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第二話 ついに見せたかその正体!(上)


「さあさあ、たんと召し上がれ。もちろん私も召し上がる♪」


 タイタニアは上機嫌で、パクリと菓子に食いついた。


「いただきます……うん、これは美味しい。紅茶にも合いますね!」


 ジュリアスは行儀良く皿にのった菓子に口を付け、紅茶をすする。にこやかに感想を述べた。

 三人は、ネザルラント中央広場に隣接する高級喫茶でくつろいでいた。

 二階にあるテラス付き個室を借り切ったのである。

 精緻な加工を施された青銅製のテーブルに、腰の深いソファーが並ぶ。

 値段は張るが、中央広場を一望できるためなかなか人気がある部屋だ。


「これでやっと安心できます。もう、お嬢様。私が丁度良く駆けつけて、しかも替わりのドレスを持参していなかったら、どうなっていたと思いますか? ブリュグナント家の末代まで残る赤っ恥になったかもしれませんよ?」


 神経を張り詰めていたのか、ユーリカはどこかぐったりとしている。

 路地裏で愚連隊百名以上と大乱闘を繰り広げ、全裸になりかけたタイタニア。

 だが今は、淡い緑を基調とする替えのドレスをまとっていた。ユーリカが駆けつけていなかったら、それこそ未開部族顔負けの豪快な格好で、肉感たっぷりの肢体を公衆の面前に晒していたことだろう。


「しかたないでしょ、不可抗力、不可抗力。それじゃさ、ジュリちゃん見殺しにした方が良かったっていうの?」


「そ……それは違いますが、他に手段・方法が無かったものかと思いまして」


 ズバリと正論を告げるタイタニアに、ユーリカは苦しそうに押し黙る。


「ま、それもそうだけど。惚れた男子のためならば、たとえ火の中水の中! いかに傷を受けようと、身体張るのが乙女道!」


「はあ、お嬢様。そのあまりに独自的な哲学、高尚すぎてついて行けません……って、惚れた男子? ああ、そう言うことですか」


 拳を握って口上を決めるタイタニアに、ユーリカは力なくため息をついた。

 『普段から気苦労が絶えないんだから手加減してよ』と、背中から無言で訴えてくるみたいだ。

 ユーリカの言葉など意に介することなく、タイタニアはジュリアスへの好奇心に突き動かされる。


「そうそう、ジュリちゃんはどうしてハンザに来たのかな? その格好からすると外国からいらっしゃったとお見受けするけど?」


「はい。実は僕、こう見えても医師でして――」


「おお、それは意外な。そっか、なるほど、だからこんなにスラっと長くて繊細なお手々してるんだ。とても器用そうだね。うん、とても綺麗……すべすべで……もちもち」


 タイタニアは驚き、目を瞠った。自分よりも年下なのに、医師という知的専門職とは恐れ入る。

 なるほど、たぐいまれなる才能が成せるわざなのだろう。しかも肌つやのきめ細やかさといったら。

 自分の目は少なくとも節穴ではない。ああ、良かった――と安堵しつつ、無意識的にジュリアスの手を取り、うっとりと見つめた。


「あ、ありがとうございます。それで、その、実はブリュグナント家の侍医の枠に空きが出たということで、応募したら採用……という経緯でして、つまり、いきなりご本人様にお会いするとは夢にも思わず……」


 タイタニアに手を握られたこともあってだろうか。

 ジュリアスは、恐縮した様子で、とつとつと言葉を紡いでいる。


「そうだったの? すごい偶然……これはもう、エリュシオーネのお導きとしかいいようが無い。いやいや、世界の守護者様もたまには『らしい仕事』してくれるじゃないの」


 タイタニアはテーブルに肘を立てる。手の甲に顎を乗せ、口元を緩めてジュリアスを楽しげに見つめた。

 エリュシオーネ――遙か昔に旧世界が滅んで以来、世界の文明と秩序を司る超越的種族とされる。

 その姿は全身甲冑に身を包んだ鎧天使と称され、幾たびもの災いから人々を守ってきたという。

 そうした経緯から、世界の守護者として古来より慣れ親しまれている。

 ほぼ神格化されており、多神教的なエリュシオーネ信仰が大陸全土に広がっていた。

 縁起を担ぎたいときや、願を掛ける際など、人々はよくこの名前を口にして信仰を捧げるのである。


「そっか、そっかあ。お付きの医師がこんなに可愛らしい子なら、うふふ……毎晩診察してもらおっかな。うん、健康長寿のためにもかなり良さそうだ! いや、この際だ。一気に愛人、いや、いっそのこと、お婿さん候補――」


「ちょ、ちょっと待った! お嬢様、話が全く見えません! 愛人とか婿って……物事の順番が狂ってませんか?」


 飲みかけた茶でむせ返りながら、ユーリカが身を乗り出してきた。

 『また何かやらかすのかこの馬鹿主人!』といわんばかりに必死な表情である。


「いいかい、ユーリカ、よーくお聞き。ジュリちゃんの目をごらん……今の腐りきって行き詰まった大陸社交界、これほど澄んで健やかな魂の持ち主がいるかな? いないでしょ? そうとも。これほどの逸材、ここで抜擢せずして何とする! それが乱世の乙女――」


