む放課後。人気のない空き教室で俺は身の危険を感じる不測の事態に陥っていた。
「……無様ね。いくらなんでも日和すぎでしょ」
顔と声に馴染みのない女子から溜息まじりに侮蔑の眼差しを向けられる。
「あの噂に聞く《白雪姫》の相棒だって話だから、多少の期待はしてたんだけど……正直言ってガッカリした」
記憶の平野部を散策しても目の前で馬乗りしている少女に関する情報は一切出て来なかった。
日本人離れした整った顔立ちも、リボンでサイドにまとめた灰色の長い髪も、ガラス玉の様に透き通った切れ長の碧眼も、まるで見覚えがない。
視覚から得られる情報は一目で美少女だとわかるギャルっぽい女子高生(日系ハーフ?)が俺の身体にマウンティングして首元に刃物を突き付けていることくらいだ。
現状を客観的に見て判断すると、どうやら俺は見知らぬ同学年の女子に恐喝されているらしい。
「……えっと。一応念のために訊くけど、あんたが『蒼井翔太郎』で間違いない……よね?」
見知らぬ女子はどこか不安そうな表情を浮かべて俺の顔をジッと覗き込む。
「……俺が「人違いだ」って言ったら君はどうするつもりなんだ?」
「いやないない、それはない。人違いだとあたしが『一般人』にナイフ突きつけるヤベーやつになるから」
「…………」
一般人が相手でなくても人を唐突に押し倒してナイフを突きつける女は十分にヤベーやつだと思う。
「……うん。あんたが蒼井翔太郎で間違いない。【正義の天秤】から渡された個人情報に幸薄そうな顔写真が何枚も載ってたから人違いは絶対あり得ないし」
「幸薄そうな顔は余計だ」
「あと間抜けな姿がバッチリ映った記録映像も見たわ。やっぱりあんたが蒼井翔太郎よ。うん、間違いない」
「…………」
問答でおおよその見当はついた。組織の名が出るあたり、どうやらこの子は『裏社会』の住人らしい。
というか、もろに組織の関係者だった。
しかし、不可思議なことにこの学校でも組織内でも、彼女とは一切の面識がない。
これだけ容姿が整っていれば一度でも見れば印象に残りそうなものだが。
「……この学校でも組織内でも君を見た記憶がないんだけど? 君と俺って完全に初対面だよね?」
疑問を口に出すと彼女は得意げにペラペラと秘匿情報を漏らした。
「それはそうよ。この学校には今日転入したばかりだし、組織は入ったばかりの新人だしね」
なるほど。だいたいの見当はついた。
おそらく彼女は半年前に失った殉職者の代わりに補充された新しい諜報員の一人なのだろう。
それもそうか、スカートの中(厳密には内股のベルト)に携行型刃物を仕込んでる女がただの女子高生のわけないか。
いつかは何らかの形で組織が俺に接触してくるとは思っていたが……まさか、こんな方法で来るとは思わなかった。
「……念のために一つ確認させてもらうけど、君の暗号名を聞かせてくれないか?」
「は? 何? あたしを疑ってるの?」
「そりゃ、押し倒されてナイフを突きつけられればな」
「それはあんたが間抜けだからよ」
「ははっ。“可愛い女の子”に押し倒された後で無闇に抵抗するのは男としては“無粋”だからさ」
「ナイフで目を刺すわよ?」
「ジ、ジョークだよ。おもむろにナイフを振りかざすなっ!」
軽蔑の眼差しで見下ろしたまま彼女はポツリとその名を口に出した。
「灰被りの姫君。それがあたしのコードネームよ」
サンドリヨン。確かシンデレラの別称だったはずだ。
そう考えると、あの組織は本当に幻想的なコードネームが好きらしい。
「まぁ、日本では山田花子って偽名で通してるから」
「OK。コードネームはともかく偽名はもう少しどうにかしたほうがいいと思うぞ」
「あっそ。べつに何でもいいでしょ偽名なんだから」
山田花子って。どう見ても純日本人じゃないから名前の響きに違和感しかない。
「てゆーか、あんた随分と余裕ね? あたしが身内じゃなくて他の組織の暗殺者だったらどうすんの? もしもそうならあんた今頃死んでたわよ?」
「可愛い女の子に殺されるなら男としては本望だよ」
