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第六話 しかと見よ! 燃え上がる乙女の魂ここにあり!(三)


「そおおおぉれええぇ――っ!」


 嬉々とした様子で、満面の笑みを浮かべ、大気の壁をぶち破るように突進するアーディ。


 ナノマシン装甲スーツが、音速を超える速さで空気を構成する気体分子群と衝突。


 荒れ狂う乱気流が産み出され、大蛇のごとくのたうち回り、周辺の地面をえぐり飛ばす。


 あまりにも単純な攻撃。


 だが、圧倒的運動エネルギー。


 前に突きだした右手刀だけでなく、全身が凶器と化している。


「くっ――!」


 タイタニアは咄嗟に腕を交差し、防御を作った。


 正直なところ、回避するような余裕はない。


 アキレス腱を切られた右足が満足に機能を果たさないからだ。


 腕を覆う装甲思念体を信じるしかなかった。


 アーディのフィンガーブレードが、交差する前腕部に接触。


 カッとまばゆい火花が発生した。


 紅の装甲思念体は、見事にアーディのナノマシン製ブレードを受け止めたのだ。


 しかし、装甲の硬度だけでは解決にはならない。


 アーディの突進がもたらす衝撃力が、タイタニアの腕のガードを突き崩したのだ。


 アーディの右手刀の斬撃は、装甲思念体に弾かれて上にそれた。


 だが、運動エネルギー満載のアーディの身体が、まともにぶつかってくる。


「んがっ――」


 タイタニアの視界が閃光に包まれた。


 強い痺れが稲妻のように頭を駆け抜ける。


 アーディが、咄嗟に頭突きを放ったのだ。


 タイタニアは四肢をだらしなく弛緩させ、放物線を描いて後方に吹っ飛ばされる。


 背中で敷地内の芝生を削り、数度バウンドして静止。


 一方、アーディは綺麗な宙返りを一つ決め、すたっと地面に降り立っていた。


 タイタニアは、ふらふらする頭を押さえ、力なく起き上がる。


 もう、アーディの攻撃は何もかも反則に思えてきた。


 今まで自分の膂力には実は自信を持っていたが、それも今夜で粉みじんに打ち砕かれた。


 アーディの底なしの身体能力を、どうしろというのか。


 痺れが残る腕をだらんとさせて、何とか起き上がる。


 前方の視界に入った光景を見て、ぎょっとした。


「さぁて、ティナおねえちゃん。じゃあ……もう一回、行ってみよっか?」


「……なかなか、容赦無いのね」


 前方数メール先の位置――トントンと、つま先で地面に叩きながら、アーディは待ちきれない様子でこちらを見ていたのだ。


 疲れなど微塵も感じさせない表情だ。


 タイタニアといえば、アーディの突進を受け止めるだけで気力をかなり削られているというのに。


 逃げることは、もはや不可能だろう。


 それに、何度もあんな攻撃を受け止めていたら、身体が壊れるのは時間の問題だ。


(……どうする? この状況をどうやって……)


