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05


***



 着替えを終えた俺たち三人は、一軒のパブの前まで来ていた。パブには二つの入り口がある。一つは中産階級者用のラウンジ・バーへと続く入り口。そしてもう一つは、労働者階級用のパブリック・バーへ続く入り口らしい。ちなみに俺とブライアンはそのどちらにも入ったことがない。そもそも俺たち貴族はパブになど行ったりしない。行くとしたら会員制のクラブに行く。



「ここに……入るのか?」

「しかも庶民の方に?」


 俺たちはアメリアを見やる。彼女はシンプルな黒いドレスとつばの広いボンネット帽を被っていて、その服装は確かに貴族でも、中産階級の物でもない。俺たち二人の服装も、ペラッペラの安っぽいスーツで、袖を通すのが躊躇(ためら)われた程だった。――つまり、最初からアメリアはここに入るつもりだったということで……。


 俺たちの視線に、アメリアは黒い笑みを浮かべる。


「私のことは今からローザと呼んで。私ローザはサウスウェル家に最近パーラー・メイドとして入った。そしてあなたたち二人はサウスウェル家に使える従僕(フットマン)ということにしてね」


「――は、はぁ!?俺たちが従僕(フットマン)!?」

「さ、流石にそれは……せめて従者(ヴァレット)とかさぁ!?」


「あら、従者(ヴァレット)にしてはあなたたちは若すぎるし、見た目重視の従僕(フットマン)が適当だと思うわよ。あなたたち、見目(みめ)は悪くないじゃない」


「……それは誉められていると受け取っていいのかな」

「なる程。それで君はパーラー・メイドというわけか」


「その通りよ。――じゃあ入りましょ。あ、それと、そのお綺麗な喋り方何とかしてよね。貴族様だってことがバレるじゃない」


 そう言った彼女の言葉の発音は確かにどこか庶民じみていて、俺たちは今日何度目かわからない疑問符を頭に浮かべた。



***



 俺たち三人が店に入ると、ハツラツとした女性の声が響く。



「いらっしゃいませー!」

 

 テーブル席に料理を運んでいるウェイトレスが、俺たち三人を笑顔で出迎える。店内は思っていたより狭い。けれど――何というか本当に普通で、俺はなんとなく拍子抜けした。確かに床は絨毯(じゅうたん)敷きではなく木製、机も椅子も簡素な作りだが、それでも一応清潔感は保たれている。四人掛けのテーブル席は三つ、カウンター席は八席程。立ち飲み用の高いテーブルがいくつかある、という感じ。


 テーブル席は全て埋まっている。立ち飲み席も、酒をくみ交わす男女で既に溢れていた。アメリアはそれを確認すると、カウンター席の右から三番目に座る。俺たちはその右隣の残り二席に座ればいいということだろうか。多分そうだろう。俺たちはそう判断して、アメリアの右側に並んで座った。


 これからどうするつもりだろうかと俺はアメリアを横目で見る。――と、彼女はいつの間にかバーマンを呼びつけていた。


「ご注文はお決まりですか?」

「エールを三つお願い」

「かしこまりました」


 少しすると、飲み物の入ったジョッキが出される。アメリアはその場で三杯分のお金を払った。――どうやらそういうシステムらしい。


「はい、どうぞ」


 アメリアがニヤリと微笑んで俺たちにジョッキを渡してくる。エール……つまり、ビールだ。俺たちはビールというものを飲んだことが無い。何故ならビールは、貴族の飲む物ではないと教えられて来たからで……飲む機会というものが無かったからだ。


 ――この泡の乗った黄色い飲み物……本当に飲めるのか?腹とか壊さないかな……。


 俺がブライアンを見ると、同じことを思っていたらしくジョッキをじっと見つめていた。けれどずっとそうしているわけにもいかない。俺たちは意を決す。そして同時にアメリアがジョッキを掲げた。


