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第二話 ついに見せたかその正体!(下)

 

 漆黒の巨体の拳撃で倒壊した三階建ての建物――砕けたレンガや折れ散った柱が、がれきの山を作っていた。

 巨体はしばしの間、己が築いたがれきの山を見ていた。


 だがその後、何を思ったのか、そのがれきに拳を打ち込み始める。

 文字通り粉々に砕こうとでもいうのか。

 一心不乱に、まるで機械作業のようにがれきを叩き砕き続けた。


 細かく破砕され、無数の破片の山と化した建物。

 巨体は得心が行ったかのように、腕を破片の山に突っ込んだ。

 何かを探すように、腕を動かす――そして、ずるりと何かを引き上げた。


 ぐったりとして動かない長身の少女、タイタニアであった。

 頭からつま先まで、埃まみれで真っ白だ。さんざん破れたドレスは原型すら留めていない。

 申し訳程度に身体を覆っているに過ぎなかった。

 漆黒の巨体は、タイタニアの胴を掴み、そのまま高く掲げる。

 まるで勝利宣言みたいだった。


「う……うく……」


 タイタニアは頭をたれ、弱々しく声を上げた。かすかに手足を動かすのみである。

 がれき越しに、破城槌のごとき拳撃を無数打ち込まれたのだ。

 常人ならば、真っ赤な血肉のぼろ着れになっているところだ。

 だが、タイタニアにまだ息があることを見とがめたのか。

 なんと、漆黒の巨体は突如としてタイタニアの身体を地面に叩きつけたのである。


「ふああっ!」


 背中から中央広場のレンガ畳に激突するタイタニア。

 肺腑を強く圧迫され、息を絞り吐くように悲鳴を上げる。

 同心円状に陥没が広がり、身体が地面にめり込んだ。


 間髪入れず、黒光りする節足が振り下ろされる。

 タイタニアの胸をどすんと踏み、体重をギリリと掛けてきた。

 節足先端のカギヅメ部が、ざっくりと肌に食い込む。

 皮膚が裂け、ツーっと紅の筋がタイタニアの胸を斜めに走った。


「うぐあっ……ああ……」


 数トンもの圧迫が肺腑を押しつぶす。

 ほとんど息ができなかった。

 両腕で巨体の節足を掴み、必死に持ち上げようとする。


 だが、こんな仰向けの体勢では、ろくに抵抗できなかった。十分な力が入らないのだ。

 漆黒の巨体が、身体を前後に揺らし、体重を加えてくる。

 タイタニアの身体に、波状的に激痛が走った。

 かすれそうな声で、悲鳴を上げる。


「う……うがっ……あっ……くかっ、あ……」


 まさになぶり殺しである。

 楽器でもならすかのように、巨体は楽しげに身体をゆすり、体重を加えて来るのだ。

 巨体の節足を掴むタイタニアの手から、徐々に力が抜けてゆく。

 耳が遠くなり、周囲の音が聞きづらくなった。

 視界もぼやけ始めている。

 全身がしびれているみたいで、力が込められないのだ。


(……ああ、よくもやってくれたな。嫁入り前の身体によくもこんな真似を。

 そんな足、全部引っこ抜いてやる……くそ、ここで終ってたまるか。

 まだ、ジュリちゃんを……おいしく頂いて……)


 タイタニアの思考が暗闇に引きずり込まれる。

 やがて、視界が暗転した。

 得体の知れぬ虚脱感が、心地よく身も心も包んでいた。

 水底に沈んでいるような、あてどもなくたゆたう感覚――五感がゆっくりと途絶えてゆくのがわかった。


 自分の身体が、どこかに消えてしまったような気がしていた。

 ねっとりとしたまどろみに身を任せて、どれくらい経っただろうか。

 どこからか、くぐもった声がかすかに漏れ伝わってきたのだ。


「……の、ば……の! お……様から……れさない!」


 ふわふわとした浮遊感に身を任せていると、どこか聞き覚えのある声が聴覚を刺激してくる。

 カン、と金属的な反響音が数度起こり、タイタニアの耳をくすぐってきた。

 ぞくりとする感覚が走る。

 失われていた聴覚が、じんわりと回復してくるみたいだった。


「……言わせ……ください! さ、さあ……こっちにいらっしゃい! 化け物!」


 震え声である。ヤケクソというべきか、恐怖を必死に押し殺している声というべきか。

 だが、ハッキリと聞こえたのである。

 ユーリカの声だ。間違うはずがない――タイタニアは確信した。


 深淵に沈みかけていた意識を、必死に引き戻す。

 首を動かし、声のする方向を懸命に探した。

 事実、その通りだった。ユーリカは、長銃を膝立ちで構え、漆黒の巨体めがけて発砲していたのだ。

 ただし、照準はあまり正確ではないようだ。

 とりあえず当たってはいるが、狙いがあちこちにぶれている。


「わ……私だって、やるときはやるんですよ!

