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第一話 それが乱世の乙女道!

 そこは、舞踏パーティーの会場であった。

 白い高級漆喰で滑らかに仕上げられた壁、精緻な彫刻で飾られた扉に大窓、天井よりつり下げられたシャンデリア、熟練の職人たちが数年がかりで編み込んだであろう優雅な紋様の絨毯。

 いずれも贅を尽くしたものばかりだ。


 参加者たちは、いずれも豪華な礼装に身を包んだ上流階級の子息・子女たちだ。

 会場で風雅にダンスを楽しみ、ソファーに腰掛け、知的皮肉の効いた会話で盛り上がっている。


 その中で一際輝きを放つ少女がいた――その名は、タイタニア・ブリュグナント。

 すらりと伸びた四肢を備えた長身は、並み居る男性陣にひけを取らない。百八十センチメートル近くはあろう。

 象牙色を基調とするドレスからのぞく肌は、透き通る白磁のごとし。

 きゅっと引き締まった腰に、余りの大きさで今にもはち切れそうな胸のふくらみが、起伏に富んだシルエットを作っている。

 柔らかなプラチナブロンドの髪は、きちんと結い上げられていた。

 目鼻筋は整っていて、どこか優しげな双眸は鮮烈なまでに青い。

 唇は健康的な桃色で、ふっくらとしている。


「ふう……」


 タイタニアは、余りパーティーを楽しんではいなかった。

 何という退廃的で、自堕落な空気か。

 今、世の中は激動の時代を迎えようとしているというのに、これが支配層の有様か。

 破滅の障気に飲み込まれ、残された時間を短絡的な快楽追求につぎ込んでいるようにしか見えない。


 タイタニアは、遠くを見るような目で、ふっとため息をついた。

 そこに、整った顔立ちの若い男がやってくる。身なりや顔立ちからも、家柄の良さがはっきりと見て取れる。

 十分に美男子であり、恐らく社交界の中でも浮き名に困ることはないほどと思われた。


「いかがなされました? さあ、よろしければご一緒に……それほどの玉顔を曇らせては、太陽まで嘆き悲しむでしょう。さあ、お手を――」


 美男子が、輝くばかりの笑みで誘いかける。

 並の良家の子女ならば、この誘いを断ることなどまず無いことだろう。

 だが――


「あら、御免あそばせ……次の予定がありまして。またこの次の舞踏の宴の折にでも。それでは」


 スカートの端をつまみ、慇懃に一礼をするタイタニア。

 そのまま足早に会場を後にしたのだった。

 

 

 †  †

 

 


「ユーリカ! いる?」


 タイタニアは会場付近の廊下を歩いている。

 結いまとめ上げられた髪に手を伸ばし、髪飾りをさっと引き抜いた。

 ゆるやかに波を打つ髪が、舞い跳ねるようにして腰まで伸びる。


「はい、お嬢様。もう、お帰りですか?」


 追いかけるように声が近づいてきた。

 声の主は、藍色のドレスをまとう少女――ユーリカだ。

 暗褐色の髪を肩あたりまで伸ばしている。

 背丈はこの世界の女性の平均身長である百五十五センチ前後。長身のタイタニアより頭一つ分ほど低い。

 タイタニアと同い年の十七才、幼なじみであると同時にお付き侍女でもあった。


「馬っ! 馬を出してちょうだい! ああ、もう、何てよどんだ空気かしら! 息がつまりそう!」


 苦々しく眉根を寄せ、タイタニアは吐き捨てた。


「お嬢様、一通りの社交活動もブリュグナント家の令嬢としての務め。どうかご辛抱を」


「はいはい、わかっていますとも。しかし、昼間からよく飽きもせずパーティづくしだこと。酒をあおり、踊り狂い、いかがわしい匂いの薬香とか嗅いで、そんでもって隣室の寝台に男女でしけ込んで派手に飛び跳ねて……ああ、世も末かしら、まったく」


「大丈夫ですよ。お嬢様は大変しっかりしていらっしゃいます。これならブリュグナント家の未来だけは安心でしょう」


「うちだけが大丈夫でもね……あんな連中の中から、将来婿を取るのかと思うと……ああっ、憂鬱で仕方がない! というかあり得ない、あり得ない! 馬は、馬はどこ!」


「お嬢様、そんなに急がないでください! 馬ならちゃんと手配してあります!」


 タイタニアは、一気に表に駆け出す。

 ユーリカが必死に後を追った。

 パーティー会場の建物を出ると、二人は箱馬車が並んで止めてある場所に向かう。

 参加者たちが使う駐車場である。

 そのまま、豪奢な箱馬車に駆け込むように乗るかと思われた。

 だが、タイタニアは違った。


「――それっ!」


 祭事・祝事用の礼装ドレスのまま、馬車の座席ではなく馬の鞍にひらりと飛び乗ったのである。


「お嬢様、どちらに行かれるのですか?」


「ちょと街中まで。有望な人材の発掘よ♪」


「人材の発掘?」


「その通り! あんなよどんだ目の男子では、この私の婿などつとまらないわ。まだ汚れを知らず、年下で天使のごとき資質を備えた美少年を大抜擢するの!」


 タイタニアは手綱を片手に、勇ましい表情で、びしっと天を指さした。


「ええっ、何言ってるのこの人? それはお嬢様のご趣味――」


「ええいだまらっしゃい! これは大変意義深き人材発掘! 資質優れたる者ならば、身の回りの世話をするお付き給仕から愛人へ、そして愛人から婿へと昇進する階段が用意されているのよ!」


