第2話傲慢の折檻
考えすぎて執筆が進まない日々と戦い数ヶ月ぶりに投稿出来ました。
知努の喉元に向けられている生気が感じられない視線は、一種の凶器だ。捕食者のそれだった。
武道を修めていたり、運動に優れていたりしない女子高校生に負ける程、知努は虚弱体質で無い。
女子のような細い指をしている彼の握力は少なくとも30㎏以上ある。そして、拳に大きなタコも付いていた。
しかし、同じくガラス細工のような細い指や、程良い肉付きがある彼女の脚に油断すれば後悔するだろう。
我欲を満たす為なら、どのような手段も厭わない性分の染子と争えば、様々な嫌がらせが待っている。
怪我をしないように手加減している辺り、それ程、怒っていない事が分かる。彼の頭痛はもうじき治まるはずだ。
彼女の顔を見て、知努が微かに存在し得る未来を想像した。相手に理解され、愛された先にそれは待つ。
恋愛をする事で染子が淑やかにならない為、年中振り回されて時折、泣かされるだろう。彼女の性格は父親譲りの凶暴で頑固だ。
謝罪された染子は知努の頬から手を離し、机の端に座る。突然の出来事で呆然としていた慧沙がようやく友人の心配を始め、彼女の注意は彼に向く。
「いきなりバストサイズとヒップサイズを知りたがるなんて嫌がらせかしら?」
「ううん違うよ。《《知努ちゃんは染子の事が大好きなんだよ》》。好きな人のスリーサイズを知りたいものだよ」
膝の上で絡めていた左右の指を、小刻みに動かす慧沙が告げて、知努は見開いた。誰にでも、分け隔て無く接しそうな外見をしている慧沙の性格は、相当悪い。
近所の洋菓子専門店で働いている女性や幼馴染の女子に、知努が好意を持っていると伝えた過去もある。
面白半分で巻き込んだ2人が寛容な相手だったので、知努は許されてきた。突発的に見え、どこか悪戯の計画をしっかり練っている節があり、取り返しの付かない失敗はまだしていない。
幼少期の頃から今まで慧沙しか同性かつ人間の親友がおらず、長年、依存している。放浪中のオランウータンさえ戻らなければ、慧沙の地位は安泰だ。
安全圏で遊び甲斐のある2人に幾度も悪戯を仕掛けている。無論、知努の恋愛が成就しない事は想定されていた。
受験を控える中学3年生の頃はともかく、2人はそれまで仲の良さそうな姿を見せていない。近くで見ていた慧沙がその事情を考え、悪戯を決行した。
染子に弁解しなければ、今度こそ友人の縁を切られるかもしれないが、知努は切り抜けられそうな言葉が見つからない。
込み上げてくる不安は実体は無いにも拘らず、喉と胸を締め上げている。すぐ傍で座っていた彼女の顔を見られない。綺麗な女子の怒る表情がどれ程美しくも恐ろしいかを彼は良く理解していた。
知努を揶揄する為に、慧沙が言った嘘と分かっていれば笑い話で済む。だが、楽観的な考えは不安を払拭し切れない。
間接的な告白を受けた、斜め前の彼女がどのような行動に出るか、全く予想出来無い。最悪の場合はこれから2発目の頭突きが待っている。
幸い、上履きを隠されたり、出会い頭に膝蹴りされる辛い日々は、別の友人へ頼めば阻止出来た。
今日の数時間だけで染子の心情は悪化していた。最近、ほとんど関わっていない相手なだけに彼の汚名返上が難しそうだ。
想いを改めて伝えるにせよ、大勢の前で行った場合、染子は間違い無く周りの雰囲気に流されない。大半の人間が2人だけの空間で行う事を好む。
かつて捨身の覚悟を持ち、ラーメンを食べ終えた後に実行する女子もいた。客達の視線を一瞬で集め、テレビドラマのような非日常の雰囲気が漂う。
傷付けないように、相手は優しく断ったつもりだが、彼女は『バカズ』と大声で叫んで、店を飛び出す。結局、バカズが冷たい視線を背で浴びながら、2人分の会計を支払う事となった。
素面でそのような強硬手段に出た女子と同じ轍を踏みたくない知努は、口を固く閉ざす。染子が、彼を数字で欲情する人間へ変えた責任を慧沙に追求した。
「このままだと、知努は0とか9で物足りなくなって、3の形でしかエッチな気分になれなくなるわ」
「胸とかお尻の大きさの話をしているのに、話が飛躍し過ぎだよ。頭大丈夫?」
狂人の非常識な言動は、凡庸の感性しか持ち合わせていない慧沙を冷静にさせた。彼女の戯言を両親の次に聞かされている人間は知努だ。
