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愛している人は近くて、遠い  作者: ギリゼ
第2章 緩慢な冷えた風
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第56話疲労の昼下がり




4月が終わろうとしている時期の川は自発的に入りたいと考える人間は少ない冷たさだ。幸い、底が浅くなっており、意志さえあれば起き上がれる。



 橋の欄干から川に転落した三中知努は仰向けのまま沈んでいるが、生命活動に支障をきたしていない。



 海はともかく川へ入る事に対して苦手意識がある。毎年、川遊びの死亡事故は絶えず発生しているからだ。



 全身がすっかり濡れており、ズボンや服は肌へ張り付いている。この感覚は彼を不快な気持ちにしていた。



 底へ持って行こうとした彼の手が人肌らしき物に触れた。自損事故を起こして彼より先に転落した女の体だ。



 川の水を飲んでもがいている様子もなく、気絶しているかもしれない。急いで彼が立ち上がり、動いていない彼女の体を持ち上げる。



 首の骨が折れている可能性もあるため片手で首の後ろを固定し、気道を塞がないようにした。模範的な対応といえない事は彼自身、理解している。



 しかし、彼は川へ転落した負傷者の救助に関する知識など持っておらず、こうするしかなかった。



 橋の上からユーディットに声をかけられた彼は振り向く。転落した位置から少しばかり流されていたようだ。



 「心配しなくても俺は大丈夫! ただ、原付女が生きているかどうか分からないけどね!」



 しばらくしパトカー、消防車、パトカーが仰々しくサイレンを鳴らしながらやって来る。夕方の報道番組で紹介されそうだ。



 気絶している女と三中知努はハーネスを付けた消防隊員によって救助される。そして、意識がある彼だけ警察官の事情聴取を受けた。



 数分後にバイクを運転しているユーディットの父親と後ろへ乗っている三中忠文が来る。ユーディットの通報で彼らにも連絡されたようだ。



 AEDを使わなければいけない容態になっていると思っていた父親の期待を裏切り、知努は健康だった。



 「知努くん、無事で良かったよ」



 「何も(よか)ぁねぇよ。服は濡れる、悪目立ちしている、あのクソボケ、マジでブチ殺したいわ」



 服が濡れている事に対する不快感と目立っている事が彼を苛立たせている。そのせいかいつも以上に粗暴だった。



 下手に刺激すれば怒鳴られると思ったユーディットは彼から少し距離を取る。怒っている彼が暴力団員のように見えた。



 「またあの倉持の馬鹿がやらかしたのかよ。ユーディットとチー坊を巻き込むのは勘弁してくれ」



 彼が愚痴を零しながらバイクを駐車する。女の名字が分かった途端、知努はその名字に疑問を抱く。



 よく知っている人間と名字が同じだった。同一の名字を持つ人間はいくらでもいるが偶然に思えない。



 「叔父さん、その倉持の妹に夏織って名前の奴いる? 嫌でも目立つようなカチューシャ付けている」



 「いるな。ついでに言うとチー坊が交流関係ある事も知っているぞ。あいつ、結構、お喋りだからお前についても話していた」



 彼が思っている以上に世間は狭かった。夏織の姉の事を知っているユーディットの父親が少なくとも何かしら関係している。



 もし、彼に対しての逆恨みとしてユーディットや知努を狙っているとすれば、また回復すれば襲撃するだろう。



 三度(みたび)、襲撃された際、ユーディットの傍に彼がいると限らない。そうなれば彼女は被害を被る。



 彼は従姉が怪我を負わされた時の事を考えていると叔父が妙に慌てていた。何か恐ろしい事を察したのかもしれない。



 「頼むから物騒な事はやめてくれよ! 俺があいつと親に注意しておく。約束だぞ」


 

 「俺自身の問題ではやらない。そんな馬鹿に時間を使う程、暇じゃないんでね」



 勝手な理由で2度も襲撃を企てた女に対し彼は怒っている。人目が無ければ溺死させていただろう。



 離れた場所に置いてあるスクールバックとピアノの演奏で使った服が入っている袋を取った。



 約束をしている彼女へ自宅で入浴する旨を伝え、彼は家路に向かう。苛立ってる知努を恐れているユーディットは大人しく待っていた。



 1時間後、長袖のTシャツへ着替えた知努が戻り、2人の買い物が始まる。気まずさに包まれ、無言だった。



 怒りは治まっているが無表情のまま彼女の横を歩いている。今は楽しいという気持ちを感じたくないようだ。



 大事に想っている従弟からいつも彼が蔑ろにしている人間達と同じ接し方をされ、彼女は落ち込んでいる。



 彼と手を繋ごうとするも拒絶される事を恐れて、ユーディットはゆっくり戻す。染子ですら今の彼と手は繋げない。



 いつも親しい人へ優しく接する彼が本性であるように酷く冷めている孤独な一面もまた本性だった。



 差別を日常的にしているせいか、知努が他人の気持ちを考えない事は習慣となっている。当然、ユーディットの気持ちも理解しようとしていない。



 今の知努と一緒にいたくない気持ちが強い彼女は速足で彼を追い抜き、スーパーに行く。早く買い物を終わらせなければ気持ちが落ち着かない。



 母親から頼まれた商品を彼が持っている買い物カゴの中へ入れ、店内を歩く。倉持という女が逆恨みさえしなければ楽しい逢引きになっていた。



 買い物を済ませた後は買った商品が入っている袋を彼に持って貰い、ユーディットの家へ行く。



 人を平気で殺しそうな無表情のまま彼が冷蔵庫の中へ食材を入れる。彼女が飼っている子犬を全く見ようとしない。



 用事が終わると無言で家を出る。何も考えず、車道へ飛び出して轢かれないか彼女は心配だったが後を追いかけられない。



 明日になれば元の彼へ戻る事を信じ見送った。何かが原因で彼の人格は壊れているのかもしれない。



 寄り道せず、家へ帰宅した彼は部屋のベッドに横たわる。すぐ馴れない事をした疲れが襲い掛かり、眠りについた。



 そんな彼の都合を考えず、二田部慧沙と鶴飛染子と白木文月は旅行の計画について話し合うため彼の部屋に来る。



 疲れて就寝している知努を起こそうとした染子の腕を文月が掴んで制止した。昨日、泣かされたばかりだ。



 「やめときなよ。染子でもあの魂が抜けたようなチー坊を起こしたら間違いなく後悔するし」



 普段、怖いもの知らずの彼女が躊躇う程、恐れられている彼を無理やり起こす気持ちはなくなる。



 3人は床へ座ってから旅行の計画についての話し合いが始まる。まだ泊まる旅館の事しか決めていなかった。


 

 

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