第139話通天閣
彼が天邪鬼女子の脅しを無視して、スマートフォンを上着のポケットへ片付ける。機嫌を損ねて、自傷行為を仄めかしそうな久遠と比べ、扱いに困らない。
倉持家の同学年女子達へ1人何個か手に渡る菓子の土産を用意していた。先輩と後輩の関係を構築している夏織だけ特別だ。下手に主流から外した品を渡すと、相手から勘違いされてしまう。
チャープの投稿を眺めている染子は、洋菓子専門店で発生した窃盗事件をわざわざ知努へ伝える。大型連休中の暇な中学生が、クッキーを盗んで逃走していたようだ。
数年間の誘拐から戻ったばかりのぬいぐるみと無関係な為、彼は抑揚の無い相槌を打つ。元習志野勤務の現店長体制へ替わって類似事件が何度も起きた。知努はすっかり聞き慣れてしまっている。
話題がすぐ終わり、染子はエレベーターの搭乗まで退屈を凌げそうな、イラスト展覧会の開催を要求した。彼のタブレットに、世へ出していない多くの作品が保存されている。
知努はタブレットを出し、彼女が好みそうなイラストを見せた。青と橙色を組み合わせているスポーツカー、黒を基調とした乗用車はどれも屋根を取り外している。
染子が乗用車の前方にあった、角丸四角へ収められている鶏のような標章を指差す。知努はその説明をしたが、彼女に信じて貰えない。公用車として長年採用されていた高級乗用車の物だ。
「これをアパアパが乗れるサイズの模型でいつか作ってみたいな」
「もし作ったら毎年、自動車税114514円を私に納付して貰うわ」
玩具の紙幣で支払う予定の彼が、納付書の郵送を要求した。しかし、書類作成する手間を掛けたくない染子は対面納付しか認めず、彼が特殊詐欺を疑う。
懸架装置や過給機を露出させている、紅桔梗色の細長い車のイラストも披露した。ぬいぐるみ乗車用に屋根を取り外しており、いずれアパアパの所有物となる。
造形を好まず、彼女は素早く画面に指を滑す。京希が見せた模型の車と似ているイラストを表示させ、洋菓子専門店の展示品を思い出した。スポーツカーや高級乗用車を好んでいる。
格納式前照灯を搭載しており、車体の縊れは視覚的にスポーツカーの特徴を表していた。染子の肩越しに画面を覗き込んだユーディットが、不快感を示す。
「これを好むなんて随分下品なオランウータンね。むっつりドスケベ頑固者チー坊と大違い」
「むっつりドスケベは余計だけど、実際に買うならスポーツカーよりクーちゃんが窮屈しないような車かな」
秋田犬の将来を考えて、知努はワゴン車の購入を計画していた。彼の人生が雑種白猫や大型犬の存在に支配されている。絹穂は彼を将来の送迎運転手に指名した。
エレベーター搭乗の順番が回り、彼らは2階へ上がる。通路の途中で白いイタリア製スクーターの展示をしていた。その反対側に、『真実の口』を模す展示品もあり、有名映画の舞台を再現している。
そのイタリア製スクーターは、知努が崇拝していた俳優扮する私立探偵の愛車でもあった。幼少期、彼と半放置子状態の『般若』との3人でテレビドラマを視聴している絹穂は懐かしむ。
「〇ェスパでキーちゃんとタンデムツーリングも良いかもしれないね」
先約を入れられていた記憶を消し、知努が誘う。運転免許証を取得した時、『般若』は彼の妹分で無くなる定めだ。知努に無い一家の使命を彼女が背負っている。
絹穂は微笑みながら頷き、小学生2人も便乗して乗車を希望した。警察官に見つかると、間違い無く違反切符を切られてしまう人数だ。
「後ろに乗り過ぎ。ベトナムかな?」
先へ進むと、左右に多くのカプセル式小型自動販売機が並んでいる。客達は種類を眺めたり、硬貨を投入し回したりしていた。染子が知努のボストンバッグから財布を抜こうとする。油断も隙も無い。
すぐ彼はファスナーを閉めて、財布窃盗を阻止した。他人の所持金を頼れない彼女が1回分の硬貨を入れ回す。カプセルに、体を丸めて寝る白猫のストラップが入っていた。
