第六話 しかと見よ! 燃え上がる乙女の魂ここにあり!(二)
「――昼間に街を襲ったのはあなたね!」
タイタニアは鋭く息を吐き、叫び、紅の甲冑に覆われた腕を繰り出す。
大気を切り裂き、ごうっと唸りを上げて宙を驀進。
対するアーディは、腰だめに構えた右腕を斜め上に射出、タイタニアの拳を狙い撃つ。
紅蓮の甲冑拳とアーディの生身の拳が宙で激突。
採石場の爆破音のごとき轟音がはぜ、周辺大気がビリビリと振動。
互いに前後に大きく四肢を伸ばしきった状態で、拳を押しつけ合う。
力比べが始まった。
タイタニアが体重を前方に掛け、右三角筋肉、大胸筋、広背筋、前鋸筋、上腕三頭筋を総動員してアーディの拳を押し込める。
腕を鎧甲冑のごとく包む装甲思念体が、淡い紅色に発光。
物理干渉能力がさらに活性化した。
すでに細胞間結合の耐久限界、筋繊維一本当たりの出力は常人の数百倍に強化されている。
そこに、装甲思念体そのものが第三の筋骨格と化し動作駆動を補助、大幅に出力を追加した。
分厚い鉄版など、粘土のごとくやすやすと突き破るであろうパワー。
されど、可憐なドレス姿のアーディは、ケロリとした笑みを浮かべて、尋常ならざる膂力で押し返す。
タイタニアは、まるで鋼鉄でできた巨人と組み合っているような錯覚を覚えた。
ぴたりとふれあう拳から、肘、肩を通して、破壊的なまでに強い反発力がタイタニアの身体を貫いてゆく。
両脚のかかとが、ガリガリと音を立ててレンガ舗装にめり込み、陥没を広げていった。
「そうだよ! ちょうどいい準備運動になってよかったんじゃないの、ティナおねえちゃん?」
アーディの表情は悦びに満ちていて、獰猛な光を帯びた双瞳がらんらんと輝いていた。
「じゅ……準備運動ですって? よくもそんなことを!」
何という物言いだろうか。
タイタニアはギリリと歯ぎしりをし、目に怒りをみなぎらせ、アーディをまっすぐにらみすえた。
双方とも一歩も譲らず、力比べを続ける。
アーディの両足も加わる圧力のあまり、じわじわとレンガ畳みに沈み込んでいった。
「ティナおねえちゃんが、エリュシオーネとしてお目覚めするキッカケをお膳立てしてあげたんだよ?
少しぐらい感謝してほしいな♪」
「そんなこと、頼んだ覚えは無いっ!」
タイタニアは、目をくわっと見開き、さらに一歩前に踏み込む。
右腕を覆う装甲思念体が、むくっとボリュームを増した。
右拳をねじり込むようにして、アーディの拳を脇にずらし、押しのける。
脚を大きく前に蹴り出し、右拳に体重を乗せ、アーディの顔面めがけて拳をたたき込んだ。
だが、惜しいかな。
ぶおん、と重量感たっぷりの音を立てて、アーディの頬のそばの宙をむなしく刈り取るばかりだった。
アーディは十分な余裕をもって首を傾け、回避に成功していたのである。
「ふうん……確かに強いけど、ティナおねえちゃん、何だか大ざっぱ。
本当にそんな戦い方しかできないの?」
片目をすうっと細め、口元を挑発的につり上げるアーディ。
あからさまに侮蔑の色を込めた目をしていた。
「くっ……ずいぶんと余裕があるのね!」
着地した右足をそのまま地面に突き刺して踏ん張り、急速旋回するタイタニア。
