01
――あぁ、もう朝なのかしら……。なんだか、眩しいわ……。
私は部屋に差し込む光に、うっすらと目を開けた。
視界に広がる天井は、――ただひたすらに、白い。
――うちの天井って、こんなに白かったかしら……。
私は自分の視界に映る景色に、微かに違和感を覚えた。そしてその違和感の正体を確かめようと、ゆっくりと身体を起こす。
するとそこは何故か、全く見覚えのない広い部屋……。
――エリオット……?
私は視線を横に移す。けれど、隣に居るはずの彼の姿はどこにも無い。いや、そもそもこのベッドは私のベッドでは無い。
そして私は、ようやく理解した。
今のは……ただの夢だったのだということに。
「――ッ」
それを理解した瞬間、私の頭に痛みが走る。ズキズキと、なにかに締め付けられているような鈍い痛み……。
その痛みに、私は思い出した。
――そうだ、私は川に落ちて……それから……。
私は痛むこめかみを押さえながら、ゆっくりと部屋を見回す。
今私の寝ているベッドは、茶色い木枠に真っ白のシーツと薄手の布団を敷いただけのシンプルなベッド。がらんとした部屋の正面と左手の壁には大きな窓、そして右手には扉があり、あとは丸テーブルと椅子が二脚、そしてこれまたシンプルなドレッサーと、棚があるだけ。
ここ……どこなの?
私はベッドから降りて、外の景色を伺おうと窓に近づく。そしてガラスに映った自分の姿に絶句した。
その、あまりにも昔の自分と瓜二つの、その姿に。
――今の私の姿形が、千年前の自分の姿であることは既に理解している。
けれどその表情は、オーラは、確かに違っていたはずだ。偽りの笑顔を浮かべていた、その時でさえ。
私はガラスに映る自分の姿を凝視する。
そして気が付いた。そうだ、服が違うのだ。
私が今身に付けているのは、いつも着ているようなレースの付いた寝着では無く、本当にシンプルな……街のどこにでもいるような娘の着ているようなドレス。きっとこのドレスが、昔の自分の姿を思い起こさせているのだろう。
私は自分をそう納得させて、視線の焦点を今度は外の景色へと移した。
「……」
ここはどうやら二階の様だ。
眼下の景色を見下ろすと、まず視界に入るのは青い芝生の広がる広い庭と、仰々しい門。
そしてその先に映るのは、全体的に白で統一された――美しい街。王都には敵わないけれど、それに匹敵する程に栄え、賑わっている様子が伺える。
――私は記憶を探った。
視線の先の先、おそらく街の中心部当たりだろうか。
天高くそびえ立つ教会の屋根。その特徴的な青と銀の配色を、私は確かに目にしたことがある。
そうだ――まだ記憶に新しい、一度だけ、子供の頃お父様に連れられて来たときに見た、あの教会。そしてその配色は、アルデバラン公爵の紋である、青地に銀鷲をモチーフにして塗られたものだったはず……。
つまり私が今いるここは、アルデバラン――。
私は……安堵した。アルデバランなら、王都の隣。
距離で言えば馬車でたった二時間ほど。私からすれば、大した距離ではない。
私は頭痛に堪えながら、今自分の置かれた状況を整理する。
恐らく、川に落ちた私を誰かが助けてくれたのだろう。そしてその誰かは、自分の屋敷に私を連れてきて、手当てをした。
「……」
私は一瞬でその考えに至ると、小さくため息をつく。
私の頭に、アーサーの言葉が蘇ってくる。
何らかの力を持ったアーサーとルイス……。そしてルイスはずっと私を探し続けていたのだという――。
この先が、本当に思いやられる……。
「――ッ」
再び私を襲う、ズキズキと頭を締め付けるような痛み。
それに堪えきれず、私は側にあった椅子に倒れるように座り込んだ。
するとそれと同時に、部屋の扉がノックされ――そのまま部屋に入ってくるひとりの青年。
私は頭痛に堪えながら、その青年の様子を観察した。
赤い髪と、焦げ茶色の瞳をした優しい顔立ちの青年。
その青年はベッドの中に私がいないことに気付くと、驚きの表情を浮かべた。そして部屋を見回し、やっと窓際に私がいるのに気付いて声をあげる。
「――わっ。……驚いた。起きてたんだね」
彼はそう言って、安堵した様子でこちらに近付いて来た。
口振りからして、彼が私を助けた張本人だろうか。
「気分はどう?君、昨日湖のそばの川岸に倒れていたんだよ。どこか痛むところは無い?昨日お医者様に診てもらったときは、特に大きな怪我は無いって言われたんだけど……一応もう一度診てもらった方がいいかな?」
彼は椅子に腰掛ける私の目の前で立ち止まると、優しい表情で私に問いかける。
――ああ、やはりそうだ。私を助けたのは、目の前の彼。
私は、口を開く。
一応、助けて貰ったお礼を伝えなければ。それと……医者は必要ないと伝えるつもりで……。
けれど。
「――」
――え?