「どんな昇進システムですか! というかそんなものブリュグナント家にあったんですか?」


 唖然とするユーリカに、タイタニアは威風堂々たる面持ちで宣言する。


「そこに道が無いのなら、己の力で切り開く! そこに希望が無いのなら、己の力で取りに行く! これぞ乱世の乙女道!」


 びゅうっと右腕で宙を薙ぎ、口上をばしっと決めた。


「……お嬢様」


「また後でね! はっ! そいやっ!」


 馬の腹を蹴り、勢いよく手綱を振るう。タイタニアを乗せた馬が、颯爽と駆けだした。


「ええっ? ちょっ、お嬢様、お待ちください! せめて行き先ぐらい言ってください――!」


 嘆願するようにユーリカは声を張り上げるが、タイタニアの姿はもう見えなくなっていた。

 

 

 †  †

 

 

 場所はハンザ商都連邦の首都・ネザルラント。

 ハンザ商都連邦は、旧ユーラシア大陸西方に位置する経済大国である。

 近隣国はおろか、大陸中の物産品が集まってくるのだ。多種多様な文化が一堂に会する場所である。

 所狭しと店舗の建物が建ち並び、人々の活気が間近で伝わってくる。

 その街中に、何とドレス姿のまま馬を駆る令嬢がいた――タイタニアである。


「はて……どうしたものかしら? 素直で可愛い逸材よ、隠れているなら出ておいで……って、どこにいるのかしら?」


 タイタニアは馬にまたがり、石畳の大通りをゆったりと散策していた。

 退廃し、閉塞しきった上流社交界に辟易し、己自身の手で将来の婿候補を見つけ出そうと思い立ったまでは良い。

 だが、実現するとなるとなかなか難儀である。

 良い考えはないものか――そんな事を考えながら、街中を馬で進んでゆく。


「待ちの姿勢は性に合わないものね。やはり、こちらから撃って出なければ。早くしないと勝手に縁談組まれてしまうわ。何か良い考えは……」


 馬上より優雅な貴婦人風に――本人としては一応そのつもりで姿勢を気取り、周囲を見回した。

 ブリュグナント家は、ハンザの国家元首を輩出する名門。実質的な支配者である。

 当然、大陸社交界でもブリュグナント家との縁談を望む家門は少なくない。

 本来なら、十七、十八にもなれば縁談の一つや二つ、持ち上がっているのが普通である。

 たが、タイタニアの場合は異なっていた。

 本人たっての強い希望と強硬な抵抗もあって、未だに縁談が決まらない状態が続いていたのである。

 身分や家柄なんぞ、いざとなれば捨ててやる――そう啖呵を切ったことも一度や二度ではない。


「こうなれば、野良で原石見つけて、自分好みに育成……いやいや、大抜擢よ。問題は、そうした原石がどこにいるのか……ん?」


 馬上で大きなため息をつきながら周囲を見渡したその時だった。

 タイタニアの視界に、一人の小柄な少年の姿がとまる。

 背丈はユーリカより少し高いくらい。だがその小さな顔は、美少女と見間違えるほど端正な作りだった。

 まるで、大理石から切り出した天使像を連想させる。

 綺麗な黒髪が、肩にかからない程度の長さに整えられていた。

 白を基調とした高級感のある外套に、各所に立体的な刺繍がある厚手の外出着、明るい茶色の革製ブーツ。身なりの良さを存分に見せつける装いである。

 服装を手がかりとしなければ、性別を間違っていたかもしれねい。

 何より、タイタニアの目を引いたのは、少年の黒瞳の輝きである。

 神秘的と言って良いくらいに澄んでいて、それでいて芯の強さを感じさせる瞳だった。

 大陸社交界にたむろする上流階級の子息たちとは、まとっている雰囲気がまるで違う。


「ちょっ、行きすぎ! どうどう、どう! お馬さん戻って、戻って! 頼むから!」


 思わず見とれてしまい、そのまま通り過ぎそうになる。

 慌てて手綱を取り、馬を御した。


「おお、これはなんと可愛らし――ううん! 素晴らしい目をしているじゃないの」


 思わず言葉を飲み込み、むせ返った。

 これは逸材なんてものじゃない。タイタニアの直感が、決然と告げていた。

 ただ問題があるとすれば――その少年が路地裏の入ったすぐの場所で、いかにも犯罪的な空気をまとう若者たちに取り囲まれていたことだが。


「……あのさぁ、街案内してやるって言ってんじゃん? ほら、荷物も持ってやるからよ。なぁ、頼むからよ、同じこと何度も言わせんなよ!」


 ひょろりと背が高い男が凄みをきかせていた。上からのぞき込むようにして顔を近づけている。

 周囲の者たちは、ニヤニヤしながら包囲網を固めていた。

 ぴりっとした緊張感をタイタニアは覚えた。

 よからぬ雰囲気であることが、ひしひしと伝わってくる。


「……虎穴に入らずんば虎児を得ず、か。あはははっ、面白い! そうでなくては……それくらいの試練を乗り越えて行かなくては」


 タイタニアは馬を止め、石畳に降り立った。

 せっかく目を付けた原石に手を出そうとする輩など言語道断。

 大きく息を吐いた。

 わずかに目を細め、路地裏に群がる愚連隊に向かって、ゆったりと上品に歩み寄る。

 近づく気配に感づいたのか、一斉にタイタニアの方を振り返った。


「あら、一人相手にずいぶん大人数ですこと……それも私の縄張りで。揉め事あるのなら、聞いてあげましょうか?」


 びしっと愚連隊の方を指さして、タイタニアは凛とした声で呼びかける。


「誰だてめえ!」


 獲物の横取りを威嚇する獣のごとく、剣呑な気配が愚連隊の間から噴出した。

 