 唇を噛み、必死に打開策を思案する。


 防戦に徹して猛攻をしのぐというのは、選択肢から外さざるをえない。


 撤退するのに必要最小限の時間だけでも、何とか稼ぎ出せないものか。


 アーディの攻撃を止めさせるには、どうすればいいのか。


 焦燥が汗となって、額に吹き出しているように感じられた。


 しかし、そんなタイタニアのことをアーディは待ってくれなかった。


 ぐぐぐっと深く膝を屈し、限界近くまでバネをため込む。


 下腿部を覆う漆黒のナノマシン装甲スーツが、ギチギチと収縮音を発生させる。


 タイタニアは、本能的に状況を悟った。


 この攻撃、もはや回避も弾くこともかなわない。


 負傷したこの身体で戦うとしても、長くはもつまい。


 アーディと真っ正面から殴り合うのは自殺行為。


 ならば、一瞬の隙を見出し、カウンター攻撃でアーディの戦闘能力を奪うしかない。


 アーディの腕を掴み、今度こそ砕いてみせよう。


「――さあ、来なさいッ!」


 今まさに猛進せんとするアーディに向かって、タイタニアは鋭く叫んだ。


 敢えて防御を崩し、心臓の在処はここだと言わんばかりに、体を開く。


 タイタニアは、敢えて心臓を貫かれる危険を覚悟で隙を見せ、アーディを誘い出したのである。


 肉を切らせて骨を断つ――タイタニアは、その諺を文字通り実践するつもりだった。


 頭の天辺から四肢の先端に至るまで、悦びにうち震え、圧倒的殺意と戦闘能力をみなぎらせているアーディ。


「ティナおねえちゃん……受け止めて――っ!」


 アーディが爆ぜるように哄笑した。


 屈しきった下腿が一気に伸ばされる。


 先ほどよりもさらに速度に拍車を掛け、後方の地面を蹴り飛ばし、小クレーターを形成し、砲弾のごとく飛び出した。


 五指と一体化した漆黒の刃が、音速を超えるスピードで突き出される。


 フェイントも小技も交えず、右の五指にフィンガーブレードを生やし、渾身の一撃を打ち込んできた。


 大気を切り裂き、局所的衝撃波を産み出しながら突進した。


 きゅうっと目を細め、嗜虐的な興奮が液体となって双眸からあふれ出しているみたいだ。


 タイタニアは、目をカッと見開く。


 勝機は一瞬。


 神経を極限まで集中し、研ぎ澄ませる。


 聴覚が引っ込み、視覚映像が鮮鋭になり、体感速度がゆっくりとなった。


 そして、タイタニアの体内である変化が起きる。


 タイタニアの肉体に宿りし装甲思念体――その装甲思念体は、極めて微小の素子で構成されていた。


 『思念科学素子』である。


 この思念科学素子こそ、物理干渉能力の源泉。


 最も原始的な素粒子を高濃度で内包するこの微小素子は、近傍の空間において、限定的ながらも物理法則をゆがめることができる。


 その物理法則のゆがみこそが、装甲思念体を作り出し、エリュシオーネに超常的能力を与えている。


 タイタニアの肉体の隅々に分布する思念科学素子。


 その思念科学素子の一部が発奮し、タイタニアの神経伝達に干渉を開始したのである。


 神経軸索内のイオン伝搬速度が数百倍に引き上げられ、神経軸索自体の生物学的強度特性もそれに比例して上昇。


 ごく一瞬の間に、戦闘思考がひらめき、アーディの手刀の予測軌道が、幾重にも重なるホログラム的映像となって視覚に生成された。


 その間にもアーディの手刀が空間を突き進む。


 音速を超える速さで進む手刀に、大気が強靭な硬度を伴う壁となって立ちはだかる。


 しかし、その大気の壁を、まるでゼリーを扱うごとく切り裂いて進む漆黒の五刃。


 接触面で大気圧が急変し、飽和水蒸気が白煙と化し、アーディの手を覆う。


 もう少し、もう少しだ――タイタニアは緊張を必死に押さえ込みながら、じっと待ち構えた。


 アーディの腕を十分に引きつけるのだ。