 いつも本ばかり読んでいると甘く見ていたら……大間違いですよ!

 た、大変な目に遭うんですからね……いや、大変な目に遭っているのは私か」


 ユーリカは、必死に自分を鼓舞しながらあの巨体と対峙している。

 それも慣れないことをして、危険を冒してまでである。

 普段書物に埋もれているばかりと思っていたのに、銃を扱っているとは。タイタニアは肝を抜かれた。

 それ以上に、恐怖を堪え、危険を顧みず駆けつけた自分の幼なじみの勇気に惜しみない敬意を送った。


 だが感傷に浸る間もなく、とんでもない状況が目に入ってくる。

 漆黒の巨体が、手近にある街灯の鉄柱を引き抜いたのだ。

 しかも肩に担ぎ、投擲体勢に入っているではないか。


「くっ! う……ふぐっ……」


 かっと目を開き、声を上げようとする。

 しかし、声が出せず、ひゅうひゅうと息が漏れるばかりだ。

 ユーリカも事態の変化に気づいたのか。

 長銃の構えを解いて、ぼうっと上を見上げた。


「さあ、そうですこっちです、こっちに……って、あれ? いや、それはちょっと待っ――」


 引きつった顔になり、長銃を放り出す。

 ぺたんと尻餅をついてしまった。

 逃走を図ろうとしているが、地べたをずるずると這うような有様である。

 巨体が重心を後方に移した。

 いよいよ鉄柱を撃ち放とうというのだ。

 一瞬だが、胸に加わる重圧が軽減される。

 声を上げるだけの余裕が生まれた。


「ユーリカっ! 隠れて! なんでもいい! 走って――っ!」


 わずかな間隙を縫うように、タイタニアはありったけの声で叫んだ。


「ひ、ひっく……くいいいっ!」


 言葉にすらならない声を上げ、ユーリカは地面を這い進む。

 これでは、巨体の鉄柱投擲から逃れられそうにない。

 再び巨体が重心を前に移し始めた。

 上体をひねり、右肩を突き出した。


 もはや間に合わない――高速で飛来する鉄柱に貫かれ、紅をまき散らすユーリカの映像がタイタニアの脳裏をよぎる。


「ユーリカ──ッ!」


 あらん限りの声量で叫んだ。

 もはやこれまでか、そう思った瞬間――突然、周囲のレンガ畳が裂け割れた。

 なんと無数の水柱が飛び出してきた。


 しかも、水柱がムチのようにしなり、巨体の各部に巻き付くではないか。

 鉄柱を担いだ右腕に、集中的に水柱が巻き付いた。

 巨体は、動きを封じ込められる。

 拘束を解こうとしてもがき、重心を崩した。


 タイタニアはその隙を逃さない。

 胸を踏みつける節足の圧力が緩んだ隙に、レンガ畳の上を転がった。

 巨体の脚裏の拘束から何とか逃げおおせた。

 そこに小柄な人影が、ぱっと飛び込んでくる。

 目にもとまらぬ早さで、タイタニアに肉薄した。


「あっ……」


 ほとんど声を上げる間もなく、何者かに抱きかかえられた。

 浮遊感に身体が包まれる。

 視覚的に確認する。そこにいたのは、ジュリアスだった。


 しかも、タイタニアを抱きかかえたまま、地上四、五メートルほどの高さを跳躍しているではないか。

 タイタニアは呆気にとられていた。

 そのまま、すとっ、と着地する。


「ジュリちゃん……!」


 一拍の間をおいて、怒濤の勢いで感情があふれ出す。

 わき上がる嬉しさを堪えきれず目を潤ませ、タイタニアはジュリアスの首にひしっと抱きついた。


「ごめんなさい、遅れちゃいました……」



「な、何言ってるの……そのまま逃げてくれれば良かったのに」


 照れくさそうに苦笑いを一つすると、ジュリアスはそっとタイタニアの頭を抱き寄せる。

 辛抱たまらず、タイタニアは埃まみれの頬をジュリアスにすり寄せた。

 見かけによらず、なんと勇気のある子だろうか。

 素直で優しくて。もう最高である。

 こんな年下を待っていたのだ。

 これはもう手放せない。

 運命の糸だろうが縄だろうが、こちらからぐるぐる巻きにしてがっちり結ぶしかあるまい――タイタニアの心の中が、ジュリアスで埋め尽くされてゆく。


「いくらティナお姉様でも、今の状態では荷が勝ちすぎると思います。

 後は、僕たちにお任せください」


「えっ、何を、何を言っているの?」


 一瞬、何のことかよく分からなかった。

 思考を落ち着かせ、周囲を確認する。

 ジュリアスの左手を見ると、何と青い輝きを放つ籠手の様なもので覆われていた。


 果てしなく透き通った、深い湖を連想させる。何という神秘的な青だろうか――タイタニアは見入った。

 今の状況を鑑みると、どうやらジュリアスは医術だけでなくすごい手品を使えるようだ。


 今、眼前で巨体を縛り付けている水のムチは、きっと彼が仕掛けたものだろう。

 どんなカラクリか分からないが大したものである。

 だが、今はみんなで一緒に逃げることが先決ではないか。

 それに『僕たちにお任せください』とはどういう意味か。

 頼もしい味方がいるとでもいうのか――タイタニアは疑問だらけで当惑していた。


「――レヴィン、今だよ!」


 その時、ジュリアスが凛々しく叫ぶ。

 長身の人影がユーリカの側にふわりと降りった。

 深緑色の服をまとい、大きな帽子を深く被っている。

 亜麻色の長髪を束ねた、美人と見間違えそうな青年だ。


「一時ばかりの失礼、ご容赦を……」


 レヴィンと呼ばれた青年が、ユーリカに短く一礼をする。

 立ち尽くす彼女の前で、レヴィンは外套から両腕を現した。

 しゅるしゅると、黄銅色の金属的な質感の帯が伸びてくる。

 前腕から手のひらにかけて、巻き付くように覆っていった。

 さらに伸び続ける金属的な帯。今度は、非常に太く、武骨な拳銃を形成してゆく。


「……あれは?」


 タイタニアは、レヴィンの手元を凝視した。新手の手品か何かなのだろうか。

 いや、この状況下で、手品であの巨体を迎え撃つとは考えにくい。

 あのような武器など見たことがない。

 自分は一体、何を目の当たりにしているのか?

