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第六話 しかと見よ! 燃え上がる乙女の魂ここにあり!(四)



「あぁ、素敵な狩りだったなぁ……」


 恍惚とした表情で、アーディはタイタニアの胸から右手刀をズブリと引き抜いた。


 肉感あふれるタイタニアの長身は、もう動かない。


 ぐったりと弛緩して、亀裂の入った時計台に磔のごとく身体をめり込ませていた。


 アーディは、タイタニアの身体をすみずみまで舐め回すみたいに視線を走らせる。


 これほどの充実感、達成感を覚える狩りは、実に久しぶりであったのだ。


 最後の命のかけらが燃え尽きるまで、あらがい続け、抵抗し続け、立ち向かってきたタイタニア。


 その不屈の戦いぶりは、アーディの魂を大いに震わせた。


「やっぱり、覚醒前なのかな? 火星で見た資料とはちょっと違う。でも……とても良かった……」


 動かなくなったタイタニアを、いとおしさにも似た感情を込めて見つめる。


 覚醒前とはいえ、エリュシオーネの実物と対峙するのは、アーディにとっても初めてだった。


 タイタニアは、火星の本国政府の訓練施設で見た映像資料とは少し異なるタイプのエリュシオーネであった。


 だが、その戦闘能力は本物――フィエルンド・エリートの巨体を、その肉体一つであっさりと葬り去ったのだ。


 相手にとって不足は無かった。


 アーディは、タイタニアとの戦いを十分に満喫できた。


 体中に行き渡っているこの悦びの感覚が、何よりの証拠なのだ。


 あとは――


「ティナおねえちゃんの血を、肉を、そして力を、あたしの身体に――」


 ぽつりと呟く。


 そして、温かい血に覆われたタイタニアの豊かな胸に、とすっと顔を押しつけた。


 まるで、母親に甘えるのにも似た感覚で、アーディは何度も顔をすり寄せる。


 左胸に開けられた二つの傷穴から、ぬくもりが残る血液がじわりじわりとにじみ出していた。


「……んぐ……ううぅ、ん……」


 アーディは、タイタニアの肌を舌でなぞり、二つの傷口に交互に唇を寄せては優しく血を吸い出す。


 味覚で感じ取るのは、その甘酸っぱさだった。


 舌先に突き刺さるような強い酸味ではなく、心地よく刺激し続けるような絶妙な酸味の加減。


 飲み下してからじわりと覚えたのは、胃を押し広げるような拡張感だ。


 濃厚な滋養成分が詰まっているからだろうか。


 食道から胃にかけて、心地よい灼熱感が広がってゆく。


「――ぷはっ! すごい……エリュシオーネの血って、きっとすごいナノマシン入っているんだよね……ん……んぐ……」


 惜しみなく感嘆の声を上げ、アーディは興奮の度合いを高め、タイタニアの胸にむしゃぶりついた。


 唇をぴたっと肌に押しつけ、綺麗に血をぬぐい取るよう吸う。


 傷口に舌先を差し込み、溢れる血を喉を鳴らしながら吸った。


 今回は、確信があった。


 エリュシオーネの血の中には、きっと力の源になるナノマシンのようなものがある。


 それを自分の身体に取り込み、制御下に置けば、劇的な戦闘能力の向上が期待出来る、と。


 今までも、斃した相手の血肉をナノマシンの力で取り込んだことがあった。


 相手の力が、自分の中にそのまま注ぎ込まれるような感覚を鮮明に覚えている。


 しかし、今回はその度合いがまるで違う。


 まさに、灼熱のマグマのエネルギーを、そのまま取り込んでいるようにさえ思えたのだ。


 もしかすると、とんでもない暴れ馬みたいな血肉かもしれない。


 だが、見事に制御し、完全に取り込めば、自分はもっと、もっと強くなれるだろう。


 そんなことを考えつつ、アーディは一心不乱にタイタニアの血をすすり続けた。


「……ん……あれ? ……あんまり出てこない?」


 数分もすると、血があまりにじみ出てこなくなった。


 傷口を吸ってもダメである。血が沸き出してこない。


 これは困った。


 肉を喰らう前に、もう少しこの血を味わいたい。


 今開いている穴からはもう湧いてこない。


 ならば、もっと増やせば良いのだろうか?