私は今更ながら、重大な事実に気が付いた。
――声が全く出ないのだ。話そうとしても、口から漏れるのはかすれたような空気のみ……。うんともすんとも言わない。これは一体……。
私は自分の喉に手を伸ばす。
――熱は……無い。触ってみても、痛みも腫れもない。これはもしかして、あれだろうか。失声症というやつだろうか。今までに何度かそうなった人を見た事がある。強いストレスを感じると、急に声が出なくなるという……あれ。
いやでも、まさかこの私が?
「――」
私は自分のあまりの不甲斐なさに衝撃を受けた。千年も生きてきた私が今更声を失うなど……屈辱以外の何物でもないではないか。――なんということか。
声を失うこと自体はさして問題ではない。特に困ることも無いのだから。
問題は、声が出なくなった……その、理由。
「……」
私が茫然としていると、目の前の彼は心配そうな表情を浮かべ、やっぱり医者を――と呟く。
私はその声に我に返り、くるりと踵を返す彼の腕を急いで掴んだ。
「――え?」
驚いたように振り向く彼。
私はその顔をじっと見つめて、ゆっくりと首を横に振る。
瞬間、彼は何かを察した様に目を見開いた。
「君、……声が?」
彼の独り言のような呟き。
その言葉に、私は肯定の意味を込めて、彼を見上げ――にこりと微笑んだ。
「――っ」
彼は言葉を詰まらせる。戸惑った様子で――その優しげな顔に眉を寄せる。
「……えっと――あぁ、困ったな。その……しゃべれないのは、元々、なの?」
気まずそうに聞いてくる彼。
その問いに、私は今度は首を横に振った。
「え――。じゃあ、川に……落ちて、今朝からってこと……?」
――そうよ。と、私は目で訴える。
すると彼の目が、再び大きく見開かれた。
「そんな、一大事じゃないか!今すぐ医者を!」
「――!」
そう語気を荒げて今にも駆け出しそうな彼。
その姿に、私は僅かに苛立ちを覚える。
私は彼の腕を再び掴んで、強く――力を込めた。
――私、医者は必要ないと言ったわよね。……そう訴える。
「……本当に、呼ばなくていいの?」
「……」
「そ……っか」
「……」
そして――短い、沈黙。
「ええっと」
しばらくの沈黙の後、彼はそう小さく呟いて、空いている方の椅子にゆっくりと座った。
そして彼は自分の履いているスラックスの後ろポケットをまさぐると、一冊の手帳とペンを取り出す。
彼はそれを私に渡し、私を安心させる為か、その顔に温かい――優しい笑みを浮かべた。
「筆談なら出来るよね。まずは、自己紹介しようか」
そして彼はそう言うと――。
「僕の名前は、ライオネル・マクリーン。君の、名前は?」
そう名乗って、太陽の様な屈託のない笑顔を私に向けた。