返す刀で、今度は左腕を突き出す。
上半身の回転エネルギーを腕に乗せ、収縮する左大胸筋のパワーでさらに加速、三角筋と上腕三頭筋を使ってまっすぐ射出、逆手に握った左拳を前腕筋を使って一八〇度ドリルのごとく回転させ、こちらを振り向こうとするアーディの腹部にねじ込んだ。
さすがに立て続けの回避は困難だったのか。
タイタニアの左拳が、アーディの腹部にぐぐっ、とめり込んだ。
「わお――」
インパクトの瞬間――意外そうな表情を浮かべ、自分の腹部に突き刺さるタイタニアの腕を見下ろすアーディ。
タイタニアは左肩をぶち当てるようにして、そのまま左拳でアーディの身体を撃ち抜いた。
くの字に身体を折り曲げ、亜音速に近い速度で後方に吹き飛ばされるアーディ。
身にまとうドレスが風圧でみるみるうちに破れ散り、大きな街路樹の幹に背中から激突した。
土塊を砕いたみたいに街路樹の幹が陥没し、亀裂が走り、またたく間に衝撃で破砕される。
宙に大小無数の木片が舞い広がった。
飛び散る木片が作るカーテンを、アーディの身体が突き破る。
そのまま道脇の生け垣の中に突っ込んだ。
バキバキバキっと派手な音を立てて、低木の枝をへし折ってゆく。
直線状に二十メートル以上、生け垣を削っては地面と摩擦し、やっと静止した。
はりつけのごとく腕を伸ばして生け垣の終端部にもたれかかり、だらしなく脚を伸ばしているアーディ。
端から見れば、見事な大技が決まったように見えることだろう。
タイタニアは警戒を解くことなく、一歩一歩踏みしめるようにしてアーディに近づく。
今の一撃はカンペキに決まっている。
ならば、トドメを刺すような惨い真似はせずに済むかもしれない。
とりあえず、人が通りそうな所に身体を運んで寝かせておこうか?
さすがにこんな危険な少女を、ジュリアスに診させるわけにはいかない。
あれだけ派手に殴っておいて、こんなこと思うのもおかしいかもしれないが。
一応、確認するまでは油断せず――そんなことを考えながら歩むタイタニア。
だが、タイタニアの淡い期待は、突如として霧散する。
「そんな……何者なの、あなた?」
困惑で眉がゆがみ、緊張がつのり、下唇をぐっと噛む。
フィエルンド・エリート相手でも、決定的一打となりうるほどの威力だったと思う。
だというのに、なぜ、あの赤髪の少女は、何事も無かったかのように、昼寝から覚めた直後みたいに、ムクっと起き上がってくるのか?
これは容易にケリがつく戦いにはなるまい――タイタニアは戦慄し、確信した。
「あ〜あ、あたしのドレスがぼろぼろ! せっかく、おじさまに選んでもらったのに……」
アーディはあちこちに裂け目が入ったドレスを見て、いかにも悲しげな表情を作り出す。
これでもかと言わんばかりに、大げさな動きで両腕を抱きしめ、膝から崩れ落ちた。
だが、
「……なあんてね! あははっ! びっくりしたかな、ティナおねえちゃん?
もしかして、あたしが死んじゃったって心配してた? ねぇねぇ?」
まるで幼い子供が格闘ごっこをして、はしゃいでいるような笑みだった。
(……あの一撃、じゃれあいだっていうの?)