「ああ、はいはい! 分かりましたよ! 年下可愛い美少年大好きのお嬢様が、偶然一目惚れして、しかもその子が偶然にもブリュグナント家の新規採用の侍医で、しかも才気溢れる素直な子だから途中経過すっ飛ばしてそのまま婿ってことでヨロシク! ってことですよね?」


「うぬぬっ、何だその言い方は! もんのすごく腹立つ! でもだいたい合ってる、合っているぞお主っ!」


 タイタニアは両手の拳を握りしめ、熱意を込めた眼差しをユーリカに差し向ける。


「ええっ、あの、その……僕がお婿さん? いつの間にそんなお話――」


 うろたえ、取り乱しそうになるジュリアス。

 タイタニアは、そのジュリアスの手をがしっと掴んだ。


「大丈夫、大丈夫だよ……この私を誰だと思っているの? タイタニア・ブリュグナントの名にかけて、守ってあげる。大事に大事に育ててあげる。だから大船に乗った気持ちでいなさい」


 パチっとウィンクを決めて、ジュリアスの手を握る力を強める。


「そ、育ててお婿さん? 何という新境地……で、でも僕にはまだ――」


「そんなことはない、そんなことはないよ、ジュリちゃん。いい? 人生とは何事も経験。初めてなら怖いことだってあるのは当然。でもね、恥ずかしがることなんて何もないんだよ。みんな最初は同じなんだから……私と一緒にひとつひとつ乗り越えていこうね!」


 魂が熱く奮い立つのを感じながら、タイタニアは目を潤ませて語りかけた。


「へっ? ええっ! す、すいません、今どんな前提でお話されてますか? 何かもう結婚祝辞みたいなセリフが……」


 目を白黒させるジュリアスに、タイタニアは熱を込めて、なおかつしんみりと言い聞かせる。


「ジュリちゃん……つらいこと、痛いこと、恥ずかしいこと、悔しいことも、二人なら大丈夫。人間ってね、ひとりではとても耐えられないことでも、二人になると全然違うんだよ……そう、二人で力を合わせれば、閉塞しきったこの乱世、切り開けないわけがない! 恋する力が輝いて、腐った世界に風穴開ける! それぞ神髄、乙女――」


「もう、私好みに育成してやるんだから、つべこべ言わず黙ってついてこい。とにかく今夜は覚悟しろ、熱い夜になるからな。眠れるなんて思うなよ――って素直に言えばいいじゃないですかお嬢様」


