05
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エターニア王国の王都であるここエターニアは、言わずと知れた国一番に栄えた都である。国中の産物が集まるここは年中通して賑わい、パブリックスクールと呼ばれる優秀な学校はすべてがこの王都に集まっていた。
道路は石畳で舗装され、その脇にはレンガ調の建物がずらりと建ち並ぶ。まだ日の高い時間帯、店は賑わい、人も馬車も多く行き交っていた。その中でも取り分け貴族の馬車は一層豪華であり、ファルマス伯爵――ウィリアムの乗る馬車も勿論その例外ではない。キャリッジと呼ばれる上流階級の者が所有する馬車の車体はつるりとした黒塗りで、そこには美しい装飾が施されている。さらにその車体側面の中央にはウィンチェスター侯爵の紋である赤地に金のライオンが描かれ、窓枠や柱も金色で統一されていた。勿論その馬車を引く馬も毛並みの揃った逞しい馬たちだ。
ウィリアムの馬車は、サウスウェル家のタウンハウスを出て、自邸へと向かっているところだった。馬車に乗っているのは、ウィリアムともう一人、付き人のルイスである。ルイスはこの国では珍しく、漆黒の髪と瞳を持った青年であった。
「如何でしたか、サウスウェル家のご令嬢は」
ルイスは淡々と述べる。
「あぁ……。噂通りのお方だったよ」
ウィリアムは窓から外を眺めたまま、落胆の声を漏らした。その瞳には明らかな嫌悪の色が揺れている。ウィリアムがこの様に感情を表に出すのは珍しい。ルイスはその主人の横顔に、ふむ、と考える仕草をした。――噂通り。つまりはアメリアはレディらしからぬ無粋で冷酷な女性で、それはウィリアムの前であっても同じであったということ。そしてウィリアムがここまで女性を嫌悪するということは、アメリアはウィリアムにではなく、恐らく他の――そう、下働きの者にでも辛く当たったのであろう。ウィリアムは自分の扱いについては、存外無頓着であるのだから。しかしそうであったならば……。
「やはりおかしいですね……」
「……何がだ」
ウィリアムはルイスの呟きに顔をしかめる。いつだってルイスの言葉には意味があって理由がある。ルイスがおかしいと言うのならおかしいのだろう。だが、自分の言葉の何が――アメリアが冷酷である事実をこの目で確認した、そのことについて一体何がおかしいというのか、ウィリアムにはわからなかった。
「……ウィリアム様、先ほどアメリア嬢と何があったのか、詳しく教えて頂けませんか?」
「……まぁ、それはかまわないが」
ウィリアムは、ルイスに先ほどアメリアがメイドにお茶をかけたこと、そしてそれに至った理由を全て説明する。ウィリアムは先ほどの記憶が蘇るからか、次第に表情を歪ませていく。ルイスはそんな主人の横顔を冷静に観察していた。そしてウィリアムの言葉を全て聞き終えると、全てを理解したように少しだけ笑みを浮かべる。
「……なる程、確かにアメリア嬢は聞きしに勝る人間嫌いの様ですね」
ウィリアムはルイスの言葉に煩わしげに声を荒げる。
「だから最初からそう言っているだろう」
「いいえ、人間嫌いとは言いましたが、冷酷であるとは申しておりません」
「――は?……それは一体どういう意味だ」
ルイスはウィリアムを真っ直ぐに見つめてにこりと微笑む。
「お聞きになりたいですか?聞けば後悔なさるかもしれませんよ?」
「――っ」
ルイスのその見覚えのある笑顔に、ウィリアムは言葉を飲み込んだ。――悪い笑みだ。けれど、この顔をしているときのルイスはウィリアムの意志など関係なく、したいことをし、言いたいことを言う。――ウィリアムは意を決す。
「これ以上後悔することなどないだろう」
「確かにそうでございますね」
ルイスは満足げに頷くと、そもそもは――と、ウィリアムがアメリア嬢への縁談を申し込むに至った経緯から話し始めた。
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そもそも今回の縁談をアメリアに申し込んだのは、ウィリアム本人では無かった。実際に申し込んだのはウィリアムの父であるウィンチェスター侯爵、ロバート・セシルである。ロバートは非常に温厚な性格であったが、今年で二十二になる息子ウィリアムがなかなか身を固めないことに悩んでいた。良い話はいくつもあったのだが、ウィリアムはなかなか首を縦に振らない。流石のロバートも痺れを切らし、ウィリアムと同じ伯爵の爵位を持つ家の令嬢のうち、ウィリアムと歳が離れすぎておらず、まだ相手の決まっていない者を全てピックアップした。そしてその令嬢の評判を、ルイスに調べさせたのだ。
ロバートはウィリアムの性格を良く理解している。ウィリアムは昔から全ての階級の者に対して平等に接してきた。飢えた者には自ら食事を分け与え、病気の者には治療を施した。メイドを家族同然に愛し、執事の言葉を決して不遜には扱わなかった。不正を決して許さず、結果には拘らず、その過程の努力を省みて評価した。その精神を、全てのものに中立であろうとする姿を、ロバートは高く評価している。しかし、それでは足りぬ。今は伯爵の爵位のみ――けれどいつの日かこのウィンチェスターの名を継ぐに当たって、それだけでは決して足りないと、ロバートはそう考えていた。
そしてルイスはロバートのその想いを汲み取り、ピックアップされた令嬢の中で、ただのお飾りではなく、ウィリアムが侯爵家を率いていくのを支える事が出来る能力を持つ女性を探し出す。それが、アメリア・サウスウェルであった。彼女の社交場での評判は散々なものであった。それこそ国一番の冷酷で傍若無人、皮肉にも氷の女王と揶揄される程に――。それなのに、である。
「……ルイスが、アメリア嬢を推したのか?」
ウィリアムはルイスの話に、困惑の表情を浮かべた。今日までそんなこと一言も言わなかったではないか。そう訴える。
「ええ。そうですよ。申し上げなかったのにも理由があります。質問は最後までお聞きになってからにして下さい」
「……わかった」
ルイスは再び話し出す。
「アメリア嬢の社交場での評判は惨憺たるものでございました。――が、サウスウェル家で働く使用人の間でのそれは正反対でございました。彼女は確かに無口で無愛想ではあるそうですが、質素倹約、質実剛健、時には自ら料理を振る舞い、使用人の服を縫い、読み書きの出来ない者にそれを教え、個人の能力を把握し、それをさらに発揮させるように仕事を割り振ることが出来るのだと」
「そんな、……馬鹿なこと」
「ええ、おかしいのです。使用人は皆憂いておりました。マナーもダンスも完璧なお嬢様が、何故社交場ではああなのかと。何故ああも人間嫌いな振りをなさるのかと……ね」
「……ッ」
「実は以前彼女の家庭教師をしていた女性にも会って来たのです。その方が彼女の家庭教師であったのは八歳からのたった一年であったそうですが……彼女は全て完璧だったそうですよ」
ルイスはニヤリと微笑む。それに対してウィリアムは、額に汗を浮かべて目を見張る。
「……全て?」
「そうです。何も教えることは無く――ただ体裁の為に一年勤めたのだと仰っていました」
「……八歳で……完璧など……有り得ない」
「そうでしょう?――では話を戻しますが」
ルイスはお気に入りの玩具を見つけた子供のように、とても嬉しそうに語る。