セカイ
まったく、昨日は変な夢を見た。
僕は、いつもの時間に夕暮れの薄暗い部屋に入った。自殺はしてないし、とゆうか昨日はそういう気持ちになれなかった。早くこの世から消え去りたいのにあいつに邪魔されて失敗に終わった。まったく、いい迷惑だ。
少し下がった黒縁眼鏡をうえにくいっとあげた。
このままではあいつ…橋野隼人と同じ学校に受かってしまうかもなって思いながらも、ついてしまった習慣のせいでまた先生に質問しに行ってしまった。
今日こそ死ぬんだ。こんな世の中から一刻も早くおさらばしたい。というより、みんなの見れる教室で死ねばよかったのかもしれない。そうしたほうが罪の意識とかそういうのに気づいたのかもしれない。でももう遅い。今ここで実行しても、見るのはもうすぐ定年を迎える公務員のおじさんのみだ。勤め先の学校の生徒が自殺したところなんて見たらトラウマになってもう一生取れない恐怖を植え付けることになる。
まあ、それは家族にも言えることだが、だからと言ってほかの場所を考えたらきりがない。樹海に入るのも捜索願とか出されるし、空腹や脱水で死ぬのは勘弁。死にたいって思いがなくなってしまいそうで怖かった。楽に早く死にたい、これが僕の親への最初で最後のわがままだ。
顔を上げて輪のできた縄を見た。
なぜか死にたいって思いとまだ生きたいって思いが半々になった。
昨日の彼女…いったい何者なんだ。それがとても気がかりだった。
僕でなくてはだめといった。ということは、何かしらで僕にかかわりがあり、の句の知り合いだったとか、親しい中でなければデートなど頼みに来ない。でも思い出せない。というより、彼女の顔に見覚えがなかった。
謎は深まるばかりで、死にたいって気持ちは小さくなっていく。こんな気持ちじゃ死ねないな。
僕は椅子に上り、輪のできた縄を切った。
死にたいって気持ちがなくなったわけじゃなく、彼女が誰なのか知りたくて仕方なかった。死ぬのは謎が解決するまでの保留だ。
僕は、椅子から降りて鏡のほうへ歩み寄った。
鏡をのぞくと、いつも通りの普通の鏡だった。コンコンと鏡をたたいたり、呼びかけてみたりしたが、何の返事もなければ姿を現すこともなかった。
あれは結局幻だったのか。あの時は身も心もズタボロで、変な幻覚を見ることだってあるかもしれない。大体あんなことあるわけがない。疲れてたんだな、と結論をつけて何も思い残すことのなくなった僕は、縄と鋏をもって鏡を背にした。
そのときだった。
「呼んだ?」
彼女の声だ。
僕は後ろを振り向いた。彼女がいた。
「あのね、昨日はごめんね、一緒に話してほしいんだ。」
と、初めて会った時とは真逆で、落ち着いた口ぶりだった。
僕は鏡の前へ行き、鏡に両手を付けた。
またあの世界へ行くためにだ。そして、彼女が何者なのか突き止めるために。
彼女は、僕の行為に驚いたのか、キョトンとした顔をしていた。
僕は深呼吸をして、彼女のほうをまっすぐ見た。
「僕は君が誰なのか知りたい。話してはくれないか?」
それだけ言うと、彼女はにこやかに微笑んで僕の両手に手を重ねた。
「話してあげるよ。」
そう言ってまた僕の手をつかんで引っぱり、吸い込まれるように僕の体は鏡の中に入っていく。
鏡の中は昨日の異空間とは別のところだった。大きな大木で、その大木には満開桜が咲いていた。ここは丘の上のようで、あたりを見回すと、大木の裏にはたくさんの紅い鳥居がずっと続き、終わりが見ない。周りには満開の桜の林があり、鳥居とは反対の方向にはオレンジ色の空に沈みかけた夕日に、ピンクっぽい色の薄い雲がかかっている。
僕はただその風景を立ち尽くしてただ眺めていた。
なんて美しい風景なんだ…。
不意にそう思ってしまった。
気持ちの良い風が僕にあたって吹いていく。きっとここは、世界のどこの風景よりも美しいのではないかと思ってしまうくらい魅了されてしまった。
「ここはね、49日を過ぎた人たちが来るの。」
彼女がそう言って、大木の裏の鳥居を指した。
「この長い鳥居の道を通ってね、その後川を渡って黄泉の国に行くのよ。」
「とても長い道のりでしょ?」と彼女は笑っていった。もっとすんなり何とかっていう川に行って転生できるものだと思っていた。僕も死んだらここに来るんだな、お年寄りには過酷なんじゃないか。とか考えていたが、僕には関係なかった。今すぐにじゃなくてももうじき死ぬんだから。
僕らの横を、小さな子ずれの若い女性が通った。女性と手をつないで連れられている女の子はやつれてやせ細っていた。きれいにしたらきっときれいなんだろうし、すごい若く見えるのに、女性の髪は白くなりぼさぼさだった。
「ここにはいろんな人が来るし、あまりみんな近寄りたくないっていうけど、私はここがどこよりもいいところだと思ってるわ。」
彼女は不意につぶやいた。
女性と子供が鳥居に入って少し経った頃、彼女は「人の人生ってわかんないよね。」とつぶやいた。
「さっきの方はね、もともと若くて美しくって、家庭的でね、旦那が社長だったからとても裕福でいい暮らしをしていたわ。」
「でもそう長くは続かないみたい。」と寂しげな顔で言った。
「旦那がね、倒産したらしいの。企業が失敗してね、大量の借金を返しきれなくて一家心中したんだって。」
一家心中と聞いて不思議に思った。その旦那さんはここにはいない。ならどこへ?
「旦那さんだけまだ生きているんだよ。」
僕の考えていることを悟ったのか、彼女は寂しげな表情で「もう全身麻痺状態で首しか動かないって感じだけどね。」と付け加えた。
僕は、この世界に興味を抱いてしまった。この世界も不思議だが、僕はもう少しここのことも彼女のことも知りたくなってしまった。
「僕、佐原悠斗。」
キョトンとする彼女に「もう少しここのことや君が誰なのか知りたい。」といった。
「私、鈴本美音。同じ中学三年生だよ。」
すずもとみおん…。
その名を聞いた途端なぜか頭に痛みが走った。なんなんだ、この痛み。
きっと美音は僕の知らないところで何かしらのかかわりがあるのかもしれない。僕はさらに興味がわいた。
今日会った嫌なことも、今まであった辛いことも、ここにいれば洗い流されるようにすっきりした。
「じゃあ、また明日。」
美音は僕に手を振って見送った。また鏡にはいり、自分の部屋へ戻った。時刻はもう遅く、行方不明になってしまったのでは?と一階では母と父が騒いでいた。「ごめん。」と一言言って食卓に着いた。
食事がいつもよりおいしく感じた。ちょっと生きててよかったと思った瞬間だった。
そして、明日が少し楽しみだって、少し思ってしまう僕がいたのだった。
美音は一人で丘の上に座っていた。
星を眺めていた。
ここにはきれいな星を妨害する光も雲もない。一年中晴天だ。
「また明日ね、ゆうちゃん。」そう呟いて暗闇に冷たい北風とともに消えてしまったのだった。