タイタニアの思考を塗りつぶしていったのは、紛れもなく焦燥である。
咄嗟に装甲思念体に覆われた両腕を構え、脇を絞り、重心を落とし、戦闘態勢をとる。
「えへへっ、いいよぉ♪ そういうの――あたしも大好きっ!」
アーディが言い終えるや否や、ぶわっと突風が吹き付け、タイタニアの白金色の髪が舞い上がった。
次の瞬間に感じたのは、みぞおちに広がる鋭い痛みと、痺れであった。
コンマ数秒以下の所要時間でアーディが至近距離まで肉薄、左拳をタイタニアの腹に突き刺していたのである。
そのまま勢いを乗せて拳をねじり込むアーディ。
タイタニアの長身が、衝撃で宙に浮く。
タイタニアの身体を左腕で宙に掲げるみたいにして、跳躍突進するアーディ。
レンガ舗装道の向かい側にある大木の街路樹に、タイタニアの長身を叩きつけた。
衝突した部位周辺の幹が、衝撃を受けて無数の繊維片と化す。
飛散したセルロース繊維片が、クリーム色の煙の層を宙に広げて行った。
衝突部から上に広がる幹が、支えを失う。
重々しい音を立てて、地面に倒壊した。
タイタニアは何とか脚を地面に突き刺して、引っかける。
ザザザと摩擦し続けること、十メートル弱――アーディの突進を、やっとの思いで制止した。
アーディの拳をみぞおちでみっしりとくわえ込み、身体ごと受け止めた格好だ。
「うっ……うええっ……けあっ……」
されど、咄嗟の出来事と衝撃に、思わずその場で身体を折り曲げて呻くタイタニア。
「あれれ、貫通しない? ふうん……柔らかそうでいて、でも意外と頑丈だなぁ……
へええぇ、こんな身体してるんだ……」
まるで、発見した新種の動物を、興味深そうに観察しているみたいな口ぶりだった。
もちろん観察と言っても、解剖台に乗せられた哀れな被検体に対する観察であるが。
恥辱と憤怒がのど元までせり上がり、タイタニアの顔がさっと紅潮した。
身震いするほど屈辱と怒り――だが、その直後にねっとりとした熱を帯びた興奮も広がってくる。
「そ……そういうあなたも、結構自信あるんじゃないの――アーディちゃん?」
苦痛を堪え、脂汗を額に浮かべながら、タイタニアはニイっと唇をつり上げて見せた。
その刹那、紅蓮の甲冑籠手と化した左手でアーディの手首をがっちりと掴む。
破砕機みたいに砕いてやるとばかりに、思い切り握力を加えた。
みしり、という手応えが明確に伝わってくる。
アーディの目が、大きく見開かれた。
「おおぉ、すごいすごい……次はどうしてくれるの?」
まばたきもせず、爬虫類みたいに見広げた瞳で見つめてくる。
「――こうしてあげる!」
タイタニアは、右腕を屈め、直角に曲げた。
右半身を捻り、右肩の三角筋と上腕三頭筋の推進力を乗せ、拳を引っかけるようにしてアーディの頬に打撃を打ち込む。
腕を包み込む装甲思念体が、生物的に脈動し、蠢動し、伸展し、至近距離から爆発的加速を拳に加えた。
打撃インパクトの瞬間、タイタニアはアーディの手を掴む左手の拘束を解いた。
身体を固定する支点を失ったアーディ――巨大な破城槌の痛打のごときタイタニアのフックをまともに食らって、水平方向に弾き飛ばされた。
芝生の上を何度もバウンドして宙で縦回転、頭と脚の位置が何度も入れ替わる。
ずらりと立ち並ぶ街路樹の幹に何度もぶつかり、鏡に反射される光のように軌道が絶え間なく鋭角的に変更されてゆく。
うつぶせになり、地面を掻きむしるように指を突き立て、摩擦力をかけ続け、ようやく静止した。
「ふうぅ……何て子なの? ミルドラント帝国軍を蹴散らす武装勢力っていうだけのことはあるのね。
あのデカブツちゃんよりも、よっぽど強いじゃないの……
うちのゲス親父ってば、どんな怪物を飼い慣らしているのよ?」
タイタニアの素直な所感は、驚愕の一言であった。
装甲思念体を両腕にまとい、一応エリュシオーネだという自分も人のことは言えないが――何というバケモノじみた強さか、と思わざるを得ない。
間違いなく、街中で暴れていた巨体や、先ほど粉砕したフィエルンド・エリートという兵器よりも強い。はるかに強い。
この可愛らしいドレス姿の少女が、である。
もしかすると、この少女も自分と同じエリュシオーネだというのだろうか?