 タイタニアの左胸上部を狙うアーディの手刀が、肌に触れ、数ミリ潜り込む。


 浅く皮膚が裂かれる。


 このままでは、心臓をそのままくれてやることになりかねない。


 アーディの手刀がさらに数ミリ、タイタニアの胸の肉に侵入。


 血滴が薄くにじみ出す。


 アーディの口元が、ニイっとつり上がった。


「――今だっ!」


 タイタニアがついに動く。


 装甲思念体で覆われた腕が、紅蓮のアギトと化してアーディの右腕に食らいついた。


 アーディの右手首を、刃状甲冑に包まれた左手でがっちりと掴む。


 アーディの右腕の付け根付近を、右手で握り、押さえ付けた。


 つっかえ棒の役割を果たすタイタニアの右腕。


 アーディの右腕をしっかりと受け止めた格好で、地面をかかとで削りながら後方に滑ってゆく。


「ぐ……いぎぎぎぎっ……」


 アキレス腱を断たれた右かかとに激痛がはぜる。


 だが、歯を食いしばって堪え、握力を加え、アーディの腕を押さえ込む。


 タイタニアは痛みに耐え、十メートルほど後退しながら、アーディの突進力を相殺した。


 そしてついに、アーディの動きが止まる。


「う……うわぉ、止められちゃった?」


 きょとんとした様子で、タイタニアをまっすぐに見るアーディ。


 予想以上のタイタニアのしぶとさに、舌を巻いたのだろうか。


 それとも、渾身の一撃を防がれたことに衝撃を受けたのか。


 心の内まではうかがい知ることはできないが、アーディの動きは確実に止められていた。


「……勝ったつもりになるのは、少し早かったようね」


 してやったり。どうだ、見たか。


 タイタニアは片目を少し細め、アーディを見据えた。


 後はこのまま握力を一気に加えて、アーディの右腕を砕く。


 今度は手首の関節部にしっかりと指を回して掴んでいる。


 これならば、この得体の知れない黒い装束の上からでも、手首をへし折れる。


 いや、へし折ってやるのだ。


 さもなくば、自分が危ない。


 心臓をさらけ出すような危険を冒して掴んだチャンス。


 これを逃すわけには――


 だが、勝利の女神は、まだタイタニアに微笑んだわけではなかったようだ。


 アーディは、なんと、この体勢からさらに突進力を加えようとしているのだ。


 地面をガリガリとかかとで削りながら、タイタニアの腕と力で競り合い、押してくるではないか。


「な、何ですって? まだ突き進もうっていうの?」


「あ、あはは……勝ったつもりになるのは、ちょっと早いんじゃないかな、ティナおねえちゃん?」


「ぐっ、ぬぬっ――」


 アーディは両足の脚力だけを頼みにして、右手刀をタイタニアの胸に突き立てようとしているのだ。


 それにしても何という脚力か。


 右かかとも脇腹も、これ以上のアーディの突進力に持ちこたえられない。


 右足首を固定できず、物理的にアーディを押し返せなくなった。


 タイタニアの身体がわずかに浮く。


 つっかえ棒となって、アーディの刺突を防いでいるタイタニアの右腕。


 そこに、アーディの左掌底が下から炸裂。


 タイタニアの右腕が、カクンと上に跳ね上げられた。


「あっ――」


 これはまずい。


 タイタニアはぎょっとなった。


 アーディの手刀を押さえていた右腕が外れてしまったのだ。


 アーディの漆黒の五刃は、間違いなく胸板を突き破るだろう。


 とにかく動く。動くしかない。


 直撃を何としても回避しなければ――


 その刹那、アーディの猛烈な突進力が、タイタニアの身体にもろにぶつけられた。


 漆黒の五刃と化したアーディの右手が、タイタニアの左乳房上部に突き刺さる。


 真皮層を裂き、皮下脂肪層に到達、毛細血管多数に、皮膚表層の静脈を数本断ち切った。


 赤いしぶきが、パっと闇夜に舞い散る。


(……こなくそッ!)