 得体の知れないものだが、タイタニアは興味津々。驚き、感嘆するばかりであった。

 ユーリカは、どこか上気した様子で、ぼうっとレヴィンを見上げていた。


「危のうございます。自分の後ろにお隠れください」


 レヴィンは静かに告げた。


「……は、はい!」


 ユーリカは我に返り、小さく何度もうなずく。

 レヴィンの背後に回り、ひっしとしがみついた。

 ため息を何度も吐きながら、ぴたっと身体を密着させる。


 レヴィンは、すうっと、巨体の方に両腕を伸ばした。

 両手に握るのは、黄銅色に輝く大きな金属塊のような銃。

 籠手の様に手の甲から前腕を覆っていた。

 引き金らしきものは見あたらない。まるで手と一体化しているようだった。


「……まさかこんなところにまで現れるとは。エリュシオンの鉄槌、受けるがいいアレスよ!」


 呟くと同時だった。鋭い風切り音が立て続けに鳴る。

 間髪入れず、炸裂音が弾けた。

 漆黒の巨体の上半身が、球状の白煙のようなものに覆われる。


 直後、周囲に突風が吹き荒れた。

 ユーリカは飛ばされまいとしているのか。

 レヴィンの腰に手を回して抱きつき、目をつぶっていた。


 タイタニアも顔を伏せ、ジュリアスの胸に埋めて突風をやり過ごした。

 漆黒の巨体の上半身が、大きく後ろに反り返る。

 今にも折れ曲がりそうである。

 レヴィンの巨大双拳銃がうなりを上げた。

 次々と巨体の上半身に圧縮大気の貫通撃が打ち込まれる。

 衝撃波が幾重にも発生した。

 がっくりと体勢を崩し、地に腕を突く巨体。

 右腕に掴む鉄柱で、辛うじて身体を支えている――もうこれで終るかに見えた。


 だがその刹那、巨体の頭部から上半身にかけて、赤く光る紋様がばっと走った。

 上体をしならせ、起き上がる。

 乾坤一擲の反撃を見舞わんばかりに、威嚇的に両腕を大きく開いた。

 地に刺さっている鉄柱を再び掴み抜き、レヴィンとユーリカめがけて投げつける。


「ご容赦を」


 そう短く告げると、レヴィンはユーリカを脇に抱えた。

 斜め後方に跳躍回避する。


「ほえっ――?」


 ユーリカは、何が起きたのか分からない様子であった。


「――まずい!」


 タイタニアを抱きかかえたまま、ジュリアスが左腕をすうっと伸ばす。

 力を込めるように、五指で宙を掴んだ。

 すると、地面から水柱が追加的に大量発生する。

 強靭なムチと化して漆黒の巨体に絡みついた。

 人型の上半身に、蜘蛛状の下半身に、水のワイヤー状拘束がどんどん巻き付いていった。


 拘束を解かんとしてあがく漆黒の巨体。

 苦し紛れといった風に、周囲の瓦礫をわしづかみにする。

 跳躍を続けるレヴィンとユーリカめがけて瓦礫の塊を投げつけた。

 大型散弾銃のごとく、無数の石片や木材片が放たれる。

 地面に、建物に突き刺さり、小陥没を描いていった。


 ユーリカを抱えているためか、今度はレヴィンが防戦に転じる。

 決して止まってはならない死の跳躍舞踏――足を緩めれば、瓦礫の散弾のエジキと化すのだ。


 これはまずい――タイタニアは直感した。

 ジュリアスが拘束の手を緩めても、レヴィンの回避が鈍っても事態は危機的なものとなる。


 他に動ける者はいないのか――その答えは思案するまでもない。

 この自分、タイタニア・ブリュグナントが動かずして、誰が動くというのだ。

 ぐぐっと拳を握りしめる。両肩から腕、そして背中が、かっと熱くなるのが分かった。

 身体の中で熱い何かが動いているのを感じ取れる。


「……よーし、やっちゃうか」


 唇の端をわずかに上げ、ふふっと笑む。


「ティナお姉様?」


「ふふっ、あのデカブツ君にちょっと借りを返してくるね!」


 驚き戸惑うジュリアスに、悪戯っぽく微笑んだ。

 ジュリアスの腕からするりと抜けて、起き上がる。

 小さく手を振って、駆け出した。

 近くで横転している無人の箱馬車に近づき、しゃがみこんだ。


「……そおりゃあっ!」


 両腕を広げ、金属製の車体を掴む。

 大きく息を吸い込み、気合と共に持ち上げた。

 肩から後背部にかけて、しなやかな筋肉群が一気に発奮する。

 あちこち破れた象牙色のドレスが、大きく引き伸ばされる。


「さっきはよくも、私のお乳をザックリやってくれたじゃないの?