対峙した際に身体を持って感じた肉体の強靭さ、打撃の破壊力。
人間の域など遙かに超えているものだった。
思考と呼吸をやや乱しながら、地面に大の字に仰向けになるアーディに一歩一歩近づいていった。
「身体動かすのは嫌いじゃないんだけど、時間がないの。もう終わりにしてね……」
アーディがそのまま寝ていてくれることを祈りながら、警戒した面持ちで様子を見る。
アーディが来ていたドレスは、あちこちが裂け、生地がちぎれ、もはや半裸である。
見るも無惨の一言だ。
乱れた髪が目を覆い、二つに結い分けた髪は力なく地面に横たわっている。
「……さすがにもう起き上がってこないでしょ? いいや、それともやりすぎちゃったかしら?」
ぽつりと呟きながら、アーディが動かないことを確認。
予定変更である。
下手な慈悲心を起こしてどこかに運んでやろうなど、そんな真似はやめておこう。
またいつ起き上がって襲いかかってくるか分かったものではない。
時は金なり、光陰矢のごとし。
勝ったら、さっさと撤退するべし、である。
ため息をふうっと一つ吐いて、さっときびすを返した。
ハンザ出奔も、平穏無事には行くまいと思っていたが、これで一件落着だろう。
はやくユーリカに追い付き、ジュリアスたちと合流し、無事であることを知らせてあげよう。
それにこんな半裸の格好でいつまでもうろついているわけにも行かないし――徐々に心に余裕が戻ってくる。
表情がややほころび、悠然と立ち去ろうとしたその時だった。
ブツッという、嫌な感触と音が右足のかかとに生じる。
熱い液体のようなものが、肌の上を伝っていくのが分かる。
足首から先が、急に言うことを聞かなくなった。
まるで身体から切り離されたみたいだ。
足下が急にぐらつき、次の一歩を踏み出すのに失敗。
がくっと右膝を地面についた。
「えっ? ええっ? 何が――」
突然の出来事に思考が混乱するタイタニア。
後ろを振り返り、目の当たりにした光景に衝撃を受けた。
「……もう、いじわるだなぁ。行っちゃやだよ、ティナおねえちゃん」
アーディは、もぞもぞと四つん這いの格好で動き、今にも起き上がろうとしていたのだ。
右腕を伸ばし、何かを掴み取るように五指を広げている。
タイタニアが見とがめたのは、アーディが起き上がってきたことだけではない。
アーディの指の先にある空間に、赤く滴る液体が浮いているではないか。
いや、目をこらして確かめるとそうではない。
赤い滴は、奇術の類のごとく宙に浮遊しているのではなかった。
鋭く伸びた形状の何かに付着しているのだ。
さらに目をこらすと、アーディの人差し指から、黒曜石を切り出したみたいに輝く何かが生えている。
それは、暗闇を束ねて鍛造し、鍛え上げて作り出したかのごとき黒い刃だった。
アーディの指から生えた細長く伸びた漆黒の刃が、タイタニアの右足のアキレス腱を断ち切っていたのである。
「あ、あら……本当にしぶといのね、あなた」
タイタニアは冷や汗をにじませ、乾いた笑いを浮かべ、精一杯の余裕を作って見せた。
足首がくにゃっとして、右足でバランスを取ることが難しい。
身体を動かす度に、灼熱感と激痛が解け合って右首周辺に炸裂した。
かろうじて数メートルほどの間合いを確保。
しかし、右足は使い物にならないかもしれない。
このままでは、走ることもままならないだろう。
しかも、この状況でアーディが息を吹き返してくるとは。
「……それにしても、何て頼もしい手応えなんだろう! この、みっちりと中身が詰まった感じ!
