01
薄いカーテンを透かして、白い月明かりが窓から部屋に射し込んでくる。
時刻は真夜中を回っていた。
王都エターニアの街の中心にそびえ立つ、荘厳な造りの王城――その城内も、既にひっそりと静まり返っている。
既に使用人達は皆眠りにつき、未だ活動しているのは警護の衛兵のみであった。
けれどその城内の一室。平時なら部屋の扉の外に待機している筈の、衛兵すら人払いされた部屋。
その寝室では、二人の男女が互いに囁くような言葉を交わしていた。
「――今日は何だか、あまりご機嫌が宜しくないようですのね」
そう言った女の豊満な肉体は、淡い月明かりに照らされて青白く光っている。
「何か、ございました?」
ベッドに横たわる一糸まとわぬ女の身体。
それはまるで彫刻のように美しく、艶やかで――薔薇のような甘い香りを辺りに漂わせていた。
女は男の顔をのぞき込もうと、ゆっくりと身体を起こす。彼女の艶やかなブロンドの髪が揺れ、それと同時に微かに軋む、ベッドの音。
男はただ――窓の外に映る月を、黙って見上げていた。
彼女はそんな男の、よく引き締まった胸板に手を伸ばす。
そして、そっと触れたその熱にようやく、男は彼女の存在を思い出したように、視線を落とした。
「どうした?ヴァイオレット」
男は女をそう呼んで、自分の顔にかかる長い前髪を邪魔そうに掻き上げた。彼の銀色の髪が、月明かりのせいか一瞬白く輝く。
ヴァイオレットは、そんな――反応の鈍い夜伽の相手に、わざとらしく口を尖らせる。
「もう――酷い人ね。一月ぶりにようやく呼んで下さったと思ったら、ずっと上の空だなんて」
ヴァイオレットはそう言って、男を上目遣いで見上げた。
すると男は、彼女の言葉に眉をひそめる。
「何だ。不満か?」
男はヴァイオレットの美しい髪を指に絡める。
「いいえ。でも――昨夜も遅いお帰りだったとお聞きしましたわ。誰か意中の相手でも出来たんじゃないかって、城中の侍女が噂していますのよ」
「――……」
ヴァイオレットの言葉に、男はさらに眉間の皺を深くした。けれど直ぐに、ニヤリと微笑む。
「まさか。この俺に限って有り得ない。お前はそれを誰よりも良く知っているだろう?」
男はその凛々しい顔に薄い笑みを浮かべて、ヴァイオレットを見つめた。ヴァイオレットはその妖しくも優美な表情を、うっとりとした顔で見上げる。
そしてその豊満な胸を男の胸板に添わせると、男の首にそっと唇を落とした。
「ふふっ。本当にお美しい身体ですわ。アーサー様」
ヴァイオレットは呟くと、アーサーの身体に赤い印を付けていく。ゆっくりと、まるで赤い華を咲かせる様に。
「……っ。おい、ヴァイオレット……。目に付くところには……付けるなよ」
アーサーは彼女の背中に手を伸ばす。
つるりとした陶器のような、キメの細かい白い肌。女の魅力を剰すことなく兼ね備えた、神秘的とも言える肉体――。
アーサーは段々と熱を帯びていく自身を感じ、恍惚とした表情を浮かべた。
「――……く、……」
甘い吐息を漏らしながら、彼はヴァイオレットのその長い髪を撫でる。
「あぁ……。ヴァイオレット……お前は……本当に、美しい」
「ふふ――光栄ですわ」
「お前だけだ。……この俺を、特別扱い……しないのは」
アーサーはそう呟いて、快楽に身をゆだねるように、瞼を閉じた。
けれどそんなアーサーの言葉に、ヴァイオレットは一瞬その手を止める。
「おかしなことを仰るのね。私、あなたが王子でなかったら、このようなこと致しませんわ」
「……はは。確かに、その通りだ」
アーサーは憂うように瞼を開く。
「けれど、この俺にそんな口を利くのは――ヴァイオレット、お前だけ……」
「――ふふふっ」
しかし、アーサーのこの言葉に――ヴァイオレットは今度こそ、心底おかしいと言いたげに口元を押さえた。
「何だ、何がおかしい」
「興が冷めましたわ。あなたがそんなことを仰るなんて、きっと明日は空から槍が降りますわね」
