第二話 ついに見せたかその正体!(中)
「う……ぐくっ……い、生きてる……?」
タイタニアが、瓦礫の中からむっくりと上体を起こした。
背中と腹に強い痺れを感じた。
ドレスの背中は派手に破れており、赤くなった肌が露出している。
三階建てであるこの建物の内部は、砕けた建材、折れた椅子や机、割れた陶器の破片などで一杯だ。
中の人はすでに避難しているのか、誰もいなかった。
ふと、身体の下に温もりを感じた。視線を落とす。
先ほど急に飛び出してきたジュリアスが、仰向けに横たわっていた。
タイタニアに組み敷かれるような格好だ。気を失っているのだろうか、目を閉じている。
柔らかな黒髪に、整っていて可愛らしい顔立ち――純真無垢な天使の寝顔のようにも見えた。
タイタニアの母性本能が強く刺激される。吸い込まれるように顔を覗き込んだ。
背中に腕を回して抱き起こす。頬にぴたぴたと手を当てて、意識を確かめた。
「ジュリちゃん、しっかり、しっかりして!」
「う……」
ジュリアスは、ゆっくりと目を開けた。
タイタニアと視線が合うと、ぱちっと目を開く。あっ、と小さく声を上げた。
「大丈夫? どこか痛いところ無い?」
「えっと……はい、大丈夫です」
「あぁ、よかった! もう心臓が止まるかと思ったんだから!」
安堵の余り、無意識的にジュリアスをぎゅっと抱きしめた。
だが、なぜジュリアスは戻ってきたのか?
こんな危険な場所に来るなんて。これは、少し説教しておかなければと思い立つ。
ジュリアスの両肩を掴み、まっすぐに瞳を見据えて問いかけた。
「駆けつけてくれたのはとっても嬉しいの。でも、どうして戻ってきたの?
こんなに危ないのに、ダメでしょ?」
「そ、それは……」
ジュリアスは、どこかぎこちない。どぎまぎと戸惑っている様子だ。
返答に窮して困っている様子も、大変可愛らしい。保護欲求を非常に刺激してくる。
まあ、理屈よりも身体が先に動くと言うこともあるだろう。
目と心の保養になったところで、そろそろ許してやろうかと思い立った。
「はあ、もう、仕方がないなぁ。これからは気を付け――」
「ああっ、ティナお姉様、その肩は!」
突然であった。
タイタニアの言葉を遮って、ジュリアスが声を上げたのだ。
何か衝撃を受けたのか、我が目を疑うようにゴシゴシとこすっては、タイタニアの肩を凝視しているではないか。
「肩? あれ、怪我したかな? 多少擦りむいたくらいじゃないかしら? そんな大げさな……」
本当に心配性なんだからこの子、などと思って苦笑するタイタニア。
おもむろに自分の肩を見やった。
そして、
「えっと、これは……ずいぶんと赤くて派手に――って、何これええぇっ?」
絶叫して凍り付いた。
紅の刃のようなものが複数、両肩の肌を断ち割るようにして、並び刺さっているではないか。
手のひら大きさで、流麗な湾曲刀の先端を思わせる形状であった。
内側から生えているようにさえ見える。
いつの間に刺さったというのか。
だが不思議なことに、痛みもなく血も流れていない。
これは気味が悪い。
「あれ、抜けない? どうしよう、これ、無理に引っ張ったら血がいっぱい出ちゃうのかしら……」
左手で紅の刃を掴み引き抜こうとするが、一向に摘出できそうにない。
がっちりと根を張っているみたいであった。右肩と一体化しているとでもいうのか。
タイタニアの顔は、みるみるうちに青ざめていった。
血の気が引いていき、頭がクラクラしてくる。
その時、ジュリアスが告げてきた。
「こ、これは装甲思念体? いつの間に……」
瞠目したまま、ごくりと生唾を飲み下す。
その表情からは、ただならぬ事情がありそうなことがうかがえた。
「どうしよう、どうしようジュリちゃん! これ、取れそう?」
タイタニアの思考は混乱をきたしている。
ジュリアスは医師のはずである。
ここはもう、ジュリアス大先生の腕前に身体を託すしかないのではないか。
「むむ……ちょっと調べてみますね」
ジュリアスは、慎重な手つきでタイタニアに肩にある刃状のものに触れた。
精緻な動きで、紅の刃の縁を指先でなぞってゆく。
指を少し走らせては、何かを探るようにじっと止めた。
しばしの間、沈黙が二人を包み込んだ。
波紋一つ無い水面のように、周囲は静まりかえる。
「……やはりそうか。目覚めかけている。でも、これほど早いなんて」
ジュリアスの表情がピリっと引き締まった。
息一つさえせず、タイタニアの右肩に視線を集中させている。
焦りの色がにじみ出しているように感じられた。
「どう、治りそう?」
苦渋の情を眉に刻み、タイタニアは恐る恐るたずねる。
自他認めるほどに健康優良な身体のはず。
だというのに、自分は原因不明の奇病に冒されていたとでもいうのか。
もう、すっかり気が動転していた。
「そうですね……これは、はやく処置をしなければ」
ジュリアスが腕を組み、思案げに呟いた。
その直後、突如として重々しい破砕音が響き渡る。
建物全体が激しく振動しているではないか。
一体今度は何事か?