 

 †  †

 

 

「――揉め事あるのなら、話聞いてあげようかしら? そう言ってるのですよ?」


 タイタニアはとりあえず、穏やかな口調で愚連隊の男たちに呼びかけた。

 背が一番高い男が、目配せをする。

 中肉中背の二人の男がうなずき、タイタニアの前に立ちはだかった。


「揉め事って分かってんなら、口出しすんなよ? この世間知らずのデカ女」


「あら、私ってそんなに背が高い? これでも少し気にしているのよ。言葉はもっと選んで欲しいわね」


 売り言葉に、微笑みを追加してお返しをする。


「金持ちは見てるだけでイラってくるんだよ。この箱入り貴族女、調子に乗んなよ! 傷物になるぜ?」


 中肉中背の片割れが、勢いを付けてタイタニアの左肩をドン、と押した。

 だが、少しだけ体が揺れるだけだった。後方に倒れる様子は微塵もない。

 タイタニアは『どうしたの?』と問いかけんばかりに、小首をかしげた。


「こ、このアマっ――」


 中肉中背の片割れの顔が、さっと紅潮する。目一杯威嚇的な表情を作り、大きく振りかぶった。右の拳で、タイタニアの頬をなぐりつける。

 みしっと鈍い音がした。タイタニアの頬に、男の拳がめり込んでいる。

 ところが、タイタニアは身じろぎもせずその場に立っていた。無造作に、男の右手首を掴む。


「いきなり女の子を殴るなんて最悪! 最近の男子って、本当に堕ちてるのね。とりあえず、最低よ、あなた」


 やれやれと言った風に眉を跳ね上げ、男の右手首を引っ張った。

 あっ、と短く声をあげて、男は石畳に引き倒される。タイタニアの後方に転がった。


「おいっ、何のマネだ!」


 残った中肉中背が吠える。そのまま助走を付け、タイタニアめがけて拳を繰り出す。長身の少女の頬に、再び拳がねじり込まれた。

 だが、またしてもタイタニアは微動だにしない。仁王立ちのまま、頬にめりこむ拳を左手で掴んだ。


「はあ、まったく……話し合う余地なしってこと? そりゃ結構なことですわね」


 ため息をひとつした。力加減に注意しながら左手に力を入れる。パキャッ、と乾いた音がした。


「うあがっ――」


 中肉中背の男が右拳を押さえて、石畳に倒れる。呻きながら身体をよじり続けた。


「あ、何やってんだよ? たかが箱入り娘一人相手だろうが! ほらほら行った、行った!」


 一番背が高い男が不愉快そうに眉をゆがめる。苛立った様子であごをしゃくった。

 言葉がまるで通じない。これは獣だな、とタイタニアは思った。やや渋い表情になり、半身を切る。重心を少しだけ落とした。

 二人の若い男が、前方に躍り出る。角材、拳に巻いた鎖で武装していた。じりじりと近づいてくる。


「はあ、やれやれ。少しぐらいこちらの話を聞いていただき――」


 そう言いかけた刹那、タイタニアは後ろから羽交い締めにされた。先ほど地べたに引き倒した男だ。してやったり、といった笑みを浮かべている。


「今だ、やっちまえ!」


 男の叫びを合図に、先陣を切る男がタイタニアに飛びかかった。鎖巻きの拳がみぞおちに打ち込まれる。ドスッと鈍い音がした。


「ちったぁ頑丈みたいだが、これでどうよ!」


 息もつかぬ勢いで、鎖の拳を何度もたたき込んできた。左右の肋骨部を立て続けに打ち据えてくる。


「おらおら! そろそろアバラもってかれてんじゃねえか?」


 ニタっとした粘着質な笑みを見せる男。打撃の度にタイタニアの身体が小さく揺れた。

 タイタニア自身は、黙したままだ。執拗に腹部を殴り続ける男をじっと見下ろしている。身体の芯に響く振動を、ただ感じ入っていた。

 男の息が、次第に荒くなる。拳を振るう勢いが衰えてきた。


「う……うくっ……えああっ!」


 すっかり息が上がり、上体がよろめいている。傍目から見ても、これ以上満足な打撃が出来そうにない様子だった。

 連打がすっかり止む。タイタニアは、一歩、二歩と前進する。後ろから羽交い締めにする男が、ずるずると引きずられた。

 打撃を止めて息を切らしている男が、うっと呻く。


「もう気は済んだかしら? じゃあ、一発だけお返しさせてちょうだい♪」


 タイタニアはぼそっと告げた。と同時に、男めがけて頭突きを一発お見舞いする。

 男はふらふらっと後ずさり、大の字になって倒れた。じゃららっと音を立てて、鎖が地べたに広がる。

 タイタニアを羽交い締めにする男はあっけにとられたのか、拘束がふいに解かれた。

 愚連隊が息をのみ、タイタニアの方を凝視する。


「さ、早く済ませましょ? はい、次の人どうぞ」


 にこやかな調子で呼びかけ、ゆっくりと前に進むタイタニア。

 最も背が高い男が、苦虫をかみつぶしたような顔になった。口元があからさまにゆがむ。


「丸腰の女一人にしっぽ巻いて逃げんのか? んなマネして、お前ら、後があると思ってんのか?」


 うろたえる者たちに凄んだ。この背が高い男が、愚連隊の頭目なのだろう。

 角材で武装する男は構え直し、タイタニアに向き合った。

 やぶれかぶれといった様子で、襲いかかってくる。


「ちくしょうっ、さっさとくたばれ!」


 角材を持つ男が、タイタニアめがけて振り下ろした。狙いもよく定めずに乱打する。

 頭、肩、腕を角材で滅多打ちにした。

 肩や腕のドレスの生地が、徐々に裂け始める。

 それでもゆっくりと前進するタイタニア。口元には、かすかな笑みすら浮かべていた。

 耐久限界に達したのか、乾いた破砕音を上げて角材が折れ飛ぶ。


「うっ、ううっ……来るな! 寄るな! 何だ、何なんだよお前!」


