01
「どうしましょう……、どうしましょう……」
まだ日の高い時間――少女は一人、部屋の中を行ったり来たりしていた。その部屋は少女のお気に入りの白い家具と、沢山のぬいぐるみで飾られたとても可愛らしい部屋。まさに少女の心を写し出したような部屋である。
少女の名前はカーラ・スペンサー。スペンサー侯爵家の四人兄妹の末っ子に当たる。今年十六になったばかりのカーラは、従兄弟にあたるウィリアムと同じ色の瞳に絶望的な色を浮かべ、頭を抱えていた。
「……あぁ、駄目だわ。自分じゃどうしたらいいのかわからない……。お兄さまに相談しようかしら……」
カーラは一人ぶつぶつと呟いたかと思うと、意を決っした様子でバタバタと騒がしく自室を後にした。――向かうはこの屋敷の二階、一番奥の部屋である。
カーラは長い廊下を一気に駆け抜け、息を切らせながら、その部屋の扉を音をたてて開け放った。
「お兄さま――!!」
カーラは叫ぶ。――と同時に上がる、苛立つような声と、罵声。
「ああ……ッ!くそ、外したッ!――カーラ!!部屋に入るときはノックしろっていつも言ってるだろ!!」
カーラはその声の主を見る。
それはカーラの二番目の兄、エドワードであった。エドワードは部屋の中央に設置されたビリヤードのテーブルに上半身をかがめたまま、こげ茶色の前髪から青緑色の瞳を覗かせてカーラを睨みつけている。いつもならばそのさっぱりとしたとした顔立ちに緩い表情を浮かべているのだが、それが悔し気に歪められているところを見るに、どうやらストロークを外してしまったようだ。そしてその側にはエドワードのミスを嬉しそうに眺める、エドワードと瓜二つの容姿の双子の弟、ブライアンの姿もあった。
――それにしても、何度見ても凄い部屋だ。部屋の中にはエドワードとブライアンによって、賭け事という名のありとあらゆる娯楽が集められていた。トランプ、ダイス、チェスにダーツ、ルーレット、ビリヤード、そして先週ここに入ったときには無かった筈の、ボーリングらしきものまで用意されている。
カーラはそれらに一瞬気を取られるが、直ぐに我に返ってエドワードを睨みつけた。
「エド兄さま!!それどころではありませんの!!」
カーラは扉を閉めると、二人の兄へ歩み寄る。
「ウィリアム様が婚約なさったのです!!」
カーラはその可愛らしい顔に只ならぬ形相を浮かべていた。エドワードとブライアンはそんな妹の姿に、ははーんと顔を見合わせ、握っていたビリヤードのキューをテーブルに置く。
「お前まだウィリアムのこと好きだったのか」
エドワードはテーブルにもたれて両腕を組む。そしてカーラをからかうようにニヤリとその顔を歪ませた。ブライアンもそれに続いてやれやれと肩をすくめる。
「お前さ、いい加減諦めろ。あいつはお前のことなんて眼中に無いって」
「そうだぞ。それにあいつ絶対、釣った魚に餌をやらないタイプだぜ」
「ああ、お前とは釣り合わないよ。悪いこと言わないから止めとけ」
エドワードとブライアンの心無い言葉に、カーラの頬は怒りで赤く染まる。
「そんなこと無いわ!ウィリアム様は私と結婚して下さるって言ったもの!!」
カーラは訴える。ウィリアムは自分と結婚する筈だったのだと。――そう、確かにウィリアムは昔自分にそう言った。
エドワードとブライアンはそんな真剣な表情の妹に、再び顔を見合わせる。
「いや……カーラ、それ、本気か?」
「当たり前、ですわっ!!」
「でもお前、その約束、確か八歳のときのじゃなかったっけ?いっつもウィリアムの後ろにくっ付いてさ、二言目には結婚してくれ――って」
「それが何だと申しますのっ!ウィリアム様は言って下さいましたわ!私が立派なレディになったら、結婚して下さると!」
「……」
カーラの必死の形相に、二人は難しそうな顔をした。
「うーん。それはさ、ほら、あれだ。社交辞令だろ」
「あぁ。流石のお前でもそれくらいわかるだろ?」
「……っ」
兄二人の冷静な言葉に、カーラは俯く。
「それにさ、ウィリアムは他の女性と婚約したんだ。それが答えだろ?確かに急だったから、納得いかないかもしれないけどな」
「エドワードの言うとおり。もうどうしようも無いって。それこそ婚約破棄でもしない限りな」
「……っ」
カーラはドレスの裾をギュッと握る。
――本当にもう、どうしようも無いのだろうか。諦めるしか無いのだろうか。昨夜のウィリアム様からのアメリア様へのプロポーズ。彼は本当に素敵で、格好よくて、でも、その微笑みが自分に向けられることはもう無い。その事実を、認めなければならないのだろうか。……嫌だ。そんなの絶対に嫌だ。だって、ウィリアム様のことを本当に愛しているのは、ずっと愛して来たのは、この私だ。確かにアメリア様はとても美しい方だった。女の私でも思わず息をのむ程に……。けれど、だからといって簡単に諦められる筈がない――。
しかしそんなカーラの思いとは裏腹に、エドワードとブライアンは好き勝手に話を進めていく。
「それにしてもウィリアムのやつ、いつの間にって感じだよな。相手って誰だっけ。侯爵家か?伯爵家か?」
「いや、知らない。昨日の夜会で婚約したんだろ?知ってればお祝いの一つでも用意したのにな」
「ヒキガエルを箱に詰めたりしてな」
「ああ、流石のあいつも驚くだろうな!」
そう言って無邪気に笑いあう二人。そんな兄の姿に、カーラは憤る。
「……ふざけ、ないで」
カーラは顔を上げ、兄二人をこれでもかと睨みつける。
「私……私は……っ、本当に、……ウィリアム様のこと……ッ!」
カーラは訴える。――本気だ、本気なのだ。この気持ちは本当なのだ。そんな冗談みたいに、笑わないでほしい。そんな簡単に諦めろなんて、言わないで欲しい。ずっとずっと好きだったのだ。あの方を一目見たときからずっと……ずっとずっと思い続けて来たのだ。それなのに……それなのに……。
カーラの心に、どす黒い感情が沸き起こる。
「アメリア様……」
どうしてなのか。どうしてあの方は、私の大切な人を連れて行ってしまうのか。私があの方の様に美しい金の髪をもっていたら、あの方の様に深い泉の色の瞳をしていたら、あの方の様に慈愛に満ちた微笑みを浮かべられたら……。そうしたら、ウィリアム様は私を選んでくれたのだろうか――。
カーラは思い悩む。けれどその憂いは、エドワードの呟きによって遮られた。
「――アメリア……?」
カーラは兄のその、腑に落ちないような声に再び顔を上げる。
ブライアンも、何かが引っかかったような顔をしていた。
「アメリアって……あ!」
エドワードとブライアンは、声を揃えて顔を見合わせる。
「サウスウェル家の令嬢か!――まさかアメリア嬢がウィリアムの相手なのか!?」
「いやいや流石にそれは……。え、本当にそうなの?」
二人はカーラの表情からそれが事実だと悟ると、釈然としない様子で言葉を詰まらせた。




