02
「――っ」
私の心臓が再び飛び跳ねる。
彼の笑顔――、私に向けられる、彼の視線。それがとても眩しくて、嬉しくて……今にも溢れ出しそうな想いが、私の胸を締め付ける。
「……ユリア?どうしたの?僕、何か変なこと言ったかな?」
「――な、なんでも……な……っ」
私は思わず言葉を詰まらせた。
――胸が熱くて、苦しくて、喉から上手く言葉が出て来ない。
彼はそんな私を不思議そうな顔で眺め、あっと声を上げる。
「……そうだ!お礼!」
「……?」
「このジャムのお礼、ユリアにしなくちゃね!」
「――っ!」
そう言って、無邪気に笑う彼。
――うう、なんて素敵な笑顔。お礼なんて、してもらうつもりは無かった。ただ受け取って貰えればそれだけで十分。そう、十分だ……と思っていた。――けれど。
「ユリア、何か欲しいものはある?」
彼の透き通った瞳に、私の姿が映し出される。
――どうしよう、嬉しい。本当に、嬉しい。
「え……っと」
――どうしよう、欲しいもの。欲しいもの……。
本当に欲しいものなんて、決まっている。彼が、私だけを見て……私だけを好きになってくれること。――けれど、そんなことは口が裂けても言えない。
だから私は、よく考えて……決めた。
「今度……すぐにじゃなくていいから……あなたの都合のいいときで、いいから……」
「うん?」
「一日中、一緒に……いて……くれないかしら」
「……――え?」
「――あっ」
言ってしまって、気付いた。これではまるで、告白だ。彼のことが好きだと、言ってしまっているようなものだ。
私は慌てて、言い直す。
「べ――、別に深い意味は……!……ほ、ほら、私たちって、いつもは長くても一、二時間しか一緒にいられな――じゃなくて、えっと……ほら、たまにはもっとお話ししたいな、とか……っ、……思って」
――どうしよう。言えば言うほど空回りしてしまう。……恥ずかしい。きっと呆れられてる。
私は今にも泣き出しそうになりながら、ちらと彼の様子を伺った。彼は少し驚いたような、何か考えているような顔をしている。
「……っ」
私は、後悔した。そして、未だ何も答えてくれない彼に、悲しくて、切なくて……彼から視線を逸らしてしまった。
あぁ――言わなければ良かった。もういやだ。消えたい。今すぐにここから消えてしまいたい。どうせならもっと別のことを言えば良かった。彼を困らせないような、もっと普通のお願いをすれば良かった。
私は自分の足下を見つめて――何とか……言葉を絞り出す。
「……や……、やっぱり、他のことに……しようかしら。あなたも、忙しいと、……思うし」
――何で、何も言ってくれないのだろう。嫌なら嫌って、言ってくれれば……いいのに。
断られるのは辛い。だけど、何も言ってもらえないのは……もっと辛い。
「……」
私は唇をぎゅっと結ぶ。――もう、嫌だ。恥ずかしい。……泣きたい。
そして何も言わなくなった私に、ようやく……彼が呟いた。
「……ユリア、大丈夫?」
「――っ」
その声はいつものように優しくて、いつものように、柔らかい。けれど……その優しさが、痛い。それに、そもそも意味がわからない。一体何に対しての……“大丈夫“なのか。
私は彼の言葉の真意を確かめたくて、ゆっくりと顔を上げる。すると同時に、彼は私の瞳を見つめて、呟いた。
「ごめんね」
「……ッ!」
それは、私の想いを――否定する言葉。
彼の真剣な表情に、私の心は粉々に砕け散る。
あ――駄目だ、泣く。
「……っ」
私は泣き顔を見せたくなくて、彼に背中を向け、そのまま走り出した。
――けれど。
「違う、ごめん!そうじゃないんだ!待ってユリア!――行かないで!」
彼は叫んで、私の腕を思い切り掴むと、そのまま後ろに引っ張った。私の身体は、背中から彼の胸に倒れる。
でも……。
「やだ、聞きたくない。放して!」
私は抵抗して、彼の腕をふりほどこうとする。けれど、ふりほどけない。彼の力は……もう私よりずっと強くて……。
「違う、違うよ、ごめん、僕……あまりにびっくりして」
彼は私を抱き締める腕に力を込めて、――私の知らない声で、言う。
「君は僕の気持ちに、とっくに気付いてると思ってた。だから……その、つまり――僕は、君のことが……好きなんだ」
――……え?
彼の思いもよらない言葉に、私は、目を見開いた。
彼は、私を後ろからぎゅっと抱きしめたまま、私の耳元で……続ける。
「ユリア――好きだよ。……いいんだよね?君も、僕のことを好きだと思ってくれてるって……ことで」
「――っ」
――ドクン。
私の心臓が高鳴る。
彼の声が、私の心を揺さぶる。
私は彼の腕の中で、ゆっくりと振り返り、彼を――見上げた。
いつの間にか、私の身長を超えてしまった、彼を。
「……そう、だったの?」
私の口から漏れるのは、なんだか間の抜けた声。
そんな私に、彼はいつもみたいな笑顔を見せた。
「そうだよ。君のことが好きじゃなかったら、毎日会いに来たりしないよ」
「……そう……なの……?」
「そうだよ」
「……本当、に?」
「うん。本当に気付いてなかったの?僕は、君が僕の気持ちを知ってるとばかり――」
「――っ」
あぁ……なんだ、そうか、そうだったのか。全然気が付かなかった。
そうか――彼も……私を……。
「……――あ」
――やだ。安心したら……涙が――。
「ちょ、ユリア!?どうしたの!?どこか痛い!?僕が手を引っ張ったから――」
急に泣き出してしまった私を見て、彼は焦ったように声を上げる。
「――ちが、……違うの。だって……びっくり、して」
私は泣きながら、必死で笑顔を浮かべて――。
「……嬉し……泣きよ」
「……――ッ!ユリア!」
そして彼は私の言葉に目を見開くと、がばっと私の身体を抱き締めた。
いつの間にかたくましくなった彼の胸板から……彼の体温が、鼓動が、直に伝わってくる。……心地いい。――安心、する……。けれど――。
「――暑い、わ」
私は彼の腕の中で、呟いた。
「――っ!ごめん、ユリア!そうだよね!暑いよね、夏だし!」
すると慌てて私から離れる彼。それが何だかおかしくて、私は……笑う。
「――ふふっ」
すると彼は一瞬、不意を突かれたように眉を寄せたが、すぐに私につられて笑い出した。
「はは――っ、ははははっ!」
――なぁんだ、そうだったのね。私たち、両思いだったのね。
そして私はあまりの嬉しさに、先ほどの不安は何処へやら。
いたずら心を芽生えさせ――彼の腕を掴んでぐいっと引き寄せると、彼の頬に唇を落とす。
「――っ!ちょ、ユリア、何す――」
彼はパクパクと口を開けて、顔を真っ赤にさせた。その姿が可愛くて、愛しくて、私は微笑む。
「さっき私を不安にさせたお返しよ!」
「――っ、ユリア、それは……反則だよ」
彼は顔を赤らめたままそう言うと、急に真面目な顔をした。そして、私の両肩をがしっと掴む。
「――え……?」
――これは、もしかして……もしかしなくても。
「ちょ……そ、流石に、それは……私たち、まだ子供よ」
私は彼を見上げる。けれど――彼の熱を帯びた瞳が……私の心を掴んで――もう、私は何も考えられない。
「ユリア……好きだよ。ずっと、僕と一緒にいて欲しい」
「――……うん」
「あぁ、ユリア――!」
そして私たちは……そっと唇を重ねた。