 アーディは自分の手のひらを見つめ、考え、決めた。


 体内のナノマシンを使い、やや長めのフィンガーブレードを両手に形成する。


「そっか、そうだよね! 井戸が涸れたら、他の場所に掘ればいいもんね! よし――」


 うきうきとした気分で、長い刃と化した爪をタイタニアの両胸にズブリと、深々と突き刺す。


 ブレードの角度には気を付ける。


 筋肉繊維の間を平行に通り抜けるように刺さないと、貫けないからだ。


 角度を微調整しながら、確実に刃を奥へ奥へと差し込んでゆく。


 やがてタイタニアの両胸を貫通した刃が、時計台の壁面に当たり、カチリと音がした。


 左右合計で十の穴が新たに開けられた。


 新鮮な血液が、じわりと滴り始める。


「あぁ、よかった……まだ出てくる……」


 安堵で目元を緩めるアーディ。


 各指の第一関節を傷口にもぐり込ませ、タイタニアの両乳房を猛禽の爪のごとく文字通りに鷲づかみにする。


 そのままの体勢で傷穴に顔を近づけ、舌を小さく出し、しみ出してくる血を恍惚の表情で舐めた。


 随分と血の粘度が高まっている。


 ねっとりと舌や口腔内部にへばりつき、絡みつく。


 唾液で洗い流すようにして、やっとのことで飲み下した。


「うわぁ、すごい粘っこい! これって、急いだ方がいいのかな? でも、変だなぁ……」


 一体どんな変化が、タイタニアの身体で起きているのか。


 この短時間で腐敗や酵素による細胞分解が進行しているとは思えなかった。


 ただ、あまり時間をかけない方が良さそうな直感が走っていた。


 血液もかなり強い粘性を帯び始めているので、飲みにくくなっていることもある。


 そろそろ肉の方を頂くとしようか。


 しかし、解体するのは難儀しそうである。


 先ほどの戦闘時、筋肉繊維の方向と直角にフィンガーブレードを打ち込んだのだが、胸板を貫通できず、筋繊維などの組織に弾かれ、滑ってしまったのだ。


 ブレードから指先に伝わる感触が急激に変化したのを覚えている。


 まるで、ゴムの柔軟性とダイヤモンドの硬度を併せ持ったような得体の知れない感触だった。


 ゆえに、フィンガーブレードを差し込む際には、角度に注意せねばならないことを悟ったのである。


 筋肉層は後回しである。


 まずは体表組織から試してみよう。


 アーディは、肉汁滴るステーキ肉を連想しながら、タイタニアの肌にかぶりついた。


 だが、その直後に、バルカンヌの言いつけを思い出し、冷や汗をかいた。


「――あっ、子宮だけは残せっておじさま言っていたっけ。危ない、危ない」


 抵抗するタイタニアとの戦闘の結果、身体をバラバラに吹き飛ばしてしまったが、子宮だけはちゃんと確保した――という筋書きなら、一応言いつけは守ったことになるだろう。


 しかし、バルカンヌはなぜ子宮にこだわるのか。


 アーディはバルカンヌの話を思い出していた。


 ――エリュシオーネの末裔たる帝都の系譜の肉体と、アレスの科学力を合わせて、新しい覇者の一族を育て上げる。


 つまり、エリュシオーネに取って代わるだけの力を持った種族を作り出そうというわけだ。


 タイタニアの肉体は、その目的に合致するとバルカンヌは判断したのだろう。


 確かに、タイタニアのあの強靭な肉体から察するに、この子宮から生まれる子は、相当強靭な肉体形質を受け継ぐことだろう。


 それくらいはアーディでも分かっていた。


 だが――


「でも、おじさま……もっと優秀な子宮なら、ここにあるのに……エリュシオーネの血にそこまでこだわりたいの?」


 自分の下腹部を見やってから、やや憮然とした気持ちでアーディは呟いた。


 雌として生物学的な意味で、タイタニアより格下に見られているみたいだ。


 気分はあまり良くない。


 もしかしたら、嫉妬なのかもしれない。


 バルカンヌが、タイタニアの肉体に執着していることが、心のどこかで許せなかったのかもしれない。


「確かに、ティナおねえちゃんはすごかった……おじさまがこだわるのも分かる気がする。

 でも、どんな風にすごいのかな? あたしよりも優れた部分があったりするのかな……」


 戦いに勝ったものの、別の何かで負けたのではないか。


 急にそう思えてきて、動揺がわずかに走った。


 どうしても確かめたい気持ちになる。


「もしかしたら、ティナおねえちゃんの子宮には、何か特別な秘密でもあるのかな?

 よし、それなら取り出して、確かめてみよう! ナノマシンを使って、じっくり調べてあげる!

