03
***
「――という話ですわ、アーサー様。――……あら」
ヴァイオレットは話を終えると、アーサーの反応を伺おうと顔を覗いた。
――けれど。
「……ふふ」
彼女の隣には、いつの間にやら眠ってしまったアーサーの姿。彼は気持ちよさそうに寝息をたてている。
「まぁ……なんてお可愛らしい寝顔なのかしら」
ヴァイオレットは微笑んで、アーサーの銀の髪をさらりと撫でた。そしてその頬に、そっと唇を落とす。
アーサーを見つめる彼女の瞳は、深い慈愛に満ちていた。
「まだまだ夜は長いですわ……。よくお眠りになって下さいませ」
彼女はアーサーの耳元で愛しげに囁き、アーサーを起こすまいと、そっとベッドから下りる。
「――良い夢を」
そしてそう呟くと、ヴァイオレットは静かに部屋を後にした。
***
気が付くと、辺りはただ暗闇に包まれていた。黒よりももっと暗い――それは無限に広がる漆黒の闇。
服の隙間から入り込んでくる冷たい空気が、じわじわと背中に昇ってくる。
これは、夢なのか――?
俺は目を凝らすが、何時までも経ってもその闇に目が慣れることはない。
「――どこだ、ここは」
一筋の光さえ差し込まない、まるで長い長いトンネルの中に閉じ込められてしまったような――。
俺は視線を落とす。けれど視界はただ黒く――自分の足元さえ確認することが出来なかった。
「――おい!ヴァイオレット!」
俺は叫ぶ。だがその声は直ぐに闇に飲み込まれ、僅かな残響も残さない。
――おかしい、さっきまで俺はヴァイオレットと一緒に部屋に居たはずだ。それがいつの間にこんなところに……。
「――チッ」
ひたすらに広がる漆黒の闇――。右も左もわからないまま、俺は仕方なく歩き出した。自分の足音さえも聞こえない……闇の中を……。
けれど不思議と恐怖は感じなかった。――何故だ?
俺は足を動かし続けながら、その理由を考える。
――そして、思い出した。俺は何度も、過去にここに来ているではないか。
「――そうだ。ここは……」
それに気が付いた瞬間、全てを覆い尽くしていた闇が、波が引くように一気に薄くなっていく。そして開けた視界――そこに現れたのは、陰鬱とした空気の漂う長い長い回廊だった。
「もう二度と……ここには来ることはないと思っていたがな……」
俺はひとりでに呟く。そして、くすんだような鼠色の天井を見上げた。
ここはあの頃と何も変わっていない。
今にも崩れ落ちてきそうな天井は、これまたひび割れて直ぐにでも折れてしまいそうな、何本もの太い柱に支えられている。右手には、その柱と柱の間から――何十年も人の手が入っていない様な荒れ果てた庭が広がり、空は今にも泣き出しそうな色をしていた。
そして、左手には――。
「……」
俺はただ真っ直ぐに続く回廊に沿って延びる、冷たい壁を睨むように見つめた。
そこには所狭しと絵画が飾られている。何十枚――いや何百枚も。そしてその絵画には全て、一枚残らず――自分の……この俺の姿が描かれていた。
何年ぶりだろうか……、ここに来るのは……。
「……変わらんな」
本当に忌まわしい場所だ。――吐き気をもよおす程に。けれど俺はここから逃げ出すことも――どうすることも出来ない。だってここは、紛れもない自分の夢の中なのだから。
覚めたくても叶わない、それは深い深い、夢……。
「……」
俺は諦めて、ただ悲しげに広がる、荒れた庭を見つめた。そして再び自分がここを訪れた理由、それが何かを――考える。俺は無意識のうちに、自分で望んだのだ。ここに再び、訪れることを。――だが、何故。
俺がしばやくそうやって考えていると、ふと、回廊の先に何かの気配が現れるのを感じた。
「――……」
俺は視線を移し、長く続く回廊の先をじっと見つめる。そこに居たのは――。
「……子供?」
その子供はゆっくりと俺の方に歩いて来ると、少し離れた位置で歩みを止めた。
先ほどまで無かった筈のその気配、けれどもそいつは、今までずっと俺を見ていたかのような口振りで、声を発す。
「――酷い庭でしょ」
その子供は、自嘲気味な笑みを浮かべて、荒れ果てた庭を流し見た。
「ここは僕の夢。だからあの庭は僕の荒れた心を映し出しているんだよ。笑っちゃうでしょ」
けれど、そう言った少年の目は少しも笑っていない。暗く淀んだ様な瞳をしている。
そして俺は、この少年が何故そんな顔をするのか――その理由をよく知っていた。
「ねぇ、君は誰?どうしてここにいるの?」
少年はそう言って、俺をじっと見つめる。
まだ声変わりもしていない少し高い声。肩までかかる銀色の髪。そして――淀んだ瞳の中に妖しく光る――赤い、右目。
それは確かに、紛れもない――。
「俺は――お前だ」
俺は酷く冷静な頭で、目の前の自分を見つめ返した。
すると俺のその言葉に、過去の俺は訝しげに眉を寄せる。
「君は……僕なの?」
俺は頷く。
「でも、君の右目は赤くないよね。何故?目に色を入れてるの?」
――何故?
