第六話 しかと見よ! 燃え上がる乙女の魂ここにあり!(一)
「……ふううぅ……さあ、かかっておいで……デカブツちゃん!」
タイタニアはゆっくりと息を吐く。
刃的甲冑に覆われた腕を引き絞り、重心をやや落として構えた。
一方、対するフィエルンド・エリートは、巨大な六本の腕を広げ構えたままで動かない。
全身を走る紋様が、妖しく赤く明滅していた。
タイタニアは、じっと考える。
(……ふうん、昼間戦ったデカブツと似ているわ……攻撃の仕方も同じような感じかしら?
それならば、もらったわね、この勝負……)
唇の端をニヤっとつり上げた。
「私、ちょっと急いでいるから……さっさと片付けさせてもらうね!」
そちらが動かぬのなら、こちらから攻めるのみ――タイタニアは、フィエルンド・エリートめがけて宙高く跳躍する。
装甲思念体で覆われた拳で、あののっぺりとした頭を頂点から打ち砕いてやるのだ。
十数メートルの高度から、タイタニアの拳がフィエルンド・エリートに迫る。
フィエルンド・エリートは、まだ動かない。
「喰らえっ! 怒れる乙女の――」
タイタニアの拳が、フィエルンド・エリートの頭上に肉薄する。
その時だった。
「なっ――」
タイタニアは思わぬ事態に、あっと声を上げた。
なんと、タイタニアの胴体が漆黒の巨大な手に掴まれているではないか。
一体どれほどの速さというのか。
体高十一メートル、体重五十六トンもの巨体からは、想像もできないほどの速さだった。
「……あははっ! だめだよぉ、ティナおねえちゃん♪
その子、普通のフィエルンドよりもずっと強いもん。さぁ、どうする、どうするぅ?」
アーディが、肩を振るわせ、クスクスと笑いをこぼして見上げてくる。
「そ、そんな……あっ……うっ、うぐぐ……くかっ……」
フィエルンド・エリートの巨指が、タイタニアの胸と腹に食い込んだ。
約四十トンの握力が、タイタニアの肉体を押しつぶす。
肋骨が大きくたわんだ。
「こ……このっ……ふんっ、ぐぬぬぬっ……」
タイタニアも負けてはいない。
大胸筋、腹筋、広背筋に力を込め、隆起させ、食い込む圧力に対抗する。
両腕を開き、フィエルンド・エリートの五指をこじ開けようとした。
フィエルンド・エリートの漆黒の手が、小刻みに震える。
じわじわと開かれてゆく。
タイタニアの筋力の出力が、どんどん上がっていたのだ。
体内の装甲思念体の活性度が、ダメージの刺激によって高まっているのである。
「いいね、いいね! じゃあ、もっと刺激いっぱいにしてあげるね、ティナおねえちゃん!
フィエルンド・エリート……やっちゃえ!」
アーディが恍惚とした表情で、フィエルンド・エリートに命じる。
フィエルンド・エリートの全身を走る紋様が、ひときわ強く赤く発行した。
突然、タイタニアの身体を締め付けていた拘束が解かれる。
フィエルンド・エリートが、タイタニアから手を離したのである。
「あらっ……」
一体どうしたというのか?
こんなところで攻撃の手を緩めるとでもいうのか?
タイタニアは、呆気にとられた。
だが、その次の瞬間――
巨大な鉄塊のような拳が、両側からタイタニアの肉体を打ち据えたのだ。
「……くあぁっ!」
巨大な拳と拳の間に挟まり、タイタニアはかすれるような声で悲鳴を上げた。
まっすぐ拳を撃ち込んでくるのなら、吹っ飛ばされるものの間合いを取ることもできよう。
しかし今回は違う。
まるでシンバルをたたき合わせるみたいに、左右の拳で撃ち挟んでくるのだ。
しかも、ぴったりと胸の真ん前で、位置をキッカリと合わせて拳を打ち付けるのだ。
タイタニアは空間位置はそのままに、何度も拳で挟み込まれるのである。
これでは間合いなど取りようがない。
フィエルンド・エリートは、六本の腕を阿修羅のごとく繰り、無数の拳撃を加えてくる。
激しい火花と激突音が発生。
タイタニアの肉体が、怒濤の拳撃に蹂躙される。
打撃の連続で、上半身を覆っていた使用人服の生地がどんどん引きちぎれていった。
「ふぐっ! がっ……ああっ……うっ、んんっ! かあっ……」
呼吸すらままならない。
強い痺れと痛みが間断なく全身を襲う。
肉がへこみ、骨がたわみ、内臓が押しつぶされた。
「……フィエルンド・エリートは、まあ、そこそこ強いんだよね。
地面をガサガサって高速で飛び回って、ガバッと敵の機動兵器や機甲に飛びかかって、あーっという間に鉄くずに変えちゃうもんね……
はあ、でも、これじゃ残念だよぉ!