 酷い棒読みだった。

 タイタニアの決め口上を、ユーリカが容赦なくぶった切ったのだ。

 肩をすくめ、さじを投げるかのように投げやりに言い放つではないか。


「誰がそんなことを言うかっ! いや、基本的に間違って無いけど」


「基本的に間違って無いんですか? ど、どうしよう。こんな展開考えてなかったよ。僕、どうなっちゃうんだろう――」


 呆然として自分の肩を抱きしめるジュリアス。


「ご縁のフラグが立たぬなら、立たせて見せよう乙女道! それはもちろん極太の――」


「いい加減にしてください! ブリュグナント家にどんだけ恥かかせりゃ気が済むんですかこの馬鹿お嬢っ!」


「言ったな! 侍女のくせに主を馬鹿と言ったな! くそぅ、おのれ! ちょっと頭が良いからって――」


 今にも取っ組み合いそうな勢いで言い合いを始めるタイタニアとユーリカ。

 と、その時だった。

 テラス側の窓が粉々になって吹き飛んできたのだ。

 猛烈な風が流れ込んでくる。中央広場の方からだ。

 青銅製のテーブルがガタガタと揺れ、茶が入ったカップが床に転がり落ちる。


「うわわっ! な、何が起きたの今度は?」


 茶が零れて濡れてしまったドレスで、タイタニアはテラスに駆けだした。

 目の当たりにした光景に、肝を抜かれる。

 広場に並ぶ店舗が、次々と圧壊している。ものすごい重量を真上から加えられたみたいに、ひしゃげ、つぶれていくのだ。強大な鎚を振り下ろされたみたいだ。

 行き交う人々は、雪崩を打って逃げ惑っていた。

 何か起こっているのか、まだ掴み切れてはいない。

 だが、途轍もない嫌な直感が電撃のごとく身体を走っていた。


「何が起きたのですか、お嬢様?」


 ユーリカもテラスにやってくる。眼前の光景に驚愕するあまりだろうか、はっきりと怯えた目をしていた。


「いる……なんかいるよ、ユーリカ!」


 タイタニアはカッと目を見開き、宙を見ていた。

 ぼんやりとした熱の塊のようなものを感じるのだ。

 かなり大きい。まさに見上げるほどに大きい何かが、すぐ目の前にいるのを確実に感覚していたのだ。

 得体の知れぬ存在が間近にいる。しかも、危険と恐怖が濃縮されてできたようなとんでもないやつだ。


「えっ? 何が見えると言うのですか、お嬢様――」


 ユーリカがそう呟いた刹那だった。

 タイタニアの前方で、何も無いはずの空間がさざ波を立てるように震え始めたのだ。

 まるで、鏡が液体化しているみたいである。

 震えながら、次第に透明度を失ってゆく。

 巨大な姿が、広場に現れた。体高は三階建ての建物ほどもある。表面は漆黒でツヤがある。

 緑色に明滅する紋様が走っていた。

 人間的上半身に、八本脚の節足動物的な下半身を持っている。

 両腕は異様に長い。握られた拳は屈強で、鉄塊でできた破城槌みたいだった。

 頭は、のっぺりとした流線型で、目らしきものはない。

 巨人と蜘蛛が融合したような、悪夢から飛び出してきた悪魔のごとき漆黒の巨体であった。


「これは……アレスの機動兵器? まさかハンザにまで来るなんて――」


 いつの間にかタイタニアの隣にいたジュリアスが、あっと叫ぶ。


「ジュリちゃん、知ってるの?」


「各地でミルドラント帝国軍を破っている武装集団です! でもどうして? なぜハンザまで襲うんだろう?」


「ジュリアス様、それはどういうことですか? 確かミルドラント帝国軍は武装集団を撃退しつつあったのでは?」


「あれは表向きの発表です。ミルドラント帝国は、あの武装集団に一度も勝つことができていません! そもそも文明水準が違いすぎます。この世界の通常兵装では、勝てるような相手ではありません!」