こんな素敵なごちそうにありつけるなんて――」
アーディは恍惚とした表情で、指先から伸びる刃を口元に運び、唇で挟みこむ。
刃に付着するタイタニアの血を、大事そうに舌先でちろり、ちろりとなめ取った。
くくん、と小さく喉を鳴らし、唾液と共にタイタニアの血を飲み下す。
ぷはっ、といかにも満足げに息を吐くと、何と身につけているドレスを引きちぎったのである。
無数のドレスの生地片が、はかなく宙に舞い散ってゆく。
一体何をしようというのか――タイタニアは目を丸くして様子を見ていた。
「ふふ……あははっ! もっと、もっと身体をのびのびと動かしたくなっちゃった……」
アーディが目をきゅうっと細め、右腕をすうっと前方に伸ばす。
直後、アーディの足下から、真っ黒な液体のようなものが、地面からにじみ出すように現われた。
「……ナノマシン・戦闘装甲衣、ガーブ・オブ・アインヘリア――出ておいで!」
足下に広がる黒い液体――戦闘用ナノマシンの集合体が、ズルズルとアーディの脚を這い上ってゆく。
ふくらはぎから太もも、太ももから下腹部、下腹部から胸と粘着質な黒い層が覆っていった。
ビクビクと小刻みな蠢動を繰り返しながら、身体にぴったりと密着してゆく。
ナノマシンで構成される密着スーツの表面を、蛇が巻き付くみたいに、赤い装飾紋様が絡みついていった。
このナノマシンは、アーディの体表を覆って密着スーツを形成するだけに止まらない。
体内にも次々と潜り込み、体中の筋肉・組織・神経・血管など隅々に行き渡り、生物学的スペックを急激に増大させる。
気が遠くなるほど太古の時代、真核生物細胞と共生するようになったミトコンドリアを彷彿とさせるように、アーディの体内では細胞とナノマシン群が共存している。
それらのナノマシン群は肉体組成強化に止まらない。
アーディの意志ひとつで体外に移動し、フィンガー・ブレードなど任意の武装に形状変化する機能も持ち合わせていた。
「何なの? 何なの、その格好――」
加速度的に増大する危機感が、タイタニアの思考から余裕をみるみるうちに削り取ってゆく。
生身の状態でさえかなり手強かったのに、さらに強そうな格好になっているではないか。
「ぼろぼろのドレスじゃあ、かっこわるいもんね。そうでしょ?」
膝をちょこんと屈して、お辞儀もどきの動きで挨拶するアーディ。
だが、愛嬌のある仕草とは裏腹に、その身体の中心からは、濃縮された殺意と闘志がもうもうと噴出しているようにすら感じられた。
「あなた、まさか……エリュシオーネ?」
切断された右アキレス腱の痛みを堪えつつ、タイタニアは問いかける。
「……あはは? 何を言っているの、ティナおねえちゃん? あたしがエリュシオーネ? わお、わおおっ! それって何ておめでたい勘違い?」
「ぐっ……じゃあ、あなたは一体何なの? あんなバカでかいバケモノ呼び出したり、私を付け狙ったり」
「本当に知らないの? そっか、目覚めたてだから何も知らないのか――いいよ、教えてあげる」
苦痛に表情をゆがめるタイタニアに、アーディは驚きと軽蔑もあらわにして答えた。
「あたしたちとティナおねえちゃんたちエリュシオーネは宿敵どうし。ティナおねえちゃんをやっつけるとね、すごい大手柄になるの!」
「……宿敵? いつ、そんなに恨み買うようなことしたかしら?」
「ううん、ティナおねえちゃんのこと恨んでなんかいないよ――でもね、やっつけないといけないの。
エリュシオーネをみんなやっつけて、本当のふるさとを取り返さなきゃいけないの。
分かるでしょ?」
「奪った? 一体どこなの、そのふるさとって?」
「……この世界そのものだよ、ティナおねえちゃん。
エリュシオーネってのはね、ずっと、ずっと昔に、あたしたちのご先祖様を地球から追い出したの!
すっごくすっごく悪い奴らなの! そうなんだもの……やっつけなきゃダメだよね?」
「な、何よ、それ……そんな話、私には――」
あまりにスケールが大きい因縁の関係に、タイタニアの思考は追い付かない。
心当たりなどあるわけもないし、アーディにしてみればそんなこと知ったことではないのだろう。
「逃げちゃだめだよぉ、ティナおねえちゃん。せっかくエリュシオーネを見つけたんだから……
ティナおねえちゃんはね、アーディの大事な、大事な獲物なんだから!