「――っ」
ヴァイオレットはアーサーを見上げ、にこりと微笑む。
「私たちのこの関係に愛は不要なんですのよ。それをお忘れになってはいけませんわ」
「お前は……この俺がお前を愛しているとでも言いたいのか」
アーサーの眼光が鋭くなる。けれどヴァイオレットは怯まない。
「いいえ、まさか。でも、今日のアーサー様はなんだか黄昏ていらっしゃるようですし、いつもの覇気がありませんもの。私、つまらないですわ。――続きはまたにいたしませんこと?」
「……」
ヴァイオレットの言葉に、アーサーは沈黙する。
すると、まるでその沈黙を待っていたかのように、カツ、カツ――と、何かを叩くような音が二人の耳に届いた。
「――!」
アーサーはその聞き覚えのある音に、カーテンの外を凝視する。そこには見覚えのある、一羽の白いフクロウ。
――あれは、ルイスの……。
アーサーは目を細めると、ベッドからサッと立ち上がりローブを羽織った。そして窓を開け放つ。
夜の冷えた冷気が部屋に流れ込み、それがアーサーの熱を冷やしていく。
「まぁ……白いフクロウなんて珍しいわ」
ベッドの上のヴァイオレットが呟いた。
アーサーはフクロウへ手を伸ばす。
時々ウィリアムはこうやって、ルイスのフクロウを使ってアーサーに手紙を寄越すことがある。誰にも気付かれないように、日付の変わる真夜中に……。
今日も十中八九それだろう。そしてその内容は――恐らくアメリアのことだ。
フクロウはアーサーの手に小さな手紙落とすと、そのまま闇の中へ飛び立って行った。
「アーサー様?それは何ですの?」
ヴァイオレットは尋ねるが、アーサーは答えない。
彼は窓を背にして静かに手紙を開いた。
《彼女のことで直接君に確認したいことがある。日が昇った一時間後にそちらへ出向く。外で待っていてくれ ―W―》
「……」
――何だ?
アーサーは手紙の内容に違和感を覚えた。
彼女とは間違い無くアメリアのことだろう。
アメリアの身が無事であったことは既に昼間確認した筈。だがそのとき、ウィリアムは何も言っていなかったではないか……。
何か、問題があったのか?
――それに、この俺に直接確認したいこととは一体……。ルイスが一枚噛んでいる?――いや、もしかしたら、アメリアも……。
「アーサー様、お顔がとても怖いですわよ?」
ヴァイオレットはベッドに横たわりながら、アーサーに微笑みかけた。
その言葉に、彼はいつの間にか手紙を握り潰していたことに気付く。
「良くない知らせですの?」
「……いや、ただの恋文さ」
「まぁ」
ヴァイオレットは今度こそ驚いた顔をして、アーサーを見つめた。
「でも、その様子では余り上手くはないようですわね」
「……」
アーサーは彼女の言葉に再び沈黙する。
そして彼は黙ったままベッドに腰掛けると、側にあったサイドテーブルのマッチで、ぐしゃぐしゃに潰された手紙に火をつけた。
ヴァイオレットはそんなアーサーの背中を、悲哀の満ちた表情で見つめる。そして彼女は、何か思い付いたと言うように、両手をパチンと合わせた。
「そうですわ。私、傷心のアーサー様に、昔話をしてさしあげましょうか」
「何だそれは」
アーサーの声が低くなる。
「白いフクロウで思い出しましたの。この国の創世の神話ですわ」
「そんなものに興味は無い」
「まぁまぁ、そんな冷たいこと仰らず――どうせ暇つぶしですわ」
「……」
アーサーは溜め息をつく。
――まぁいいか。夜明けまではまだ十分時間がある。どうせ他にやることもない。
ヴァイオレットは諦めた様子のアーサーに、満足そうに微笑み、口を開く。
「昔むかし――まだこの地が人の住めない程に荒れ果てていた、そんな時代……」
そして彼女は、その美しく流れるような声で、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。