「な、なんですって?」


 既成概念を見事に粉砕され、タイタニアとユーリカは同時に声を上げる。

 ミルドラント帝国軍が一度も勝っていないとは。

 世界の平和と秩序の守護者として六百年の長きに渡り君臨してきた、あのミルドラント帝国が――何が起きているというのか。

 世界が乱れてきたのも、さもありなん。世界の秩序の根幹が、今まさに大きく揺らいでいるのだから。


「くっ、何てことなの。ネザルラントの街が……ブリュグナント家の縄張りっていうのに……」


 タイタニアは、責任のようなものを感じていた。

 ネザルラントは、ブリュグナント家のお膝元である。

 その支配者でもあり、民の庇護者であるべきブリュグナント家。

 仮にもその一員たる自分が、何もせず、何もできないでどうするというのか。

 悔しさが胸の内でどんどん膨れあがってゆく。

 行動せねば、何か手を打たねば――タイタニアの思考がめまぐるしく回り出す。

 その刹那、ユーリカが鋭く声を上げた。広場の一角を指さす。


「お嬢様、あれを!」


「なっ……」


 タイタニアは息をのんだ。

 足をくじいたのだろうか、幼い女の子が足を押さえてうずくまっているではないか。

 漆黒の巨体が、どんどん近づいている。

 しかし、周囲の大人たちも逃げるので必死だ。

 母親ともはぐれてしまったのか、それとも一人で来たのか――助けに行く大人は誰も来なかった。


「何を……今時の大人は一体何を……何をやっているんだ!」


 視界が真っ赤に染まる。

 タイタニアはテラスから飛び出した。


「お嬢様、何を――」


 ユーリカの静止など今は聞くつもりはない。

 広場にうずくまる女の子めがけて全力疾走する。

 人の濁流を駆け抜け、横転した馬車を飛び越えた。

 漆黒の巨体も、ガシャガシャと節足を不気味に動かしで接近する。

 長大な両腕を振るい、店舗を粉砕しながら近づいてくるのだ。


「ふ……ふぐっ……ひ、ひっ……」


 小さな女の子は、懸命にもがき、もぞもぞと広場を這い進む。

 だが、とてもではないが巨体の足からは逃げられまい。

 漆黒の巨体が、女の子を射程にとらえる。

 無慈悲に左腕を振り上げた。

 漆黒の巨大な破城槌が、哀れな幼女を標的に定める。

 ぶおっと唸りを上げ、振り下ろされた。


「さ、せ、るっ、かああ――っ!」


 タイタニアは、目をカッと見開く。全身の血が沸騰したみたいに熱くなった。

 太ももが一瞬にして膨張し、大腿筋、下腿筋の筋力が劇的に増幅される。

 足下の石畳みを蹴り砕き、怒濤の勢いで加速した。


「う、うわああ――っ!」


 小さな女の子は頭を押さえ、その場で丸くなる。それはあまりにも無力な姿だった。

 ずうん、と轟音が一帯に響き渡る。

 広場の石畳みが、同心円を描くように陥没したのだ。

 もはや手遅れだ。女の子の轢死体が、惨たらしく横たわっているだろう――恐らく誰の目にもそう映ったことだろう。

 しかし、今回は違っていた。

 漆黒の巨腕の軌道がそれているのだ。女の子のすぐ側に、深く突き刺さったのである。


「ぐぬぬ……うっ、痛たたっ。ほらほら、おいでおいで。手を掴んで」


 なんと、タイタニアが漆黒の巨腕に渾身の一撃を拳でお見舞いし、狙いをずらしていたのだ。

 タイタニアは痛みを堪え、しびれる右腕を差しのばす。

 女の子の手を掴み、さっと抱き上げた。


「よしよし、よーく我慢した! 見事、見事!」


「うっ、ううっ……ふっぐぐ……」


 涙と洟でぐしゃぐしゃになった女の子の顔を、胸に押しつけ、ふわんと包み込んだ。

 そのまま、後方に飛びのきり、距離を確保した。

 どうも、いつもより非常に身体が軽い。何かの錯覚か、それとも気持ちが高揚しているからか――タイタニアは一瞬だけ、疑問を抱く。

 各所に切れ目が走ったスカートが、ひらひらと分かれて舞った。

 全力疾走したため、あちこちに裂けてしまったのだ。


「お嬢様!」


「ティナお姉様!」


 慌てて広場に下りたユーリカとジュリアスが、駆け寄ってきた。


「足を捻っちゃったみたいなの、この子。安全な所まで避難させて!」


「ならば僕が――」


 ジュリアスが、さっと前に進み出る。タイタニアから女の子を受け取り、抱きかかえた。


「ほら、もう大丈夫だよ。お母さんの所に一緒に行こうね」


「う、うん……」


 女の子の背中をぽんぽんと優しく叩き、微笑みかけてあやすジュリアス。

 随分と慣れたものだ。少しずつだが、女の子は落ち着きを取り戻しつつあった。

 さすが医師というだけのことはあるなと、タイタニアは感心した。


「ユーリカさん、案内をお願いします!」


 ジュリアスはユーリカの方を向き、行き先の指示を仰ぐ。


「は、はい。最寄りの憲兵隊詰め所に。では、お嬢様も――」


「ごめん! それはすぐには無理かも!」


「「ええっ?」」


 タイタニアの即答に、ユーリカもジュリアスも声を上げて驚愕した。

 それもそうだろう。こんな危険な現場に踏みとどまる理由など、通常は考えられない。

 だが、タイタニアは続けた。


「誰かがあの化け物を食い止めなきゃ、被害がどんどん広がっちゃう! せめて治安部隊が来るまで時間稼ぎをしなきゃ」


「しかし、それではお嬢様が――」


 ユーリカがタイタニアの手首を掴む。力ずくでも、いや力ではかなわなくとも、主であり幼なじみの親友たるタイタニアを連れようとしたのだろう。


「ユーリカ、ハンザで一番デカイ面しているのはどこ? ウチのブリュグナント家でしょ? 普段デカイ面してるくせに、ここで示し付けなきゃお仕舞いだよ?」


 ユーリカの手の甲に、そっと手を添えるタイタニア。


「こんなところで身体を張らずとも、誰もお嬢様のことを卑怯者だなどと……」


「いいや、違うんだ、ユーリカ。まあ、背負う家名がどうだこうだっていうのは、ぶっちゃけた話知ったこっちゃない――でもね、普段のやりたい放題に馬鹿騒動、私って迷惑駆けっぱなしじゃないの。そうした借り一切合切、こういう時じゃなきゃ返せないからさ……」


「ど、どこまでアホなんですか! 死んで償うとか、絶対あり得ませんからね! 普通にお嬢様やってもらうだけで十分借り返せますから!」


 ユーリカは一歩も引かない気配である。さらに力を込めて、タイタニアの手首を引こうとした。


「ありがとね。それ、ちょっと後で考えてみるよ……でもね、どうやら、あの化け物の足止め、私にしかできないような気がしてならないんだよ。なぜか――ということだ、諸君! 後は頼んだぞ!」