 タイタニアはもう、やぶれかぶれだった。


 わざと後ろに倒れ、地面を蹴り、後方に身体を吹っ飛ばす。


 アーディの手刀が心臓を貫くのが先か、タイタニアの回避が先か。


 もはやギャンブルだった。


 勝利の女神は、果たしてどちらに微笑むのか――


「あれっ……どうして?」


 その時、アーディの表情が一瞬曇った。


 一体何に戸惑ったのか、タイタニアにはうかがい知ることはできなかった。


 ただ、言えることは、アーディの手刀が滑ったことである。


 血液か、それとも皮下脂肪組織で滑ったのかは分からない。


 アーディの右手に生えた五つの刃は、心臓の狙いからそれて、鎖骨から左僧帽筋にかけて一直線に表皮を切り裂き、虚空に突き抜けたのであった。


 事実上、空振りである。


 アーディの渾身の一撃は、狙いを外し、空を切ったのである。


 タイタニアは、この好機を逃さなかった。


 後方に倒れ込みながらも、まともに動く左足で、真上のアーディの体躯を狙う。


「さあ――飛びなさいッ!」


 裂帛の気合いと共に、思い切り左足で前蹴りを放った。


 その瞬間、左足がものすごく熱くなったのが分かった。


 体内の思念科学素子が、雄叫びを上げたように感じられる。


 まるで炉から取り出したばかりの鉄心みたいだった。


 そして、タイタニアの足の裏が、アーディの下腹にぐむむっとめり込む。


 手応えはしっかりとあった。


 腹筋をへこませ、内臓をぐいっと押し広げるような、肉感的な手応えだ。


 タイタニアの蹴圧が、アーディのナノマシン戦闘装甲スーツを貫く。


「……あ、れぇっ?」


 完全に不意を突かれた格好になったためか。


 アーディは表情をゆがめ、うめきを漏らしていた。


 運動量保存則に従い、タイタニアは地面に背中から押しつけられ、アーディは直上に吹っ飛ばされた。


 タイタニアの背中に数十トンの衝撃が加わり、同心円状に地面が陥没。


「うくはっ……ああっ……」


 貫通された左脇腹に焼け付くような痛みが走る。


 背中の筋肉越しに伝わる衝撃で、肺腑が痺れ、一時的に呼吸困難となった。


 ごろごろと芋虫のように横に転がり、痛みを堪え、やっとの思いで上体を起こす。


「はっ、はっ……はぁ、はぁ……うああぁ、痛たた! キ……キッついわね、もう厳しい! もう無理!」


 荒く息を吐き、何度も肩を上下させた。


 全身が著しく火照り、喉が渇いて仕方が無い。


 脇腹と右足首の傷も痛む。


 今になって、急に汗が噴出してくる。


 泥やら埃が汗と混ざり合い、肌の不快感がじわりと上昇した。


 正直なところ、『もうこれで勘弁して!』といった気持ちだった。


 早く息を整え、ここから退散するのである。


 相手が地べたにのびているかどうか、様子の確認などもはやしない。


 そんな危険極まりない真似はせず、さっさと撤収するのだ。


 ジュリアスに怪我の手当をしてもらい、あの繊細な手並みを存分に楽しみたい。


 みんなと合流して、食事をして、お風呂に入って身体をさっぱりしたい。


 だから、一刻も早くここから立ち去らなければ。


 アーディがまた起き上がってくる前に、今度こそ逃げおおせなければ。


「よいしょっ……と! うっく……ジクジク痛むわね。身体動かすのが、おっくうになっちゃう……」


 左足を軸にして、よろよろと立ち上がる。


 右足をズルズルと引きずるようにして、懸命に進んだ。


 とにかく今は、止まってはいけない気がする。


 アーディを戦闘不能にさせたというよりは、一時的に動きを止めて引き離した程度であろう。


 前に進むことだけに考えを専念した。


 


 


 †  †


 


 


