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命の恩人は突然に

 その出会いは俺がまだ諜報員エージェントとしても人間としても未熟過ぎるくらいに未熟だった十五歳の秋の頃だった。


 十月三十日。ハロウィン前日の夜。あと二ヶ月くらいでスノウと出会ってから一年が経とうとしていた日。


 場所はニューヨーク都心部から東に離れたとあるスラム街。


 嵐の中で降る秋の雨は氷の様に冷たく、弱っている俺の身体から生命活動に必要な体温を無慈悲に奪い続けていた。


「畜生。血が全然止まらねえ……」


 脇腹の負傷を抱えてのみじめな逃走劇。

 結論から言って見栄を張って一人でニューヨークイーストに行ったのが間違いだった。


 追っていたターゲットに返り討ちにされて無様に尻尾を巻いて逃げる。こんな醜態は俺が一人じゃなきゃ起きない出来事だ。


「ゲホッ。……クソ、目がかすんできやがった。このままじゃ流石に洒落になんねーぞ」

 

 血反吐と一緒に悪態を吐き捨てるものの心の中ではずっと後悔ばかりが渦巻いていた。


 隣にスノウが居ない時の俺はこんなにも弱い。その自覚が自責の念に変わり俺の心をじわじわとむしばんでいた。


 相棒スノウに認めてもらいたいという安い承認欲求が招いた結果がこれだ。自業自得としか言いようが無い。


「……相手が子供なら先に言えよ、スノウの馬鹿野郎」


 事の発端は前夜に交わしたスノウとの会話。この夜は俺とスノウにしては珍しく二人の間で険悪な雰囲気ムードが漂っていた。


 俺とスノウの不仲を作った原因は当時任務で追っていた『自由兵団フリーカンパニー』に所属している暗殺者アサシン真紅の狼殺し(スカーレット)』を巡るものだった。


「ボクが「任務を降りる」って言ったんだ。翔太郎はそれに黙って従えば良いんだよ。余計な口を挟まないで」

「だから、降りる理由をちゃんと話せって言ってるんだよ」

「……翔太郎が一緒だと勝負にならないからだよ」

「違うな。俺を口実にして逃げてるだけだろ」

「……ボクの気持ちを察せれない翔太郎は嫌いだよ。今の翔太郎、生意気で全然可愛くない」

「お前の気持ちなんて言ってくれなきゃ分からねーよ」

「…………」


 ベッドの枕に顔を沈め微動だにしないスノウ。怒っているというより不貞腐れている感じの様子だった。


「……分かった。お前が行かないなら俺が一人で行く」

「勝手にすれば? ボクは翔太郎の“ワガママ”に付き合う気はないから」

「ワガママを言ってるのはお前の方だろ」

「うるさいな! りたくないって言ったら殺りたくないんだ! 何も知らない癖に勝手なこと言わないでよ!」


 俺に枕を投げつけた時のスノウの顔には確かな怒りが現れていた。


「……無差別殺人をする輩を野放しにするわけにはいかない。俺は行くからな」


 そう、この時の俺は何も知らなかった。

 スノウの過去も、スノウがこの任務を拒む理由も。


「お兄ちゃんもシュリと遊んでくれるの?」


 嵐の中、スラム街で対峙した件の『真紅の狼殺し(スカーレット)』は、俺の想像とはまるでかけ離れていて、とても人殺しをする様には見えない十歳くらいの小さな女の子だった。


 サイズが合っていないぶかぶかの赤い頭巾ローブに毛糸のマフラー。明るい色の茶髪で編んだ短い三つ編み。瞳の色が左右で異なる金と黒のオッドアイ。背中には自分の身体よりも大きな真紅の裁縫バサミ。


