05
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「――アム様……、ウィリアム様!」
「――っ」
ウィリアムは名前を呼ばれ、ハッと意識を引き戻した。
彼が顔を上げると、その斜め前の席に座って、自分を心配そうに見つめるルイスと目が合う。
「まだ半分も来ていませんが……ご気分でも悪くされましたか?やはり、もう少しいい馬車を用意するべきでしたね」
ルイスはそう言って、窓から映る外の景色に視線を移した。
エターニアを出てから約一時間が経つ。そろそろ先日訪れた湖の森が見える頃であろう。
二人は今、アメリアをアルデバランまで迎えに行く為に街道を進んでいた。けれど二人が乗る馬車は侯爵家の馬車では無く、街で借りて来た一回り小さい二頭馬車である。それは屋根さえ付いているが、いつもウィリアムが乗っている馬車に比べると揺れも激しく、お世辞にも乗り心地がいいとは言えないものであった。
その為ルイスは、ウィリアムが乗り物酔いをしたのではないかと尋ねたのだ。けれど、ウィリアムは首を横に振る。
「――いや、大丈夫だ。それよりも、アメリアをこの馬車に乗せることこそ、どうかと思うがな」
そう言って、ウィリアムは自嘲気味に笑った。
そのどこか辛そうな表情にルイスは、ウィリアムがずっとアーサーのことを考えていたことを察した。ルイスはわずかに目を細めると、再びウィリアムを見つめる。
「……申し訳、ございませんでした」
そしてルイスは、苦しげに呟いた。
「何故、お前が謝るんだ。馬車を用意させたのは俺だ」
「――いえ、そうではありません」
「……」
きっぱりとそう言い切ったルイスの表情、それは余りにも真剣なもので、ウィリアムは押し黙る。そしてウィリアムは、ルイスの瞳に揺れる悲しげな色に、ルイスの言わんとする内容を直ぐに理解した。
「いいんだ。遅かれ早かれ、いずれこうなることは分かっていた。……アーサーとは、暫く疎遠だったしな」
「……」
けれどそう言った彼の表情は、言葉とは裏腹に、深い葛藤を映し出しているように見える。
ウィリアムは、ゆっくりと自分の足下へと視線を落とした。
「……しかし、まさか本当に――」
ウィリアムは呟く。
彼はその端正な顔に苦悩の表情を浮かべていた。何時もの彼らしくなく――。
ウィリアムは心のどこかで、アーサーを信じていた。ルイスの言葉を嘘だとは思わなかったが、何か誤解があったのだろうと。――けれどアーサーは、否定しなかった。それは即ち、自分の否を認めたと言うこと。
ウィリアムはただ、苦悩する。
信じられなかった。信じたくなかった。アーサーがアメリアを辱めたのだという、ルイスの言葉を……。
「ウィリアム、様……」
そしてルイスは、そんな主人の姿を見つめ、まるで自分の事であるかのように苦しげに顔を歪めた。
ルイスはゆっくりと口を開けると、懇願するように告げる。
「……ウィリアム様。私は――、私が、アメリア様を推薦しなければ……こんなことにはならなかったのです。……アメリア様の声が失われ、ウィリアム様がアーサー様と仲違いされてしまわれたのは、全て……私の責任で御座います。ですから、どうか……どうかその様なお顔をされないで下さい」
「……、ルイス……」
「お願いです。あなたにそんな顔は似合いません。どうかお心をしっかりお持ちになって下さい。――アメリア様は今、とてもお心を傷めていらっしゃいます。昨日、アメリア様のお顔を拝見した時……確かにあの方は私に微笑んで下さいました。けれどそこには、以前の様な悪名高き令嬢の――凛とした強さ、その面影はどこにもありませんでした」
ルイスの瞳が、切なげに……揺れる。
「……ウィリアム様は、あの方をお愛しにはならないでしょう。それはよくわかっております。それに、あの方もウィリアム様をお愛しにはならない。そういう契約で御座いましたよね。けれど、それでも――今あの方の隣に立ってあの方をお守り出来るのは、ウィリアム様……あなただけなのです」
「……」
ウィリアムはルイスの言葉に、大きく目を見開いた。
彼は確信したのだ。ルイスの瞳に揺れる、アメリアへの強い想いを。先日アメリアが川に落ちたとき、今までになく動揺していたルイスの様子を、思い出すと共に――。
「……ルイス。お前は、彼女を愛しているのだな」
「――ッ」
そして――ウィリアムは眉に皺を寄せ、厳しい表情でそう言った。その確信に満ちた問いに、ルイスはさっと顔を強ばらせる。
それだけは決して言われたくなかったと、ルイスの瞳が揺れ動いた。
「いつからだ?」
「――……」
ルイスは――俯く。
「いいんだ。責めてる訳じゃない」
そう言ったウィリアムの目元はやはり引きつったままであったが、それでも彼はなるべく穏やかな表情を浮かべるように努める。
そんな主人の姿にルイスはようやく、聞こえるか聞こえないかの微妙な声で、呟いた。
「……十年前から、です」
「十年!?」
ルイスの言葉に、ウィリアムは思わず声を荒げる。
「……はい」
「十年前から、彼女を知っていたのか?……では、彼女を俺の婚約者に推した本当の理由は……」
ウィリアムはその可能性に思い当たり、その顔に再び眉を寄せた。そんな主人の様子に、ルイスは観念したかのように、言葉を絞り出す。
「――申し訳御座いません……ウィリアム様。完全に、私の私情で御座いました……」
「――」
「……あの方のお側に、どうしても近づきたかったのです」
「……」
ルイスはそう言ってゆっくりと顔をあげると、ウィリアムをじっと見つめた。
ウィリアムはルイスの揺れ動く瞳に、何か考える様な、難しい顔を浮かべる。
「……そのことを、彼女は」
「……お伝えしておりません」
「違う!そんなことは百も承知だ!俺は、お前の気持ちを彼女に気付かれてはいないのかと聞いているんだ!」
「――ッ」
ルイスはウィリアムの、尋常でない表情に言葉を無くした。
ウィリアムはそんなルイスの姿に嘆息する。
「……全く、お前といい、アーサーといい……なんと面倒なことを……」
ウィリアムはとうとう、何かを諦めたように脱力した。右手を額に当てて、厳しい表情で目を閉じる。
そして、必死に頭を巡らせた。
――これは不味い。非常に不味い。アメリアはあの日、夜会で俺に言った。自分には過去に愛した男がいる。その男が忘れられないから、他の誰とも一緒になる気はなかったと……。婚約の条件は、そう――俺が彼女を決して愛さないこと。その誓いは破られていない。けれど……。
ウィリアムは思い悩む。
――本当に彼女が言いたかった、伝えたかったことは別にあるのだ。彼女は誰にも、昔の恋人以外の男に自分を汚されたくなかった。つまりこの婚約は、彼女の貞操を守るという条件で交わされたもの……。それなのに、彼女はアーサーに傷付けられてしまった。
アーサーは俺の友人だ。そして俺の付き人であるルイスも、アメリアを愛してしまっている。これは疑う余地も無く、俺の責任……。俺は間違い無くアメリアから、破談を言い渡されるだろう。
けれどそれでは困るのだ。破談などされたら、俺の……我が侯爵家の評判に関わってしまう。それにアーサーのこともある。彼女が声を無くした原因……それが周りに、アーサーだと知られてしまってはならない。そうならない為には――。
「……アメリア嬢に、許しを請うしか――」
ウィリアムは……ゆっくりと目を開く。そして馬車の天井を仰ぎ見ると……力無く、そう呟いた。