 タイタニアはおぼつかない足取りで、低木と芝生の間を抜け、何とかレンガ舗装道まで何とか戻った。


 暗闇の中、月明かりだけを頼りに敷地内を進んでゆく。


 血痕が歩いた跡に残されてゆく。


 後方から、淡い紅色の光の泡が、ふわふわとタイタニアを追いかけてきた。


 タイタニアの血液に混じっていた思念科学素子が、主の元へ帰巣本能のごとく戻ろうとしていたのだ。


 ふらふらと進むタイタニアの背中や胸や腹、脚の肌にぺたりと張り付くと、すうっと染みこむように消えていった。


 両腕を覆う深紅の装甲思念体はそのままである。


 やがて、街路樹に囲まれた道が開け、広場に出た。


 上質の白レンガを組んで作った時計台がそびえ立っている。


「おや……結構進んだのかしら?」


 タイタニアは、少し安堵して独りごちた。


 時計台が見えたと言うことは、目的地である敷地の外まで、道を半分くらい進んだことになる。


 誰かに邪魔をされることなく、確実に目的地に近づいている。


 アーディの襲撃のことを思い起こすと、随分と長い時間歩いていたように感じられた。


 いつ何時、アーディが息を吹き返してまた襲ってくるのか分かったものではない。


 ずっと警戒を解けず歩いてきたので、やたらと体感時間が長かったのかもしれない。


 そんなことを思い巡らせながら、レンガ舗装道を進む。


 ふいに、ひんやりとした夜風がどこからともなく吹いてきた。


 体表に汗が浮かんでいるせいで、気化熱が奪われ、涼しくて心地よい。


「……さすがにここまで来れば、大丈夫かしら?」


 思わず立ち止まり、両腕を組み、伸びをした。


「う、うう〜ん……身体が火照っているからかしら。いい夜風――」


 組んだ腕を解き、再び歩き出そうとしたその時だった。


 左後背部に鋭く凝縮したような冷たい感触が走り、痛みが後を追いかけるように広がってゆく。


 突然の違和感に気づいたとき、もう遅かった。


 つややかな光沢を帯びた漆黒の刃が、水平に寝かせた格好で、肋骨と肋骨の間から差し込まれていたのだ。


 タイタニアは直感した。


 違和感の正体が何なのか即座に把握して、絶望に近い気分に襲われる。


 胸の内部を、刃がどんどん突き進むのが嫌というほど分かった。


 ぶつり、と嫌な感触が胸の中心ではぜるのを感じ取る。


 はっきりとした痛みが無いのが不気味だが、刃が心臓を貫いたことは明らかだった。


「う……そ……?」


 呆然として呟いた。


 自分の心臓を貫いたのが誰の仕業か、言うまでもない。


 アーディが、舞い戻ってきたのだ。


 てっきり、振り切ることに成功したのだと思い込んでいた。


 あれだけしっかりと蹴りを入れ、手応えもあったというのに――もう起き上がってきたというのか。


「ああ、やっぱりそうだ……こういう角度で行けばいいんだ♪ ふうん、なるほど、なるほどぉ……」


 とても興味深そうにアーディは独りごちた。


 ささやかな達成感に湧いた表情を浮かべている。


 実に嬉しそうにして、人差し指から生えた刃をタイタニアの背中に押し込んでいた。


 ナノマシンを人差し指に集中させ、長いフィンガーブレード一本を構成したのだ。


 筋肉繊維が走る方向、肋骨が伸びる角度を考慮し、じっくりと狙いを付け、タイタニアの身体に突き刺したのである。


 そして、その狙いは見事的中。


 思念科学素子で著しく強化された筋肉繊維や骨格の隙間を縫うようにして、心臓に刃を差し込むことに成功したのである。


「ぐ……ぐうっ、ううぅ……」


 タイタニアは目を見開き、低く呻いた。


 後ろを振り返ることすらできない。


 必死になって、意識を胸部の組織に集中する。


 祈るような気持ちで、己の身体に働きかけた。


 体内の思念科学素子が、タイタニアの思いに答えるかのように活性化する。


 心臓や肺、筋肉、脂肪層、皮膜層の物理耐久度が急上昇。


 周辺の組織が、アーディのフィンガーブレードをぎっちりと全方位から挟み込み、これ以上の侵入を阻止せんと圧力を加える。


 しかし――


「あははっ……どこまで我慢、で・き・る・か・な?」


 うっとりとして、目を細め、さらに指先に力を込めるアーディ。


 器用にブレードの角度を調整。


 タイタニアの胸部内の組織を次々と貫通突破して行く。


「こ、こい……つ……あっ、あがっ、ががが――あぁっ!」


 絶え間なく激痛が炸裂し、タイタニアは気を失いそうになる。


 それでもなお、胸を貫く刃への抵抗は忘れない。


 しかし、アーディのフィンガーブレードは、タイタニアの執念をあざ笑うかのように、ザクザクと組織を裂き、肉を貫いてゆく。


 心臓を斜めに突破し、左肺をかすめ、肋骨の間に潜り込む。


 大胸筋の層を裂き、乳腺組織を突き破った。


 左乳房の先端が錐のように引き延ばされ――そして水平方向に真っ二つに断ち割られる。


 盛大な鮮血のしぶきとともに、漆黒の刃が姿を現す。


「わぉ……や、やったぁ」


「うっ、うああぁ……よ……よくも……」


 タイタニアは、わななく手で左胸を貫いた漆黒の刃を掴む。