「遊ぼ、お兄ちゃん。シュリが猟師の役になるからお兄ちゃんは狼の役になってね?」


 暗殺者とはいえ俺が子供に銃を向けられるわけもなく、俺はただひたすらに逃げるしかなかった。


「どうしてお兄ちゃんの手には銃があるの? おばあちゃんは言いました、それはシュリを殺すためだよと」


 追いかけてくる女の子の目はどこか虚ろで、焦点が定まっておらず、まるで自分の意思ではなく何者かによって操られている様に感じられた。


「どうしてお兄ちゃんはシュリから逃げるの? おばあちゃんは言いました、それはお兄ちゃんが“悪い狼”だからだよと」


 精神操作マインドコントロール。女の子の言動にはそう思わせるものがあった。


 この時の俺はまだ敵性の『改造人類リノベイター』と対峙した事がなく、その存在すらも知らなかったし、スノウからは暗殺者の情報を一切知らされていなかった。


 しかもスノウもスノウでこの時の段階では自分の『異能力』を隠していて戦闘中は俺にバレない様に巧妙に立ち回っている様だった。おそらくあの腹黒サディストは能力をわざと封印していたのだろう。


 未熟な十五歳の俺は超常の存在をまだ知らなかった。


 だから、この時は逃げに徹せれば余裕で撒けると思っていた。

 相手は子供。その油断が命取りだった。


「【変幻自在の裁縫道具(ギミック・ソーイング)】version4【ボビン・チャクラム】」


 風を切る音が自分の隣を通り過ぎて行ったと知覚した時には、俺の脇腹は深く抉られていて、止血が間に合わないほどの重傷を負っていた。


「あれ? 外しちゃった?」


 不思議そうに首を傾げる女の子。彼女が片手に持っていたのは大きな裁縫ハサミではなくバスケットボールサイズくらいの大きなヨーヨーだった。


 そのヨーヨーは子供の玩具にしては禍々しく、ノコギリの様な刃が付いていて、その刃からは俺の血潮がポタポタと滴り落ちていた。


 ブレード付きのヨーヨーが脇腹をかすめた。ただそれだけで致命傷と呼べるほどの破壊力。そんな攻撃はどう考えても普通の人間に出来る芸当ではない。


「お兄ちゃん、もっと遊ぼ? シュリを一人ぼっちにしないで」

「…………っ」


 不幸中の幸いか足だけは負傷を負わなかった。


「……悪いな。また今度遊んでやるよ」


 俺はそんな安い捨て台詞を吐いて必死で駆け抜ける。


 俺の中で闘うという選択肢は既に消えていた。


 どうやら土地勘がないのは相手も同じらしく、嵐の中を闇雲に逃げ続けた結果、俺は命からがら暗殺者スカーレットから逃げ切る事に成功した。


「はぁ、はぁ……逃げ切ってもこのザマじゃ詰んだのも同然じゃねーか」


 外は嵐。人気の無い路地裏。見知らぬ土地に一人だけ。見栄を張ってスマホを置いてきたため連絡手段もない。身体は既に限界。心も折れかけている。俺は心身ともに満身創痍まんしんそういに満ちていた。

