06
「これはあくまで私の推測ですが――アメリア嬢は実は人間嫌いではなく、その振りをしているのでは、と。そして今回、ウィリアム様からの縁談もそれを利用して取り下げさせるつもりなのでしょう。ウィリアム様が使用人にもお優しいというのは周知の事実。アメリア嬢は自分がメイドに対して酷い扱いをしているところを見せれば、ウィリアム様の方から縁談を取り下げると考えたのです」
ルイスの話す内容に、ウィリアムはますます困惑する。
「……何故、何の為にそのような振りを」
人間嫌いの振り――そんなことをする理由は一体何なのか。そしてそれを自分に直接見せつける訳は……。――ウィリアムの問いに、ルイスは答える。
「私にもそれは解りかねます。けれど、この縁談を無かったことにしたいのは事実でしょう」
「いや……だが、例えそうだったとして、メイドにお茶をかけるなど――そんなことまでする必要があるのか?」
それほどまでに縁談が嫌だったのなら、一言そう言えば良いだけだ。言ってくれさえすればこちらから取り下げる。嫌がる相手と無理に縁談を進めるほど、自分は不出来な男ではない――ウィリアムはそう自負している。
ウィリアムは更に問う。
「アメリア嬢が人間嫌いだということを、こちらは知っているのだ。そしてアメリア嬢は私にそれを確認までした。それで十分ではないのか?誰からの縁談も受けるつもりがないと、それだけ言えば十分ではないか?」
わざわざメイドにお茶をかける理由――ウィリアムにはどうしてもそれがわからない。ルイスは狼狽える主人を落ち着かせるように、一拍間を置いた。
「ええ……。そうですね。確かに、仰りたいことはわかります。けれど、もし……アメリア嬢があなたに嫌われたかったのだとしたら、如何でしょう」
「……何?」
「ただ縁談を取り下げさせるだけではなく……あなたに嫌われたかったのだとしたら」
「そんな……彼女とは今日まで話したことも無かったのだぞ」
「では――、お茶をかけられたメイドは火傷を負っていましたか?」
「……何故、そんなことを」
その質問に、何の意味があるというのか――。ウィリアムはそう思いながらも、ルイスの真剣な表情に先ほどの記憶を思い起こす。火傷……メイドがお茶をかけられたとき、熱そうな素振りをしただろうか?皮膚は赤くなっていただろうか……?
「……恐らく、火傷はしていなかったと思う」
「では、カップに注がれたお茶は?湯気が立っていましたか?」
「……それも、無いな。湯気は立っていなかった。それには違和感を感じたのを覚えている。――つまりは、それすらも示し合わせていたと?」
ウィリアムの視線に、ルイスは頷く。
「恐らく、その通りでございます。メイドはお茶をかけられることを知っていて、あらかじめ冷ましておいたのでしょう。つまり、メイドがアメリア嬢のドレスにお茶を零すところから、全ては決められていたことだと言うことです」
「……そうまでして、この私に嫌悪されることを望んだと?……何故」
ウィリアムは自問自答する。――ウィリアムは自分が人から好かれる部類の男だという自信があった。人から好かれ――また、好かれたいと思われる人物であると。それが一体どうして、嫌われたいなどと思われることになろうとは……。何故、何故だ……。ウィリアムは頭を悩ませる。
そんなウィリアムに、ルイスは一つ咳払いをすると――容赦なくある事実を突きつけた。
「ウィリアム様、それはアメリア嬢があなたのことを好いておられないからです。寧ろ、嫌っておいでなのでしょう」
「――な」
ウィリアムは再び絶句する。嫌われている?この私が――?言葉も交わしたことがなかった相手に……?
ウィリアム・セシルという男は、今まで他人に悪意を向けられたことがただ一度として無い。それは家柄のせいでもあり、彼自身の人柄の良さのせいでもあった。人から敬われ、賞賛され、感謝され、羨望の眼差しで見られることはあっても、嫌悪されたことは無かった。しかしさればこそ、彼には人から嫌われることへの耐性が全くと言っていいほど無い。彼の中にあるのは、今まで生きていた環境と、彼自身の努力と経験が作り出してきた絶対的な自尊心。そうであるから、彼は今まで自分が他人からどう扱われようが気にして来なかった。自分が他人に嫌悪される可能性など、露程も有り得ないと信じ切っていたのだから。
それがまさか、今日まで一度として言葉を交わしたことが無かった相手に嫌われているとは、誰が想像しただろう。今まで女性に対してはいつだって紳士的に接してきたつもりだった。恋人を作ったことも無く――誰かに恨まれるようなことをした覚えもない。それなのにルイスは、自分がアメリア嬢に嫌われているのだという――。そして彼女はそれを悟らせないまま、この私ウィリアムに嫌悪され、こちらから縁談を取り下げさせようとしている。そんなことが、信じられるだろうか。
難しい顔をしたまま言葉を無くしているウィリアム。そんな主人の姿に、ルイスは付き人らしからぬ薄笑いを浮かべる。
「して、如何なさいますか?」
ルイスの問いかけに、ウィリアムはゆっくりと顔を上げた。
「……如何する、とは?」
「お忘れですか?アメリア嬢はウィリアム様から縁談を取り下げて貰いたいと思っておられるのですよ。それをどうするのか、と申し上げているのです」
「……」
ウィリアムは思案する。――アメリア・サウスウェル。八歳で全てを完璧にこなしてみせたという伯爵家の令嬢。世間からの酷い評判、それと相対する使用人からの声……。人間嫌いで冷酷という皮を被ったその中には一体何が隠れているのか……。非常に興味深い。
ウィリアムは口角を上げる。
「縁談は取り下げない。このまま進めよう。それに、ルイス――お前はそれを望むのだろう?」
ウィリアムとルイス――二人の視線が絡まる。それは確かに一つの意志となって、二人の腹の底にストンと落ち着いた。――アメリアの正体に興を注がれるウィリアムと、アメリアを次期侯爵家夫人にと考えるルイス――二人の思惑は確かに一致したのだ。
「時間はたっぷりあるさ」
ウィリアムは窓から外の景色を眺める。自邸は近い。――果たして氷の女王と呼ばれる皮を被った彼女のその内には一体何が隠れているのか、聖人君子かはたまた誇り高い獅子か、もしくは蛇か……ただの人か。
――彼は先ほどまでアメリアに感じていた嫌悪感をすっかり忘れ去り、好奇心に満ち溢れた瞳で、まだ日の高い空を静かに見上げるのであった。