「……そういうの、いらないから」
「ごめんなさい」
もう一度振りかざされたナイフが俺の眼前にまで迫って来て秒で謝罪を入れる。
どうやら彼女はウィットに富んだ会話はお気に召さないタイプらしい。
昔の相棒なら間に受けたフリをしてここから更に会話を広げて最終的にオチをつけてくれるんだけどな。
「君の揚げ足を取るつもりはないけど……一流の暗殺者や殺し屋ならこんな痕跡を残す様な場所で殺人をするヘマはやらないと思うよ?」
「…………っ」
俺の言い分に思うところがあるのか、山田花子ことサンドリヨンはキュッと口を閉口し、鋭い目付きで俺を睨んだ。
「ところで、そろそろ用件を聞いても良いかな? 流石にこのままの体勢だと色々と気まずい──」
「……やっぱ、あたし。あんたのこと気に入らない」
機嫌を損ねたと言わんばかりにサンドリヨンの小さな手が俺のネクタイを強引に掴み、それを利用してギリギリと首根を持ち上げる。
お互いの鼻先が触れそうなほどの距離まで顔を引き寄せられると、鋭い目つきの碧眼が俺の瞳をキッと覗き込んでくる。
「上層部からの指令ではあんたを組織に連れ戻すことがあたしの『初仕事』だったの。まぁ、それだけなら不服は無かったんだけど……最悪なことにそれだけじゃないのよね」
「……他に何か?」
「よりにもよってその後あんたとあたしでペアを組んで任務を遂行しろって言われた」
「それは災難だったな」
「ホントそれ。こんな男とペア組むとか考えただけでも鳥肌が立つから。マジで納得いかない」
納得出来ないけど上層部の命令には逆らえないから、と彼女は言う。
「でもさ、素直に従うのも何かムカつくから……腹いせにあたしがあんたを試験してあげる。不合格ならこの件はあたしの独断で無かった事にするから。それこそ痕跡を残さない場所であんたを始末して、ね」
「…………」
その冷淡な色をした青い瞳には裏社会の住人に相応しい確かな殺意が込められていた。
目がマジなあたり、どうやら冗談では無さそうだ。
「正直言ってこっちは雑魚の腑抜けに背中を預けるのだけは御免なのよ」
「…………」
サンドリヨンが発したその言い分だけは流石の俺でも全面的に共感できた。
信頼できない相棒なんて誰だって嫌に決まっている。
「OK。君の言いたいことは分かった。お互いのためにも上下関係はハッキリした方が良い」
「はっ。マジムカつく。いいわ、思う存分可愛がってあげるから」
挑発的な態度を崩さないサンドリヨンは八重歯が見えるほど口角を上げてニッと不敵に笑う。
「話はまとまったな? とりあえずそこから降りてくれ」
「は? 何、マウント取られてたら不利だって言いたいの? 男の癖に情けないわね」
「分かった。それが駄目ならせめてブラウスのボタンを閉じてくれ。胸元がはだけでいて目のやり場に困ってるんだ」
「…………っ!?」
自分のあられもない姿を確認したサンドリヨンは頬が紅く染まるのとほぼ同時にピョンと飛び跳ねた。
猫の様な跳躍力と身のこなしを見る限り身体能力は一般的な女子高生とは比較にならないくらいレベルが高い。
「嘘、ブラウスのボタンが壊れてる?」
必死になってはだけた胸元を腕で隠すサンドリヨン。どうやら制服のブラウスだけはサイズが微妙に合っていなかったらしい。
危なかった。なまじ胸もあってスタイルが良いから、色仕掛けでもされてたらそのまま殺られていたかもしれない。
ちなみにブラの色は薄ピンクだった。しかもフリフリの可愛い感じ。耳にピアス、首にチョーカー、指にシルバーリング、爪にマニキュア、そして内股にガーターリング。それらの装飾品からくるチャラついたイメージに反して身に付けている可愛い感じの下着を見ると、彼女の意外な一面を垣間見た気がする。
「とりあえず、話の続きは着衣の乱れを直してからにしようか?」
「……最悪、後で絶対にブチ殺してやるんだから……」
涙目で恨み言を吐き捨てるサンドリヨンの顔は西の空に沈む夕陽の様に赤く染まっていた。