大丈夫、怖がらないで。結構痛いけど、すっごく気持ちよく逝かせてあげるから……」
アーディは、タイタニアの台詞を遮り、うっとりとした表情に狂気を帯びた瞳でささやきかける。
全身を漆黒のナノマシン装甲スーツに身を包んだ姿で、ゆらり、ゆらりと左右に身体を揺らしながら迫ってきた。
タイタニアの目には、アーディの姿がぶわっと膨れあがったように見えた。
これほどの猛烈で、濃厚で、粘着質で、恍惚に満ちた殺意の塊のようなオーラなど、始めてである。
これまで十七年生きてきた中で、最も危機的状況であることを明確に直感していた。
「ああ、くそ……やるしかないようね」
何としても切り抜けて、ハンザを飛び出し、自分の人生をこの手で掴み取るのだ。
ここで殺される訳にはいかない。
装甲思念体に覆われた腕を前方に構え、アーディを迎撃する体勢をとった。
しっかりと足首を固定できない右足――実質的に片足での不利な戦いとなろう。
密着した接近戦で、取っ組み合いに持ち込めば、力で勝負ができる。
装甲思念体で覆われた両腕が誇る膂力で、アーディの両手首を砕く。
そうすれば、倒せないにしても、戦闘離脱のチャンスを作り出すのも不可能ではないだろう。
いや――そうするしか今の自分に選択はないかもしれない。
下唇をぐっと噛んで、ギリリと音を立てるほど拳をきつく握った。
「いいよぉ、それに付き合ってあげるね――」
フフン、と鼻を鳴らすと、アーディは体勢を低くした。
次の瞬間、黒い疾風と化して突進する。
タックルを仕掛けるように低い姿勢を維持していた。
タイタニアは、アーディが間合いに入るのを待っている。
(……私を押し倒して、馬乗りにでもなるつもり? ならば――)
間合いに入った瞬間に、脇に腕を差し込み、抱え上げ、抱きつき、そのまま締め上げてやる。
そう判断し、至近距離に接近したアーディに対し、上から撃ち下ろすように腕を伸ばした。
大きな金属的激突音が発生、強い痺れが両腕に走る。
その直後、タイタニアの両腕はアーディの上半身を掴むことなく、宙で交差していた。
アーディはナノマシン装甲で覆った拳で、瞬間的にタイタニアの両手を下から弾き、軌道をそらしたのだ。
速い。反応速度が、先ほどとはまるで違う。
「くそっ――」
タイタニアが崩れた体勢を立て直そうとしたその時だった。
鋭い何かが左脇腹の肉に潜り込んで来るのを感じ取った。
鈍い痛みが、あっという間に鋭い灼熱感に転化する。
アーディの右の五指が脇腹の肌を貫き、ズブズブと深く肉の中に埋もれているではないか。
タイタニアの脇腹を貫通した漆黒の刃――アーディの指先から生えたナノマシン製のフィンガー・ブレードが、背中に肌を突き破って林立し、ぬらりと鮮血をまとってそびえ立っていた。
「うあぁ……あぐっ……こ、この……」
苦悶極まりない表情で、必死にアーディの右腕を掴み、引き抜こうとするタイタニア。
だが、ナノマシン装甲スーツに覆われたアーディの腕はびくともしない。
「あぁ、やっぱり! すごい肉質……なんて強度、なんて圧力、なんて熱さ!