俺はその質問に、思わず言葉を詰まらせた。
何故だろうか。いつから俺は、自分の力を制御出来るようになったのだろうか……。俺は考える。けれど、思い出せない。
「……そうだな、ただ、いつの間にかそうなっていた、としか」
「ふーん。そうなんだ」
俺の回答に、昔の自分は不満げに首を傾げた。そして、再び自嘲気味に笑う。
「僕も早くそうなりたいなぁ」
「……」
彼のその、自らを軽蔑し、嫌悪している表情に――俺は思わず顔をしかめる。
俺は……昔の俺はこんなに酷い顔をしていたのか――?俺は本当に、これほどに自分を憎んでいたか――?
俺は、確かに感じるその嫌悪感に、ただ顔を歪めた。するとそれに気付いた少年は、ニヤリと嗤う。
「変な顔。どうしてそんな顔をするの?君は僕なんだろう?僕の気持ちを、誰よりもよく知っている筈だよね」
「――っ」
少年はそう言うと口元をゆがめ、憎しみを込めた瞳で俺を見据えた。
「僕は皆に嫌われてるんだ。この赤い右目のせいで。……でも君は違うみたいだね。ねぇどうして?君は忘れてしまったの?僕らが周りにどう思われているか、本当に忘れてしまったの?」
「……」
少年の、穏やかだった口調――それが段々、俺を責め立てる様な声に変わって行く。
「本当に君は酷いよね。この僕をこんなところに閉じ込めて、自分だけ救われようとした。君は僕を捨てたんだ。
ほら――僕をご覧よ。君のせいで僕はあの頃の姿のまま、ずっと一人きり。――いい気味だとでも思っているんでしょう?」
「――、何の……話だ」
俺の背中に、嫌な汗が伝う。
――何だ、こいつは。これは本当に夢か……?目の前にいるこいつは、本当に俺なのか――?こいつは一体、――何の話をしているんだ。
目の前の自分の話す内容に、俺は全く心当たりが浮かばず、ただその場に立ち尽くした。
そんな俺の姿をあざ笑うかの様に、そいつはその忌まわしい赤い瞳を光らせる。
「ねぇ、アーサー。この僕の姿を見てどう思った?僕は、君の闇だよ。誰よりも卑劣で、醜い、臆病な君自身――」
「……っ」
俺の心臓が早鐘を打つ。足が地面に縫い付けられた様に、俺はただの一歩も動けない。
「アーサー。僕は、君。そして、君は僕だ。僕は今日まで一時として君を忘れたことは無い。僕はずっと、君を見ている……。これからも、永遠に。それを忘れるなよ、アーサー」
「……黙、れ」
そいつから放たれるオーラの禍々しさに、酷い吐き気が込み上げる。それと同時に俺を襲う、頭が割れるような痛みと、目眩。視界が狭まり、歪んで、今にも俺は、倒れてしまいそうになる。
「忘れるな――アーサー。僕は君を――」
赤く光る右目――。
沈んでいく意識の中でただそれだけが、名残惜しそうに俺の脳裏に何時までもこびり付いていた。