 地面に這いつくばり真面に動く事すら出来ない。


 そんな絶望的な状況下で俺が命を拾えたのは──


「君、大丈夫? そんな所で寝てたら風邪ひくよ?」


 そんな慈愛に満ちた救いの手があったからだ。


「もしかして怪我してるの?」


 そう言って俺の眼前でしゃがみ込む少女のあられもない姿を見て、閉じかけていた俺の目がカッと見開いた。


「……嘘、だろ!?」


 その『女神』との邂逅かいこうは不幸中の幸いという安い言葉では到底片付けられ無いほどの奇跡だった。


「その声にその顔……君はまさか、メイア・マーキュリーなのか?」


 黒いメッシュが入った長い金髪にエメラルドの様な緑色の瞳。男女問わずに全ての人類を魅力するであろう小悪魔の様な甘い顔立ち。


 身体に張り付いている濡れた白のニットワンピースがボディラインを浮き出していてそのタイトな服装が彼女のスタイルの良さをより一層際立たせていた。


 雨に濡れたその姿は今まで映像やコンサートで見ていた『歌姫』の彼女よりも遥かに美しく、儚い印象を俺に与えた。


「あれ? メイアのこと知ってるの? もしかしてファンの子かな?」

「あ、ああ。先日のニューヨーク公演にもプライベートでこっそりと参戦させてもらったんだ」

「そうなんだー。コンサート来てくれてありがとね」


 そう言ってお礼を言う彼女の顔は太陽の様な明るい笑顔だった。


「……本当に本物のメイアなのか?」

「んー? メイアは一人っ子だからお姉ちゃんや妹はいないよ? ああ、でもメイアのモノマネ芸人は探したらどこかにいるかもね」

「…………」


 初めてメイアと会話した率直な感想は、やっぱりメイアはちょっとだけ天然なんだと思った。


 怪我人を前にしてこのマイペースぶり。慌てる様子なんて微塵も見当たらない。

 雑誌やテレビのインタビューでも時々ズレた発言をしてるけど。

 この独特なキャラクターは本人以外に出せるものじゃない。間違いなく目の前にいるのは本物のメイアだ。


「でも、なんでメイアがこんな場所に?」


 そんな疑問を口に出すとメイアの顔に悲しみの色が浮かび上がった。


「うん。ちょっと疲れちゃってね。どこでも良いから一人になりたかったんだ」

「一人になりたかった?」

「ううん。違う、本当は嫌なことから逃げてきたんだ」

「…………」


 察するに仕事絡みの悩みなんだろう。人間関係の軋轢あつれきとか、ネットでの心ない誹謗中傷とか、そういう人気者だからこそ起こり得る悩みが。


 一人のファンとしては、少しでもメイアの力になれればと思った。


「メイア。俺で良ければ気軽に相談して──ゲボァ!」


 間の悪いタイミングで唐突に忘れていた怪我の痛みがぶり返して来た。俺は痛みと吐き気を我慢できず地面に向かって吐血してしまう。


 一時的にとはいえ命の危機を忘れさせるとは……流石はメイアというべきか。


 いや待て、マジでこれ死ぬかもしれん。


「大変だ! ちょっと待っててね今メイアが『手当て』するから!」


 俺の眼前であたふたと慌てるメイア。慌てぶりが可愛いというか、命の危機に対峙してる感じじゃなくてキッチンで鍋が吹きこぼれている時の慌て方だった。


「よいっしょ。ふんふん、怪我をしてるのはお腹のあたりなんだね」


 俺を仰向けにしてせっせと服を脱がし腹部を観察するメイア。


「他に痛いところはありませんか?」

「……いえ、ありません」


 なんだこの幼稚園児がやるお医者さんごっこみたいな状況。

 うっすらと死期を悟っている自分がいた。

 あっ、これ詰んだわと。

 今から病院に行っても手遅れだし、素人の手当てなんてたかが知れている。


 ──ああ、でも最期に見る光景がエロかわコーデのメイアなのか。目が幸せ過ぎて死ねる。


 見てはいけないと思っていてもニットワンピースの下に秘めている形の良い胸と真珠の様な生足が不可抗力でガッツリと目に入ってしまう。

 ぶっちゃけるとメイアがしゃがみ込ん出た時にパンツが丸見えだったし。ちなみに色はライムグリーンだった。

 あえて言おう。我が人生に一片の悔いなし、と。

 色々やり残した事があるけど、憧れのメイアに看取ってもらえるなら心残りは──


「うん。これなら“ちょっと塗れば”治せそうだね」


 ガリッと。

 何を思ったのかメイアは自分の指先を歯で噛み切り、人差し指の先端から真紅の雫を滴らせる。


「よ〜し。じゃあ、いくね【悲恋すらも覆す人魚の血涙マーメイド・ペインキラー】」


 ポタリと、一滴の血液が俺の傷口に滴り落ちる。


 その現象は『奇跡』としか言いようがなかった。


 傷口から無数の泡が湧き出たかと思えば堪え難い腹部の痛みがみるみると引いていくのが感じられた。


「痛いの痛いの飛んでけー」


 そう言ってメイアが手で泡をで取った時にはグチャグチャになっていた腹部の傷は完全に患部から消え去っていた。


「…………っ!?」


 タネも仕掛けもない『本物の魔法』を目の当たりにして俺は言うべき言葉すらも失っていた。


「ふ〜、これで一安心だね」


 そう言って安堵の溜息を漏らすメイア。その手からは尚も真紅の雫が滴り落ちていた。


「メイア、君の怪我が治っていないじゃないか!?」

「そうなんだよねー。メイアって自分の怪我だけは治せないんだー……はっ!?」


 ビクッと肩を震わせるメイア。もしかして、傷が痛むのだろうか?


「しまった! これ言っちゃ駄目なやつじゃん!? いやいや、その前にメイアの『能力』は知らない人に見せちゃ駄目なやつなんだった!」


 この世の終わりを迎えた様な顔で頭を抱えるメイア。

 えっ、今頃それに気付いたの? 遅くない?