ティナおねえちゃん、そいつごときにやられちゃうのぉ?」
巨大な拳にもてあそばれ、悲鳴を上げ続けるタイタニアを見上げるアーディ。
期待はずれだと言わんばかりに、眉を寄せ、不平不満を顔に浮かべている。
ピッと宙を指さすようにして、フィエルンド・エリートに命令を下すアーディ。
フィエルンド・エリートが、攻撃パターンを急遽変更。
今度は、下からアッパーを突き上げるように拳を繰り出す。
「ぐ、おあっ……!」
タイタニアの腹に直撃し、空高く打ち上げた。
だらしなく四肢を垂らし、成されるがままに垂直方向に飛ばされるタイタニア。
フィエルンド・エリートが、下半身の八本の節足を駆使し、地蜘蛛のごとく跳躍する。
「さぁて……どうする、どうするぅ、ティナおねえちゃん?」
ワクワクが押さえきれないと言った風に、興奮するアーディ。
フィエルンド・エリートが、頭に生えた鋭い刃状の角をタイタニアの胸に狙い合わせた。
「何っ……?」
タイタニアが反応する間も無かった。
フィエルンド・エリートの頭に生えた刃状突起が、覆うものがなくなったタイタニアの右胸に突き刺さる。
ズブリ、と乳房の肉に潜り込んでゆく。
そのまま全体重をタイタニアの身体にぶちかました。
「あっ、ああ……うあああぁ――っ!」
唾液の飛沫を飛ばし、タイタニアは絶叫する。
両手で、乳房に突き刺さった刃を掴む。
少しの間、抵抗を試みた。
だが、そのままぐったりとなり、刃にもたれかかる。
重力に捕らわれ、自由落下運動が始まった。
タイタニアの胸を突き刺したまま、フィエルンド・エリートが地面に着地する。
ズウン、と重い轟音を上げ、地面が同心円状に陥没した。
タイタニアは、だらしなく四肢を伸ばしたまま動かない。
刃に体重をあずけ、しなだれかかっていた。
「……ありゃ、もしかして終わり? えぇ〜、それはないよぉ。アーディ、まだ戦っていないよぅ!」
不満たらたらといった様子で、アーディは拳を握り、頬を膨らませる。
ぷりぷりしてフィエルンド・エリートの巨体に近づいていった。
数メートルほどの距離を置き、アーディは動かぬタイタニアを見上げる。
「やっぱりダメか……」
ぼそっと呟くアーディ。
と、その時だった。
ピシっと、何か堅いものに亀裂が入ったような音が発生する。
アーディは、キリっと目つきを引き締めた。
なんと、タイタニアの右乳房に突き刺さっているフィエルンド・エリートの刃状の角に、亀裂が走っているではないか。
「……あぁ……なかなか……効くじゃないの……ううん……ゾクゾクするぅ……」
苦しそうに呻きながら、タイタニアが顔を起こした。
きつく抱きしめるみたいに、胸に突き刺さる刃に両腕を絡ませる。
深呼吸をすること一度。
タイタニアの目に生気と炎がみなぎる。
右の大胸筋周辺部に、うんと力を入れた。
「あ、あいにくだけど……ふふふっ、こ、これってね――飾り物じゃないのよっ!」
タイタニアの右大胸筋と圧倒的量感を誇る乳房が、刃をぎっちりと挟み込み、万力のごとく圧力を加えていった。
みるみるうちに、刃の亀裂が深くなり、広がってゆく。
十秒もしないうちに、パキンと澄んだ音を立てて、刃が粉々になった。
乳房の陥没がせり上がり、砕け散った漆黒の破片が勢いよく吐き出される。
タイタニアの右胸の肌には、赤い筋が細く浮かび、腫れているのみ。
貫通などしていなかった。
その肉と肌で、刃の刺突をみっしりと受け止め、見事にしのぎきったのである。
タイタニアの体内では、活性化した装甲思念体が繊維状に伸び、網の目のごとく張り巡らされていた。
この装甲思念体は、多様な物理干渉能力を持つ。
その性向は個体差もあるが、共通している性質がある。
細胞間の結合強度、対衝撃性、耐熱性など肉体特性を劇的に強化する点である。
さらに、筋肉が無い部位までも意識的に操作できるようになる。
タイタニアはその肉体操作をもって、胸に突き刺さった刃を肉で挟み込み、見事打ち砕いたのであった。
「くっ……面白い芸、見せてくれるじゃないの、ティナおねえちゃん……でも、なんかムカツクっ!」
アーディは、ニイっと笑みを浮かべながら、ギリギリと奥歯を噛みしめていた。
タイタニアは、フィエルンド・エリートの頭に飛びついた。
