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01



「――ルイスッ!」

「ウィリアム様!?」


 ルイスは背後から自分の名前を叫ぶウィリアムに気付き、僅かに走るスピードを落とした。


「何故――ここに」

 ルイスは呟くが、ウィリアムはそれを無視し、そのままルイスの隣に並ぶ。


「さっきアーサーに会った。アメリア嬢はどこだ」

 ウィリアムの表情は固い。ルイスはそんな主人の表情を横目で見ながら、なるべく平静を装って答える。


「申し訳ございません。見失ってしまいました。ですが、先ほどカーラ様の叫び声が――」

「どっちだ!」

「――今、向かっております」


 ルイスの言葉を合図に、二人は再び速度を上げた。


 水音がする。――視界が開けた。そこには……。



「カーラ!」


 二人の立つ場所から少し離れた崖際に、カーラがへたり込んでいるのが見える。

 カーラはウィリアムの声に気付くと、ゆっくりと顔を上げた。――その、蒼白な顔を。


 ウィリアムとルイスはカーラに急いで駆け寄る。


「カーラ、何があった!アメリア嬢は一緒では無いのか!?」

 何時になく焦りを浮かべた様子のウィリアムは、カーラの両肩を抱くようにして問い掛ける。その言葉に、カーラは冬でも無いのにガタガタと全身を震わせた。そして彼女はウィリアムの胸元にすがりつくようにして、呟く。


「……か……川……に」

「――ッ」

 ウィリアムは絶句した。急いで崖下を覗くが、そこには既にアメリアの姿は無い。


「……ごめんなさい……ごめんなさい、ウィリアム様。――アメリア様は、落ちそうになった私を庇って……。ごめん、なさい……」

 カーラはウィリアムの服を掴んだまま、放心状態で震えていた。そしてウィリアムも、そんなカーラの肩を抱いて呆然とたたずむのみ。


 そんな二人の姿に、ルイスは苛立ち――その瞳に焦りの色を浮かべる。


 ――水の流れは速い。それに、あのドレスでは水を含んで直ぐに沈んでしまうだろう。運良くどこかの岸に上がれても、濡れて体力を奪われた身体ではそう長くは動けない。――日暮れまでは約四時間。それまでに助け出さなければならない。


「ウィリアム様、カーラ様をお願いします。私は下流へ、アメリア様を探して参ります」

 ルイスはウィリアムを見据えた。その強い視線に、ウィリアムは我に返ったように瞳を揺らす。


「……それなら、俺も一緒に」

「結構です。あなたは足手まといになる」

「――っ」


 ルイスの口から冷淡な言葉が放たれる。けれどその視線は確かにアメリアの無事を願うもの――。

 ウィリアムはその思いも寄らないルイスの態度に狼狽えた。


「ルイス……お前……」

 ウィリアムは呟く。


 ――けれど、ルイスはそれに応えずに、(きびす)を返してその場を走り去った。



***



 ――風が……(かお)る。



 ――ここは……どこ?



「――ア!――……リア!」



 ――誰かしら。私の名前を呼んでいるのは……。



「……リア!」



 ――あぁ、頬を撫でる風が心地いい……。……木漏れ日が、眩しい。

 

 聞こえるのは……そう――懐かしい、声。


 そう――そうだわ。ここは……。




「ユリア――ユリアってば!またそんなところに登って!」

「――っ」


 聞き慣れたその声に、私はハッと飛び起きた。

  目の前に広がるのは、美しい森と、青々とした草原。――そしてその先には……よく見慣れた、街。


「……――あ」

 それを確認すると同時に、足元がぐらつく。


「……っとと」

 ――危ない危ない。いつの間にか眠ってしまっていたようだ。私はバランスを取り直して、声のする方を見下ろした。


「ねぇ、ユリアってば!」

 そこには齢十歳程のまだあどけない顔立ちの少年が、こちらを見上げて立っていた。彼は困ったような顔をして、木の下から私の名前を叫んでいる。


 ――もう、やっと来たのね!

 私は彼の姿を確認すると、わざとらしく、ぷうっと頬を膨らませた。


「ちょっと!あなたが大声を出すから、落ちそうになったじゃない!」

 私はそう言いながら、さっと木の下へ飛び降りる。すると彼は駆け寄ってくる――が、その顔は不満げだ。


「もう……、何だよ、木の上なんかで寝てるのが悪いんだろ。それに女の子があんな高い所に登って……本当に落ちて怪我でもしたらどうするんだよ」

「何よ、あなたが待たせるのが悪いんじゃない」

「……それは……そうだけど。仕方ないだろ、店の手伝い終わらなかったんだから」

「またそんなこと言って!じゃ、いいわよ。せっかく木苺(きいちご)のジャム持って来たのに、あげないから」

 私はつんとして顔を背ける。本当はあげないつもりなんて無いけれど、ちょっとだけ、意地悪を言ってみたくなって。


 ――木苺のジャム。家の裏に生えている木苺で、おばあさまが毎年この時期になると作る、彼のお気に入りのジャム。少し酸味が効いていて、それでもとっても甘くて、勿論私も大好きだ。


 私が横目でちらりと彼の様子を伺うと、彼はショックを受けた顔をしていた。――もう、本当に素直なんだから。


 私はふふっと笑って、先ほど登っていた木の影へ置いておいたカゴを手に取る。


「もう、嘘よ。ウ・ソ!ちゃんとあげるわよ。――ほら」

 私はカゴから真っ赤なジャムの詰められたビンを取り出して、彼の前に差し出した。すると彼はようやくホッとした顔を見せ、ビンを手に取り、屈託ない笑顔を見せる。


「ありがとう、ユリア!君のおばあさまのジャム、本当に好きなんだ!何かお礼しないとな。――ユリアは何がいいと思う?」

「――っ」


 太陽みたいな笑顔。栗色の髪も、ヒスイ色の瞳も――額に浮かぶ玉のような汗すらも――夏の強い日差しにも負けないくらいキラキラと輝いて、眩しくて……胸がきゅうっと締め付けられる。


 私は――この人のことが、たまらなく……好き。



「……ユリア、どうかした?顔が赤いよ?」

「――っ!」


 気付くと、彼の顔が目の前に迫っていた。彼は、私の顔をじっと覗き込んでいる。その視線に、私は無駄にドキドキさせられてしまう。


「な、ななな、何でもないわよっ!そ――それ、より……」

 わかっている。きっとこの恋は、一方通行。――というより、多分まだこの人は……恋や愛には、興味が無い。だから、私はこの想いを……まだ、伝えていない。

 けれど、せめて――。


 私は彼の手に握られたビンを見つめる。


「それ――。その、ジャム……」

「……?」


 彼は私の視線を追うように、自分の手の中のビンを私に掲げる。


 それを見つめて、私は、意を決して――言った。


「わ――私が、作ったのっ!」


 そう――そのジャムは、私が初めて作ったジャム。……あなたの為に作った……初めての、ジャム。


「え……ユリアが?」

 彼の目が、ゆっくりと見開かれた。

 

 その表情に、私の心臓がドクンと跳ねる。


 ――どうしよう、やっぱり嫌だっただろうか。やっぱりおばあさまのジャムの方が良かっただろうか。美味しいかどうかもわからない……私のジャムなんて……。

 どうしよう、どうしよう、カゴの中にはおばあさまのジャムも入っている。……今からでも、取り替えて……。


 けれど、そんな私の不安な心など一瞬で消し去ってしまうように――。


「ありがとう、ユリア!僕、すごく嬉しいよ!」


 ――彼は、弾けるような笑顔を、私に向けた。


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