 あれ、結構痛かったのよ……その借り、キッチリ返してあげるねっ!」


 箱馬車を持ち上げたまま、タイタニアは助走を開始した。

 つま先がレンガ畳に突き刺ささる。

 小規模陥没を幾つも描きながら、巨体に接近する。

 大きく踏み込み、上半身にさらに力を入れた。

 後背筋、三角筋、上腕筋、大胸筋がぐぐっと膨らむ。


 その直後だった――両肩から、深紅の帯状のものが射出されるように現れた。

 鋭く、心地よい痛みと灼熱感が体中を駆け抜ける。

 肩から上腕、前腕、そして手の甲、五指へと巻き付くように覆ってゆく。

 鋭い刃が螺旋を描くように絡みあい、美しい甲冑的造形となった。


 戦意が急上昇、抑え切れない灼熱感が身体を突き動かした。

 筋肉の出力が爆発的に高まる。

 今までとは力の放出感がまるで違う――それがハッキリと分かった。

 箱馬車の車体が加速される。助走時の勢いに、押し出す筋力が加わった。


「歯をっ、食いしばりっ、なさい──ッ!」


 タイタニアは腹の底から声を絞り、雄叫びを上げた。

 上半身が大きくしなる。残ったドレス生地が一気に裂け散った。

 金属製の車体が、亜音速の勢いで宙に放たれる。

 大気を引き裂き、ごうっと音を立てた。

 巨体の上半身に向かってまっすぐ飛んで行った。


 箱馬車の車体が巨体に激突する。

 枠がゆがみ、金属板や部品が派手に飛び散った。

 漆黒の巨体の身体に、亀裂が入る。

 ぐらりと倒れそうになり、すんでの所で踏みとどまった。


 タイタニアが飛び上がり、垂直に近い軌道を描く。

 巨体の頭めがけて、真上から飛びかかった。

 降り注ぐ日光を一身に背負い、拳をきつく握りしめ、口上を名乗り上げる。


「さあ覚悟! 嫁入り前のこの身体、もてあそぶとは良い度胸!

 不埒乱行三昧の、貴様の命運これまでよ!