タイタニアは、ハっとして建物玄関の外を見た。
「あっ、これはまさか、あのデカブツ君か? しつこいっ!」
なんと、あの漆黒の巨体である。
まだ諦めていないというのか。
建物に密着し、節足を忙しく動かしている様子が玄関の先に見える。
再度、建物全体がギシギシと衝撃で震えた。
あの長く伸びた腕で、戦鎚のごとく建物を殴りつけているのだろう。
どうやらこの建物全体を崩落させるつもりのようだ。
「ちょ、ちょっと、これはやばいんじゃないの?」
左右の壁が、どんどんせり出してきた。
天井に亀裂が入り、へこみ始めている。
建物内部の至る所が、ミシミシと悲鳴を上げていた。
亀裂の走り方がどんどん早まっている。
これはもう、もたない――タイタニアは直感した。脱出口を探さねばならない。
さっと建物内部に目を走らせた。
すると、裏口らしき木扉があるのがわかった。
「ジュリちゃん、走って!」
「えっ――?」
タイタニアは叫ぶと同時に、ジュリアスをお姫様抱っこして駆け出す。
建物の崩落が始まった。
ほぼ一瞬といっても良いくらいだった。
視界があっという間にがれきで埋め尽くされてゆく。
脱出時間がまるで確保できない。
このままでは、二人とも逃げ遅れてしまう。
できれば、こんなことはしたくなかったが。
タイタニアは、きゅっと唇を噛んだ。
「ごめん――」
抱きかかえたジュリアスの身体を、裏口の木扉めがけて押し飛ばしたのだ。
直後、建物は積み木を崩すかのごとく瓦解する。
おびただしい量のがれきが、タイタニアの身体を飲み込んだ。
† †
「ありがとうございます……本当にありがとうございます!」
小さな女の子を抱き寄せ年若い母親が、ユーリカに感極まった様子で感謝を述べた。
足首の怪我を、ジュリアスに手当してもらったおかげもあってのことだろう。
小さな女の子はケロっとした様子で、母親の脚に抱きついている。
「いいえ、その感謝はタイタニアお嬢様に。この度の無事は、あの方の勇気あってこそ」
ユーリカは、照れくさそうに微笑んだ。
タイタニアは、本当に何をしでかすのか分からない主人である。
侍女という立場上、主人の危険な行いは諫めなければならない。
だが、こうして微笑ましい親子の再会を見ていると、タイタニアの蛮勇も悪いばかりとは思えない。
それどころか、より誇らしい気持ちになってくる。
痛し痒しといったところか――ユーリカは心の中で独りごちた。
「あの、ユーリカ様、街は、ネザルラントは、どうなってしまうのでしょうか?」
「それは……」
不安げな母親の様子に、ユーリカは言葉に詰まる。
あのような人知を越えた化け物が襲ってくるなど、想定外過ぎる。
しかもミルドラント帝国軍の装甲砲兵騎士団でさえ勝てない相手。
憲兵隊だけでどうにかなるとも思えない。
ハンザ連邦軍を総動員して、どうにかなるかどうか。
だが、そんな化け物に一人立ち向かうタイタニア。
さらにジュリアスまで何の熱に浮かされたのか、現場に急行してしまった。
蛮勇どころの騒ぎではない。自殺行為だ。
では、自分には一体何ができるだろうか?
各役所を駆け回り、上層部と掛け合うことか?
いや、時間が掛かりすぎる。憲兵隊やハンザ連邦軍が、出動準備を整える頃では遅すぎる。
ならば、やるしかないか――ユーリカは、ごくりと唾を飲み下した。
深呼吸を一つして、言葉を再び紡ぎ始める。
「民の安全を守るのが、支配者たる者の務めです。
ご安心ください、現在、タイタニアお嬢様が自ら陣頭指揮に立ち、その高貴なる義務を果たさんとされております」
「ああ、なんと頼もしい……それを聞けば、多くの人々が勇気づけられると思います。ブリュグナント家に、タイタニアお嬢様にエリュシオーネのご加護があらんことを!」
若い母親は目を潤ませ、祈念の言葉を述べた。
「……それでは、私はこれにて」
ユーリカは小さな女の子の頭をひと撫ですると、母親に会釈をして応接間を退室する。
部屋の外に控えていた憲兵――大柄で厚手の赤い制服を着た憲兵隊長が、廊下を進むユーリカに並んできた。
「侍女様、お嬢様が現場にいるとは誠ですか?」
「先ほど申したとおりです。もう時間がありません。少人数でも構いません、人を出せませんか?」
「それが、連絡・指揮系統が麻痺しかけており、他管区との連携も――」
「何ということですか! お嬢様の身にどれほどの危険が迫っているのか、分かっているのですか?」
ユーリカが立ち止まり、ものすごい剣幕で言い放つ。
「お言葉ながら、現状装備では焼け石に水……さらに二次被害の拡大も」
「ええい、もう良いです! それをお貸しなさい!」
憲兵隊長が持つ長銃をひったくり、薬莢が入った腰の革ポーチを掴み取る。
革ベルトを肩にかけ、長銃を背中に担いだ。
「侍女様、一体何を……?」
「私はお付侍女としての責務を果たします。あなたは今すぐハンザ連邦軍に向かい、支援を仰いで来てください!
私の名前、いや、お嬢様の名前を使っても構いません! 責任は私が取ります!」
「なんと……」
敢然と言い放つユーリカ。
呆然とする憲兵隊長を後にして、つかつか早足で憲兵隊詰め所を出た。
「何であんな危険な事なさるのですか、お嬢様……でも、私が、私がしっかりしなければ!
じゅ、銃の扱いぐらい、その気になれば」
憲兵から奪った長銃に視線を下ろす。
いくら必死になっていたとは言え、勢い余った真似をしてしまったと、天を仰ぐ。
混乱する気持ちを辛うじて制御する。
長銃を携え、広場に残るタイタニアの元へと駆け出した。