表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愛している人は近くて、遠い  作者: ギリゼ
第1章 柔和な日差し
33/145

第33話ぬいぐるみ


 昼休みの教室で二田部慧沙は女子生徒達と、もうすぐ訪れるゴールデンウィークの予定について話していた。


 彼女達に部活動やアルバイトや遠出など様々な予定が入っている。適度に頷きながら慧沙は愛想笑いを浮かべていた。


 ふと横眼で友人の三中知努の机へ目線を向けると、普段見かけない女子生徒が弁当箱を盗っている。


 ヘアカラーリング剤で金色に染めている髪と、思春期の女子らしさを表されている黒のローズソックスが特徴的だ。


 話している女子生徒達に一言、断りを入れてから慧沙が白木文月の背後へ近づくと、すぐ彼女は振り向いた。


 机の左端へ、ミミズが這っているような拙い文字で書かれた手紙を置いている。文月は見つかった事に動じていない。


 慧沙は書かれている手紙の文字が崩れすぎて読めないと指摘して、腰を軽く彼女から回し蹴りされる。


 その様子を遠目から見ていた女子生徒達が、2人の元へ駆け寄って来た。彼の太鼓持ちだ。


 慧沙の前へ出て、目立たない容姿の女子生徒は文月に柄が悪く、頭が悪そうな女と罵倒を浴びせてくる。


 「うっさ。軽くケツ蹴ったくらいで怒んなし。こいつどうせ誰穴構わず突っ込んで腰振ってんだから丈夫っしょ。」


 文月は鼻で笑い、他人様の弁当箱を持ち去った。入れ違うように三中知努がとんぼ返りする。薄情な東京を罵倒した歌詞を歌っており、一瞬だけ視線を集めてしまう。


 早朝に奇妙な2人組の片割れから、黒いリボンが付いたヘアゴムで後ろ髪を束ねられたまま、変えていなかった。


 弁当箱の代わりに置かれている手紙の文字が彼も解読出来ず、慧沙から事情を聞かされる。


 「何だこの字は。アイツ幼稚園出てるな? 小学校ぐらいまでかな? だらしねぇなぁ」


 昼食の弁当箱を取り戻す為、知努は小走りしながら初めて文月が所属している教室へ行く。


 ユーディットと肩を並べ座っている文月が盗んできた弁当箱の蓋を開ける。中から野菜炒めが姿を出す。


 女子高校生がとても好んで食べそうに見えない料理だった。すぐさま蓋をして文月は舌打ちする。


 「おいスッポン、手を上げろ。あのなぁ、他人の弁当の中身を見て舌打ちするんじゃないよ」


 2人が振り向くと、知努は制服のポケットの奥に右手を入れてから斜めへ上げた。拳銃を突き付けているような仕草だ。


 彼の顔を見た途端にユーディットの白い頬が赤らみ、どこか妖艶な表情へ変わっていた。


 「あとお前な、字がバニー服部並に汚いんだよな。いくら性格と見た目良くても結婚出来ないぞ」


 「あ? もう一回、言ってみ? 源氏名、(ゆめ)でニューハーフ〇ープに叩き売ろうか?」


 『ゼハハハ』と濁っている笑い声を出しながら彼は後ろの席へ座り、受け流す。


 彼女は隣で座っているユーディットにスカート越しから太ももを強く抓られ、悶えながら謝る。


 1段目の野菜炒めを知努が食べ、2段目の白飯を文月に食べさせた。突然、ユーディットは離席する。


 教室の後ろにあった扉の無いロッカーから、彼女は片手でペット用のキャリーケースを運ぶ。


 黒毛、白毛、赤毛が目立つ小さな赤虎毛の秋田犬は、サファリパークの客として、有象無象の人間を眺めている。


 床に置き、子犬をケースから出して抱き上げる。野次馬が集まり、子犬の名前を訊く。


 「私の新しい家族クーちゃんよ。名前は長くて発音し辛いから忘れてしまったわ」


 文月の対面でしゃがんでいる知努は正式な名前を教えた。クリメント・ヴォローシロフ・アヂーンというソ連の重戦車が名前の由来だ。


 当時のソ連国防相の名を冠している事や、トランスミッションなど機械的性能が悪く、シフトレバーでギアチェンジする為に使うハンマーが用意されていた知識を披露する。


 しかし、周りの人間は子犬のクーちゃんの事に夢中となっており、全く知努の話が聞かれていない。


 三中兄妹と鶴飛家で飼われていた、ロットワイラーの名付け親である染子の父親が命名した。


 息子の名前を駆逐戦車のヤークトパンターと、米陸軍大将の名を冠する戦車パットンで迷っていただけある。


 しきりにユーディットは壁へ掛けられている時計の時刻を見て、千景が哺乳瓶を持って来る。


 彼女が置いたミルクを入れている哺乳瓶の温度を彼は触って、確かめた。まだ子犬に飲ませられない熱さだ。


 「鶴飛先生、熱燗の温度ですよこれ。この人も結婚出来るか心配ですねしかし」


 愛している人に、最期を看取られたいという切実な願いを語りながら、彼の後ろ髪で遊んで、叩かれる。


 知努はズボンのポケットから出したハンカチで、哺乳瓶を巻き持ち上げ冷やす為、手洗い場に行く。


 小走りで戻り、空腹のクーちゃんに飲ませる。獰猛な大型犬、千景はどこかへ行っていた。


 満腹になり、子犬は主な仕事である睡眠へ勤しんだ。スマートフォンのシャッター音が鳴り響く。


 膝の上へ座らせて、ユーディットが片手で体を支える。野次馬の数が徐々に増えていく。


 「私、初めて動物病院に行くから少し不安なの。チー坊が付いて来てくれるととても助かるわ」


 「良いけど、送り狼と一緒に動物病院なんて行ったら後が怖いよ? いっぱい歯型を付けられるかもね」


 野次馬の男子生徒からハッセさんに馴れ馴れしいと怒られる。ユーディットは知努の従姉だった。


 交流の期間は退屈そうな表情で、スマートフォンの画面を見ているもう1人の従姉の方が長い。


 「ジュディー、ホントそういうとこ気を付けなよ? (ゆめ)の体に稼いで貰ってうち、生活するから」


 ユーディットは眉を顰めながら文月に睨み付ける。馴れているのか全く動じず、彼女は嘲笑していた。


 「素直じゃないわ。チー坊が染子にいじめられた話を聞いた時、家まで行ったの誰だった?」


 「それはジュディーが暴れて叔父さんを困らせない為だし。うち、好きだの抱かれたいだので動かない」


 クーちゃんの顎を撫でようと、ユーディットの前へ移動した知努が腕を伸ばし、すぐ叩き落とされる。


 昼休み終了の予鈴が鳴り弁当箱を持ち知努は教室へ戻った。すっかり目覚めたクーちゃんをケースへ戻しユーディットは後ろのロッカーに片づける。


 知努の手に一瞬触れた右手を眺めながら彼女の口元が緩み微笑んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