 タイタニアは、手首を掴むユーリカの手をするりと振りほどく。

 両腕を伸ばし、ユーリカとジュリアスの肩をフワっと押した。両者が後方に押し飛ばされる。

 突然、タイタニアの周囲の半径五メートルが暗くなる。

 次の瞬間、何と、漆黒の巨体が真上から落ちてきたのだ。

 八本の節足が地面に突き刺さり、巨大な拳が石畳みを砕きつぶす。

 地蜘蛛のごとく、節足を駆使して跳躍して襲いかかってきたのである。

 ジュリアスとユーリカは尻餅をついたが、十分距離を取っていたため無事だった。

 タイタニアは、ギリギリのところで直撃を回避。

 だが、砕けた石タイルを身体に受けて、後方に吹っ飛ばされていた。


「お嬢様っ!」


「……大丈夫! 私も危なくなったら逃げるから! 早く行きなさい!」


 くるくるっと地面を転がるようにして、素早く起き上がる。

 大声で、ジュリアスとユーリカに告げた。

 何度も後ろを振り返りながら避難するジュリアスとユーリカ。

 その姿を見届けると、ニヤっと口端を上げ、漆黒の巨体を見上げた。

 見れば見るほど、大きなものだ。これが大陸最強のミルドラント帝国軍を蹴散らした武装勢力というやつか。

 タイタニアの中に、緊張は確かにある。

 だが、それは恐怖で身体を縛り付けるものではない。

 心地よい緊張だった。先ほどから、なぜか身体の内側から熱くなって仕方がないのだ。

 自分も目茶目茶になるだろうが、相手も同じ目に合わせてやる──そんな思考が立ち上がり、妙な興奮を覚える。

 大きく肩を上下させ、ありったけの息を胸に吸い込む。


「やいやい! そこのデカブツ! こっちだ!」


 裂帛の気合いと共に思い切り吐き出した。

 漆黒の巨体が八つの節足を器用に使って旋回、タイタニアの方を向いてくる。

 タイタニアは、威勢の良く身振りを繰り出し、決め口上をぶちまけた。


「ついに見せたかその正体! 真面目に暮らす民草を、踏みにじるとは何事だ! 天の裁きが来なくても、この手で下そう名裁き! さあ、かかって来なさい!」


 巨体が上半身をかがめ、タイタニアを覗き込む。威嚇的に両腕を広げた。

 タイタニアは、すうっと右腕を伸ばす。手の平を上に向け、煽るように振った。

 挑戦的な視線を巨体に送る。

 しばし向かい合った後──タイタニアと巨体は同時に動き出す。

 巨体がつんのめる勢いで迫った。砕けたレンガと土、砂を巻き上げる。

 タイタニアは、ひらりと後方に跳び退る。跳躍時の勢いで、足元のレンガ畳が陥没。


「はははっ、こっちだ、こっちだ! 私に当ててみろ! このデカブツ!」


 挑発を繰り返しながら、漆黒の巨体を広場中央に誘導した。

 

 

 †  †

 

 