 喰らえ! 必殺・貞操危機一髪・怒れる乙女の熱血ッ、鉄拳ッ、制裁パーンチ!」


 紅蓮の刃的装甲に包まれた腕を引き絞る。

 地獄の劫火をそのまま物質化したような紅の装甲拳を、怒濤の勢いで撃ち込んだ。

 腕を交差してガードする巨体。


「うぬああぁ――っ!」


 咆哮を上げ、拳撃の勢いを加速する。

 みるみるうちに、巨体の防御が突き崩されていった。

 そして、漆黒の巨腕が大きく弾かれ、ぐらりと後方にバランスを崩す。


 タイタニアの拳が、巨体の頭部に突き刺さる。

 巨体の頭部に亀裂が走った。

 岩盤を砕く楔のごとく、紅蓮の拳が次々と打ち込まれていく。

 あっという間に、真っ二つに裂け砕かれた。


「まだまだっ、まだまだまだまだまだ――っ!」


 それでもタイタニアは手を止めない。

 息もつかず拳撃を繰り出す。

 漆黒の巨体に、正中線にそって亀裂が入る。

 身体が破砕され、二つに裂けていった。

 そのまま一気に、地面ごと撃ち抜く。

 巨体の足下が大きく陥没し、地面が波打った。


「くあっ……あああっ……あああ――っ!!」


 肩を大きく乱し動かす。

 激しく呼吸を繰り返した。


 もうこれ以上身体を動かせない――だが、今まで味わったことがない爽快な疲労感、力の放出感だった。

 心地よい痺れが、全身を縦横無尽に貫いた。

 四肢が小刻みに震え、身体の各部の痙攣が止まらない。


「はっ、ははっ……あぐっ……や、やった」


 恍惚とした浮遊感が、濃厚にタイタニアを包み込んでいた。

 漆黒の巨体が完全に動きを止める。

 ぐらぐらと揺れ始めた。

 その全身に描かれる光の紋様が、弱々しく明滅する。


「そんな……まさか、あの状態で?」


 驚きを禁じ得ない、といった表情でジュリアスは立ち尽くしていた。

 少しして、我に返る。

 左手を覆っていた深青色の装甲が、しゅるしゅると帯状に解けて、袖の内側に引っ込んでいった。


 レヴィンも、舞踏的回避を止め、ふわりと広場に降りる。

 支えながら、ユーリカを立たせた。

 やがて、漆黒の巨体表面の明滅が停止した。


「ん?」


 タイタニアが変化に気づき、見上げると同時だった。

 巨体の腕や脚が、無数の小さな黒色立方体に分解されてゆく。

 ひとつひとつは小指の先端ほどの大きさだ。

 石炭を削って作ったサイコロの様にも見える。

 だが、物性は金属的である。


 その黒色立方体が、一斉に降り注いできたのだ。

 土石流のごとくタイタニアの身体にのしかかってくる。


「ちょっ……まだ、身体が――」


 激しい戦闘の疲れもあり、タイタニアには避ける余裕さえなかった。

 そのまま、黒い濁流に飲み込まれてしまったのだ。

 うつぶせに押し倒される。

 背中にどんどん重さが加わる。

 呼吸がしにくくなり、慌ててもがいた。

 されど、力が入らず、黒い立方体の濁流を押し返すには至らなかった。


 黒色立方体が、澄んだ音を数多かき鳴らす。

 タイタニアを押しつぶし、うず高い山を築き上げた。


 声を出すことはおろか、指先さえほとんど動かせなかった。

 このまま窒息して死ぬのか。

 これが死因になるというのか。

 嫁入り前にこんな結末を迎えるなんて、あんまりだ――焦燥だけがどんどん濃くなって行く。


