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06


***


 今朝は久しぶりに太陽が姿を見せている。現在の時刻はまだ七時。


 ルイスは絨毯(じゅうたん)敷きの広い廊下を早足で進んでいた。彼はこの屋敷の使用人ではなく、ウィリアムに仕えている付き人であるが、本人立っての希望で普段はウィンチェスター侯爵家の従僕(フットマン)の制服を身に付けている。その方がここでは都合が良いと、ルイスは考えていた。


 ルイスは主人の部屋の扉を叩く。返答はない。昨夜のウィリアムの帰りは真夜中を回っていたから、恐らくまだ寝ているのであろう。ルイスは返事を待たずに扉を開け、部屋の中に滑り込んだ。



「ウィリアム様、朝でございますよ」


 ルイスは部屋のカーテンを手際良く開けながら、ベッドで寝息をたてている主人に向かって声をかける。


「んん……」


 ウィリアムは窓から差し込む朝日を避けるように寝返りをうった。ルイスは嘆息してウィリアムを揺り動かす。


「ウィリアム様、約束の時間でございますよ。昨夜のことをお聞かせくださいませ」

「……あと、五分……寝かせて……くれ……」

「……」


 ルイスはベッドから起き出す気配のないウィリアムを見つめ、昨夜の彼の様子を思い出した。



 真夜中過ぎにロバートとその夫人と共に帰宅したウィリアム。そしてロバートは、ウィリアムがアメリアと婚約をした(むね)を執事に告げていた。ウィリアムの様子もいつもと比べてどこか浮ついていて、ルイスは不信に思ったのだ。一体夜会で何があったのかと。


 けれどルイスがそれをウィリアムに(たず)ねても、ウィリアムはただアメリアと婚約したのだという、その事実しか教えてくれなかった。


 ――そもそもアメリアが夜会に出席したというだけでも驚きなのに、それがまさか婚約に至るなど、ルイスには到底信じられないことであった。ウィリアムに聞いても(らち)があかないと思ったルイスが、次はロバートに(たず)ねると、彼はウィリアムが皆の前でアメリアに結婚を申し込み、アメリアがそれを受け入れたのだと教えてくれた。


 しかしルイスに言わせれば、それは決して有り得ないことだ。アメリアは()えて人間嫌いの振りをして、人との接触を極力避けて生きてきた筈なのだから。そしてそれがウィリアムに対しても同じであることは、お茶会でのアメリアの態度によって証明されている。であるからして、アメリアがウィリアムの結婚の申し出を受け入れるとはまず考えられないのだ。


 確かにルイスはアメリアを次期侯爵夫人にと考えていた。けれどこの流れは余りに不自然である。いくらそれが望む結果であろうとも、不自然な過程から辿り着いた結果ならそれは疑わなければならない。


 そう考えたルイスはどうにか食い下がり、ウィリアムに翌朝――つまり今朝、夜会での出来事を話すことを承諾させたのだった。



 ルイスはウィリアムの寝顔を暗い瞳で見下ろす。


 ルイスはこの一晩、ずっと考えていた。そもそも何故ウィリアムは、貴族の(つど)う夜会などで結婚を申し込んだりしたのか。流石のアメリアでも、皆の前では断ることが無いと考えたのだろうか。だとしたら余りに浅はかだ。そうでなかったと信じたい。――だとすると、アメリアの方から結婚を受け入れる意思を示したのだろうか。可能性は低い。けれど一晩考えた末、それが一番納得の行く答えであると、ルイスは自分の中で結論を出していた。――社交場を避けてきたアメリアが、不意打ちの様にウィリアムの前に現れたのは、そういう理由であったのだろうと。


 だがそれでもわからないことが一つある。昨夜のウィリアムのあの――どこか浮ついたような表情、その理由が。



「ウィリアム様」


 ルイスは胸の内ポケットから懐中時計を取り出し、きっかり五分経ったことを確認すると、再びウィリアムの名を呼ぶ。


 その声に、ウィリアムはようやく薄く目を開いた。寝ぼけたような、焦点の合っていないその瞳が、ルイスの無表情な顔を映し出す。


「ル……イス?」


 ウィリアムはルイスの顔を認識して、(ほう)けた声を上げた。


「何で……ルイスがここに……。――ま……、まさか、夜這い!?」


 ウィリアムは声を荒げてバサッと起き上がったと思うと、一瞬でルイスから離れるようにベッドの端に寄った。――そんなウィリアムの態度に、ルイスは額に青筋を浮かび上がらせる。