「怪我人がいるんだ! 早くしてくれ!」


「まだ出動しないのか? 市場がダメになっちまう!」


「ウチの子が、ウチの子がいないんです! 捜索してもらえませんか?」


 ネザルラント中央の憲兵隊詰め所は、被害を受けた市民が殺到していた。

 一階の受付は、ひっきりなしに怒号が飛び交っている。


「お、落ち着いてください! こちらに、こちらに順番に――」


「ふざけるな! 待っていられるほど悠長な事態じゃないだろ!」


「早く何とかしてくれあの化け物! ハンザはまだ安全じゃなかったのか!」


「ちゃんと税金払っているのよ!」


「だから順番に整列を――」


 受付にいた赤地の制服の若い憲兵隊が、市民の濁流に押し流される。

 阿鼻叫喚といってもいい有様だ。


「うわ、これは酷い……まるで機能していない」


 ユーリカはソファーに掛けたまま、苦々しく呟いた。

 ブリュグナント家の侍女衆ということで、憲兵隊詰め所建物内にある応接室に陣取ることができた。

 せめてもの幸いといったところだ。

 しかし、パニックは実に深刻である。

 殺到する市民への対応に追われ、憲兵隊は事実上、機能不全だったのだ。

 タイタニアが時間稼ぎをするといっても、これではいつになるか分かったものではない。


「これでは、いつになれば治安部隊が出動できるのか……お嬢様」


 こめかみを押さえつつ、懸命に思考を巡らせた。

 活字新聞や上流階層間の情報交換で、武装勢力の存在だけは知っていた。

 だが、あのような人知を越えた武器を持っていたなど、想像すらできなかった。


「はい……じゃあ、足、ちょっと見せてね」


 一方、ジュリアスは、女の子の怪我の治療を始めている。

 女の子は、ソファーにちょこんと腰掛け、足をぶらんとさせていた。

 ジュリアスは床に膝を立て、女の子の足を診察しているのだ。


「……ここかな? 痛いの、ここだね?」


「うん」


 ジュリアスの繊細な手が、女の子の右足の甲をそっと包む。右足の外側の靱帯部を、指の腹でそっと撫でた。

 女の子は、こくりと頷いた。


「じゃあ、目を閉じてね。今から、おまじないするよ……痛いの、痛いの、飛んでいけ!」


 強く目をつぶる女の子。

 ジュリアスが袖を引っ張り、手の甲を覆い隠した。

 そして、女の子の右足の甲に、そっと乗せる。

 直後――ぼんやりとした青い光がジュリアスの手から放たれ、袖の中から外に漏れだした。

 一分もしないうち、青い光は収まる。

 ジュリアスは袖の引き、しゅるっと手の甲をあらわした。


「もう大丈夫。歩けるかな? 痛かったらすぐに言ってね」


「……」


 女の子が、恐る恐る足を伸ばし、ソファーから立ち上がる。

 ゆっくりと数歩、そして早足で数歩。

 そして、


「痛くない!」


 嬉しそうに叫んだ。


「今のは……医術?」


 ユーリカは、ぽかんと口を開いた。

 目をぱちぱちと瞬かせ、ごしごしとこする。

 ソファーにちょこんと腰掛けている女の子――思考に専念するあまり、見間違えたのかと自問自答した。

 そこに不意を突くように、ジュリアスが声を掛けてくる。


「ユーリカさん、お願いがあります。この女の子、見ていて頂けませんか?」


「はい、それはもちろん……何か、用事でもおありなのですか?」


「現場に戻りたいと思います」


「……えっ?」


 ユーリカはジュリアスの真意を掴めず、絶句した。

 普段の素行には若干問題はあるものの、タイタニアの身体能力だけは抜群。

 きっと、うまく逃げおおせていることだろう。

 もし迎えに行ったジュリアスが、すれ違いになってしまったら悲劇が起きかねない。

 大変歯がゆいものの、ここで合流するのを待つのが賢明。

 なぜジュリアスは、ここで危険を犯そうとするのか?


「あんな人知を越えた巨大な化け物が暴れているんですよ。お嬢様も、うまく逃げ延びている……はずです。ここで待ち合わせた方が良いのではないでしょうか?」


「……あの人は、きっと戦っていると思います。でも、今のままでは勝てないかもしれない。だから、僕も加勢しなければならないと思います」


「か、加勢? 何をおっしゃるのですか、ジュリアス様? 医師であるあなたは、怪我人の手当に加勢された方が――」


「今あの化け物を止めなければ、被害はもっと拡大するでしょう。医師の手など、いくらあっても足りないほどに……」


「しかしながら、どうやって? ジュリアス様にもしもの事があれば、それこそお嬢様は非常に深くお悲しみになるでしょう。そんな光景など、見とうございません!」


「あまり時間がなさそうです……ごめんなさい!」


 ユーリカの静止を振り切って、ジュリアスが駆けだした。

 ユーリカは、ジュリアスの外套を掴みそこねる。

 そのまま追いかけようとしたが、ハッとして立ち止まった。

 小さな女の子一人を残すわけにはいかない。


「お嬢様に次いで、ジュリアス様まで……一体、どうしたというのですか? 今日は何かおかしいです。何をそんなに生き急いでいるというのですか?」


 ユーリカは拳をきつく握りしめ、じっと立ち尽くした。

 

 

 †  †

 

 


「ほらほらっ、こっちだ!」


 タイタニアが中央広場を疾駆する。

 漆黒の巨体が、長い腕を立て続けに打ち下ろした。タイタニアのすぐそばのレンガ畳を砕き、陥没させる。黒光りする鉄柱が、何本も降り注いで来るみたいだ。周囲に蜘蛛の巣状の亀裂をいくつも作りながら、追いかけてくる。

 タイタニアは、何度も方向転換した。右に左に忙しく体勢を切り替える。大砲のように撃ち放たれる巨体の拳撃を、ひらりひらりと回避した。

 だが、それにしても速い。腕を撃ち振るう速さ、節足を駆使して旋回する速さ――これは巨体に見合わぬほどの機敏さだ。一見すると機械仕掛けに見えるが、これほど速い動きは考えられない。一体何でできているというのか。


「しかし――それを避けている私も大したもんでしょ!」


 タイタニアは不敵な笑みを浮かべた。

 トン、と後ろに跳躍する。そのまま身体を反らし両手を地面についた。流れるような勢いでバク転を繰り返す。紙一重のタイミングで巨体の拳撃を避け続けた。

 ところが回避に専念するあまり、進行方向を誤ってしまったようだ。背中には半壊した店舗の壁があったのだ。そこに漆黒の拳が戦槌のごとく振り下ろされる。


「おぅわっ――!」


 とっさに右方向に身をひねった。レンガ畳みの上を転がる。背後で店舗の壁が粉砕された。パラパラと細かい石材の破片が降ってくる。


「やるじゃないか! さすが、そうこなくては! お姉さんゾクゾクしてきたよ!」


 タイタニアは、鼻下を拳でぬぐった。もう少しで直撃だっただろう。あの一撃を身体で受けていたら、どうなっていただろうか。一発ぐらいなら耐えられただろうか――そう思うと、更に興奮が強まってくる。さんざん動きまくったせいだろうか。令嬢然としたドレスは、あちこち破れていた。