 男は戦慄の表情でへたりこんだ。のどが小刻みに震えている。


「はははっ! 甘い、甘い! そんな程度で、私を押し倒せるかしら?」


 タイタニアの顔には愉悦がこぼれていた。

 必要以上に危害を加えるつもりはないが、愚連隊のあがきっぷりが滑稽で仕方がなかったのだ。

 戦意喪失した男を素通りし、リーダー格の男に近づく。

 肩をぱんぱんと叩き、ドレスについたほこりを払った。おもむろに口を開く。


「ええと、何だったかしら? 道案内? それなら私がやってあげるから、あなたたちは下がりなさい」


「おい……あんまり近づくんじゃねえ、いいかこれ以上――」


 そう言うより早く、タイタニアは左腕を払った。

 リーダー格の男が脇に押し飛ばされる。路地裏の建物の壁に背中から叩きつけられた。


「あ……が……」


 ずるりと石畳の上に崩れ落ちる。

 問答無用の先制攻撃になってしまったが止むなし。

 話し合いの余地が無いと言うことは、もはや証明済みなのだ。


「あなた、大丈夫? 何か盗られたりしてない? さあ、いいのよ。遠慮無くお姉さんに言いなさい」


 タイタニアはやや中腰になった。

 立派な外套をまとう黒髪の美少年の顔をのぞき込む。

 ニコっと微笑んで、もう安心だということを表情で伝えた。


「ありがとうございます、本当に助かりました。こんな事に巻き込んでしまって……あの、お体の方は大丈夫ですか?」


「いいの、いいの。私、普通よりすこし頑丈に出来てるのよ。あなたの方こそ――」


 そこでタイタニアは、ぴたりと動きを止めた。

 非常に良い香りが鼻腔をくすぐるのだ。

 十代の少女特有の甘い香りに似ているような感じがした。

 清涼感があって、それでいてかすかに甘い香り。

 間近で思い切り吸い込みたくなった。

 即決即断――外套の上からふわっと抱きしめた。

 さりげなく黒髪に頬を寄せ、すうっと匂いをかぐ。

 さわやかだが、甘さをたたえた花の香のようだ。

 感無量だった。


「怪我とかしてないみたいで、良かった……おお、良い香り」


「え……? い、いえ、こちらこそ」


「これはぜひお持ち帰……うおっほん! ところであなた、お年はいくつ?」


 危険語句が出かかった。何とか寸止めに成功した。

 じわじわと、感情が焦げ付くように高ぶり始める。

 興味や好奇心がむくむくと鎌首をもたげた。

 ジュリアスを抱擁から解放すると、質問攻めにする。


「はい、今年十五になったところです」


「まあ、私より二つも年下? それにしては、しっかりさんなのね」


「どうなんでしょう? しっかり者だなんて。気にしたこともないです」


「ふふっ、あらそうなの? ところで、あなたお名前は?」


「ジュリアスと言います」


「あら、ジュリアス、ジュリアス……いい名前ね。まるで旧世界の英雄みたいな名前! 私はタイタニア、みんなからはティナって呼ばれてるの。よろしくね、ジュリちゃん」


「は、はい……よろしくお願いします、ティナお姉様」


 ぱっと花が満開したような笑顔で、タイタニアはウィンクをした。

 やや恥ずかしそうにしながらも、ジュリアスも笑みで答える。


「ところで、ジュリちゃんはどうしてこんな目に遭っちゃったの?」


「ええと、その、実は今日泊まる先の宿を探していたら、さっきのようなことになってしまって……」


「あら! そういうことなら遠慮無く相談なさい。私のお家、広いのよ。それにあなたのような前途有望、光り輝く原石なら大歓迎!」


 おずおずと事情を話す少年に、タイタニアは親指をぐっと立てた。


「どうしようかな……いいのかな、でもいきなり――」


 ジュリアスが困ったように思案したその時だった。

 急に人の気配がした。かなり数が多い。

 十人どころではない。百人は下らないのではないか。

 しかも、とても攻撃的で物々しい気配だ。

 囲まれた――タイタニアが振り向いた時には、既に遅かった。


「へ、へへへっ……見せつけてくれるじゃねえか。このままメデタシ、メデタシって済むと思ったか、ああん?」


 つい先ほど撃退した愚連隊のリーダーが、かなり大勢の仲間を引き連れて仕返しに来たのである。


「……これはだいぶにぎやかなこと。締め切り延長してあげるから、もっとお友達連れて来たらいかが♪」


 タイタニアも負けてはいない。すっと目を細め、愚連隊に凄みを効かせた。

 身体の力をそっと抜き、戦闘態勢に入る。


「ティナお姉様、数が多いです。ここは……」


 ジュリアスが、懸命な表情で見上げてきた。


「ふふっ、大丈夫。ジュリちゃん、お姉さんの背中、そこから見ていなさい――」


 タイタニアは慈愛で溢れんばかりの笑顔を少年に贈る。

 人差し指を唇にそっと当て、ウィンクを交えた。

 そして、愚連隊の方に向き直り、キリっと表情を引き締める。


「あら、この私がしっぽ巻いて逃げるとでも思ったの? よく聞きなさい、愚民ども……保護を求める美少年、守ってやらずにどうとする! これぞ乱世の乙女道! かかって来るなら容赦無し! 徹底的にこってりと、一滴残らず絞ろうぞ!」


 タイタニアは、戦闘意欲満点で名乗りを上げた。

 胸の前でガシっと拳を打ち合わせる。


「ナメンなよ、お嬢様よおっ!」


「おらあっ! 全部ひんむいて望み通りにしてやらあっ!」


 愚連隊が一斉に突撃を開始する。


「ティナお姉様、なんてすごい人だ……でも今のセリフ、それはどうかと」


 ネザルラント市街の路地裏を舞台に、一対百以上の大乱戦が幕を開けた。

 

 

 †  †

 

 