「ティナお姉様っ!」


 すかさずジュリアスが黒い山に駆け寄る。

 腕を差し入れ、ざぶざぶと黒色立方体の山をかき分けた。

 小動物を思わせる素早い動きで、どんどん掻き出してゆく。


「どこ……どこにいるの?」


 唇を真一文字に結び、心配そうな表情で一心不乱に黒い山を崩していた。

 心なしか、背中に掛かる負担が軽くなったようにタイタニアには感じられた。


 肩から腕にかけて、徐々にヒンヤリとした空気の感触が広がってゆく。

 誰かが自分の左腕を掴んだ。

 そのまま、ずるりと引っ張り上げられる。

 まぶしい光が目に入った。


「ぷはっ……はっ……ふあああっ――」


 タイタニアは思いっきり息を吸い込んだ。

 腕を引っ張り上げた相手に、ぐったりとしなだれかかる。

 ほんのりと甘く、それでいて爽やかなその匂い。

 目の前にあったのは、美少女的な面立ちの少年の顔――ジュリアスであった。


「やったよ……どうだ、すごいでひょ……」


 疲労困憊で、ろれつが怪しくなっている。

 何度も息をして、疲労除去を試みた。


「ええ、お見事でした。どうか楽になさってください。あとは、その――」


 途中まで言いかけて、ジュリアスは凍り付く。


「どうしたの……ん? あれ――」


 ジュリアスの様子を怪しんでいると、やたらと体中が涼しいことにタイタニアは気づいた。

 目一杯身体を動かした後だから、汗でもかいているのだろう――その程度にしか思っていなかった。


 だが、周囲の様子がおかしい。

 レヴィンは帽子を深く被って、こちらと視線を合わせようともしない。


「あ……お、お嬢様……その、そ……」


 ユーリカは、口をぱくぱくさせている。

 まったく、言いたいことはハッキリ分かるようにしなければ。

 それに、主が命がけで勝利を掴んだのだ。

 もっとこう、褒め称える言葉のひとつくらいかけても良いではないか。

 などと考えている間に、ふと自分の身体に視線を落とすタイタニア。

 そして、己が一糸まとわぬ姿になっている事実に、魂ごと打ちのめされた。


「ふっ、ふおおおっ?」


 思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 ぼろ切れ同然といえども、最小限の部位くらい覆われていると思っていた。


 甘かった。


 ものの見事に、布きれ一片残らずはぎ取られていた。

 先ほど肩から腕を覆っていた深紅の甲冑も、跡形もなく消えている。

 ここまでくると見事としか言いようが無い。


 もうこれで何度目か。


 本当に良く脱げる一日である。

 決して狙ったわけではない。


(もしかして、私、ジュリちゃんに見られてる?)


 思わず自虐的な快感と期待がゾクゾクと湧き上がってくるが、すぐに現実に引き戻された。


「と、とあえずっ、こ、これをっ――」


 ジュリアスは狼狽を必死に堪えながら、白い外套を引っ張って外す。

 タイタニアの背中に、ぱさっとかけてきたのだ。


「うん、ありがとね、ジュリちゃん……」


 絶妙のタイミングで視線を外すジュリアス。


(……もうちょっと見て行きなさいよ! これじゃ脱ぎ損じゃないの……)


