06
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「――は、っ……はぁ」
耳に聞こえるのは、ヒールが落ち葉を蹴散らす音と、荒い息遣いのみ――。
「何よ……さっきの、どういうことなの……」
私は……動揺していた。
「……同じって……何が……」
私は訳もなく呟きながら、少しでもアーサーとの距離を稼ごうと森の中をひた走る。正直もう自分がどこにいるかもわからない。けれど、再びアーサーに見つかってしまう方が、今は――怖い。
「何が……起きてるの……」
彼は私と同じだと――そしてそれはルイスも一緒だと、彼はそう言った。その本当の意味は……一体何なのか。
私は足を止める。――背後には、何の……誰の気配も感じない。
「……はぁ」
私は一度だけ大きく息を吐いて息を調えると、木陰に腰を下ろした。流石にここまでは追って来ないだろう。
「……ちょっと……整理、しましょう」
私は自分自身に言い聞かせるように呟いて、先ほどのアーサーとの会話を思い起こす。
彼は言った。彼と私は同じだと……。一体何が同じなのか。
私と同じ――“記憶“を持っている?死んでも忘れられない――消え去らない記憶を……?それとも、私と結ばれた途端不幸になるウィリアムの様に――何かの“呪い“を与えてしまう力だろうか。もしかしたら全く別の力なのかもしれない。けれど、今まで千年生きてきて、自分以外にそんな力を持った人間には唯の一度も出会ったことがない。それが今……一度に二人も現れるだなんて、……考えられない。
「……」
いや、違う。違うのだ。さっきアーサーは言った。ルイスは私を探していたと。……つまり、そういうことなのだ。これは偶然ではなく、ルイス――彼からすれば、私を捜し――ようやく見つけ出したのだという、唯それだけのこと。その理由はわからないけれど……。
先ほどのアーサーの口振りからすると、彼……アーサーは恐らくウィリアム側の人間だろう。信用は出来ないけれど、彼からはウィリアムに対する悪意を感じられなかった。
――では、ルイスは?……ウィリアムは夜会のとき、ルイスを心から信用していると言っていた。けれど、もしルイスの目的が私で――彼が私とウィリアムの関係性に最初から気付いていて、私を捜す為にウィリアムに近付いたのだとしたら……?もしそうなら、それは彼がウィリアムに出会ったその時――僅か九歳のときからウィリアムを騙し続けていたということになる。もしその予想が正しければ、それは確かに……私と“同じ“。
そして一番の懸念。――今までは確かにルイスはウィリアムの味方だったかもしれない。それは私を捜すためにウィリアムが必要だったから……。しかし――それならば、私を見つけ出すという目的を達成した今、ルイスは今まで通りのルイスでいる必要があるのだろうか。
ルイスの思惑を私は知らない。そしてその力も。何故私を捜していたのかも……。それを知らない限り、私は何も動けない。――けれど、もしもルイスがこれから先、ウィリアムにとって危険な人間になる可能性があるのなら……。
「――ウィリアムの側から、排除しなくちゃいけないわ」
私は立ち上がり、自分の右手を見つめた。
何度も――何度も、赤く染まったこの右手。――あの人を守る、そのためだけに鍛え上げたこの力。出来るならば使わないに越したことはない。けれど――最悪の場合……必要になったそのときは、私は何の躊躇いもなくこの手を下すだろう。例えそれが、ウィリアムを傷付け――悲しませることになろうとも。
そう、今までだってずっとそうしてきた。彼の命を脅かす者があれば、容赦無く排除する。結局はいつの世も、一番怖いのは人間ということか――。ただし今回は、少しばかり厄介なことになりそうだけれど……。
「……」
私は目を細める。――方針は、決まった。
「……けど、今からどうしようかしら」
私は辺りを見回す。今、自分はどのあたりにいるのだろうか。右も左もわからない。どちらを向いても景色は同じ――木々ばかり。
「……それはそうよね。森だもの」
とは言え、ここは湖の側なのだから、近くに小川の一つでもあって良いはずだ。
私はじっと、耳を澄ませる。すると、木々のざわめきの合間に、確かに聞こえる微かな水音。
「やっぱりね」
私は独り呟いて、意気揚々とその音のする方角へ向かって行った。
しばらく歩くと、視界がわずかに開ける。まだ遠目でよくわからないが、そこは崖になっている様だった。水音が遠い。恐らく崖の下に川が流れているのだろう。
私はそのまま草木の無い場所へと向かい、そして崖下を覗いた。川からの高さは約5メートル、川幅は10メートルといったところだろうか。流れは早いが、大した川では無い。無い……けれど。
「……ハズレね」
こんな大きな川が湖に繋がっているとは考えにくい。つまり、振り出しに戻る。
「……他に何か――……あら?」
辺りを見回すと、ここから少し離れた場所に見覚えのある人の影……。
あれは……カーラ様?