「歯を食いしばりなさい――ッ!」


 タイタニアが低い態勢から、右拳を打ちはなった。

 前方から迫るチンピラ的風貌全開の若い男のみぞおちに、思い切りねじ込む。

 前傾姿勢で体重を乗せ、右肩を突き出し、体当たりのごとく突進した。

 『ぐえっ』とカエルをつぶしたような声を上げ、若い男の身体が宙に浮き、まっすぐ吹っ飛ぶ。

 後方に控えた愚連隊が巻き込まれて直撃。十人以上が石畳の上になぎ倒された。


「ふう……お味はいかが?」


 拳をぐっと突き出したまま、タイタニアは獰猛な笑みを浮かべて息を吐く。

 と、その時だった。


「後ろガラ空きだぜっ! このダボがっ!」


 愚連隊の一員がタイタニアの背中に飛びかかった。首に腕を回して締め上げようとしたのだ。


「今だ! やっちま――」


「温い! 軽い! それがあなたの本気なの?」


 タイタニアが闘志むき出しで吠える。

 乗りかかられているが、何のその。

 急に身体を旋回、力任せに右腕を水平に振るった。風を切って、ごうっと唸りを上げる。

 後ろから迫る愚連隊御一行の喉元に右腕を叩きつけた。


「へげぼっ――」


 急旋回するタイタニアの右腕が炸裂。

 まともに喰らった愚連隊が鮮やかに九十度後方に回転、次々と石畳に転倒。まさにドミノ倒しである。

 だが、愚連隊はひるまない。

 倒れた仲間を乗り越えて、どんどん飛びかかってきた。


「乗れ、乗れっ! こいつを押しつぶせっ!」


 背中に飛びつき、腰に巻き付き、脚にしがみつく。

 アリのように、タイタニアの身体にとりついてきたのだ。

 タイタニアの身体に群がる愚連隊が、奇妙な人型オブジェを形成する。


「ぐむむっ……」


 口を手で押さえられ、タイタニアは声が出せなくなった。


「破け! コイツの服を破けっ! コイツは女だ! そうすりゃ動けなくなる!」


「おうよ!」


「分かってらぁ!」


「約束通り一滴残らず絞ってもらおうじゃねえか!」


 群がる愚連隊が、しがみつきながら、タイタニアのドレスに手を掛けてゆく。

 鼻息もかなり荒く、指先を生地に引っかけ、乱暴に引き裂いていった。

 ビリッ、ビリッと音を立て、破れた生地が次々と石畳に堕ちてゆく。


「――!」


 ジュリアスの目が、驚きと怒りで見開いた。

 さすがのタイタニアも、一度にこれほどの相手をするのは困難か。無残に衣服をはぎ取られ、戦闘続行不能になるのか――誰の目にも、そう見えたことだろう。

 しかし、タイタニアの心は折れていなかった。

 タイタニアの身体が、ぐらりと動き始めたのだ。


「〜〜〜〜ッ!」


 くぐもった咆哮を上げ、ギュルギュルと身体を回転させる。


「な、なんだ!」


「これで動くのか?」


「ゆ、指がああっ!」


 遠心力に耐えられず、愚連隊が次々とタイタニアの身体から振り落とされていった。

 タイタニアは、肩と首をぐるっと振り回し、最後の一名を振り飛ばす。

 象牙色のドレスは無残な姿と化していた。

 スカートなど、ほとんど生地を失って丈が極端に短い。

 胸元から腹部にかけても生地がざくっと大きく裂かれている。ドレス内に押し込められていた乳房がかなりせり出していた。

 コルセットも引きちぎられている。白肌がむき出しであった。

 胸部および下腹部から膝上にかけて、辛うじて生地が残っている状態だ。

 原始時代の女性を彷彿とさせるような格好にすら見えた。

 なれど、恐るべしは乙女道精神――


「あら……ずいぶんと身体動かしやすくなったみたい♪」


 タイタニアは、悠然と腰に手を当てた。口端を引き上げて宣告する。


