02
けれどそれとこれとは話が別だ。いくらお父様がこの縁談を進めようとすれども、それだけは受け入れられない。それならば私が今ここで死ぬ方がマシ。
「アメリア、お前ももう十八だ。そろそろ結婚相手を見つけねばならん」
お父様は目を伏せたまま言う。正直なところ断りたくないのだろう。内心とても安堵していることがひしひしと伝わってくる。この私に縁談が申し込まれたことに。
しかも相手は侯爵の息子、嬉しくない筈が無い。
けれど、本当にそれだけは駄目なのだ。私は今までの自分の行動を呪う……。
私は今まで極力人付き合いを避けてきた。
それはこの私の存在自体が恐らくあってはならないもので、疎ましがられる存在であることを自覚しているから。そして同時に、彼に繋がる糸を一本でも増やしてしまいたくなかったから。
友人も作らず、恋人も作らず、ただひっそりと暮らして来た。私に近付く者には冷たく当たり、挨拶をされても無視をして来た。
そうすれば誰も……彼も、私には近付かないだろうと高を括っていたのだ。
それが何という誤算。こんなことになるのなら、友人知人の一人でも作って置くべきだった。そうすれば、先約があるなどとごまかして断る理由の一つもになったのに。
――こうなれば、もう直接断るしか……。
そこまで考えて、私はふと名案を思い付く。
「――そうだわ」
別にこちらから断る必要はない。向こうから申し出を取り下げて貰えばいいのよ……。
私はその可能性に気付き、顔に笑みを張り付ける。
「お父様、その縁談、お受けしても宜しいですわ。簡単な食事会でも開いて下さいませ。……いえ、お茶会で十分ですね。私が直々に準備致します。ファルマス伯も私を目の前にすれば、目が覚めることでございましょう」
「アメリア……お前何をするつもりだ」
お父様は少しだけ顔色を悪くする。あらいやだわ、どんな想像なさっているのかしらね。
「ご心配なさらなくとも、この家の名を汚すようなことは致しません。では、私はこれで失礼致しますわ。伯爵様にお手紙をお出ししなければ」
私はふわりとドレスの裾を持ち上げてお父様にお辞儀をする。お父様は大層不安げな表情をしているが、私はそれに薄い笑みを返して、書斎を後にした。
***
私が自室に戻ると、直ぐに部屋の扉がノックされた。
返事を返すと侍女のハンナが入ってくる。その顔にはいつにもまして嬉しそうな笑顔が浮かべれていた。
私の一つ年上のハンナ。彼女の赤毛は後頭部できっちりと結い上げられ、栗色の瞳は私とは正反対にいつも輝いている。ひまわりのような笑顔を見せる、実の姉のような存在。
「お嬢様、ファルマス伯より縁談を申し込まれたとお聞きしました。流石我がお嬢様でございます」
ハンナはお茶の支度をしながらまるで自分のことのように喜んでいる。
――あぁ……もう広まっているのね。
私は椅子に腰掛けて頬杖をつく。今の今まで、十八年間ずっと平和に過ごして来たのだというのに……本当に面倒なことになったものだ。
私が小さく溜め息を吐くと、それを何か勘違いしたのか、ハンナはほほほと口に手を当てて不自然な笑い声を上げる。
「ファルマス伯――ウィリアム様と言えば、アーサー王太子にも引けを取らず、ご令嬢方の人気を二分する言わずと知れた貴公子。侯爵家にお生まれになりながら、浮ついたところもなく下々の者にも分け隔てなく接して下さるよく出来たお方。流石のお嬢様もポーカーフェイスが崩れるというわけですのね」
「……」
訂正するだけ無駄ね。私はハンナの言葉を右から左へ聞き流した。そしてハンナから受け取ったティーカップをゆっくりと口へ運ぶ。
……温かい。ハンナの入れたお茶を飲んでいるときが、私の心が休まる唯一の時間。
「ファルマス伯ね……」
私はカップをサイドテーブルに置き、ファルマス伯の姿を脳裏に思い浮かべた。すらりと高い身長、栗色の髪、ヒスイ色の瞳。顔立ちは凛々しいというより少し甘い、そうね――動物に例えるなら、犬だわ。
そして同時に私は千年前の彼の姿を思い出し……絶句した。
――何故、今の今まで気が付かなかったのか。今回の彼の姿は、転生してきた彼の姿の中で一番近い――最初の彼に。私の心に過ぎる――一抹の不安。
「……まさか」
私はその理由を確かめるべく部屋の壁に向かうように設置されたドレッサーを覗き込む。そこに映るのは、十八年間付き合ってきた見慣れた筈の自分の顔。お父様と同じ金色の髪、碧い瞳、お母様譲りの真っ白な肌。
それはまるで、千年前の自分の姿――。決して思い出したくない、今まで記憶の底に封印してきた――忌まわしき女の生き写し。
「――ッ」
何てこと。こんなことはこの千年の間一度も無かった。本当に――彼の方から近付いてくること等、只の一度も無かったのだ。こんな偶然有り得ない。有り得るものか……。
何かが起きている――それともこれから起こるのか。だが確かめる術など無い。私が出来ることは既に決まっている。彼を生かしたければ、決して彼には近付かないこと。
「お嬢様……?」
目の前の鏡に、私を後ろから心配そうに覗き込むハンナの姿が映る。……この様な顔を見せてはいけない。
私は深く息を吐いて、いつもの無表情を装う。そう――アメリアは感情を表には出さない。そうでなければ……そうでなければ……。
「……ハンナ」
「は……はいっ」
「あなた、私に打たれる覚悟はおあり……?」
「え……ええっ!?」
確実に、先方から縁談を取り下げさせる方法。それを思い付いて、私はニヤリと口角を上げた。
我ながら笑える程ゲスな方法だと思う。けれどこれならば確実にファルマス伯は私を嫌悪することだろう。私を蔑み、糾弾し、存在自体を否定するかもしれない……。
けれどそれでいいのだ。ハンナには悪いが、これも侍女の役目と言うもの。
「……ふふっ」
「お……お嬢様……?」
心の底から笑いが込み上げてくる。
私の愛した彼――愛し合った彼――その姿で私を嫌悪し私を否定する。その姿を想像して……。もしかしたら私の心もようやく解放されるのかもしれない。私の愛した彼の姿で私自身を否定されれば――あるいは、この呪いも解けるのかもしれない。そして私も心の底から、彼を嫌悪することが出来れば……。
そんなことを考える私の鏡に映る自分は、まるでおとぎ話に出てくる魔女のように醜くく……自らの心を映し出しているようだった。