彼女は崖の際に立って、じっと川の水を見つめていた。そして心なしか……わずかに肩を震わせているようにも見える。
もしかして、泣いているのだろうか。……ウィリアムと何かあったのだろうか。
「カーラ様……?」
私はゆっくりと彼女に近付いて、声をかけた。すると彼女はびくりと肩を震わせて、私の方を振り向く。
その目は、真っ赤に腫れ上がっていた。
私がそれに気付いたことを察したのか、彼女は再び私から顔を背ける。
「……どうしてあなたがここにいるのよ」
そして彼女は、苛立つような口調で呟いた。
「……」
――あぁ、これは間違いない。
ウィリアムも酷なことをする。別に私たちはお互い好きあっているわけではないのだから、婚約したからと言って他を全て切ってしまう必要なんて無いのに。――いや、でも、昔からそういう潔癖なところはあった。そういうところは変わっていないということか……。
にしてもこれは、私にも一部責任がある。とは言え、今までにこういう状況に出くわしたことは、私の記憶では一度も無い。……失恋した彼女に、私は一体何と声をかけたら良いのだろうか。昔の自分だったら、何と励まして貰いたかったのだろうか。
「……」
そう考えて、思い当たる。――そう言えば、この状況での恋の勝者は私だ。そんな私が何を言ったって、恐らく彼女の心には届かないのではないか、と。
そして私は少し考えて――この場から立ち去ることにした。
「申し訳ございません。お邪魔してしまったようですわね」
私は無難に微笑んで、くるりと踵を返す。
けれど――。
「ちょっとあなた、待ちなさいよ!」
何故か……引き留められてしまった。
「……はい?」
何故引き留めるのか――全く意味がわからない。けれど待てと言われれば待たない訳にはいかない。
私は仕方なく振り向く。すると……。
「あなた、私に何か言うことがあるのではなくて……っ!?」
彼女はそう言って、泣きはらした赤い瞳で私のことを睨んできた。威圧感は……全く感じられないけれど。
それにしても、何か言うこと――とは一体……。……謝罪?――それとも、やっぱり慰めて欲しいのだろうか。でも……この――私に?
「……ええ、と」
私は必死で思いを巡らす。けれど……。
――駄目だ、わからない。恋の話をするような友人など、およそ思い出せない程昔にしか作った覚えがないのだ。人の考えを読む以上に、感情を読むことは難しい。
何も言わない私に、彼女は痺れを切らしたのか、声を荒げる。
「あなたの、せいですのよ!!あなたさえ……現れなければ……っ!」
彼女はそう言って――再び泣き出してしまった。
「あなたさえ……いなければ……ッ」
彼女の頬を、大粒の涙が流れる。ウィリアムと同じ……豊かな森の景色を映し出したような深い緑……その瞳から次々に零れ出すそれは――まるで透き通った真珠の様に美しい。
「――どうして、よぉ……。私の方が、私の方が絶対に――ウィリアム様を愛してますのにぃ……っ」
そう――子供の様に泣きじゃくる彼女を、私は黙って見つめるしかなかった。
美しい――嘘偽りの無い純粋なその涙に、私の心は締め付けられる。
――あぁ、この方はなんと純粋で、誠実で、素直な方なのだろうか。それはまるで純真無垢な子供の様に、ただ心の赴くままに涙を流すことが出来るのだ……。
あぁ――なんて、美しく……。
「……羨ましい」
私は思わず、本音を漏らした。
そして――何という運命の悪戯か。
彼女が私の言葉に驚いたように目を見開くと同時に――吹き込む様な強い風。
彼女の帽子が宙を舞い、そこに手を伸ばす彼女の細い腕。
「――ッ」
彼女の身体が傾く。――その先は。
気が付いたときには、私は走り出していた。
彼女の腕を掴み、自分の方に引き寄せる。――けれど。
その反動で――私の身体は、そのまま宙に投げ出された。
「――アメリア様ッ!!」
彼女が崖の上から……私の名前を叫ぶ。
あぁ――良かった。彼女は無事だ。
彼女に何かあったら、きっとウィリアムは悲しむから……。
私は――微笑む。
これで……良かったのだ。
――そしてそのまま――私の視界は歪んで……消えた。