 ちょっぴり、いや、結構残念だった。思わず言葉に出そうになる。

 しょんぼりと苦笑した。


 だが、考えてみれば、今日は本当に身体を動かしたものだ。

 身体の節々は痛いし、粘り着くような疲労感と眠気が襲ってくる。

 それに、先ほどから胸やら背中やら各所が濡れてべたついているようだ。

 恐らく、かなり汗でもかいているのだろう。

 いや、汗にしてはどうも粘り気が多いような気がする。

 どうも気になって、腹から胸にかけて手を滑らせてみた。

 ぬるっとした感触が、かなり広範囲に広がっている。

 さらにペタペタと、身体のあちこちに手を這わせてみた。

 そして、手のひらを確かめる。


「……あれ?」


 タイタニアは、手のひらから前腕にかけて、真っ赤にべったりと染まっているのを見た。

 どうやら汗ではないようだ。


 急に、両膝から力が抜けてゆく。

 すかさずジュリアスが、倒れ行くタイタニアの身体を胸で抱きとめた。

 タイタニアの足下には、赤い滴がいくつも落ちている。

 まるで、赤い蝋を垂らしたみたいだった。

 漆黒の巨体との戦闘で受けた傷口から、鮮血が止まることなくしたたり落ちていたのである。


「ジュ、リ、ちゃ……わ……た……し」


 目の前が、急に暗くなる。

 強烈なめまいが襲いかかり、意識が乗っ取られてゆく。

 くたっと身体をジュリアスにあずけ、タイタニアは、ずるりと崩れ落ちた。


「ティナお姉様……? しっかり、しっかりしてください!」


 ジュリアスが今にも泣きそうな顔で、タイタニアの身体を揺る。

 ユーリカとレヴィンも、事態の急変を察知したのか急ぎ駆け寄ってきた。


「ああ、お嬢様! どうしましょう、どうしましょう、ジュリアス様、何とかなりますか?」


「一刻も早く手当をしなければなりません! どこか良い場所があれば――」


「ならばブリュグナント家へ! 場所も道具も物資類も十分ございます!」


 ユーリカの緊急提案で決まりとなる。

 タイタニアの実家であるブリュグナント家に急行し、そこで手当をするのだ。


「御曹司、よろしいのですか?」


 何かの確認を取るように、判断を仰ぐレヴィン。


「一緒に来て! 今は物事の順番を気にしている場合じゃないよ」


「承知仕りました」


 ジュリアスは、間髪入れずに決断し、レヴィンに同行を指示した。

 

 この後すぐ一行は、ユーリカが調達していた箱馬車に乗り込み、ブリュグナント家邸宅に急行したのであった。

 

 

 †  †

 

 

 つい先ほどまで、謎の巨体が暴れ回っていた中央広場――そのすぐ近くに、ひときわ高い建物がある。屋根は鋭く伸びており、尖塔状になっていた。

 屋根の上で、何も無いはずの空間が陽炎のように揺らめきだす。

 空気の揺らめきは、人の形となっていった。

 次第に透明度を失い、灰色の密着衣をまとった人影が姿を現す。


 それは、赤い髪を長く伸ばし、後頭部で二つに結い分けた少女であった。

 雌の黒豹を思わせるしなやかな体躯の持ち主だった。

 愛くるしい顔に、荒々しさと鋭さを帯びた目をしている。

 午後の陽射しが、ほど良い起伏を兼ね備えた身体のシルエットを色濃く浮かび上がらせていた。

 腕を組み、中央広場をじっと見下ろしている。


「うわあ、すっご〜い! フィエルンド、やっつけちゃったよ。

 あれがエリュシオーネかぁ……やっと網にかかった」


 少女は、ほくそ笑むように呟いた。

 喜びを堪えているのか、小さく肩を震わせている。


 視線の先には、無数の血痕が狭い円状に広がっていた。

 先ほどの戦闘で受けた傷で、タイタニアが流した血である。


 その血痕だが、未だに乾いていない。

 表面が小さく振動しているのを、少女の視野はとらえていた。


 少しして、赤い光の小泡が血痕から宙に浮き上がってくる。

 紅の光を放つ蛍の群れのように、どこへともなく飛び去っていった。


「ふーん、あれが、あいつらのナノマシン? 便利な機能持ってるじゃん」


 少女は、興味深そうに目を細める。

 ふいに風が強くなり、赤髪が風になびいた。


「それにしても結構強いなあ、あのお姉ちゃん……やっつけたら、あたし、大金星?

 でも、どこかで見たことあるような……」


 顎に指を当て、小首を傾げて考えあぐねる。

 そして、口端が三日月のようにつり上がった。


「あっ、思い出した! おじさまの娘さんだ! でも、細かい話は、まあいいや。

 その時はその時だよね。結果的におじさま独り占めにできるかもしれないし。

 あれ、もしかしてアーディ、ちょっとお利口さん? あははっ……」


 堰を切ったように破顔する赤髪の少女・アーディ。

 その口元には、嗜虐的な笑みがくっきりと刻まれている。

 無邪気で残忍な加虐主義者の精神が、濃厚な滴となってしたたり落ちているみたいだった。


 やがて、アーディの身体が徐々に透き通ってくる。

 その姿は陽炎のようにゆらぎ、完全に透明になって消えた。


 にわかに風が起こる。

 何かが建物の屋根を伝って走る音がした。

 


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