人間性を多少欠損させた代償に、染子がその美しい容姿を得ている。異常者扱いを受け、機嫌が少し悪くなった彼女は、知努の頭をバラエティー番組のゴング代わりに何度も叩く。
「俺の頭は裁判所の打撃板ちゃうぞ。首が取れる、やんけ」
彼の似非関西弁の指摘で、慧沙が知努の生首を模した小槌を求める。話の軌道はしばらく戻らなかった。
数分後、頭蓋骨のどこかに亀裂が入っていそうな痛みは少し引く。厄介な相手がいなくなるまで男子トイレに籠る考えを思い付き、知努は席から立とうとした。
しかし、左手首を下へ引っ張られる感覚が急に襲い掛かり、逃げられない。心当たりは1つしか無かった。染子の指が食い付くように手首を捕まえており、どうやら途中退席は許して貰えないようだ。
無様を晒さなければいけなくなる状況に対して、胸の底から嫌悪感が沸いた。気付けば、知努は硬く拳を握り締めている。飼い犬のような認識を持たれていた彼女に、好意を知られる事が耐えられない。
「何か言う事は無いのかしら」
顔だけ知努の方へ向けて、被告人質疑する検察官のように淡泊な表情だった。引っ込み思案で退屈な男と彼は弁えているが、やはり腹立たしく感じる。
せめてもの情けとして、いくらか罵倒でも受けなければ笑いへ昇華し、穏便に済ませられない。彼女と目線が合わせられないまま、答える。
「失せろ、このダボスベタが。カマキリとバッタから生まれたような魍魎を好きになる訳がないだろ」
「あっごめん、ちょっと言い過ぎた。と、とにかく俺はお前に恋愛感情なんて持っていない」
異性を罵倒する経験が浅く、洋画のような誇張した言葉となってしまった。並の女子ならしばらく落ち込むはずだ。
傍若無人の染子は急に鋭く睨み付け、手首から手を離して、知努の頬へ持って行く。次の動作が誰も予想出来ない。
透明の障壁が立てられているような空間に、茶々を入れる余裕すら無い慧沙は、傍観者として見守っていた。
スカートの生地が擦れる小さな音を立てながら詰め寄り、見下げている。知努は驚きのあまり、瞬きすら忘れていた。
家族以外に久しく密接距離を許していない。どぎまぎしてしまい、すぐ赤面してしまうからだ。屈んでから知努の耳元へ近付け、耳の縁に甘噛みする。不思議と羞恥を紛らわす痛みが湧かず、歯痒くなった。
知努の心情が耳と頬に表れ、染子に悟られてしまう。せめてもの意趣返しとして、転ばせない力加減で彼女の腹を軽く押す。すると彼の手首を捉え、スカートの中に引き込んだ。
温かく、弾力がある色白の太腿を触らされて、知努の隠されていた鬱屈が剥き出し、周りから見えないように、彼女の首筋を甘噛みする。怒りが一瞬で消えた。
染子は珍しく抵抗せず、熱を帯びた吐息を軽く出す。それどころか、彼の顔に垂れる髪を後ろへ流した。彼の答え同然の行為を受け入れ、徐々に頬を紅潮させる。
「臆病な癖に、歯向かうとは良い度胸ね。《《むっつりドスケベの遺伝子を奪わないと、腹の虫が治まらない》》。」
「はぁ、俺の遺伝子でぇ《《クローントルーパー》》でも作んのぉ?」
知努の耳に息を吹き掛けて、離れた彼女は教室から出る。遠回しに既成事実を設けると脅迫していた。染子が身籠り、堕胎する恐ろしい未来は、誰も喜ばない。そして、三中知努の尊厳に関わる。
幼少期、彼は染子と裸体を見せ合ったり、接吻したりさせられた。彼女が両親の情事でも見て、真似したかったのかもしれない。
興味本位で注目していた生徒達は男女問わず、どこと無く知努を妬むように睨んでいる。2人の爛れた関係を疑い、如何わしい行為内容を想像する人間もいた。
「まさか染子が気持ち悪いと言って終わらなかったとはね。それに僕、知努ちゃんの健気さに少しドキドキしたよ」
隣の襖で遮られているような空間がようやく公共の場所へ戻り、口を開いた慧沙は苦笑していた。
「ヤだっ、そんなの、言わないで」
精神的に脆弱な部分を露わとする知努が、一種の退行を起こす。恥ずかしさのあまり、机で顔を隠した。
助け舟を出さず気楽に眺めていた友人は、いつも通り楽しいイタズラと思っている。昼休憩の終了を告げる予鈴が鳴り、生徒達が学生の本分である勉学へ戻った。
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