「今日もお疲れ様!かんぱーい!!」

「かんぱーい」

「お、お疲れー」


 ――今の棒読みだったなー、と少し反省しながらも、俺はアメリアの真似をしてビールを一気に口へ注ぎ込んだ。


 同時に口に広がるほのかな苦味と、深い香り。ワインとは比べられないが、フルーティーさも兼ね備えている。そして何よりアルコールを殆ど感じない。これならどれだけでも飲めそうだ。


「――ッ、これ……」

「結構、いけるな」


「ふふっ、そうでしょ?たまに飲みたくなるのよね」


「たまって……アメ……ローザ、君本当に俺たちより年下?」

「酒を飲むのはまだ早くないか?」


「あら、二人が十五のときはどうだったのよ?」

「俺たち……?」


 アメリアの言葉に、三、四年前のことを思い出してみる。


「――まぁ、飲んでた、な」

「ああ、兄さんの部屋からこっそり拝借して、でも空きビンが見つかって叱られたりしたな」

「あぁー、あれは確か、客に出す筈のものだったんだっけ」

「そうそう」


 俺たちは昔話に花を咲かせる。思いだしてみれば、そもそも酒自体は寄宿学校(パブリックスクール)に入る前から飲んでいた気がする。どこかからこっそり拝借したり、悪い先輩に勧められたりして――。


 少しの間そうやって話していると、アメリアの横に一人の男が現れた。四十歳(しじゅう)辺りに見えるその男は、連れの分だろうか――ビールをまとめて四杯注文する。そしてふとアメリアの方を見て、目を見張った。



「おう、姉ちゃん。見ない顔だな?ここは初めてか?」


 ハンチング帽を被り口髭を生やしたその男は、アメリアの美しい容姿に釘付けになっている様子。……正直いい気はしない。けれど、俺たちの心配をよそに、アメリアは男に微笑み返す。


「そうなのよ。先月からこの近くのお屋敷で働いてるの」

「へぇ。じゃあそっちの二人は仕事仲間か」

「そうよ。私はローザ。こっちの二人はエドワードとブライアンよ。あなたは?」


 アメリアは俺たちの自己紹介も自分で済ませて、会話を続ける。


「俺はジョンだ。にしても姉ちゃんはえらくべっぴんだし、兄ちゃん二人はいい面構(つらがま)えしてるな」

 口髭男――もといジョンは、俺たちの顔をまじまじと見てくる。――何だろう、非常に居心地が悪い。


 そんな俺たちの心を知ってか知らずか、アメリアは頬杖をつき、俺たちを横目で流し見た。


「あら、それはそうよぉ。この二人は最高ランクの従僕(ファースト・フットマン)なの。仕事も出来るし、旦那様のお気に入りなんだから」

「そうか、そりゃあその面構えも納得だ。……ということは姉ちゃんもただのメイドじゃないってことだな?」

 ジョンは意地悪な笑みを浮かべる。それに対してアメリアはわざとらしく口を尖らせた。


「ま、意地悪ね。私はただのパーラー・メイドよ」

「いや……でもパーラー・メイドっていや、あれだ、接客用のメイドだろ?いいじゃねぇか、顔は大事だぜ」

 ――ジョンがそう言った瞬間、アメリアの目が一瞬だけ細められる。


「あら。顔だけじゃなくて身体の方も凄いわよ」


 そしてアメリアは、貴族令嬢ならば絶対に有り得ないことを口にした。俺とブライアンは絶句する。――けれど、ジョンはそうは思わなかった様で……。


「あっはっは!言うなぁ姉ちゃん、面白ぇ!あっちで俺の仲間と一緒に飲まねぇか?そっちの兄ちゃん二人も一緒に」


 ――彼はアメリアのことを、酷く気に入ったようだった。そしてアメリアは、そのジョンの誘いをさも当然であるかのように笑顔で返す。

 

「いいわ。行きましょ、二人とも」


 アメリアは放心状態で固まる俺たちにそれだけ言うと、さっさとジョンに着いて行ってしまった。


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