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04


 ハンナは私の指示に従い、何食わぬ顔でティーワゴンを押して現れた。否――何食わぬ顔……ではなく、彼女は何かに怯えるような表情をしている。そう、彼女が恐れているのは、他ならぬこの私。



「お茶のご用意を……」

 ハンナは震えそうになる声を必死に取り繕って、私には決して視線を合わせないようにしながらテーブルにお茶の用意をセットしていく。


 今日まで何度も練習してきた。最初は反対していたハンナも、最終的には私の気持ちをわかってくれた。私はこれからファルマス伯の目の前でハンナに酷い仕打ちを行う。身分に関わらず全ての者に平等に接する志し高いファルマス伯には、決して許せないであろうことを――。


 私は怯えるハンナに冷ややかな視線を浴びせ、言う。


「遅い。大切なお客様をいつまでお待たせするつもりなの」

 私の低い声に、ハンナは一瞬肩を震わせた。そして俯いたまま、申し訳ありませんと小さく呟く。――そして同時にファルマス伯の表情が少し曇る。しかし彼は、流石と言うべきか、すぐに先ほどまでのような優しい笑顔を浮かべて私に微笑みかけてきた。


「私は構いませんよ。アメリア嬢と少しでも長くいられますから」


 本当によく出来た男。その笑顔は決してわざとらしくなく、至って自然で、本当に頭の回る男なのだと理解させられる。だがそうであればあるほど私のような女など受け入れられない筈。私は扇をサッと開いてわざとらしく口元を隠した。


「あら、メイドを庇いますの。お育ちの良い方はやはり言うことも違いますのね」

「――そのような、ことは……」

 ファルマス伯の瞳が揺れる。


「ハンナ、早くしなさい」

「は……っ、はい、只今……」


 ハンナのティーポットを持つ手が震える。粗相をしでかしたりしたらどうなるか。ハンナの顔に焦りの色が浮かぶ。そしてその焦りが、ミスを生むのだ。


「……あっ」


 テーブルの中央より少し手前に置かれたガラス製の三段のケーキスタンドに、ハンナの腕がぶつかった。ケーキスタンドはそれなりに安定がいい。少しぶつかったくらいでは倒れない。しかしハンナは焦りからかティーポットを傾けてしまった。口からお茶がとぷんと零れ、私のドレスを汚す。


「……あ、ぁ」

 ハンナの顔が一瞬で蒼くなる。


「も――申し訳ございません!す、……すぐにおふき致します……!」


 彼女は懇願するように(ひざまず)くと、ティーワゴンに置いてあったタオルを手に取り私のドレスの濡れた箇所にあてがった。


 ――私はちらとファルマス伯の表情を確認する。流石の彼も、すぐには言葉が出て来ない様子であった。恐らく危惧しているのだろう、自分の言葉が、私の機嫌を更に損ねる原因になることを。


 これぐらいの汚れ、本当に大したことはない。零れたのはワインではなく、お茶である。誰がどうみても火傷をするほどではないし、それはファルマス伯とてわかっているはず。彼なら笑顔で許すのであろう、これぐらいなら大丈夫、君は火傷しなかったかい?などと言ってメイドの心配をするのだろう。


 けれど違う。私は違うのよ。それをそこで、しっかりと目に焼き付けることね、ファルマス伯。


 私は椅子に腰掛けたまま、ドレスの染みを少しでも落とそうとしているハンナを見下ろして――お茶の注がれたティーカップを手に取り、それをハンナの頭上で傾けた。


 お茶は見事にハンナの髪を、顔を、服を濡らす。


「――ッ」

「あ……アメリア嬢!!何ということを……ッ!!」

 ファルマス伯はとうとう椅子から立ち上がり、私を睨んで声を荒げた。その瞳には明らかな軽蔑の色が浮かんでいる。


「あら、このメイドは私のドレスを汚したのよ。当然の罰だわ」

「そんな……!今のはただの事故でしょう!それに、だからと言ってこのようなことは、許されない……!」


 彼の態度からはもう、先ほどのような余裕は感じられなかった。今の彼は、ただ自分の感情に支配されている。そして私はそのことに対して、心から安堵した。


 ――千年前の姿の彼と私。そして今までは一度も無かった、彼の方からの接触。何かあるかと思っていたが、やはりただの偶然だったのだ。このまま彼が私を受け入れられなければ、彼は縁談を取り下げそれ以降二度と私に近付くことは無いであろう。


 私はファルマス伯に冷ややかな視線を送る。


「あら、この下女は私のものなのよ。自分のものをどうしようが私の勝手だわ」

「……ッ」

 私の残酷な言葉に、彼は目を見開いて絶句した。私はその表情に冷たい笑みを返して、ハンナを見下ろす。


「お前のせいでファルマス伯のご機嫌を損ねたわ。どうしてくれるのかしからね」

 ハンナは俯いたままだった顔をおずおずと上げ、私の顔を見るとヒッと小さく呟いた。蛇に睨まれた蛙のごとく固まる彼女。彼女は必死に喉の奥から声を絞り出す。


「……も、申し訳ございません。わ……私の、全て私の不徳と致すところでございます。……お嬢様は、当然のことをしたまででございます。……どうか、どうか……」


 私はハンナの態度ににやりとほくそ笑む。そしてその笑顔を固まったまま突っ立っているファルマス伯に向けた。すると彼はハッとして私を睨むと、私の望む言葉を……吐き捨てる。


「私は帰らせて頂く……!」


 ――私に対する嫌悪、それが彼の表情から確かに見て取れた。彼は私の返事も待たずにくるりとこちらに背中を向ける。そしてそのまま中庭を出て……私たちの視界から消えた。



 全て練習通り。完璧だった。本当にうまく行った。


 見えなくなった彼の背中を思い浮かべて、私は心から安堵する。これで良かった。これで彼は死にはしない。これで彼は……幸せになるのだ。


「……お嬢様」

 いつのまにか立ち上がっていたハンナが、心配そうに私の顔を覗き込んでいた。


 そうだわ、ハンナに、謝らないとね。


「ハンナ、ごめんなさいね、打ち合わせ通りとは言え……あなた火傷しなかった?」

「ええ、問題ございません。お言い付け通り、きちんと冷ましておきましたから。ファルマス伯がお飲みにならなくて良かったですわ」

「そう……そうね。でもそれなら風邪を引いたら大変よ。それにそんなに濡れていたら目立つわ。ここはいいからあなた先に着替えてらっしゃい」

「そうですか?ではお言葉に甘えて」


 ハンナはにこりと微笑むと、パタパタと音を立てながら駆けていく。

 私はその姿を見送って……小さくため息をつくのだった。


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