「くっ、かくなる上は目撃者の頭をぶっ叩いて良い感じに記憶を飛ばすしか……」


 キラリとメイアの瞳が怪しく光る。ジリジリとにじり寄るメイアの目は完全に狩をする野生の獣のものだった。


「ちょっと待ってくれ! その前に君の怪我の手当てを俺にやらせてくれ!」


 そう言うと俺の頭にチョップをかまそうとしていたメイアの手がピタリと止まる。


「ふむ。君、良い人だね」

「いや、メイアほどじゃないよ」


 俺は応急処置としてビリビリに破けている自分のシャツの一部を使って怪我をしているメイアの指に簡素なテーピングを施す。


「ありがとーファンの人。メイアってドジっ子だから自分の手当てはけっこう苦手だったんだ」

「俺の方こそ、ありがとうメイア。おかげで助かったよ」

「えへへ、どういたしまして」


 満面の笑顔でほわほわと天然キャラ(アホの子とは言わない)特有の和みオーラを放つメイア。それがあまりにも可愛すぎて俺は危うく『キュン死』しそうになる。


 尊さのバロメーターが限界値を振り切る勢いだった。


「そうだ! 君の名前を教えてよ!」


 何かを閃いた様子のメイアは俺に名前を訊いてくる。

 

「……俺の名前は蒼井翔太郎だけど?」

「ふんふん。じゃあ、メイアは今度から君を翔くんって呼ぶね」

「翔くん……」


 憧れのメイアに名前を呼んでもらえた。しかも愛称で。

 幸せ過ぎて逆に辛い。


「よーし。じゃあ翔くんはこれからメイアのお友達って事でよろしくね?」

「……俺がメイアの友達に?」

「んー? 嫌だった?」

「まさか! 身に余る光栄過ぎて気絶しそうな勢いだよ!」

「ふふっ。翔くんって面白いね」


 そっと小指を出してメイアは言う。


「じゃあ約束しよ? 今日の事は二人だけの秘密だからね? もしも破ったら奴隷契約書にサインしてもらうからね?」

「奴隷契約書」


 物騒な単語がメイアの口から出たが、俺は全力でスルーした。


 指切りをした後、メイアは可愛い感じに小首を傾げる。

 

「うーん? なんだろ、前にもこんな事があった気がする様な? なんだっけ、ジャブジャブ?」

「デジャヴって言いたいんだよね?」

「うん、それー。なんかメイアは翔くんと初めて会った感じがしないんだよね。うーん?」

「もしかしてコンサートで見かけたとか? 俺、メイアのコンサートは可能な限り最前列のS席に座ってるから」


 それが信者ファンとしての矜持きょうじです。


「そっかー。翔くんはメイアの熱狂的なファンなんだね。じゃあ、これから一緒に“駆け落ち”しても問題ないよね?」

「いや、それほどでもないよ。俺なんて信者ファンとしてはまだまだ半人前──ふぁっ!? 駆け落ち!?」

「よーし。レッツゴー!」


 そんな。

 奇跡的なメイアとの出会いを経て、この後暫くの間メイアと行動を共にした俺はそこからさらに厄介ごとに巻き込まれるわけだが……それは今は置いといて。


 その出会いから月日が経ち、例のスノウ同伴で参戦したミラノ公演の後で久しぶりに再会したメイアは渡したプレゼントのお返しに『ある物』を俺に手渡してくれた。


「翔くんがピンチになった時は“これ”をメイアの分身だと思って大切に使ってね?」


 メイアがくれたその贈り物は間違いなく俺にとって『思い出の品』になり得るのだろう。


 用心して持って来て良かった。

 あの時は使う暇が無かったけど。

 あの出会いを経て、あの別れを経験して、今がある。

 今度は救ってみせる。


 そして今現在。俺は瀕死のサンドリヨンに対して治療を始める。


「ごめんメイア。君から貰った『人魚の血』は人命救助に使わせてもらうよ」


 俺はサンドリヨンの胸に大きく空いた傷穴にガラスの小瓶に入った『真紅の液体』を注ぎ込む。


「死なないでくれサンドリヨン。今の俺には君が必要なんだ」

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