「ふざけないで下さい」


 ルイスの鋭い視線がウィリアムを射抜く。――ウィリアムは時折こうやってルイスに対して冗談をけしかけるのだが、如何(いかん)せん今まで一度もルイスにそれが通じたことはない。



「は……はは。悪い悪い。……わかってる、昨夜のことだろう――?」


 ウィリアムは苦笑しながら、前髪を邪魔そうに掻き上げた。そうしてベッドに座り直すと、ルイスを見上げ言う。


「ルイスは何を聞きたいんだ?お前のことだから、この一晩の間で粗方(あらかた)予想はついたのだろう?」


 ウィリアムの言葉に、ルイスはニコリと微笑む。


「ええ。ですが三点程確認したいことがございます。まず一つ目ですが――」


 ルイスはウィリアムを見下ろす。


「ウィリアム様は昨夜お帰りになったとき、何故あの様に嬉しそうになさっておいでだったのです?」

「……、は?」


 ルイスの質問に、ウィリアムは意表を突かれたという顔をした。それが一つ目の質問なのか?と、ウィリアムはそう言いたげに瞳を揺らす。


「答えて下さい。アメリア嬢の何が、あなたをそうさせたのです」


 ウィリアムは言葉を詰まらせる。――何だ、この問いは。まるで夫の浮気を疑う妻がするような質問ではないか?――いや、ルイスのことだからきちんとした意味があるのだろう。


 ウィリアムはそう思い直して、ルイスの瞳を真っ直ぐに見つめる。


「――アメリア嬢が、思いの外面白いお方だったからな」

「……面白い?」


 ルイスの眉がピクリと動く。


「そうだ。彼女の中に住んでいたのは獅子でも蛇でも怪物でも無かった。――彼女はただの人間だったよ。けれど……」

「……」


 ルイスはウィリアムの言葉の続きを待つ。


「彼女は私に言った。“決して私を愛するな“――と」

「……」

「――な?面白いだろう?」


 ウィリアムはそう言って、無邪気に微笑む。


「彼女は過去に愛した男がいるようだが、その男は死んでしまったそうだ。彼女は誰とも一緒になる気は無かったが、自分を愛さないと誓ってくれる相手となら結婚してもいいと言っていた。こちらとしても、願ったり叶ったりな相手だったという訳だ」

「……」

「それに……彼女のダンスの腕は確かに素晴らしかった。ルイス、いい女性を見つけてくれたな」

「……」


 ルイスが沈黙を続けていると、ウィリアムはふいにベッドから立ち上がり、浴室へ続く扉の方へと向かう。――シャワーでも浴びるつもりだろうか。


「ウィリアム様。まだ二つ質問が残っております」

「後の質問ならわかっている。当ててやろう」


 ウィリアムはルイスを横目で見て続ける。


「アメリア嬢の非凡な才能の理由と、彼女が私の妻としてどのような働きをしてみせるのか、だろう?」


 ルイスはウィリアムのその自信あり気な言葉に、再び沈黙した。


「アメリア嬢の才能の理由はまだわからない。けれど、次期侯爵夫人としてなら――表面上は私たちのマリオネットと化すつもりの様だよ」


 マリオネット――操り人形……か。


 ルイスはその意味を理解し、ほくそ笑む。


「それは大変結構なことでございますね」

「あぁ……そうであろう?」



 ルイスはもう何も言わなかった。ルイスは浴室へと入っていく主人の背中をだまって見送る。




 そしてその扉が閉まるのを確認したルイスは一人、――呟いた。



「――ようやくあなたを、私のものに……」



 その瞳の色は恍惚(こうこつ)とし、口元は三日月の(ごと)く弧を描く。


 しかしそれはほんの一瞬のこと――。ルイスは直ぐにいつもの無感情な表情を浮かべると、音もなく主人の部屋を後にした。



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