そして、きつく、きつく絡みつくようなこの感触!」
アーディが一気に破顔する。
内部の押し込められていた残酷な愉悦が、圧力に耐えきれず爆発・発散したかのような凄惨な笑みだった。
タイタニアの脇腹を貫いたまま、右腕を高く掲げ、身体を持ち上げる。
「うっ――ぐううっ!」
鋭い痛みと灼熱感で、肺腑を絞り、潰れたカエルのように呻くタイタニア。
したたり落ちる血の滴がアーディの顔にポタポタと降り、赤い蝋燭のようにねっとりと張り付いた。
唇周辺を舌先でペロリとなめ取ると、アーディは、ぶうん、と右腕を水平方向に薙ぎ払い、タイタニアを振り飛ばす。
芝生と低木が並ぶ敷地に激突、摩擦し、何度もバウンド――そして、うつぶせの格好で静止するタイタニアの身体。
「へ、へへ……これは、逃げなきゃ、やばいかも」
タイタニアは、波状的に激痛が襲う脇腹を押さえ、力なく笑みを浮かべて立ち上がる。
現在の所感では、勝てる確率は半分以下といったところである。
相手は五体満足どころか、さらにパワーアップしている。
ひるがえって自分は、右のアキレス腱を断たれ、左脇腹も負傷。
十分な動きを取ることが難しい。
一体どうしたものか――眉をひくつかせながら、懸命に思考を働かせる。
そこにアーディが、実にご満悦な様子でこちらに近づいて来た。
血まみれのフィンガー・ブレードを唇でふわっと挟み、つつっと滑らせ、血をすすり、喉をならす。
数メートルほど間合いまで迫ってきた。
じりじりと後退しながら、タイタニアは間合いがこれ以上詰められないように距離をとる。
「そんなに美味しいの、私の血って? というか……イカれてるわね、あなた」
「ううん、違うよぉ、ティナおねえちゃん。これは敬意なの。
あなたは、血の一滴、肉のひとかけらまで残さず食べちゃいたいほどに、素晴らしい存在だっていうことなの。
死んだ後も、あたしの身体の中で生きて欲しいって、告白なの」
「……一応誉められているのかしら、私?」
「あはは……覚醒前のエリュシオーネを食べることができるなんて、あたしは幸せ者だよね……
あたしの身体のナノマシンが、ティナおねえちゃんの力をきっと取り込んでくれる。
アレスの宿敵を倒すだけじゃなくて、その能力までもらえるなんて――こんな巡り合わせ、最高だよ」
空元気を振り絞り、辛うじて虚勢を張り続けるタイタニア。
そこに、アーディの狂喜と狂気が津波のごとく押し迫る。
あれはもはや、とろけるような性的快感と同じ類のものだろうと、直感する。
思考と精神を突き動かす、強烈な生理的衝動と一体化したようなものなのだ。
宣告したとおり、自分をなぶり殺しにして、血をすすり、肉を喰らうことだろう。
そうすることが絶対的に正しいと、全身全霊で信じ切っている目だ。
憎悪などという陳腐なものではない。
崇高な儀式を執り行い、先祖の英霊達に捧げるような敬虔な気持ちすら感じられる。
そして、自分はその儀式の生贄というわけだ。
「引くも地獄、進むも地獄……いいや、私はまだ、まだこんなところではあきらめない――」
死中に活路を見出す。
わずかな時間でもいい――大きな代償を払ったとしても、この少女を物理的に沈黙させ、時間を稼ぐのだ。
我が身のかわいさなど、この場では死を招く災因以外のなにものでもない。
すでに右足はもって行かれたも同然。
他の四肢もくれてやる覚悟で臨み、乾坤一擲の一撃で沈黙させる。
それしか無い、それしか思い浮かばない。
タイタニアは後ずさりを止め、半身を切り、重心を落とし、迎撃態勢に入った。
「あぁ、怖じ気づいて腰を抜かして命乞いなんかされたら、どうしようって思ってたけど、もうそんな心配いらないね!
あぁ、良かった、本当に良かった……あたし、これで、心置きなく――ティナおねえちゃんと殺し合えるっ!」
アーディは潤んだ目元をぬぐい、ぐすっと鼻声で告げる。
そして――血煙を巻き上げる竜巻のごとく、極めて濃密な殺意と破壊衝動と恍惚の混ざり合ったオーラをまとった。
小細工やフェイントなど一切無し。
五指と一体化した漆黒刃をギラリと振りかざす。
悦びを全身で表現するかのように雄叫びを上げながら、タイタニアの心臓をえぐり出さんとばかりに、胸の中心めがけて弾丸のごとく跳躍突進した。