京希の部屋を支配している白猫達と似ており、染子は取り出したストラップの白猫をカナコと呼ぶ。その態度から何かを連想した知努が、彼女の手首を掴む。
「今、仏道に適した言葉を残せ。言わなければ斬り捨てる」
唐突な質問に戸惑い、染子は答えを出せなかった。彼が手刀を振って、白猫の首を刎ねる。知努の演技に不快感を抱き、ユーディットは彼の足を踏み付けた。
数年前、京希の膝で寝ているカナコにも同じ動作を行う。禅宗の修行で使われる有名な問い掛けの1つと気付かれず、知努の奇行が毎度理解されない。
カプセル式自動販売機の通路を抜け、彼らは新たな展示の前で足を止める。数十年前のパチンコ屋の外装と、2台の手打ち式パチンコ台だった。知努が壁に貼られている、炭酸栄養飲料のポスターを眺め、固く口を閉ざす。
他の男女は複数ある車輪や、コンクリートブロックのような形の部品などからパチンコ台の仕組みを想像出来ていない。辛うじて、色んな方向に打ち付けられている釘の役目だけ把握していた。
中央下部で橙色のピンボールのフリッパーと似た棒が、チューリップを模る部品の左右から突き出ており、玉の入れ口のようだ。
「パチヌちゃん、これどこに玉を入れたら良いの?」
「人をパチンカスみたいに呼ぶな。下にある窪みの所とか、牛に見える中央のチューリップへ入れたら玉が出る。ちなみに、チューリップの入口は基本開いてないぞ」
慧沙に仕組みを説明すると、染子が捏造した乳幼児期の知努の仕草を再現する。母親の乳房をパチンコのハンドルに見立てているような動作だ。
知努は三中家にパチンコ好きな人間がいないと反論する。突然、彼の祖父母宅へ入り浸っていた女子高校生は、義仁の趣味を訊く。彼の口からその話題が1度も出なかったようだ。
「女装と読書と映画鑑賞とプラモ作り。好きな小説の影響で〇トロエンの車ばかり作っているぞ」
聞き慣れない自動車製造会社の名前に、染子は義仁を変人呼ばわりする。彼女が好きなアニメ映画を手掛けた監督は、その製造会社の車を所有し、作中にも登場させている生粋の愛好家だ。
同じ車種の模型を作った事のある知努が、汚名返上しなかった。染子に旧式自動車の良さは到底理解されない。育った家庭環境の違いが如実に表れている。
実車は国際自動車見本市で披露した際、奇抜な車体のあまり、報道関係者に『醜いアヒルの子』や『ブリキの缶詰』など手厳しい意見を貰う。
その反面、大衆からの支持が厚く、現在はフランス文化を象徴する車の1つに挙げられていた。悪路の走行が容易で、維持費も低廉だ。
彼は説明を添えながら、アパアパ用に改造された車のイラストを周りに見せる。大きな前方の泥除けを指差し、ユーディットが第二次世界大戦中の軍用車との類似点を指摘した。
「大きなフェンダーは軍用車のようだよね。俺も最初見た時、そう思ったよ」
流線系の小型乗用車は男女から一定の評価を貰うも将来、購入する選択肢へ入らない。中古価格すら数百万単位になる事は安易に想像出来た。
知努がタブレットを専用のケースへ入れると、彼のスマートフォンは通知音を鳴らす。ユーディットが通知内容を確認した。
収納棚の上部に展示している2台の白色乗用車模型の画像だ。どちらもショーケースへ入れており、意図的に同じ車種を並べていた。
『〇ルシオばっかじゃねぇか、お前ん家!』
無断で知努の部屋へ入り、撮影している。常盤のインターネットミームは通じず、彼女は無言のままスリープボタンを押した。チャープの通知だと察しているのか、知努が内容を尋ねない。
彼らは手打ち式パチンコ台の展示から移動し、5階へ上がるエレベーターに乗った。上昇中、ビリケン像を模る星座が夜空に浮かぶ映像が表示され、小学生達は喜んだ。
壁が透けており、到着まで外の景色を眺める事も出来た。エレベーター内に有名な交響詩の導入部が流れ始め、知努は巨大な赤子へ進化しないか心配する。




