06
「――……」
私はその言葉に即答出来ず、思わず口を噤んだ。
目の前にいるルイスは、私から決して視線を放そうとしない――。
――本気、本気なのだ。ルイスの瞳に嘘は無い。けれどだからと言って、はいわかりましたと答えられる程、私はこの男を信用していない。そしてそれは……これからも変わらない。
そんな相手と、この先ずっと生きて行くことを誓えと言うのか。会ってまだわずか二回目の、名前しか知らない怪しい相手と――?
私の背中に、嫌な汗が伝う。
確かにルイスの気持ちは理解出来る。記憶を忘れられず、過去に縛られ、いつだって心の中は孤独で満たされている。その辛さを、苦しみを――もし誰かと分かち合えたらどんなにいいか。――私だって何度もそう思った。
例え誰かに愛されても――いつか訪れる死が再び自分を孤独へといざなう。それに堪えられず、いつしか誰も――彼さえも、心から愛することが出来なくなった。そんな自分が嫌で――醜くて、鏡を見ることさえ出来ず……ただ独りで過ごすようになっていった。
本当に寂しかった。涙も枯れる程に……。ルイスもそうだったのかもしれない。きっと――そうだったのだ。
けれど――。
私はまだ、この男の言葉を信用した訳ではない。確かに私の力に気が付き、ウィリアムを助ける方法を知っているのは事実だろう。しかしアーサーは言っていた。ルイスには……気をつけろ、と……。
私は――ルイスの視線を受け止めながら、必死に頭を巡らせる。
もしここで頷けば――ウィリアムはきっと助かるだろう。けれどその先、ウィリアムの隣に私の居場所は未来永劫無いということになる。私と同じ――記憶を失わないルイス相手では、私は死んでも逃げられないのだから……。
――でも、それでもやっぱり私は……ウィリアムに幸せになってもらいたい。私の存在が彼の命を脅かす――。その呪縛が解かれるならば――例えこの先ずっと、彼の隣に立つ事が許されなくなったとしても……私は――。
窓から風が吹き込む生温い風が――私の髪を揺らす。
迷うな――。
私は、震える自分自身の手を、ぐっと握り締めた。
手帳を手に取り、ペンを走らせる。そしてそれを、ルイスの眼前に突き付けた。
『貴方の条件を受け入れるわ。けれど、もし万が一でもウィリアムを助けられないなんてことになったら、私は貴方を殺す。例えそれが、意味の無いことだとしても』
ルイスはその手帳に書かれた文字を見て、一瞬目を細めた。
けれど直ぐにその整った顔の口角を上げ、満足げに頷く。
「――ええ、いいでしょう。万が一にもそんなことは有り得ませんが、もしそんな事になったら、僕は喜んであなたにこの命を捧げましょう」
そう言って、射抜く様な強い視線を私に向ける。
「――」
その瞳に、既に迷いは無いようだった。期待も、不安も――既に、その瞳には映らない。
――私は、確信した。
ルイスは必ず――ウィリアムの命を助けるだろう。
ならば私も――ここで受け入れなければ。自分の選んだ――この運命を。
ウィリアムの命を救い、ルイスと共に生きる……その、覚悟を。
私も、ルイスを見つめ返す。
そして私たちは、理由も無く――ただ見つめ合った。
――短いような、長いような沈黙が、その場に流れていく。それはまるで……走馬灯の様に。
部屋に冴え渡る……十二時を告げる協会の鐘の音。
その鐘の音は――まるで私たちの呪われた運命を祝福するかのように……何度も、何度も繰り返し鳴り響く――。
そして鐘の音の余韻を残して――ルイスは再び表情を変えた。
「――これで……契約は成立です」
そう言った彼の表情は、何故か切なげに揺れていた。
――そしてその理由を、私はすぐに知ることになる。
彼は静かに立ち上がり、開け放たれたままの窓枠に手をかけた。
「ウィリアム様のお命をお救いする為に僕が貴方に望むこと……それはただ一点のみです」
そしてルイスはそう呟くと――睨むような視線を眼下の景色に向ける。
その顔はわずかに歪み、心憂いているようにも見える――。
何が彼をそうさせるのか……、私はただ、ルイスの言葉を待つことしか出来ない。
そしてようやく、彼はその重たい口を開いた。
「あなたには、ウィリアム様を愛して頂きます」
「――ッ」
その口から放たれた言葉――。それは私の予想を遥かに上回るもので――私はただ、戦慄する。
――だって有り得ないことだ。ウィリアムを愛せなどと……それでは彼は死んでしまうではないか。
けれどそんな私の視線に、ルイスは静かに首を横に振る。
「――大丈夫です。彼は死にません。僕があなたの、側にいる間は」
「――」
全く、意味がわからない――。
ルイスは私の視線に、俯く。
「先程は言いませんでしたが、僕にはもう一つ力があります。――それは、他人の能力を制御する力。……ですから、僕があなたの側にいる間は、彼が貴方の力によって死ぬことはありません」
「――っ」
――何だ、それは。
それなら、そんなことが出来るなら、私はルイスがいる間は、あの人の側に居続けられると言うことでは無いのか。呪い等解かなくても――ルイスが居てくれさえすれば、彼は死ぬことは無いということでは無いのか。
私の頭に――一瞬で血が上る。ウィリアムの命を助けたいと言っておいて、結局は――この男は私を手に入れたいだけ――。
「――ッ」
私の右手が、自分の意思とは関係無しに――自分の太ももに伸びる。今までもずっとそうであった……そうしてきた、それと同じように――。
私は一瞬でルイスとの距離を詰めると、ドレスの裾を翻し、そこに隠し持った短刀で――。
「――!」
けれど、――それは叶わなかった。
――無いのだ、どこにも。有るはずの――短刀が。
「――……」
私はぎりりと唇を噛み締めて、やり場の無い怒りを瞳に込める。
けれど、ルイスは――。
「……僕が憎いですか?」
ただ寂しそうに、微笑むだけ……。
「僕を殺したいですか?」
「――……」
――殺したいわ。でも、そんなことしたら、ウィリアムが死んでしまう。
私はただ、ルイスを睨みつける。
「そうですか……。じゃあ、こうしましょう。先程の条件、変えて差し上げます」
「――」
「ウィリアム様のお命をお救いした暁には、あなたが僕を、殺して下さい。そうしたら、僕は綺麗さっぱり、あなたを諦めます。――ね?これなら、いいでしょう?」
「――ッ」
そう言った彼の真っ黒な瞳は、闇に捕らわれたように、深い狂気に揺れていた。
私は思わず――後ずさる。全身から吹き出す冷や汗。
夏だと言うのに……全身が震えて、足がすくむ。
「いいですか、アメリア様。良く聞いて下さい。これは命令です。
あなたはこれからウィリアム様を愛し――周りの全ての者を欺くのです。そして僕はアーサー様の目を手に入れる。彼の“深淵を覗く力”、それがあなたとウィリアム様の繋がりを断つ為に必要です」
ルイスの表情は――ただ狂気に満ちている。彼から立ち上るその黒いオーラは、すべての生気を吸い取ってしまいそうな程に、禍々しい。
――これは、本当に人間の持つオーラなのか。何がルイスをここまで狂わせたのか……。
「アメリア様、あなたはもう逃げられない。これが僕らの運命だ。――いいですね、あなたはただウィリアム様を心から愛するだけでいい。後は僕が全て、滞りなく処理しますよ」
そう言って微笑むルイスの口許は、漆黒の闇に浮かぶ三日月のように、醜く歪んでいるように見えた。