 そうすればきっと……その何かが分かる!」


 アーディは、心に掛かるもやを晴らしたいと強く思った。


 フィンガーブレードを胸から抜き取り、腹部を開いてみようとする。


 ところが――


「ん? あれ、あれ? 抜けない……どうして抜けないの?」


 アーディがいくら力を入れても、タイタニアの肉体は前後にがくがくと揺れるばかり。


 フィンガーブレードをみっしりと挟み込み、いっこうに抜けないのである。


 これはどうしたことか。


 先ほど、タイタニアの心臓を背後から貫いた際にも、肉が急激に締まり刃を挟み込んできた。


 だが現在、刃を挟み込む力は、先ほどとは桁違いである。


 信じられなかった。


 巨大なプレス機械で、フィンガーブレードごと破砕されるのかと思うくらいだった。


「あっ……抜けない! どうして? もう心臓無くなっているのに、どこにそんな力が?」


 アーディを襲ったのは、紛れもない困惑であった。


 まるで生きているみたいではないか。


 これは死後硬直などではない。


 アーディは、フィンガーブレードを介して、急激な温度上昇を感知した。


 そして、凝然となる。


 ナノマシンが伝達する温度は、千度を超えているのだ。


 肉体の内部の温度は、さらに上昇を続けている。


 一体どこまで上昇するというのか?


 アーディのナノマシンは、電磁気的に結合力を強化することで物性を大幅に強化できるが、このままではその耐久限界さえ超えかねない。


 これは、意地を張っている場合ではない。


 今すぐフィンガーブレードを構成するナノマシンに指令を出して――


 だが、アーディの思考が突然遮られた。


「……えっ?」


 なんと、目をカッと見開いた血まみれのタイタニアが、アーディの両手首をがっちりと握りしめていたのだ。


 その握力は、先ほどの戦闘時とは比較にならないほど強い。


 フィエルンド・エリートの巨体に生えた四肢など、砂粒のごとくすりつぶされるのではないか。


 アーディの骨格があっという間に悲鳴を上げる。


 ゴキリ、と鈍い音が響いた。


「あ……あっ、あああっ――」


 アーディは、唾液の飛沫を飛ばしながら、絶叫する。


 手首で激痛が爆発したのだ。


 粉砕骨折だった。


 虚ろな目で、焦点も合わさないで、ぼんやりとこちらを見つめてくるタイタニア。


「……す、すごい力……あ、あはっ、あはははっ……」


 言い知れぬ本能的恐怖と戦慄、そして新たなる興奮をアーディは覚えた。


 今日は何という獲物に遭遇したのだろうか。


 素晴らしすぎる。


 いや、素晴らしすぎて、こちらが逆に狩られかねないほどだ。


 タイタニアは、さらに握力を加えてくる。


 このままでは力任せに手首をねじ切られそうだ。


 アーディは、引きつった笑みをひとつ浮かべ、ナノマシンにある指令を出す。


「ちょっと痛いけど、仕方ないか――」


 アーディの両肩部分で、漆黒のナノマシン戦闘装甲がすうっと裂けた。


 肩口を三百六十度一回転するように切れ目が走り、黒い密着スーツの下にある肌がのぞく。


 次の瞬間、


「ふっ……ふあああぁっ――っ!」


 両腕を切断されたのとほぼ等価の激痛が爆ぜる。


 アーディの両腕から、ナノマシン戦闘装甲がずるっと抜けた。


 両手首を握りしめてくるタイタニアの手から、すぽっと腕を引き抜くことに成功。


 アーディは、無我夢中で後方に跳躍回避。


 身体をくの字に折り曲げ、レンガ舗装の上でのたうち回り、芋虫のように転がった。


「うっ……ふぐぐっ……」


 荒く息を吐き、必死に激痛に堪える。


 ナノマシン戦闘装甲を、強制的に部分解除したためだ。


 ナノマシンが構成する擬似神経を切断された格好になり、腕を切断されたのとほぼ同じ程度の痛みが発生したのである。


 肉体と一体化したも同然のナノマシン戦闘装甲ゆえの、やむを得ない特性であった。


 苦痛に表情をゆがめながら、前方を見据える。


 心臓を跡形もなく破壊されたはずのタイタニアが、時計台の土台から――磔の台座から、ゆらりと起き上がった。


 背骨をそのまま後ろに折れてしまいそうなほどに曲げたところから、ゆったりと上半身を起こす。


 だらりと両腕を垂らし、一歩、一歩、非常にゆっくりと地面を踏みしめてきた。


「……あ、あははっ……ほ、本当に起き上がってちゃったよ! ど、どうしようかな?」


 アーディは恐怖で目を大きく見開き、引きつった笑みを浮かべている。


 だが、心は完全には折れてはいない。


 さらなる戦いを予感する。


 身体の奥底は、まだ戦う事への悦びにうち震えていた。



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