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01



 季節は夏に入ろうとしていた。庭の木々は青々と生い茂り、庭の隅に植えられたベリーの木は可愛らしい実をつけようとしている。



「そろそろでございますね」


 屋敷の二階端――アメリアの部屋の窓から、ハンナは屋敷の門の様子を伺っていた。


「ええ。そうね、楽しみだわ」

 アメリアもハンナの後ろから窓を覗き込むようにして、そう言う。


 ――しかし実のところ、内心は全く逆の気持ちであった。アメリアは心の中で深い溜め息をつく。


 アメリアがウィリアムと婚約を結んだ夜会から約三週間が経過していた。今日はウィリアムに誘われて、ボート遊びに出掛けることになっている。約束の時間は近い。



「今日はアーサー王太子様もご一緒になられるのでしょう?はぁ~、きっと素敵な方なのでしょうね。一目お目にかかりたいですわ」

 ハンナはそう言ってうっとりとした表情を浮かべる。


 そう。それが今日のアメリアの憂鬱の種だった。――まさか自国の王子であるアーサーと一緒に外出などと。誰が嬉しいものか。肩が凝るだけだ。――アメリアはそう思っていた。


 けれど、ここでその感情を表に出すことはもう無い。


「ふふっ。ハンナったら。でも駄目よ、アーサー王太子殿下はウィリアム様のご友人であらせられるわ。何か失礼があったらいけないもの」

「まぁっ、酷いですわ!お嬢様は私のことを信用なさっておられませんのね!」

「そう言うわけじゃないのだけれど」

 アメリアは困った様に微笑む。そして少し考えるとこう言った。


「まぁ……そうは言ってもあなたは私の侍女だから、私が馬車に乗った後に荷物を渡してくれれば……馬車の中を覗けるかもしれないわね」

「お、お嬢様!よ、宜しいのですか?」

「ええ。少しだけよ」

「ありがとうございます、お嬢様!」


 アメリアはハンナの嬉しそうな顔を見て、ふふっと笑う。

 それと同時に、ハンナがあっと声を上げた。


「いやっしゃいましたわ!」

 ハンナは門を指差す。

 アメリアもそれに続いて門を見ると、そこには二台の黒塗りの馬車が止まっていた。一台は二頭立ての馬車。そしてもう一頭は、どういうわけか四頭立てのひときわ立派な馬車である。

 しかしアメリアは、そのことに酷く違和感を覚えた。

 

「……二台ですって?」

 そう、馬車が豪華かどうか云々以前に、台数がおかしいのだ。

 アメリアがよくよく馬車を観察すれば、二頭立ての方はウィンチェスター侯爵家の馬車で間違いない。――しかし、もう一台は。


「あの馬車……スペンサー侯爵家の紋だわ」

 四頭立ての立派な馬車の扉に描かれた紋様――それはスペンサー侯爵家の紋であった。それを確認したアメリアは、(わず)かばかり眉をひそめる。


 ――確かに今日はカーラ様もいらっしゃるとは聞いているけれど、私を含めて四人なら馬車は一台で足りる筈。これはもしかして……。


 頭に過ぎる嫌な予感。――そしてアメリアのその予感は的中した。



***



 アメリアが玄関ホールから外に出ると、既にウィリアムが馬車から降りて彼女を待っていた。ウィリアムはアメリアの姿を確認すると、爽やかに微笑みかける。アメリアはそんなウィリアムの笑顔に――相も変わらず白々しい笑顔だわ――などと考えながら、自分も負けじと微笑み返した。



「ご機嫌よう、ウィリアム様。今日はお誘い頂きありがとうございます」

「いえ、こちらこそ急にお誘いしてしまって。いい天気になり良かったです」

「本当ですわ」


 この“本当ですわ“の意味は、“お誘いしてしまって“に対する返事である。決して“いい天気になり良かった“の返事ではない。


 ウィリアムは今より二週間前に、アメリアへボート遊びの誘いの手紙を出した。けれどその手紙はアメリア本人ではなく、アメリアの父リチャードに宛てられた。恐らくウィリアムは、アメリアを直接誘っても断られるだろうと踏んだのだ。しかもきっちりアメリアの予定の無い日を選んでくるという用意周到ぶり。婚約者相手に、なんとあざとい男なのだろうか。


 けれど二人はお互いに、それを決して表には出さない。


 ――二人は雲一つない空を見上げる。表面上は誰がどう見ても仲むつまじい二人でいなければならないのだ。


 そんな二人の姿にすっかり騙され――アメリアの後方に立つハンナは、幸せな笑顔を浮かべる主人の姿に顔を(ほころ)ばせていた。



「では、行きましょう」

 ウィリアムはアメリアの手を取り、馬車に乗ろうとする。しかしその寸前で、何かを思い出した様に足を止めた。


「――そうだ。先にルイスを紹介しておきましょう」

 ウィリアムはそう言うと、馬車の扉横に控える従者に目を向ける。アメリアがその視線を追うと、そこには漆黒の髪と瞳を持つ端正な顔立ちの青年の姿――。


「――っ」

 アメリアはルイスの姿を目の当たりにして、思わず声を詰まらせた。彼女は気が付かなかったのだ。黒目黒髪などという非常に目立つ容姿である、ルイスの存在に。


 しかしアメリアはすぐに感情を押し殺す。


「あなたが……そう」


 アメリアの呟きに、ルイスは(うやうや)しく会釈した。


「アメリア様、私ウィリアム様の付き人をさせて頂いております、ルイスと申します。ルイス……とお呼び下さいませ」

 ルイスはそう言って顔を上げると、にこりと微笑んだ。アメリアも――微笑み返す。


「ウィリアム様からお話は伺ってるわ。とてもいいお仕事をなさるのですってね」

「お()めに(あずか)り光栄でございます」


 アメリアはルイスを観察する。――一見完璧な笑み。けれど笑っているのは口元だけで、眼は全く笑っていない。人を試すような――けれどそれを隠そうともしない強い眼差し。それでいてどこか温かい、吸い込まれそうな眼をしている。


 そしてそのオーラ。言われなければそこにいるとは気付かせない気配の無さ。けれど一度気付いてしまえば、目を離すことを許さない強烈な存在感。落ち着いた佇まい、凛とした声。ウィリアムやアーサーとはタイプが違うが、不思議な魅力を放つ青年。


 千年生きてきたアメリアも、ルイスの様なタイプの者とは殆ど出会ったことが無かった。成る程、確かにルイスという人間はただ者ではなさそうだ――アメリアはそんなことを考えながら、心にもない言葉を口に出す。


「これから宜しくね、ルイス」

 ルイスはそれに応える。


「はい、我が侯爵家の次期夫人となられるアメリア様は、既に私の主人となったも同然でございます。何なりとお申し付け下さい」

「ありがとう。頼りにさせてもらうわね」

「ええ、――アメリア様」


***


 ルイスは、ウィリアムに手を引かれて馬車に乗り込むアメリアの後ろ姿をじっと見つめていた。……その瞳に映るのは、果たして――。


「――」


 風が凪ぐ。

 

 ルイスは二人が馬車に乗り込んだのを確認すると、静かに扉を閉めて御者席(ぎょしゃせき)に座った。その顔には既に先ほどの笑みは無く――。その瞳に揺れるのは……微かな悲哀。


 馬車がゆっくりと走り出す。道のりは長い。


 ルイスは、ただ空の一点だけを見つめ……彼女の数奇な運命に、思いを馳せた。


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