 のっぺりとした巨体の顔が、じっとこちらを見つめてくる。左右に顔を小さく揺らしていた。

 攻めあぐねているのだろうか。何かを考えているようだ。

 むくっと起き上がったタイタニアと漆黒の巨体がにらみ合う。

 バッと右腕を前に突き出し、五指を広げるタイタニア。


「……さあどうだ! デカイ図体で力押し、芸の見えない暴れぶり! ならばそろそろこちらから、喧嘩の手本を見せようぞ!」


 キリリと表情引き締めて、威勢良く啖呵を切った。

 ところが、何を思ったか。漆黒の巨体が、肩を揺らし始める。

 その直後、漆黒の巨体の姿が、さざ波を立てるがごとく揺れ始めた。

 水鏡に波紋が広がってゆくみたいだった。この巨体が姿を現したときとそっくりな挙動だ。

 しかし、今度は姿を現すのではなく――なんと、姿がゆっくりと薄れてゆくではないか。


「なっ……」


 タイタニアは言葉を失う。あっという間だった。

 巨体の姿は、文字通りそのまま溶け消えてしまったのだ。

 がしゃ、がしゃ、とがれきを踏みしだく音がする。姿は見えない。

 不可視となった巨体が、すぐ側で節足を動かしているのだろう。

 せわしなく目を動かし、凝らす。見えるはずもない。漠然とした熱感は感じることができるのだが、いかんせん正確な場所までは掴めなかった。

 重心を落とし、じりじりと足を滑らせるように移動する。


「ふふっ……そうきたか、デカブツ君?」


 少し冷や汗をかきながら、タイタニアは周囲を警戒する。

 すぐ近くにいることは分かるのだ。なれど、どこから襲ってくるのか掴めないのである。

 全方位的に警戒するしかないのだ。

 息を殺して、ぴたりと動きを止める。空気の流れに神経を払った。

 前方向、後方向、左右にも異常はない。

 あの巨体側も、こちらに逃げられないよう慎重に動いているのだろうか。

 そう考えていた矢先――稲妻のごとく、危機感がタイタニアの身体を駆け抜けた。

 反射的に両腕を頭上で交差、防御態勢を取る。

 間髪入れず、すさまじい衝撃と重圧が真上から襲いかかってきたのだ。


「うくはっ――!」


 前腕から肩、脚へと衝圧が貫いてゆく。全身がしびれる。

 加重のあまり、両脚がレンガ畳みを突き破った。地面に潜り込んでゆく。

 まるでクギを打つみたいに、巨体の拳を真上から叩きつけられたのだ。

 一体どれほどの圧力を加えられたのか、見当すらつかない。

 ぼやけそうになる意識に喝を入れた。キッ、と真上を睨む。

 間合いを取ろうとした時、はっとした――両脚が杭のように埋もれているのだ。これでは身動きが取れない。

 これはいけない――タイタニアが気づいたとき、もう遅かった。

 不可視の拳が、左右の脇腹めがけて真横からたたき込まれる。

 肋骨周辺の感覚がなくなった。ふわっと浮遊感を覚える――次の瞬間、がれきの山にまともに突っ込んでいた。


「うっ……くおおぉ……」


 しばらくの間、息ができなくなった。両脇腹の肋骨部に、びりびりと粘り着くような痛みが広がる。

 左脇腹を手で覆い、よろよろと起き上がった。

 ドレスの袖はちぎれ、ボリュームのあるスカートがあちこち裂け、生地が破れ落ちている。つまり、半ばボロ切れ状態であった。


「は、ははは……やったな、よくもやったな……」


 己の惨状を視覚的に確かめると、タイタニアはヘラヘラと笑う。

 何故か愉悦が止まらないのだ。こんな派手な喧嘩は滅多にあるものではない。

 これは倍返しにしてやらねば失礼になるというものだ、と思い立った。

 自分の身体が、熱くなって行くのが分かる。じりじりと炉で熱せられた鉄芯のような感じだ。

 もっともっと派手な喧嘩ができそうに直感した。

 改めて周囲を見回す。

 すると違いがはっきりとしていた。

 陽炎のようなもやが、それも巨大な形をしたもやの姿が明瞭に見えていたのだ。

 視覚とは別の感覚で掴んでいるのだろうか?