「さあ、あがめさない! 愚民ども……眼福でしょう? 今日は、実に運が良いわ……あなたたち」


 バキバキと指を鳴らし、足首を振って靴を脱ぎ飛ばした。

 地べたに這っている男が一人、鼻下を手で押さえタイタニアの方を見上げる。


「うおおっ……こ、これは――ふぐっ?」


 そこに、長くて白い生足がすっと伸びてきた。

 なんとタイタニアが、男の顔面を足の裏でガシッと押しつけ、グリグリと動かしてなぶっているではないか。


「……どう、かなり良い眺めでしょ? もちろん、思い残すこと無いわよね? じゃあ、そろそろお逝きなさい――っ!」


 叫ぶと同時だった。タイタニアの右足が、男の顎を蹴り上げる。

 宙に浮いた男の身体に、鮮やかな右回し蹴りを喰らわせた。


「白、生、むち……らえぶおっ――!」


 惚け顔の哀れな男が一名、放物線を描いて路地裏から表通りまで吹っ飛んでいった。


「なかなかいい逝き顔ね……さあ、次に逝きたい人、こっちにいらっしゃい!」


 タイタニアは片足立ちで挑発。右足を振り上げ、宙に構えていた。いつでも蹴りを放てる体勢だ。

 すらりと長く、それでいてむっちりとした見事な肉付きの太もも。

 みずみずしい白肌が、陽射しを受けてまぶしく照らし出される。

 周囲を取り囲む愚連隊が、獣じみた声を上げて一斉に襲いかかった。


「「うおっ、おおおおおっ!」」


 どうやら本気で生足蹴りで逝きたいらしい。


「やれやれ、健全なのは性欲だけ――って、甘い! そりゃあっ!」


 タイタニアは真上に右足を振り上げた。

 百八十度近く垂直方向に開いた右足――そのつま先が、垂直方向から飛びかかったチンピラ一名の股間を直撃。


「ほんぐ、おおっ!」


 返す刀で、右足を直下に振り下ろす。

 ビュウっという風切り音と共に、かかと落としが炸裂。


「へげっ、んぐ――」


 タックルを仕掛けようとした男、顔面から石畳に転倒して沈黙。


「さあさあ、ほらほら、次々! 次次次次次次次――っ!」


 タイタニアは上体を傾け右足を振り上げ、怒濤の勢いで蹴りを連打する。

 理性を失い獣欲全開の男たちが、パチンコ玉のごとく蹴り飛ばされていった。


「らぶばっ――!」


「ほくぇっ!」


「むちむぢぃっ――!」


 幸せそうな顔で失神したチンピラ御一行が、うずたかい山を築いてゆく。


「そらそらそらっ! 一日一善ッ、善善善善善善っ――」


 無双状態で快調に男たちを蹴散らすタイタニア。

 とその時、背後からドスの利いた鋭い声がした。


「動くなっ! ガキがどうなってもいいのか!」


 タイタニアは、攻撃を中止して振り向いた。

 何と、ジュリアスが人質に取られているではないか。

 卑怯な真似を――タイタニアは、目を見開いた。


「なっ……ジュリちゃん!」


「そうだ、状況は分かったよな……そのまま手を挙げて、こっちに……よし、そうだ、そのまま跪け」


 ジュリアスの頬に刃物を当てられては、これは動けない。

 屈辱的極まりないが、ジュリアスに危害が及ぶようなことはあってはならない。

 タイタニアは唇を噛み、言われるがままに石畳に跪いた。

 戦闘可能な愚連隊のメンバーが、ぐるりと取り囲む。

 生々しい欲望むき出しの目で、なめ回すように視姦してきた。

 一人の愚連隊メンバーが、後ろからタイタニアに迫る。

 タイタニアの乳房を両手で粗っぽく鷲づかみにした。


「……ッ!」


 怒りと羞恥で、タイタニアの顔が赤熱する。

 大勢の面前で、こうも辱められるとは――はらわたが煮えくりかえるのをハッキリと感じた。

 愚連隊が包囲網をジワジワと狭めてくる。

 次はどんな辱めをしようと言うのか?


