第49話至上の愛
振り下ろしたばかりの刀を頭上へ上げ、また彼女は構えた。上段からまた攻撃を繰り出す事が分かっていても尚、ひどく恐ろしい。
現状、彼があの一太刀を受け止められるような武器は持っておらず、八方塞がりだった。同じ太刀ですら剣道のような受け止め方をすれば峰か鍔が額へ食い込む。
獅子の猛進のような振り落としへ対抗すべく彼が背を向け、相手から走って逃げる。ただ、闇雲に走れば背中を斬られてしまう。
そこで円を描くように走っていた。いくら安定した構えを維持出来る八相の構えも曲がる際は刀の振れが大きくなる。
適切な構え、向き、力のどれか1つでも欠けてしまえばあの技が持つ強みを十分に発揮出来ない。
付け焼き刃のような方法が上手くいく確証を持てない知努は念のため曲がる際、後ろを見て確認した。
失敗は即ち死に直結する。やはり、曲がる際の構えが上手く保てていなかった。見物人達から奇怪な目線を向けられている。
当然、実戦だからこそ出来る戦法だ。武道の試合で使えば確実に審判から指導を受ける。
ヒューマンエラーを考慮し一瞬、彼は武器の持ち方が順手持ちである事を確認した。持ち方によって方法が変わる。
対処方法を思案した後、徐々に走る速度を落としていきわざと太刀の間合いへ入った。相手からすれば格好の機会だ。
彼が曲がった瞬間に向き直り、片足の膝を前蹴りし振り落としてきた太刀を両手の武器の溝に入れる。
腰が入っていない一太刀は鉄パイプとさほど変わらない。横へ流しつつ腹部にかかとを入れると硬い感触が当たる。
柄から手を離した彼女は勢いよく仰向けに倒れた。刀が武器の溝へ入っているためユーディットは決着をつけたと思い駆け寄る。
しかし、彼が右手を後ろへ出し制止させた。勝敗がまだ着いていると言い難い状態だ。先程の硬い感触は気になっていた。
「やっぱり貴方は強い。もう武器もないから降参よ。最後に握手をしましょう」
この言葉の真偽がまだ分からない以上、制止している手を下げず左親指を軸に回し逆手持ちへ変える。
残身という言葉があるように油断は禁物だった。相手の顔を見据えながら間合いへ入っていく。
裾付近のボタンを素早く外し中へ隠し持っていた短刀を立ち上がりながら抜いて彼の腹部に伸ばす。
「お前じゃなかったら、目ん玉くり抜いているぞクソガキ」
奇襲を予測していた彼が左腕に添えている物打ちで受ける。そして腹部へ柄頭を力強く突いた。
降参の意思表示をしたにも拘らず奇襲したストロベリー・ワッフルに対してユーディットは激怒する。
「やり方が汚すぎるのよ! そんな汚いやり方でチー坊を傷つけたら生きてここを出られるなんて考えない事ね!」
「包丁で両手両足の指を一本ずつ切り落としてから目玉もくり抜いて眼孔へお好み焼きの生地を流し込んでやるわ!」
試合の妨害をされた彼は油断が武道の恥である事を教えてから元の場所へ戻るように促す。
不服そうな表情をしつつもユーディットは指示通り、観客2人がいる場所へ戻った。しかし、運悪く鶴飛庄次郎は帰宅する。
「おい、ストロベリー・ワッフル。今からあいつに事情説明するけど、最低限は弁えろよ?」
「分かっているわ。せっかくの楽しみをつまらない事で台無しにしたくない」
その言葉を信じ彼は下校したばかりの庄次郎に軽く事情説明した。口止めしなければ通報され、銃刀法違反、軽犯罪法違反で2人共逮捕される。
「えー!? さっきまでそんな面白い事をしてたの? うわっ俺、もう少し早く帰っていれば良かったな」
命のやり取りを格闘技のイベント位にしか思っていない庄次郎も観客へ加わった事で試合を再開した。
右手も逆手持ちへ変える。腕を外側から回して首を打つ順手持ちの技は危険なため敢えて使わない。
あくまで護身の範囲で事を済まさなければ色々な人間に迷惑が掛かる。彼は守らなければならない物ばかりだった。
短刀の刃を物打ちで受けつつ反対の柄頭で腹部や膝へ反撃する。彼女もまた襟を掴み回し蹴りした。
腰へ当たり、彼が苦悶しながら物打ちで拳を強く叩き手から短刀を落とさせる。すぐ、取らせないように遠くへ蹴り飛ばす。
彼は持っていた武器をスカートの中に片づけるもまだ試合が終わってないため後ろへ下がる。
人間が最後に持つ抵抗手段は徒手空拳だった。いよいよ大詰めである事が言葉を交わさずとも互いに理解している。
彼女は走りながら近づき、手首と肘を掴んでからそのまま両足を巻きつけようとするも彼の左拳が顎へめり込む。
脳が揺れる激痛のあまり、両手を離し地面へ落ちる。急いで彼の顔目掛け砂を投げ付けた。
痛みを我慢しながら起き上がった彼女は急に一回転し、浮いている長い髪で目暗ましを企む。呆れている表情の彼は彼女の尻へ前蹴りした。
「俺の顔はそんなに低いところじゃねぇよ。とうとうヤキが回ったか?」
振り向いた彼女がズボシを突かれたのか無我夢中で蹴りや突きを入れていく。小学3年生の頃と違い、彼はもう後ろへ下がらない。
防御せず、彼女の鳩尾を渾身の力で殴り、膝蹴りも入れる。攻撃こそ最大の防御と言わんばかりの戦い方だった。
蹴りを封じるように彼女は腰へ両足を回しながら抱き着いて、頬ばかり殴るも鼻に頭突きされる。
手足に力が入らなくなり、両足が腰から離れていく。脳挫傷で死ぬか植物人間になる未来を覚悟しているかのようにもがかず落ちる。
しかし素早く背中へ両手を回し抱き寄せられた事で九死に一生を得た。安堵のあまり、涙が流れる。
「これ以上したら、多分、殺してしまう」
日本刀、短刀、徒手で戦ってきたストロベリー・ワッフルはこれ以上、手段を持っておらずようやく試合の幕を閉じた。
「お互い痣だらけ、砂だらけだな。染子の部屋で横になった方がいいな」
彼が彼女の体を横向きに変えて抱く所謂お姫様抱っこをしている事で観客の女子達から非難された。
「マジないわ。なんでうちら、キモイ豚マスク女より下にいるんだよ。うち、そいつより何倍もチー坊と付き合い長いんだけど」
「知努は明日、私があげたチョーカーを1日中着けないと中指でケツを掘るわよ」
ユーディットに至っては中指を立てている。染子の部屋へ運ぶと敷かれている布団へ寝かせた。
約束通り、ピアノの演奏をする前に庭へ戻ってから転がっている凶器を片付ける。まさか鶴飛夫妻もここで物騒な事をしていたと思わないだろう。
アップライトピアノの前の椅子へ座った彼は昨夜と同じ曲を弾き始める。子守歌にしながらストロベリー・ワッフルは眠りにつく。