 だが、今まで見えなかった巨体の姿が分かることは確かであった。

 これがトドメだと言わんばかりに、巨体が大きく振りかぶっているのが見える。

 随分となめられたものだ。まだ姿を隠しているつもりなのだろう。

 ぶわっと風が吹きつけた。巨体の拳圧だ。タイタニアめがけて急速に接近している。


「ああ、なるほど――」


 急に、感覚が冴え渡った。巨体の拳が、ゆっくりとした動きで、克明な映像を伴って肉薄してくる。あくびが出そうなほど緩慢なものに感じられた。

 タイタニアは、ふふんと鼻を鳴らす。

 直後、タイタニアの立ち位置を中心として、がれきの山が盛大に砕け散った。無数の破片が巻き上げられる。粉塵がもうもうと立ち上った。

 半球状の大きな陥没ができていた。

 だが、そこにあるはずのもの――巨体に格闘を挑んだ長身の少女の、無残な轢死体はなかった。

 陽炎の迷彩をまとった巨体が、のっぺりとした頭部で辺りをぐるりと見回す。地面に突き刺した腕を引き抜いた。八本の節足を動かし、警戒するようにゆっくりと徘徊する。


「ふふっ……見つけたぞ! 不意打ちばかりでこざかしい、卑怯な手口もそれまでよ!」


 離れたところから、勇ましい少女の声が響き渡った。

 なんと、タイタニアは大陥没から離れた場所に立っているではないか。

 巨体の直撃を紙一重で回避し、間合いを取っていたのだ。

 広場に立っていた街灯の鉄柱を右手でむんずと掴んだ。握力を込める。五指が鉄柱にめり込んだ。

 右肩と右後背部がぐぐっと隆起する。


「ふぬっ……うぐぐっ……ぐあああっ!」


 低くうなり声を上げ、五メートルほどの鉄柱をズボっと力任せに引き抜いた。

 大きく肩と胸を上下させ、乱れた呼吸を整える。

 両手で鉄柱を担ぎあげ、重心をズシリと低くした。

 巨体の顔をひと睨み。

 不敵な笑みを口元に、舌先で唇をチロリと舐めた。


「待たせたね……そろそろ派手に行こうかと、身体が熱く燃えたぎる! 小娘ごときとあなどった、それが貴様の命取り!」


 双瞳に闘志を宿し、ギラリと輝かせ、雄々しく名乗りを上げる。

 そして一拍の後――鉄柱を担いだ少女が弾丸の様に飛び出した。

 巨体に真正面から挑みかかる。

 巨体が接近するタイタニア目掛けて腕を振り下ろす。

 タイタニアは鉄柱を振りかぶった。物凄い火花と激突音が発生する。鉄柱は、ぐにゃりとへし曲がった。巨体の腕は弾かれる。一瞬、動きが止まる。

 すると巨体の身体を覆っていた透明な膜のようなものが、すりガラスのように白く濁った。もう姿は丸見えである。


「そらそらっ、そらそらそら――っ!」


 タイタニアはそのまま突進する。

 巨体の足元にもぐりこみ、突進の勢いを乗せて旋回した。

 昆虫的形状の巨体の脚をなぎ払う。

 巨体はバランスを崩し、身体を傾け、広場に倒れそうになった。

 タイタニアは、すかさず距離を確保。息も乱れていなかった。

 重心をやや落とし、鉄柱を担ぎなおす。

 全身がかなり熱を帯びている。赤熱した鉄塊みたいに感じられた。

 巨体の身体を覆っていた半透明膜のようなものが、かき消えてゆく。

 漆黒のつややかな巨躯が完全に浮かび上がった。

 タイタニアは考える。

 もしかしたら、世間を騒がせる化物をここで退治できるのではないか。

 どんな仕掛けか知らないが、全部引き剥がしてやる。

 そして下手人を引きずり出して、全部白状させてやる。

 というか、私ってこんなに強いんだ──タイタニアは奮い立った。

 目は力を帯び、ギラっと輝く。


「さあさあ! 貴様の所行もここまでだ! 観念するなら今のうち!」


 タイタニアが、じりじりと距離を詰める。態勢を崩した巨体に近づいた。

 巨体が身体を起こす。

 タイタニアは、ぐっと膝を落とす。

 タイタニアが突進しようとしたその時──近くの建物の影から、誰かが広場に飛び出してきた。

 瞬間的に目を向ける。白いマントを身につけている黒髪の少年だ。

 それも見覚えのある愛くるしい顔――なんとジュリアスではないか。


「えっ……?」


 タイタニアの思考が凍りつく――何故ここに来ているのか。

 この危険な状況を把握していないとでもいうのか。

 いけない、どんどんこちらに近づいて来るではないか。

 もし自分のことを心配して駆けつけてくれたのならば、なんと嬉しいことか。

 しかし、そんな惚けたことを考えている場合ではない。

 漆黒の巨体がジュリアスの方を向く。

 獲物を切り替えたのか、それともとんでもない狡知でも思いついたというのか。

 昆虫的節足を素早く動かし、ジュリアス目掛けて走り出した。

 タイタニアの目がカッと見開く。

 全身を危機警告の直感が走り抜けた。ぱっと、担いだ鉄柱を手放す。


「そ、う、は……させるかああ──っ!」


 絶叫し、あらん限りの力を脚に込めて疾駆する。

 レンガ畳を踏み砕き、土砂煙を巻き上げ、疾風の如く驀進した。

 巨体が繰る節足の行進を追い越す。

 水平方向に跳躍し、黒髪の美少年に向かって覆いかぶさる。

 ほぼ同時に、巨体が長い腕を振り上げ、斜めに薙ぎ払った。


「ぐ……かぁっ……」


 タイタニアは背中で直撃を受ける。

 ジュリアスを庇う様に、本能的に抱きしめた。

 次の瞬間、タイタニアとジュリアスは吹き飛ばされた。

 広場に残された移動式店舗にまともに突っ込む。

 勢いはそれでも止まらない。レンガ畳に跳ね飛ばされ、広場に面する建物の玄関に激突する。

 そのまま、内部に転がり込んだ。

 


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