「いいぞ、いいぞ……よし、そしたら残った服を全部、脱――ぎいやああああっ!」


 それは突然だった。

 ジュリアスを人質に取っていたチンピラ風情が絶叫したのである。


「ふ……んぐぐぐ! うぎぎぎっ!」


 何と、ジュリアスが思いきり手の甲にガブリと噛みついたのだ。

 しかも、すかさず拘束する腕から脱すると、人差し指と中指で『えいっ!』と目つぶしを加えるではないか。


「うごおおっ、ごごっ、目、目があああっ!」


 まだ攻撃の手が緩まない。

 目を覆ってわめくチンピラの股間に、『ふんっ!』と膝蹴りをお見舞いする。

 さらにトドメとばかりに、分厚い皮の鞄を大きく振り、勢いを付けて顎を下から撃ち抜いた。

 哀れチンピラ、白泡を吹き、ばったりと仰向けに崩れ落ちる。

 何という滑らかな連係攻撃、というかそこまでやるのか――タイタニアは、ゾクゾクと見とれていた。

 ジュリアスが、たたっと駆けて来る。

 タイタニアはハッとして、乳房を揉みしだく男の手首をギリギリと握りしめた。


「あぎゃっ、だだだ――っ!」


 痛みに耐えかねてか、愚連隊のメンバーが乳房を掴む手を離す。

 その隙を突き、タイタニアは拘束を振りほどき、愚連隊から間合いを取った。

 ジュリアスが、タイタニアの背中にぴたっと寄ってきる。


「ジュリちゃん、すごい! あなた、やるうっ! やるじゃないっ!」


「は、はいっ、ついカッとなってやってしまいました! でも反省していません!」


「偉いっ、すんごく偉い、ジュリちゃん! このまま一気に蹴散らすわよ!」


「はいっ!」


 タイタニアとジュリアスは互いの背中をピタリと合わせて並び、迎撃態勢を整える。


「このチビガキっ! 何独り占めしとるんじゃ!」


「お前邪魔なんだよ!」


「女だけよこせ! 野郎は消えろ!」


 これは酷い。

 そうとしか言いようが無いほど、襲いかかる愚連隊の顔は嫉妬と憎悪と性欲で歪んでいた。


「腐った根性は消毒よ! 歯を食いしばりなさい、愚民ども――っ!」


 タイタニアの剛拳が唸りを上げた。

 愚連隊は、タイタニアの胸と腰を覆う残り少ない生地をはぎ取ろうとする。

 だが、


「この乳、ごげっ……」


「おらっ腰もらっ――だがっ」


「もうちょい胸、ねがっ……」


 その寸前で、ことごとくタイタニアの拳圧のエジキと化していった。

 それにしても酷い断末魔である。

 獣欲むき出しでよだれを垂らして襲い来る愚連隊。

 タイタニアはリズミカルに四方八方に殴り飛ばしていった。


「あなたたちはっ、男子の恥です! 膝をついてっ、ティナお姉様にわびを入れてくださいっ!」


 ジュリアスは、ひらりひらりと愚連隊の拳をかわす。

 くぐり抜けるように体勢を低くしては、前蹴りや膝蹴りを繰り出した。


「ほっ……くこおおっ、いっ、おおっ」


「うっ、んっぐうう……うおおぉぉ……」


 全部、金的だった。

 愚連隊が次々と股間を押さえ、泡を吹き、石畳に崩れ落ちていった。

 可愛らしい見かけによらず、ジュリアスはなかなか容赦ない男の子だった。

 そして――


「どれどれ、残るはあなただけ? さっきはよくも……ドサクサに紛れ、私の乳をもてあそんだ罪は万死に値するわよ」


「痛いのは一瞬。さあ、脚も心も開いてください」


 タイタニア、ジュリアス共に瞳から光が消えている。

 禍々しいほど威圧的なオーラを放ち、残党一名に歩み寄った。


「ま、待ってくれ……出来心だったんだ。ちょっとカツアゲしようと思っただけなんだ……頼む」


 両手を合わせ、懇願してくる残党一名。


「……私の乳……鷲掴み、鷲掴み……おさわり一回、腕一本! 両方だから腕二本ッ!」


「どうしたんですか? 早く脚を開いてください」


 タイタニアとジュリアスが、ゆらり、ゆらりとした足取りで残党一名に近づいてゆく。

 タイタニアが満身の力を込めて右拳を振りかぶった。

 ジュリアスがつま先を宙に浮かし、金的前蹴りの体勢に入った。


「ひっ……ひいいいいっ!」


 様々な意味で、残党一名の人生が終焉を迎えようとしたその瞬間――


「お嬢様、この騒ぎは一体何でございますか!」


 突然、カツカツという軽い足音が路地裏に響く。

 顔面蒼白のユーリカが現場に駆けつけてきたのである。


「あっ、ユーリカ! ちょうど良かった! つい百人がかりで襲われちゃったの。嫁入り前にさすがにこれはやばいと思ってね」


 タイタニアは追い打ちを中止。ちろっと舌先を出し、ユーリカの方を向く。

 両手で胸を隠すようにして、自分がどれほどの被害を受けたのか、いかにも懇願するような表情でアピールする。

 残党一名はギリギリのところで命拾いをしたのだった。


「……なるほど。本当に、いかがわしい社会のゴミクズのような連中ですこと。よってたかってお嬢様を犯さんとするとは!」


 ユーリカは、汚物を見るような目で、地べたでのびている愚連隊を見下ろした。


「ふふふっ、でもね、でもね……見て、見て、ユーリカ! すっごい可愛いでしょこの子」