 手のひらから、ツツーッと血が滴った。


 だが、引き抜くこともできないし、押し返すこともできない。


 はかない抵抗を続けるタイタニアに嗜虐的な笑みの一瞥をやると、アーディは漆黒の刃をすうっと引き抜いた。


「く……くかぁっ――」


 再び左胸、及び胸部内に激痛が弾ける。


 タイタニアは目を白くむきそうになりながら、必死に堪えた。


 血が気管支に流れ込む。


 反射的にむせ返り、血の霧を吐き出す。


「ごっ、ごふっ……えふっ……えああ、ああぁ……」


 鮮血溢れる左乳房を鷲づかみ、その場にうずくまった。


 なんと熱く、ひっからまるような不快感だろうか。


 息をする度に痛みが炸裂し、表情が歪む。


 胸を掴む五指に思わず力が入り、さらに痛みが強くなる。


 思考が途切れそうになった。


 だが、必死に奮い立たせる。


 どんなに身体を切り刻まれ、肉を切り削がれようが、こんなところでくたばるわけにはいかない。


 みんなが、待っている。


 ジュリアスも、ユーリカも、レヴィンも、みんなが待っている。


 会いに行かなきゃ――


 混濁する意識にムチを打ち、脚をガクガクと震わせながら、タイタニアは再び立ち上がった。


 そこにアーディが、音もなくタイタニアの前に回り込む。


「す、すごぉい……心臓貫かれたのに、まだ立ってる! なんて、なんて闘争心……何て執念なの?」


「……」


 この期に及んで、一体何に感動したというのか。


 双眸を潤ませ、声を震わせるアーディ。


 タイタニアは、一言も発することができず、立ち尽くすばかりだ。


 前に一歩踏み出すことさえかなわない。


 恐らく、そのまま倒れてしまうだろう。


 これからどうすればいいのか、自分には分からない。


 しかし、前に、前に進もうという気迫だけは、しっかりと残っていた。


 焦点の定まらない目で、アーディをにらみすえる。


 だがその時、アーディの顔から、狂気じみた笑みが一瞬消えた。


「……あたし、ここまで立ち上がってきたティナおねえちゃんのこと、きっと忘れない……あたしの中で、ずっと生きていってね――」


 それは、気のせいだったのだろうか。


 タイタニアを尊敬するような、別れを惜しむような、そんな顔に見えた。


 次の瞬間――


 フィンガーブレードを解除したアーディの右手刀が、タイタニアの左胸に打ち込まれた。


 タイタニアの身体を串刺しにする格好で、アーディが突進。


 そのまま、背後の時計台の柱に叩きつける。


 時計台が鳴動し、ミシリと音を立てて、無数の亀裂が走った。


「あかっ――」


 タイタニアは声など上げられない。


 衝突の勢いで、肺腑から呼気が絞り出され、悲鳴にすらならない声が生じただけだった。


 力なく四肢を伸ばし、だらしなく口を開ける。


 もう、身体が動かなかい。


 痛覚も、次第に鈍ってゆく。


 だがそれでも、ひんやりとした物が正面から胸に突き立てられ、そのまま体内に侵入してゆくのが感触で分かる。


(……や……め……)


 アーディを抑止することなどもはやできない。


 己の無力さに涙する時間さえ無かった。


 アーディが、右手刀を肋骨と水平になるように角度を寝かせる。


 ずぶりと、ゆっくりと差し込み、大胸筋を押しのけ、肋骨の間をかいくぐり、タイタニアの心臓を掴む。


 そして――五指に力を込め、握りつぶした。


「……っ」


 タイタニアの体中の血管の圧力が急激に高まる。


 視界が急に真っ赤に染まっていった。


 聴覚が鈍り、耳から入る音がくぐもってゆき、ついに聞こえなくなる。


 口、鼻、そして目から、どぱっと血がほとばしる。


 気管に詰まる血液にむせ返りそうになるが、横隔膜はほとんど動こうとしなかった。


 自分の身体がどうなってしまったのか、もう分からない。


 もはや、何も考えられない。


 何かが胸に刺さっていて、自分の身体を縫い止めているのだけは分かるのだ。


 とにかく、それを引き抜いて、動けるようにしなければ。


 待ち合わせ場所のところへ――みんなが、待っている。


 ほぼ無意識的に、胸に突き刺さるアーディの腕をペタペタと触れ、力が入らない手で掴む。


 だが、滴る血で滑って、引き抜くことなど到底できなかった。


「……おやすみなさい」


 そっと囁くようなアーディの声。


 タイタニアの耳には、もう届かない。


 アーディは、タイタニアの体内でフィンガーブレードを形成。


 刃と化した五指で、タイタニアの心臓を優しくなで回し――切り裂き、切断し、無数の肉片に変えた。


 タイタニアの目が、一層大きく見開かれる。


 わずかに残された意識も、心臓と同じように引き裂かれ、消滅した。


 身体が、ビクっと一度だけ痙攣する。


 そして、ゆっくりと白目をむいた。


 ぽっかりと開いた口から血の糸筋を垂らし、タイタニアは動かなくなった。


 


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