「だんだんとね、痛いのに身体がなれてきて……こう、痛めつけられるほど力が湧いてくるみたい……なんだか不思議ね……」
両腕を捻るように引く。
息を吐き出し、意識を拳に集中させた。
前腕からさらに追加的に、赤い刃的な帯が飛び出してくる。
装甲思念体である。
見る間に拳に巻き付いていった。
鋭い刃が絡みあい、拳がさらに強化され、一回り大きくなる。
フィエルンド・エリートが、タイタニアめがけて手を伸ばしてきた。
頭から引きはがそうとする。
だが、タイタニアに触れる直前、ボンッ、という爆破音が二つ響いた。
なんと、フィエルンド・エリートの手が、突然砕け、弾き飛ばされたではないか。
タイタニアが左右同時に裏拳を放ち、フィエルンド・エリートの手を砕き飛ばしたのであった。
鳳凰の翼のごとく、両腕を高く広げた格好になるタイタニア。
砕かれた手を、むなしく宙で振るうフィエルンド・エリート。
「さぁ、お仕置きの時間よ、デカブツちゃん……乙女の身体をもてあそんだ代償は、少し大きいわよ……」
タイタニアは凄みを効かせた笑みを浮かべ、処刑宣告をする。
左腕を前に伸ばし、右腕をぎゅうっと引き絞った。
右腕、右肩、右後背部が隆起してゆく。
思い切り息を吸い込んだ。
胸が大きく膨らむ。
「……ずありゃあああぁ――っ!」
タイタニアの雄叫びが周辺の大気をビリビリと震わせた。
タイタニアは右腕に回転を加え、足下めがけて撃ち下ろす。
パイルバンカーのごとく、フィエルンド・エリートの頭部に突き刺さった。
ゴリゴリっと音を立て、腕が漆黒の頭部を陥没させ、亀裂を走らせた。
瞬間的に亀裂は深く広がり、頭部が砕ける。
足場が崩落し、タイタニアが宙に放り出された格好になる。
「……今日のお仕置きは、まだまだこれからよ――ッ!」
垂直に落下しながら、タイタニアは次々と拳を撃ち込んでいった。
タイタニアの拳圧が、フィエルンド・エリートの首元を、胸を、みぞおちを、腹を貫通し、背中に抜けてゆく。
同心円状の陥没が立て続けに、ボゴン、ボゴン、と音を立てて形成されていった。
タイタニアは、真下の地面にストっと着地する。
そして、何事も無かったかのように立ち上がった。
フィエルンド・エリートの巨体から、クルリと背を向ける。
伸びやかな四肢と恵まれた長身を見せつけるように、優雅に歩いた。
フィエルンド・エリートは、腕を大きく広げたまま動かない。
「あれぇ……ちゃんとトドメささなきゃだめだよ。ティナおねえちゃん」
目をすうっと細めるアーディ。
どこか不満そうである。
タイタニアのやり方に手ぬるさを覚え、苛立っているのだろうか。
「ふふっ……この子ならもう逝っているわ」
タイタニアは腰に手を当て、艶然と微笑んでみせる。
その直後だった。
フィエルンド・エリートの全身に無数の亀裂が走り出したのだ。
亀裂から断末魔のごとく赤い光を放つ。
そして、十メートルを越す巨体が一斉に崩壊し、無数の黒色立方体と化した。
澄んだ金属音をいくつもかき鳴らしながら、黒色立方体が瀑布となって地面に降り注ぐ。
その光景を背にして、タイタニアは微笑みながらアーディに近づいた。
「あははっ……そうだよね、そうこなくっちゃね……それくらい強くなきゃ、アーディがっかりだもん」
アーディは、顔を手で覆い、クツクツと肩を揺らして笑う。
二つに結い分けられた長い赤髪が、楽しげに宙を踊る。
その表情には、獰猛で残酷な笑みと同時に、悦びと安堵の色も伺えた。
「さぁ、それじゃ、ここ通してもらおうかしら?」
タイタニアはアーディの目の前に立ち、ずいっと顔をのぞき込む。
「いいよぉ、もちろん……アーディを十分楽しませてくれたら、通してあ・げ・る♪」
アーディは額をくっつける勢いで顔を近づけた。
互いにドスの利いた笑みを浮かべ、至近距離でじっと見つめあう。
そして時間が経過すること数十秒。
「じゃあ、はじめよっか……ティナおねえちゃん?」
「そうね、私も急いでいるから――」
二人が、うっそりと呟く。
次の瞬間――タイタニア、アーディ共に右拳を繰り出していた。
ズバァン、と大気を切り裂く音が発生。
同時に、タイタニアの右拳がアーディの頬に、アーディの右拳がタイタニアの頬に炸裂した。
双方の身体が、それぞれ後方に吹っ飛ばされる。
濃厚に血煙舞う死闘の幕が、ここに切って下ろされた。