 タイタニアはクスクスと笑みをこぼし、目元をやや緩め、後ろからジュリアスの肩に手を置く。

 この上なく自慢げに、ユーリカに紹介する。


「おおっ、これはまた見事な――って、年下男子狩り? 突然パーティーを抜け出したと思ったら……どれだけ趣味全開なんですかお嬢様……いや、何という痴女子っぷり……」


 意識が少し遠のいたのか。ユーリカの足下がややふらついている。


「失礼ね、ユーリカ。乙女道精神にのっとって、私が助け出した子よ。でもね、すっごい逸材なのよ、この子。背中を任せられるって、ああ、こういうことなのね、きっと……」


 うっとりとするタイタニア。


「うう、ますます頭痛が……頭痛が痛い……」


 こめかみをキュッと押さえるユーリカ。

 そこに、ジュリアスがぺこりと挨拶をしてきた。


「こ、この度は大変お世話になりました、ジュリアスと申します!」


「あら、これはこれは――はじめまして、ブリュグナント家・侍女衆筆頭、そしてタイタニア様お付き侍女のユーリカと申します。以後、お見知りおきを」


 ユーリカは改まった様子で、スカートの端をつまんで深くお辞儀をして応じる。


「……ブ、ブリュグナントだと……誰なんだ、この女……」


 近くで倒れているチンピラが一名、苦しそうに声を上げた。

 ユーリカが眉をひそめ、愚連隊たちを苦々しく見下ろす。

 こほん、と咳を一つした。

 改まった様子になり、声高らかに口上を語り上げる。


「あら、ご存じなくて? 良いでしょう、お教え致しますわ――大陸社交界にその名あり! 泣く子は黙り、殿方見惚れるその姿。完全武装の暗殺団を寝間着姿で撃退し、長距離狙撃すら手で弾く! この方こそ、大陸社交界に燦然と輝く超武闘派御令嬢・タイタニア・ブリュグナント様です!」


 愚連隊一同の表情が、一斉に凍り付く。並ならぬ精神的衝撃を受けているに違いない。


「な、なんだって――っ?」


「……こ、国家元首の令嬢?」


「何てスゲエいい身体してんだと思ったのに……化け物かよ? なんか嬉しくねえ!」


「ああいうのは、檻の外から眺めるに限る……」


 愚連隊は口々に嘆きの声をあげた。


「そんなまさか……この人が?」


 ジュリアスも、どきっとした様子でタイタニアの方を振り返る。

 タイタニアはニコリと笑顔を浮かべて、応えた。


「途中から嫌な予感がしてたんだ! あの時に止めときゃよかったんだ!」


「てんめえ、俺のせいだっていうのか?」


「嘘だ……嘘だ! 俺、捕まりたくねえ! 死刑なんて嫌だぁっ!」


 愚連隊御一行は、うろたえ、互いを罵り合う。土煙をもうもうと巻き上げ、ほうほうの体で遁走していった。

 あれほどの人口密度でひしめいたいた路地裏が、すっかり閑散となる。


「あの狼藉者ども! すぐに憲兵隊に追わせ――」


「まあまあ、もういいでしょう、ユーリカ。アレで十分、いい薬になったでしょう……ところで、馬車ってある?」


「はい、ちょうど馬車に乗って通りかかったところでしたので」


「素晴らしい! 一汗かいたら、やっぱり水分補給よね。さあ、ジュリちゃん、お茶しに行きましょ。もちろん私のおごり♪」


「えっ、それじゃお世話になりっぱなしで――」


 遠慮がちなジュリアスに、タイタニアは人差し指を振って微笑みかけた。


「その通り! あなたはこれから、タイタニア・ブリュグナントの下でお世話になりっぱなしになるのよ。お茶ぐらいでオドオドしてたら神経持たないじゃない? というか、それはお姉さんちょっと悲しいかも」


「いえいえっ、決してお誘いが嫌だとかそういうことはありません!」


「ふふふっ、それじゃ遠慮無く私に甘えなさい♪」


 タイタニアはいかにも頼もしげに胸をぐっと張り、拳でトンと叩く。

 その拍子に、プチン、と音がした。

 辛うじて胸を覆っていたドレスの生地が、ひらりひらりと落ちてゆく。

 規格外のボリュームを誇る白肌の双丘が、躍動感たっぷりな動きでその全体像をあらわにした。


「あ……」


 『しまった!』とばかりにタイタニアは動きを止め、胸元を見下ろした。

 ジュリアスは、キュルっと百八十度高速回転。反対を向く。


「はいっ……どうぞ」


 そそくさと白い外套を外すと、目をつぶってタイタニアの肩にかけたのだった。

(なっ……視線をそらされたッ! ちょっとぐらい見て行きなさい!)

 恥ずかしいような、嬉しいような、でもそれでいてやはり残念な気持ち。

 このままでは、ジュリアス少年との間に縁のフラグを立てるには至らないだろう。

 何か不測の事態を誘発できないものか――身体を動かしながら思案する。


「はいお嬢様、外套はそのままに……偶然装って外しちゃダメですよ。ええ、両腕広げてもダメですよ。はいそれ公共わいせつ罪――というかこっちに来い♪」


「ああっ、ちょっと、どこ引っ張ってるの!」


 こめかみに青筋を立てながら、ユーリカは引きつった笑顔でタイタニアを馬車に連行した。



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